魔術喰らいの簒奪者 〜「ゴミに聖女は相応しくない」と大切な妹を奪われたZ級魔術士は、全てを取り戻すため最弱魔術『シールド』で最強を“模倣”する〜

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邂逅編

001 間違った選択

 



「ドロセアみたいなゴミは聖女様に相応しくないんだよッ!」




 少年はそう声を荒らげながら、地面に倒れ込む少女に向かって手のひらを突き出した。


 すると空中に“術式”と呼ばれる文字や模様が浮かび上がる。


 その術式から放たれる火球こそが、“魔術”だった。


 勢いよく放たれた火の玉は地面で縮こまる少女の肩に命中し、炸裂した。




「あぐぅっ! う、うぅ……もう、やめて……エルク……」




 少女は服も破れており、体は傷だらけで、声も弱々しい。


 すでに火や土、風などの魔術を複数回受けているようだ。


 茶髪で小柄、身にまとう衣服からも地味な印象を受けるその少女の名はドロセア・キャネシス。


 まだ十三歳の彼女は、エルクを含む年上の少年数名に囲まれ、見下されていた。


 少年たちは一様にニヤニヤとドロセアを嘲笑していた。




「やめるわけないだろ」




 エルクは乱暴にドロセアの髪を掴み、持ち上げる。




「お前が言い出したんだぞ、魔術の才能なんて関係ないって。それって魔術師とそれ以外の人間は平等で同等だってことだろ?」


「それは……リージェと、一緒にいるのに……」


「聖女様を呼び捨てにしてんじゃねえよッ!」




 少年の膝が少女の腹にめり込む。




「がはっ、ふ、ぐ……っ」


「はっ、どうしたんだよ。自慢の“シールド”で防げばいいじゃねえか。才能が関係ないならできるはずだよなあ? 俺らは同等の存在なんだもんなあ?」


「はぁ……はぁ……ぅ、あ……」


「それとももう使えなくなったのか? あんな赤子でも使えるような初歩的な魔術を使って燃料切れってか!? さすがZ級魔術師様は出来が違うねえ!」




 ドロセアは乱暴に投げられ、後頭部を木の幹に強打する。


 意識が朦朧とし、もはやうめき声すらもまともに出せない。


 ふと、倒れ込む彼女のぼやけた視界に己の右手が映り込む。


 手の甲には、丸い模様が刻まれていた。


 それはZ級魔術師――あるいは無等級、等級無し、魔術師失格、自称魔術師などと呼ばれる“魔術の才能無し”を示す刻印だった。


 対するエルクの手の甲には、ドロセアのそれと比べて遥かに細かなデザインの刻印が刻まれている。


 彼はA級魔術師。つまり高い魔術師の才能を持つ人間として認められたのだ。


 他の面々も、ドロセアと違って大なり小なり、魔術の才能を持つ人間ばかり。


 彼女だけがZ級。


 だがそれも、仕方のないことだった。




「ただの平民がでしゃばりやがって。魔術師の才能の有無なんざ、“選別の儀”を受ける前からわかってただろ? 調子に乗って儀式を受けるからそんなゴミの印を刻まれちまうんだよ!」




