テンシを狩る理由(2)

「寝るにはなんだ?」

「聞かなくていい坊や。まったく……魔女様は人の黒歴史がお好きで困るよ。イオエル、キミも便乗しないでくれ」

「ん~? 私は何も余計な事は言ってないぞ? コーヒーが飲めなかった事くらいだ」

「言ってるじゃないか」

「ご、ごめんリーラ。たくさん知れるって、わたし嬉しくて」


 リーベは申し訳なさそうに視線を落として、指を絡める。そんな顔をされれば何も言えない。そもそも話したロゼッタたちに非がある。

 リーラは隣で涼しい顔をするロゼッタのパートナーに、恨めしそうな目線を向けた。


「リュゼ、キミが止めてくれると思ったんだが?」

「私は一度お止めした。それに、お嬢様の性格を知っていて、預けたんだろう?」

「……キミもずるいな」


 リュゼの言い分は正論だ。魔女は人をからかうのが大好き。そんな性格は痛いほど理解しているのに、任せたリーラが悪い。そして何より忘れていたのが、忠実な人形は主人に甘いという事だ。しかし言い訳を言えば、あの時は葉巻の麻酔が切れた痛みで、そこまで頭が回らなかった。

 リーラはやれやれと、手で顔を覆う。そんな彼女の肩に、まるで雪のように真っ白な手がぽんと置かれる。


「キミの人生は刺激的だ。お子様にはまだまだ早い」


 そう言ったのは、気さくな笑顔の男。するとリーラの隣に居るゾネは、男に牙を剥いた。今にも飛び掛かって来そうな雰囲気に、男は笑いながら手を退ける。直後、ゾネはリーラを守るようにぎゅっと抱きしめた。


「ははは、相変わらず優秀な番犬だなぁ」

「トート、あまりからかうな。そのために来たんじゃないんだろ?」

「もちろん。大天使の顔を拝みにね」


 男はサルヴァトーレ。皆愛称のトートと呼んでいる。イタリアの代表で、悪い人物ではないのだが、ゾネには懐かれていない。それはしょっちゅう、リーラを口説こうとするからだ。だからゾネにとっては、要注意人物となってしまっている。

 サルヴァトーレはにこやかな笑顔でリーベに手を差し伸べた。なんだか同じ匂いがする。しかし同時に、リーベは握手に応えながら違和感を覚えた。


「初めまして大天使。これからよろしくね」

「うん、よろしく、トート」

「いやぁ、さっきの演説良かったよ」

「ほんとかっ?」

「ああ。まるで何も知らない子供のようで」


 笑顔のまま、細い琥珀色の瞳が鋭くリーベを見る。その冷たい声色と目線に、リーベは違和感の正体を理解した。感情が浮かべられている笑顔とは真逆なのだ。歓迎していない。むしろ嫌悪すら感じる。


「サルヴァトーレ」


 リーラの手が、そっとリーベの肩を抱き寄せる。そこでリーベは、自分が青ざめてひどい顔をしていると自覚した。リーラは不安そうな小さな肩をトントントンと、三回優しく叩いた。そして少し屈み、ゾネの方を指さして「そっちに行ってなさい」と囁く。

 思わず視線を向けると、ゾネは腕を引いてリーベを抱き寄せる。リーラは彼らを隠すように、サルヴァトーレと向かい合った。


「まだ目覚めて数週間の赤子だ。八つ当たりはよせ」

「八つ当たり? はは……ただ、少しは自覚すると思っただけさ」

「この子は何もしていない」

「だが生まれた時から罪の塊だ。キミもそう思っていたんだじゃないのかい? 僕と同じ意見だったんだ」


 同じ意見。それはつまり、大天使を殺すという意志。サルヴァトーレはここに居る誰よりも、大天使を産むための犠牲者となった存在。だから彼は、同じように直結した犠牲者であるリーラには心を許している。

