心のモヤは一生、晴れない


  *


 心のモヤが晴れることはない。


 きっと誰もが、大なり小なり、心に闇を抱えていることだろう。


 その大きさも小ささも目で見えるものではないから、人は見える範囲の物差しで、その人の闇の深さを判断し、評価する。


 良くも悪くも、人は人であるがゆえに、様々な思いが混ざり合い、絆が生まれたり、絆が生まれなかったりする。


 人の感情の磁石は、人によって、くっついたり、離れたりする。


 その繰り返しをしているのだ、人間は。


 だから、たとえ、その人に受け入れてもらえなかったりしても、ほかにもいい人いるよ! ……みたいな感じなことを言われて、探すのはいいのだけど、自分の目に見える範囲にいない、どこかに存在する理想の人物を求めたとしても、それは、きっと虚しいことだろう。


 なんの話だ、これ。


 まあ、良くも悪くも、人に求めるレベルが高くなりすぎているよな、という話なのかもしれない。


 現代の世の中では、スマホがあれば、ネット環境があれば、どんな人でも簡単に繋がれる。


 しかし、それがゆえのリスクというものも当然、存在するのだが、なにがリスクなのかは、正直、あいまいになってきているような気がする。


 自分自身は善人である、というように表面上は振る舞っているけど、心の中まで善人である人なんて、そうそういないように思う。


 正直、心の中まで自分を評価するならば、クズの範囲に収まるだろう。


 どう生きるか、なんて考える暇なんて、ないんだよ。


 時間は常に消費され、待ってはくれないのだ。


 だから、たとえクズだとしても、表面上は、いい人をよそおい、甘い蜜を吸えるような、関係の構築ができるように、腹黒く、薄汚く、その感情を表に出さない善人のフリをして、ハッピーに生きられたら、それでいいじゃないか、と思う。


 大体みんな、そんな感じじゃない?


 みんな、それが普通だって、本当はわかっているんじゃない?


 私には、そんなふうに思えるね、人間という生き物は。


 私は、ひねくれているのかもしれない。


 だから、私が今、書いたことが正しいことであるとは断言しないよ。


 そういう考えの人もいるんだよ、という程度に思ってくれれば、それでいい。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 たった、それだけの、独りよがりな感情の話。


 こうやって、文章を少し書いてみたけど、やっぱり、心のモヤが晴れることはない。


 私が、いけないのだろうか。


 そんな気分にさせられる。


 どうして、罪悪感を抱くのだろうか。


 そんなことを思いたくないのに。


 やりたくないことなんて、やりたくないのに、どうして、人に強制させる人がいるのだろうか。


 まるで、宗教の勧誘みたいなものじゃないか。


 本当に嫌になる。


 嫌だなあ。


 早く、どこかにいきたいな。


 そう思う。

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