 選別の儀――魔術の才能を計測し、手の甲にの結果を刻み込む儀式。


 エルクの言う通り、あれを受けるのは元から魔術の才能があると思われる人間だけだ。


 ドロセアのように、自分の身を守るぐらいしか使い道のない初歩魔術“シールド”しか使えないような人間は、最初から諦める。


 だが彼女はそうしなかった。


 儀式を受けたい、理由があった。


 かすむ意識の中で、ドロセアは大切な人のことを思い出す――




 ◆◆◆




 この村の領主には、それはそれは美しい金色の髪を持つ一人娘がいた。


 リージェ・ディオニクス、年齢はドロセアより一つ下の十二歳。


 裕福な家で育っただけあって物腰も口調も上品なお嬢様なのだが、ドロセアとは毎日を共に過ごす親友であり、妹のような存在でもあった。


 その仲睦まじさと言ったら、こんなことを親に向けて公言するぐらいである。




「お姉ちゃんはわたしと一生いっしょにいてくれますか?」


「もちろん、ずーっとリージェと一緒だよ。何があってもね」


「わたしもお姉ちゃんと添い遂げたいと思っています。よろしいですよね、お父様」




 ドロセアとリージェの言葉には微妙な違いがあるようにも思えたが――ともかく、ただの友人という言葉では片付けられないほど仲が良いのだ。


 だが、リージェは普通の人間ではなかった。


 幼少期から高い魔術の才能を示す、将来の成功を約束された天才だったのだ。


 父カーパは十歳ごろから繰り返し、『王都に行って選別の儀を受けなさい』と勧めてきた。


 それに対してリージェは『魔術師になることなど望んでいません』と首を横に振るばかり。


 仮に魔術師になって王都で働くようなことがあっても、ドロセアを付き人にしたらいいと説得しても、あまりいい顔をしない。


 だが、そうもいかなくなる事件が起きた。




 ◇◇◇




 それは今から数ヶ月前のことだ。


 ドロセアとリージェはいつものように、ディオニクスの屋敷の近くにある森で花を集めて遊んでいた。


 そこに、“魔物”と呼ばれる、狼を何倍にも大きくしたような化物が現れたのである。


 魔物は通常の動物が、何の前触れもなく突然変異を起こして発生する。


 元の動物よりも高い身体能力を持ち、知能も上がり、魔術まで使うようになる上に、凶暴化して人間にも容赦なく襲いかかってくる。


 その狼の魔物も、例のごとく近くにいたリージェに襲いかかった。




「危ない、リージェっ!」




 とっさにドロセアが間に割り込み、リージェをかばう。


 リージェの眼の前で、ドロセアは鋭い爪に引き裂かれながら宙を舞った。




「い……い、いやあぁぁあああああああッ!」




 飛び散った血で顔を汚しながら、リージェは錯乱し叫び声をあげる。


 そして彼女が正気に戻ると――目の前には、焼け焦げ息絶えた魔物と、すっかり傷の塞がったドロセアの姿があった。


 リージェは錯乱状態で魔術を発動させ、魔物の撃破とドロセアの治療を同時にやってのけたのだ。


 叫び声を聞きつけて父親と使用人が森まで走ってくる。


 娘の圧倒的な魔術の才能に、父は震えた。


 まともに魔術教育も受けていないというのに、これだけの力を発揮できるのだ。




「素晴らしい……リージェ、お前はS級魔術師になれるぞ! ディオニクス家はもっともっと大きくなれるッ!」




 カーパは娘の肩を掴み、鼻息荒くそう声をあげた。


 S級魔術師とは、A級魔術師をも超える超一流の才能を持つ者のこと。


 この王国においても、指で数えられる程度しか存在しない最強の魔術師だ。


 誰もがS級魔術師になることを夢見ている。


 だがリージェは目をそむけ、首を縦には振らない。


 ちょうど目を覚ましたドロセアは、そんな気まずい空気の親子と、血まみれになった自分の服を見て首をかしげた。




 ◇◇◇




 リージェは父の説得を拒んだが、彼女の起こした奇跡は否が応でも村中に広がった。


 やがてその話は選別の儀を取り仕切る教会の耳にまで及んだらしく――なんと、教会の幹部が村にやってくることになった。


 選別の儀は、本来は施設のある王都や大きな町でしか行っていない。


 それを、わざわざ向こうから出張してきて、この小さな農村でタダで行うというのだ。


 村人たち、特に若い人間は湧き上がった。


 こんなしみったれた田舎からは早く出ていきたいと願う少年少女も多い。


 彼らにとって、それは千載一遇のチャンスだったのだ。




 ◇◇◇




 森で起きた騒動から一ヶ月後。


 ついに教会の人間が村を訪れ、選別の儀が行われた。


 もちろん一番の目当てはリージェだ。


 しかし儀式当日、自室に彼女の姿は無かった。


 カーパは慌てて娘を探し、ドロセアにも手伝ってくれと頼んだ。


 そしてドロセアは、すぐに森の中でリージェを見つけ出す。


 木の幹に背中を預け、膝を抱える彼女に隣に、ドロセアは微笑みながら腰を下ろした。




「リージェ、こんなところにいていいの?」


「お姉ちゃん……わたし、選別の儀なんて受けたくありません」


「でもS級魔術師になれるかもしれないんでしょ」


「なりたくないんです。この村でお姉ちゃんと一緒に暮らせたら、それで十分なんですから」


「そっか……リージェはこの村が大好きなんだね」


「お姉ちゃんのいるこの村が、大好きなんです」