 もちろんリーラも、大天使を殺すつもりだった。たとえ未来が二つに別れていると知っても、利用するために生かすだけだと。だがもうそんな気はさらさらない。


「この子はそれを理解している。だから逃げずにここに居るんだ。だが、罰を受けるには幼すぎる」

「……優しくなったね」

「この子にも権利があると思っただけさ。存在する時点で自由だろう?」

「自由を奪った存在なのに?」

「トート、それ以上熱くなんな」


 サルヴァトーレよりも太く、ガッシリしたイオエルの腕が彼の肩に回される。サルヴァトーレはそこで我に返ったようにハッとし、改めるようにリーラを見た。彼女はいつものように笑って片眉をあげ、肩をすくめる。

 誰も彼を責めようとはしない。どんな想いで狩人を続けているか、知っているからだ。

 サルヴァトーレは自分を落ち着かせるように深く息を吐き、ははっと小さく嘲笑を零す。


「僕とした事が……悪かった。大天使加入に反対ではないよ。むしろ賛成だ。ただ──」

「ああ、分かってるよ。同じなんだから」


 リーラの言葉にサルヴァトーレは目を瞬かせ、可笑しそうに、安心したように笑った。


 ゾネの腕の中に抱き寄せられたリーベは、小さく唸る彼の頬を優しく撫でた。すると金の瞳はサルヴァトーレからリーベに落とされる。ありがとうと言うと、抱擁から解放された。


「大丈夫?」


 ダニールは心配そうにリーベに首をかしげる。まさか子供が代表の集まりに居る思っていなかったリーベは、少し驚きながらも頷いた。ダニールは「良かった」と可愛らしい笑顔を見せ、小さな手を差し出す。


「初めまして、僕はダニール。ロシアの代表なんだ。ダーニャって呼んでほしいな」

「初めまして、わたしはリーベだ! 名前がふたつあるのか?」

「ふふ、愛称だよ。日本の文化にはないよね。あだ名みたいな感じかな。親しい人に呼んでもらう名前なんだよ。だから、その」

「そっか、ダーニャ! わたしと友だちになってくれるのかっ?」


 リーベは嬉しさのあまり、差し出されていた手を両手で包んだ。思ってなかった反応に、ダニールは呆気に取られて海色の目を瞬かせる。恥ずかしくて言い淀んでいた言葉を、彼はこんな素直に言ってくれるとは。ダニールは少し照れくさそうに、それでも嬉しそうに微笑んで頷いた。


「ダーニャはずっと狩人なのか?」

「そんなに長くないよ。10歳の頃からだから……ちょうど五年目かな」

「そんなに小さい頃からやってるのか? すごいんだな! でも、どうして狩人に?」


 尋ねてからリーベはハッとし、急いで謝って「無理に言わなくていい」と付け加えた。

 さっき、イオエルに同じ事を尋ねた。すると彼は、恋人を天使に殺された過去を簡単に語った。怒りと焦燥感、そして絶望の中で死神と契約し、同じ経験者を減らすために狩人となったそうだ。

 イオエルは気さくに笑ってくれたが、傷をなぞるような事をしたばかりなのに、ダニールに同じ事をしてしまうなんて。素直さと無神経さは紙一重だと、リーベは自分を叱咤した。

 しかしダニールには、彼が純粋の疑問に思っただけで、他意が無いのが分かる。


「僕ね、パパとママを探してるの」


 今は鎧兵と暮らしているが、五年前は両親と幸せに暮らしていた。ネクロマンサーという他にない力を持ちながらも、彼の両親は心から愛し、特別視もしなかった。しかし、そんな力を持っているからだろうか。天使に目を付けられたダニールを、両親が庇い連れて行かれたのだ。

 何が起きたのか分からず、霊魂たちを頼りに天使およびテンシという存在を知り、それらを狩る者たちも知った。


「いろんなテンシと戦えば、必然的に天使からも情報を貰えて、二人に会えるんじゃないかなって」


 たとえ再会した二人がもう自分の知る両親でなかろうとも、会いたい気持ちが強い。そう断言する彼は、まだ幼いというのにとても凛々しく、強く見えた。


「そう、なのか」


 きっと天使が両親を連れて行ったのは、大天使の器を作ろうとしていたからだ。つまりはリーベを誕生させるための犠牲。いやでも突きつけられる。相手がそう思っていなくても、事実に変わりないのだから。

