第7話 月光
もしも鏡に映っているのが、大人の女性の裸体だったら、俺は胸をどきつかせ、浮かれてしまっていただろう。もしもそれが女子中学生のハダカであったとしたならば、自分なのに罪悪感で、すぐ目をそらしていただろう。もしもそれが女子小学生の素っ裸であったなら、特に何を思うこともなく、入浴を続けていただろう。
しかし鏡の奥で今、シャワー片手に立っているのは、紛れもなく裸の女子高生だ。もちもちとした肌身は白く、妖艶というより爽やかで、表面に付着した水滴が、綺麗な形を保っている。お湯と蒸気に温まってきた、程よい脂肪は滑らかで、抱きしめたくなる愛嬌さえも、その身は清潔に持ち合わせていた。澄んでいて、瑞々しくて、どうしようもなく女子高生だった。
どぅあっ。
変な声を漏らしたまま、俺は活動を停止する。たとえそれが自分であっても、裸の女子高生には耐えられない。俺の体は水風船のように、ぷくーっと膨張し始めた。
ぷくーーーーーーーーーーーーーーっ。ぱんっ。
そして無残に破裂した。
しかし、水風船が割れたとき中から水が飛び出すように、破裂した俺の中からもいっぱいの水が流れ出した。そして俺の本体はその、流れ出した水に移されていた。体が破れてしまっても、俺は水に姿を変え、なおも生き続けているのだった。
だがしかし、水の姿をした俺は残念ながら、そのまま排水口に流されていくのを、避けることができなかった。
ウォータースライダーを滑るように、俺は下水管を流されてゆく。俺はどこへ運ばれていくのか。下水処理場へ運ばれて、きれいに浄化されるのだろうか。ならばそのまま海へ行きたい。広大な海の一部となって、魚を眺めて暮らしていたい。そしていつしか雨となり、再び地上へ降り注ぐのだ。
雄大な水の生き様について思いを馳せていた俺だったが、暗い下水管のトンネルに一筋の光を発見した。どうやら腐食により小さな穴が開いているようだ。俺はふと我に返る。違う。水として生きるのもいいが、俺は人間に、女子高生に生まれ変わったところなんだ。女子校という大変な場所に舞い降りてしまったけれど、今日1日でサイカやルルップという友達、ヒメカやリトスといったルームメイトにも巡り会えた。もう少し、もう少しだけ、この新しい生活を試してみたい。水として海へ流れ出るのは、その後でも遅くない。
小さな穴の、光の差す方に辿り着けるよう、俺は身をよじり、方向を調節する。そして穴に重なった瞬間、思いっきり下側に向かって力を込め、管からの脱出を試みる。
ツーーー、ベチャ。
俺は管から抜け出して、どこかの地面へこぼれ落ちた。学園の敷地内ではあるらしく、月光に照らされたレンガの道が続いている。人影は全く見えない。この時間はもうみんな、寮の中で過ごしているようだ。どう部屋に帰ろうかと思案していたところ、道の向こうからカツカツカツと足音が聞こえてきた。
どうしよう。女子高生だったらどうしよう。ただでさえ裸のダメージが癒えておらず、じゃぶじゃぶに溶けたままなのに。お願いします。心臓が持たないです。女子高生だけは勘弁してください。
そう願いながら足音が、こちらに近づいてくるのを待つ。靴が地面を打つリズムは整然とし、それだけで歩行者の上品を察することができる。徐々に彼女のシルエットが見えてくる。調和した腕と脚の動き、伸びた背筋、指の先端まで美しさが行き届いており、それを特別意識せずやっているように見える。そして月明かりのもと、白いリボンが2つ見え、彼女が女子高生であることに、サイカ・ホワイトスノーであることに気づく。
下水管からポタポタポタと水が滴っているのに気づき、サイカはこちらをチラッと見る。そしてその下の水たまりに俺が混ざっているのを見つける。
「ええっ!?アリサ!?何でそんなところで溶けてるの!?」
「サイカ……タス…タスケテ………」
「えええ!ちょっと待って!」
そうしてサイカはどこからかバケツを持ってきて、水たまりの俺の部分を掬い出してくれた。
「アリ……アリガトウ………」
「今度はどうしたの?ルームメイトに何かされた?」