 リージェはドロセアを真っ直ぐに見つめながら、真剣な表情でそう言い放つ。


 ドロセアは嬉しそうに頬を緩めた。




「私もそうだよ。けど、S級になったからってどこかに連れて行かれるわけでもないんでしょ? パパさん困ってたよ」


「今のところ、そんな話は聞いてませんが……」


「それにどこに行くにしたって、私が一緒についていくのは決まりだよね」


「もちろんですっ!」


「だったら、問題ないんじゃないかな。カーパさんだってあんなに張り切ってるし、悲しませたらよくないよ」


「でも……」




 何がそこまで不安なのか、ドロセアにはわからなかった。


 ドロセアは農家の娘だ、政治だとか貴族の世界についてはさっぱりわからない。


 でも、S級魔術師になれば将来の成功が確定することはわかっている。


 できればリージェには幸せになってほしい――そう心から願い、ドロセアは説得を続けた。




「わかった、じゃあ私も一緒に受ける」


「儀式を、ですか?」


「だったら怖くないよね」


「ですがそれではお姉ちゃんが」


「手の甲に落書きされるだけでしょ? 問題ないって」




 ドロセアの屈託のない笑顔が、リージェの不安を溶かしていく。


 こうして彼女はドロセアに連れられ、選別の儀を受けることになった。


 村の中央に作られた祭壇で、教会の幹部らしい偉そうな男が魔術を使い、リージェの中に秘められた力を見定める。


 そして彼女は想像通り、S級魔術師の印を手の甲に刻まれた。


 続けて儀式を受けたドロセアは、Z級――無能の印を刻まれる。


 この村で儀式を受けた人間でZ級になったのはただ一人、ドロセアだけ。


 しかし彼女はそれを悲観することなく、「リージェとおそろいだね」と無邪気に笑っていた。




 ◇◇◇




 次の日から、ドロセアは一切リージェと会えなくなった。


 カーパに頼み込んでも無視された。


 教会の人間に行っても手の甲を見られて鼻で笑われるだけ。


 そしてエルクをはじめとする村の少年少女たちは、人が変わったようにドロセアに対する迫害をはじめた。




「恥ずかしい」


「才能の無い人間がでしゃばるからこうなる」


「お前に聖女様の近くにいる資格はない」




 リージェはいつの間にか聖女様と呼ばれるようになっていた。


 近々、村を出て王都にある教会の本部に連れて行かれるらしい。


 もちろん、ドロセアがついていけるはずもなかった。




 ◆◆◆




 ドロセアがリージェに会えなくなったのが、ちょうど一週間ぐらい前のことだ。


 その間、エルクたちの嫌がらせは日に日にエスカレートしていき――ついに直接的な暴行に及ぶまでになった。


 思い出の森に呼び出され、手足を拘束されて無防備な体に魔術を使われる。


 シールドで防げる数にも限界はある。


 いつしかエルクたちは生身のドロセアに魔術を放つようになり、彼女の脳裏には“死”という言葉が浮かぶようになっていた。




「勝手に気絶してんじゃねえよ」




 ばしゃりと、顔に大量の水が浴びせられる。


 エルクの取り巻きが魔術によって生み出したようだ。


 ドロセアは「がぼっ、げほっ」と溺れそうになりながら意識を取り戻した。


 再び、ニヤニヤとした少年たちが、ドロセアに魔術を放って痛めつける。


 炎に焼かれ、風に切り裂かれ、石に殴られ、水に溺れ、氷に貫かれる。




「あがっ、がっ、ぎゃあああぁぁあああああっ!」




 もうまともに言葉を発することもできない。


 喉が枯れるほど必死に絞り出されたその声を聞いて、少年たちはゲラゲラと笑う。




「見ろよこいつ、毛虫みたいに這いずり回ってやがる!」


「汚ねえ声、屠殺される豚かよ!」


「あーあーかわいそうに、これじゃ顔に痕が残って結婚できないでちゅねえ? あ、元からそのつもりも無いのか。聖女様と添い遂げるんでちゅもんねー?」


「何だよその口調、気持ち悪ぃ。まあ、ドロセアほどじゃねえけどな!」


『ぎゃはははははっ!』




 なんでこんなことに。


 ドロセアは今もよくわかっていなかった。


 いや、ケダモノの理屈を聞かされたところで、意味などわかるはずもない。


 これはただただ理不尽で、理由などない快楽のための暴力なのだから。




「おら、そろそろわかったか? お前は、聖女様に、ふさわしくないってことがさあッ! あいつの騎士には、俺が代わりになってやるよッ!」


「踏みつけるの楽しそっすね。でももう聖女様とか関係なくね? ただエルクさんが痛めつけたいだけっつうか」


「ま、そうなんだけどな」


「うわひっでー」


「別にいいだろ、A級の俺から見ればZ級なんてゴミなんだ。それにA級は貴重だからな、多少人を殺したぐらいで罪に問われたりはしないって」


「その言い方、殺すつもりなんすか?」


「どうせこのまま放っておいたら死ぬだろ。でも……ただ死ぬだけじゃ、つまらないと思わねえか?」




 そう言って、エルクは懐から小瓶を取り出した。


 中には赤い怪しげな液体が入っている。


 取り巻きが彼に訪ねた。




「うわ何すかそれ、人が飲んでいい色じゃないっすよ」


「教会の連中が面白そうなもん持ってたからくすねてきたんだよ、どうやら楽しくなりながらあの世に逝ける薬らしい。最期の瞬間、ドロセアにも少しぐらい幸せな世界を見てほしいなと思う俺の優しさよ」


