黎明世界の白銀騎士 ~Unlimited sky~

@hotaru-kei

エピローグ









 100億人を殺してでも、また君に会いたい。























『1年前』




 彼の兄は少し―――いや多分に頭のおかしい人だった。

 彼が物心が付いた頃から、兄はいつも上を見ていた。比喩や形容ではなく、文字通り空ばかり見ている人物だった。

 兄は当然のように猛勉強に励み、航空学生となって航空自衛隊の練習機に乗った。

 人は兄を『空に取り憑かれている』と揶揄したが、その評判ほど周りが見えていない人でもなかったと記憶している。兄としてそれなりによく出来た、普通の感性の持ち主だった。

 そんな兄は変わり者だったが、彼は憧れていたし、いつしか航空機に興味を持つようになった。それはある種必然だったのだろう。







 だがある日、兄は帰ってこなかった。







 一部では護国の英雄などと持て囃されたが、彼にとってそんなことはどうでも良かった。

 彼は兄をずるいと思った。兄は散々好き勝手に生きて、その最中に死んでしまった。これほど卑怯なことがあるだろうか。

 死んでしまったら、追いかけることもできない。今思えば兄は不完全な人間だったが、空を目指すという意味では完璧な人間だった。


「《おい! 機体が保たないぞ、それ以上昇るな!》」


 ヘッドフォンから聞こえる無線の警告を無視し、彼はさらにスロットルを押し込んだ。

 彼が乗っていたのは零式艦上戦闘機。通称、零戦。

 第二次世界大戦において他に例のないほどに極限まで軽量化された超超ジェラルミンの骨子を持つ、日本海軍の代名詞ともいえる戦闘機。

 彼の機体はただでさえ軽い零戦を、炭素素材と強化プラスチックに代替することでさらに重量軽減した改造機だった。

 搭載エンジンは2000馬力以上のゼネラル・エレクトリックのT700カスタム。重量150キロにまでシェイプアップされた超小型高出力エンジンが甲高く悲鳴を上げ、高空の酸素を貪欲に求める。

 軽い機体は強力なエンジンに耐えきれなく、ミルスペック設計であるにも関わらずプロペラが異常振動を起こす。高度を稼ぐべく多くの機能を削った零戦は、許容限界の閾値が低いことは彼も承知していた。

 それでも、彼が支払える対価はそのリスク以外にはもうなかった。非才たる彼は、多くを犠牲にしてこの高空まで上り詰めたのだ。

 ルーレットのように回る高度計。やがて空は天頂まであと僅かまで迫り、何もかもが希薄な造り物の世界は藍色に染まる。

 高度20000メートル。プロペラ機としては尋常ではない狂気の高度に達したが、それでもまだ零戦はその機能を喪失していなかった。

 零戦の狭いコックピットには与圧もなく、呼吸を保証するのは酸素マスクだけだった。南極大陸に匹敵する極寒に身を晒し、火傷しそうなほど不親切に配置された電熱線が低温火傷を起こした。