「チガ…チガウ………ジブンノハダカガ………」
「自分でもダメなの!?本当に大変なのね………」
「タイヘン……タイヘン……デモサイカモタイヘン……ヒトイッパイアツマッテキテコワイ……デモファンヲキズツケナイタイオウ……リッパ……」
「アリサ………」
俺が汲まれたバケツを両手に抱えながら、サイカの表情は少し綻んだ。
「アリサ、ちょっとだけ私に付き合ってくれない?」
「イイヨ」
サイカは「ありがとう」と言い、バケツに入った俺を連れて、夜の学園を散歩した。
「昼間だと人が集まって来ちゃうから、なかなか自由に出歩けなくてね。だからいつも夜にこっそり散歩するの」
食堂、購買、図書館、運動場。まだ訪れたことのない施設の横を通る。だがまだ訪れたことがなかったとしてもそこからは、日中生徒が大勢出入りし、賑わっている様子が想像される。そして今は、そんな忙しさから解放され、ゆっくり休んでいるように見える。その休息が俺自身の心をも穏やかに落ち着かせる。きっとサイカも同じように、学園での騒がしさから解き放たれ、心安らいでいるのだと思う。
「1人での散歩も好きだけど、今日はアリサと一緒で嬉しい」
「オレ…モ…ウレシイ……サソッテクレテ……アリガトウ……」
「ふふっ。バケツに入れて運ぶんじゃなくて、隣を歩いてくれたらもっとよかったのに」
「ゴ…ゴメンネ……」
「冗談よ。その姿も面白くて好き」
ようやく落ち着いてきたところで、人間の形に戻ろうとしていた俺だったが、不意の「好き」という言葉に、また溶け出してしまった。
最後にサイカは中等部の校舎へ行き、中庭のベンチに座った。俺が入ったバケツは彼女の隣に置かれた。
「中等部のときからここが好きなの。学園の中で一番、月の光が自然に集まっている場所な気がして………」
「……………」
「私ね、今日すごく楽しかったの。中等部の頃からみんなにカリスマ扱いされて、高等部に入っても、それが続くんだろうなと思ってた」
「サレテタ……キョウモカリスマアツカイサレテタ………」
「でもアリサは違ったわ」
「…………!」
「アリサにとって私はただの女子高生の1人で、それ以上でもそれ以下でもなかった。それにさっき大変なのは同じって、一緒の目線にいてくれた。昼ご飯だって、私中等部までは生徒会室に隠れて1人で食べていたのよ。でも今日はファンじゃなくて友達が誘ってくれた。あんなに楽しい食事、学園に来てから初めて。ルルップにも感謝だわ。私を特別視しない人と一緒に笑って過ごせた時間が、本当に楽しかったの」
「トクベツ……サイカハトクベツ……」
「私は特別なんかじゃないわ。みんなと同じただの高等部1年よ」
違う。サイカは特別だ。
「トクベツ……トクベツ…ハジメテノ……トモダチ…………」
「アリサ………!」
急にサイカは立ち上がり、月に向かって数歩歩いた。その間手のひらに人らしき字を、3回書いて飲み込んだ。そしてこちらに振り返り、真っ直ぐな目でじっと見つめた。
「アリサ、昼にした属性の話覚えてる?あの時私嘘ついてたの。私、属性だけは正真正銘特別なもので、でもこれ以上特別扱いされるのが嫌だったからずっと隠していたの。ごめんなさい」
「イイ……アヤマラナイデ………」
「ありがとう。でももうアリサには隠し事をしたくないと思った。本当の私を知ってほしいと思った。私にとってアリサも、初めての友達だから」
バァッサァァァァ
月光の下、サイカの背中から、2枚の翼が現れる。白い鱗で皮膚が覆われ、太い尾が後ろに伸びる。手足の爪が、鋭く大きく、強靭な様相に変化してゆく。頭の両側から生えた角は、世界の何よりも硬そうで、美しかった。俺はバケツから顔を出し、目の前の光景に圧倒された。ただただ「すごい」と言葉を漏らしていた。
「校舎が潰れちゃうから人型にとどめておいたけど、これが私の本当の姿よ」
これがサイカの本当の姿。
「私、ドラゴンなの」
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