「かぁーっ! さすがエルクさん人情に溢れてる!」


「だろぉ? ほらドロセア、とっとと飲めよ」




 そう言って、エルクはほぼ動かないドロセアに、無理やりその薬を飲ませた。




「さて、と。じゃあ俺たちは帰りますか」


「見ていかなくていいんすか?」


「特等席で見るためだよ。ほら、行くぞお前ら」




 少年たちは倒れ伏すボロボロの少女を放置して、その場を離れていく。


 やがて取り残されたドロセアの体がビクンッ! と震えた。




 ◇◇◇




 しばらくして、ドロセアは目を覚ました。


 どうにか体を起こすことはできたが、頭がふわふわして、視界もぐらぐらして、真っ直ぐ歩けている気がしない。


 不思議と体は痛くなかった。


 死にかけるぐらいひどい傷だったのに。


 ひょっとすると、リージェがこっそり治療しにきてくれたのかもしれない。


 そんな都合のいいことを考えながら森の出口へ向かう。


 空はすっかり夜の色。


 それでも出口へ一直線に進めるのは、ここがドロセアにとって庭と呼べるぐらい慣れ親しんだ場所だからだ。


 感覚だけで村にたどり着く。


 広場には、松明を持った大人たちが集まっていた。


 やけに真剣な表情をしていて、まだドロセアには気づいていない。


 その中に両親の姿を見つけ、彼女は声をかけた。




「ゔああぁあうあ、おああぁああ」




 まるで化物のような、低く淀んだ声が出た。


 それを聞いた大人たちは一斉にドロセアの方を向く。


 そして彼らの表情は恐怖に歪んだ。




「う、うわああぁああっ、魔物だあぁあっ!」




 魔物――そう呼ばれて、首をかしげるドロセア。


 何かがおかしい。


 嫌な予感と夜の冷たさに、脳は徐々に冷静さを取り戻していき、視界もクリアになっていった。


 両手に視線を落とす。


 右手の指は三本、左手の指は十二本。


 ボコボコと醜く泡立ったような、紫色の腕がそこにあった。




「お、ぐげ、あ……?」




 一瞬、それが自分の体であるという事実をドロセアは受け入れられなかった。


 その間に両親が大きな声をあげる。




「あの布切れ……ドロセアの服じゃないか……?」




 ドロセア本人なのだから、破れた服の一部が異形に膨らんだ肉体に張り付いているのは当たり前だ。




「そ、そんな……じゃあドロセアは、あの魔物に……!」




 しかし両親はそんなことを知るはずもなく、悲嘆と憎悪をドロセアに向けた。


 そして都合の悪いことに、父の手には斧が握られていた――何らかの危険な生物が出現したという情報を、エルクたちから聞かされていたのだろうか。


 ドロセアは必死に呼びかける。




「ぁああうあ、おああぁああ!」




 私だよ、お父さん、お母さん。


 だがそんな言葉が届くはずもなく――




「こ、この化物め……よくも娘をぉおおおおおおッ!」


「あなた、危ないわっ!」




 駆け寄ってきた父の斧は、娘の頭に振り下ろされた。


 鈍色の刃が側頭部から埋没し、眼球を切り潰しながら鼻のあたりまでを引き裂く。




「がぎゃ、げああぁあああああっ!」




 痛かった。


 肉体も相当なものだけど、それ以上に心が痛かった。


 叫ばずにはいられないほどに。




「今だ、みんなであいつをやっつけるぞ!」


「そうだ、ドロセアちゃんの仇を取れぇぇええッ!」




 便乗するように、他の村人たちも襲いかかってくる。


