第5話

 スプリングの効いた馬車は石畳をひた走る。


 おとぎ話の王子様もびっくりするくらい立派な装飾の馬車は、車内も広くてソファもふかふかで、お尻が痛くならない。

 あまりに快適でびっくりする。


 目の前に座るハロルド様と従者の男性は真剣な面持ちで、ハロルド様のお父様であるデスティモナ伯爵とうちのお父様に会いに行く算段をつける。


 まずはハロルド様のお父様会いに銀行の本店に出向く。王都にあるデスティモナ伯爵家の屋敷からはさほど遠くない。


 車内でも文書仕事が出来る様にするためなのか絵描きがデッサンに使うような板を持ち込んでいて、その上でサラサラと手紙を書いていた。

 書き終わると、従者は封を閉じ、馬車の窓を開け常足の馬で並走していた使用人に封書を渡す。

 受け取った使用人は馬の腹を蹴る。馬がいななきスピードが上がり、駈足で走り去っていった。


「早馬でお会いしたい旨伝えるから、俺たちが着く頃には父上と話ができるだろう。本当は急に行って驚かせたいんだけど、大人になってしまったからそうはいかない」


 そう言ってハロルド様はいたずらっ子のように笑った。


 表情が豊かなハロルド様につられてわたしも笑ってしまう。目の前の笑顔がふっと優しくなった。


「俺たちはゆっくり向かうから、その間に君のことを教えてくれないか?」


 甘くて張りのある声。ドキドキと胸が高鳴るのがわかる。


 ダメよ。一年間の契約結婚よ。好きになったりしたら別れるのが辛くなるわ。


「失礼。急に教えてと言われても困るよな。まずは俺のことを知ってもらおう」


 わたしが黙って俯いてしまったのを、何を話していいか悩んでいると思ったみたいで、ハロルド様は助け舟を出してくれた。


 そんな優しさにもすぐにドキドキしてしまう。


「俺は、デスティモナ伯爵家が嫡男、ハロルド・デスティモナ。齢は、もうすぐ十九歳。君と年齢は近いかな? この春王立学園アカデミーを修了したばかりで、今はちょうど学園寮から屋敷に戻ってきたところだ。王宮に文官として登用されることが決まっている。近代史を専攻していたので、王宮では近代史の編纂を担うため文書係に着任する」


 社交的な印象からもっと華やかな仕事をするのかと思ったら、思ったよりも地味な仕事で驚く。


「次は家族構成かな? 家族は父と祖母、それに妹だ。母とは死別している。ああ、そうだ。大切なことを伝えておかないと。母は妹を出産してまもなく儚くなられたのだけど、そのことでことさらに妹のことを不憫がらないで欲しい。自分のせいだと自分で自分を責めてしまうからね。我が家ではうちの妹を『母が命を賭して産んだ宝物』と呼んでいるんだ。ちょっと大切にしすぎて世間知らずなところがあるけどね。自慢の可愛い妹だ」

「……ハロルド様は優しいのね」


 妹さんを産んですぐ亡くなられたと言うことは、ハロルド様は七歳くらいだったはず。寂しかったはずなのに、ずっと妹が辛い思いをしないようにと思いやって生きてきた。

 そう思ったら、つい口に出てしまった。


「優しい? そうかな。でも、一緒に暮らす妹には笑って生きていて欲しいだろ? それに、君の方が優しいさ。俺の知ってるご令嬢という生き物は父親の借金のかたに奴隷になろうだなんてしやしない」


 耳を赤くしたハロルド様はそう言って窓の外を見た。


「続きはまた後でかな。もう到着だ」


 その言葉にわたしも窓の外を見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る