 周囲360度、あらゆる方向を見渡せど15キロ圏内に誰もいないという事実。およそ普通の生活においては経験しえない孤独が精神を苛む。

 ジェット戦闘機並の上昇速度を披露する零戦、しかしそれでも兄の幻影には追い付けない。いつしか上昇は毎秒数メートル単位にまで落ち込み、零戦の熱はこそげ落ちていった。

 高度という姿なき絶壁。これを超えることを許されるのは宇宙用の往還機のみであり、零戦にその資格はない。

 そして、機体は限界を超える。エンジンが不意に停止したのだ。

 ストール酸欠し、ガラガラと不協和音を鳴らすターボシャフトエンジン。零戦はきりもみ状態で回転しながら、大気の海へと堕ちていった。

 高度の余裕は十分にあった。対処療法だったが乱流翼を追加した翼はかろうじて気流を掴んでいて、時間をかければ姿勢を立て直すのはそう難しくなかった。

 流れる大気の中で、彼は焦ることもなく蒼穹へと手を伸ばした。


「―――届かないか」


 アジア情勢の混乱、『大陸解体』はもう昔の話だった。

 幸いにして軽い被害で済んだ日本の空は、彼のような競技者でも受け入れられるほどに治安を回復させていた。

 それでも、届くかどうかは別問題だった。必死に翼を開こうとしたが、風は彼に優しくなかった。


「《エマージェンシー! エマージェンシーコール!》」


 ―――否。違うのだ。

 空に幻想を押し付け、勝手に裏切られたと感じたのは彼の個人的な事情だ。

 空は常に超然と存在して、万物を受け入れ続けた。禁断の爆弾を搭載した爆撃機も、無垢な夢を乗せた練習機も。

 そこに境界も壁もなく、ただ風が吹いているのみ。何人たりとも自立せぬ者を許さない無情な、自分の脚で立つ者を国も宗教も選り好みせず許容する暴風が。

 そんな空が、根本から間違ってきたこの男を許すはずがなかった。


「《疾風四式戦闘機のパイロットが意識不明! 遠隔操縦に切り替えろ、自動着陸させるんだ!》」


 当然であろう、彼―――大和武蔵は、空を愛してなどいないのだから。

 濃度を増す大気。零戦は生物の生存を容認しない高い空から、煩雑な俗世へと回帰する。


「《おいっ! 聞いているのか貴様! 彼女はお前を止めようと無理をしたんだぞ!? お前のスタンドプレーが事故を起こしたんだ、理解しているのか!?》」


 端目に映った大型機。そのコックピット内に見えた、力なく弛緩した黒髪の少女。

 彼を慕い、尊敬し、拙い恋愛感情すら告げてきた健気な女性だった。

 武蔵は彼女に視線を向けた。


「―――弱いからそうなるんだよ、間抜け」


 俺はつい、そう呟いてしまった。







 空に憧れていた。兄が操縦する飛行機が自由に飛ぶ姿を見て、自分も同じ場所に行きたいと思った。

 だが、そうやって追いかけてきた結果がこれだ。

 彼は考える。

 本当に俺はこんなことをやりたかったのか? ―――と。

 いつか見上げた空は、彼がストイックに練習に打ち込むほどに離れていく。

 競技とは競争だ。勝ち負けを決める戦いだ。

 そこに、武蔵が夢見た楽しさはなかった。

 あれほど美しく、楽しく思えていた空が、今はあまりに味気ない。 

 身の丈を超えて猛勉強した。時間を削ってトレーニングした。女だって切り捨てた。

 そこまで努力して、得られたものは、これだった。


「は、は」


 心底可笑しかった。同じ部活内に真っ当な部員が多かったからこそ、自分の滑稽さが愉快に感じられた。

 皆、彼より実力の劣る半端者だった。彼より努力しない怠け者だった。

 だが、彼より空を愛していた者達だった。


「そうだ。俺は空が好きなんじゃないんだ。だから強くなれた。だけど、それだけだ」


 ストイック、そういえば聞こえは良い。

 しかし彼はあまり模範的なプレイヤーではなかった。ルール違反ギリギリの手段を講じ、あらゆる反撃を封じる戦術に徹した。

 それが許されるのが競技だが、相手は決していい気分ではなかったはずだ。

 彼はそれを許容した。ルール違反ではないのなら問題ないと、切り捨てていた。

 だからこそ彼は強かった。ひとかどの選手となった。だが、本当にただそれだけなのだ。


「俺に、空を飛ぶ資格なんてなかったんだ」


 口にして、彼は自分の思い違いに気が付いた。

 当然だったのだ。俺は兄ではない。どうやったって、彼にはなれない。

 彼が目指すべきは、あるべき自分自身なのだ。


「もっと自分勝手に。欲望のままに、生きてみよう」







 そんな残念な真理に辿り着いた少年は、翌日から人が変わったようにロクデナシとなった。

 授業中はこっそりと漫画を読み、女性にセクハラしつつも手を出せず、飲食店の無料の漬物を食い漁った。

 ……いまいちやっていることはセコかったが、とにかく素行が悪くなった。

 少年の豹変に周囲は困惑するも、すぐに忘れて順応する。

 それは、彼の熾烈な特訓が何ら意味のないものである、と断言されるに等しかった。

 言うほど周囲は彼を気にしてなどいなかった。彼は部活のエースだったが、仲間ではなかった。

 こうして大和武蔵は空に背を向けて、適当な普通科高校へと進学した。







 しかし、空は意外にも彼を見捨てる気などなかったらしい。

 武蔵は入学式早々に、それを知ることになった。








あとがき

大半の人ははじめまして。蛍蛍です。

久々の小説投稿なので、マナーに間違いなどあれば優しく教えてくれると助かります。

全編「ほぼ」書き終わってます。(推敲は投稿とリアルタイムで行っています)

誤字報告はなるべく修正します。内容修正は、明確な矛盾や違和感を指摘された場合対処します。

あと、数年かけて書いたので、やっぱり反応はほしいです。

というわけで、感想やポイントいただけたら嬉しいです。


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