 クワや鎌で切りつけ、松明や石を投げつけ、ドロセアは腕でそれを防ぐことしかできなかった。




(どうして)


『殺せ』


(どうして)


『喰え』


(どうして――)


『あいつらは全員お前の食料だ』




 痛い、苦しい、うるさい、うざったい、黙れ、黙れ。


 悲しみだけでなく、こんな状況に追い込んだエルクたちへの痛み、そこに“魔物としての本能”が混ざりあい、ドロセアの頭の中はぐちゃぐちゃにかき混ぜられていく。




(ダメだ。私、このままじゃ……お父さんとお母さんを、殺しちゃう……)




 痛みはあったが、村人たちの攻撃はドロセアを殺すには至っていなかった。


 だから彼女は――その場から逃げるしかなかった。




「逃げるなあぁああッ! よくもドロセアをっ、俺の娘をぉおおおッ!」




 後ろから憎悪に満ちた父親の声が聞こえてくる。


 きっと鬼のような形相をしていることだろう、それが探している娘本人だとも知らずに。


 ドロセアは、怖くて振り向けなかった。


 一心不乱に、醜く膨張した紫色の体で森を目指して走り、森の中を走り、走って、走って、とにかく逃げ続けた。


 とっくに村人たちは追ってきていなかったが、なおも足を止めることはなかった。


 怖かったから。


 止まって、現実を直視してしまえば、ドロセアの心は耐えられないと思ったから。




(こんな姿じゃ、もう家には帰れない。リージェにも会えない……私、私……っ!)




 そのまま彼女は肉体をボロボロにしながら三日三晩走り続け、やがてどこかもわからない崖から落下した。


 転がり落ち、全身を強く打ち付け、下にたどり着く頃には立ち上がることもできなくなっていた。




(私……死ぬんだ。こんな姿のまま、誰にも……リージェにすら見送られずに……)




 わずかな諦めが心に浮かぶ。


 だが、それを飲み込めるほどドロセアは冷めた人間ではなかった。




(選別の儀を受けなければよかったの? Z級になるって、ここまでされるほど悪いことだったの?)




 ふつふつと湧き上がる、理不尽への怒り。


 きっと両親に殺されかけることを、エルクたちは理解していたに違いない。


 それに何よりひどいのは、リージェを奪ったままドロセアを殺そうとしたことだ。




(おかしい……こんなのは……このまま、リージェにも会えずに死ぬのは、絶対におかしい……!)




 許されることではない。


 許されることではない。


 受け入れて諦めて死ぬなんて選択肢は、ドロセアの中にはなかった。


 動かない体を無理やり動かそうとする。


 手足は完全に砕けてしまっているので、体だけで、毛虫のように移動しようとする。


 そのとき、誰かがドロセアの視界に現れる。


 普通の女性よりは身長の高い、赤髪の女――服装はまるで物語の中に出てくる魔女のようだ。


 女は異形の肉塊を見て、にやりと笑った。




「何かと思えば、魔物化した人間じゃないか。しかも生きてる! ふふっ、私はツイてるねぇ。こんな貴重なサンプル、そうそう手に入るもんじゃない」




 女の手のひらに緑色の術式が浮かび上がったかと思えば、ふわりとドロセアの体が浮かぶ。




(私を……どうするつもりなんだろう……?)




 そのままドロセアは、謎の女の魔術によって森の奥へと運ばれていくのだった。



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