 心臓がぎゅっと痛くなる。みんなが優しいからこそ、芽生え始めた心が壊れそうになる。


「リーベ? 大丈夫? 具合悪い?」

「……ごめん」

「えっ? ど、どうしたの?」

「わ、わたし、わたしが生まれるために、やっぱり、いろんな人が」


 丸い瞳が、恐怖と悲しみの紫と青に染まる。しかし涙は落ちない。絶望すると、不思議と涙は出ないのだ。

 ダニールはそんな表情をされると思っておらず、慌ててリーベの手を引いて壁に寄った。ショックを受けたせいなのか、握った手はとても冷たい。今すぐ慰めたかったが、理性で押しとどめる。ここで「そんな事ない」と言うのは、逆効果だ。否定すればするほど、現実が見えて首を絞める。

 確かにダニールも、最初はたった一つを生み出すための犠牲に選ばれ、恨んだ夜もあった。しかし様々なものと交流するうち、考えも変わってくる。


「狩人の中には、確かに犠牲者が多いよ。トートみたいに。でも、リーベが実際に何かしたの?」

「……わたしは……何も」

「そうでしょ? リーベはただ生まれたんだ。本当は敵なのに、いろんな巡り合わせがあって、今がある。だから後悔するんじゃなくて、生きて。犠牲があった。それを知って、ちゃんと全うするんだ」

「まっとう? そうすれば、わたしはみんなを傷つけないのか?」

「うん。生きる権利も、知る権利もある。それをたくさん使って、生き残って」


 知る事は責任となる。知った上で、自分が立つ地面が多くの亡骸が居ると理解して、それを忘れないまま、彼が彼として生きる。それが一番の償いであり、赦しだ。

 ダニールは自分とそう代わりない大きさの両手に指を絡め、屈託のない笑顔を見せる。


「僕はリーベと友だちになれて、嬉しいよ。ロシアに来たら、遊ぼうね」

「うん……! ありがとう、ダーニャ」


 リーベはダニールの首にギュッと抱き付いた。ダニールもくすぐったそうにしながら、背中に腕を回す。数秒の抱擁が解かれた頃、二人の頭を黒い手がぽんと撫でた。


「リーベ、そろそろ帰るよ。もう日本ではディナーの時間だ」

「そうなのかっ?」

「ダーニャも遅くなる前にお帰り。今日は会えて良かったよ」

「僕も。またね」


 手を振ってくれたダニールに、リーベは嬉しそうに振りかえす。すると、リーラの背後に隠れていたゾネがそろっと出て来た。


「こんど、部屋、来い」

「へや? ゾネの?」

「ん。写真、ある。リーラの」

「なんだって? 写真なんていつ撮った? 見せなさい」

「大事、ダメ!」


 そう言って距離を取ったゾネに、リーラはまったく……と仕方なさそうにため息を吐いた。そして手でおいでと指示すると、寄って来たゾネの額に口付けする。


「いい子でいるんだよ、子犬。元気でね」

「いい子、待つ!」


 ゾネは満足そうに笑ってそう言った。たっぷり甘えられたし、次の帰省まで耐えられる。

 みんなに別れを告げ、リーラたちは大広間から移動し、クローゼットの中に入る。出たのは自室で、窓から見える景色が海の中のように濃い青だった。なんだかいろんな事があって、朝早くからこんな時間まで過ごした実感がない。

 夕飯の支度を手伝っている最中、リーラの獣のような爪と黒い手が、リーベの視界にチラチラ映る。すると、思い出したように彼女が言った。


「サルヴァトーレの事だが、許してやってくれ。悪いやつじゃない。ただ、天使が嫌いなんだ」

「トートは、わたしと同じなのか?」


 サルヴァトーレから感じた、同じ匂い。同じ、天使の匂いがした。リーラは少ししてから、その問いに頷いた。

 彼は天使と人間のハーフ。当時は珍しく、器に相応しいかもしれない、器を作る材料になるかもしれないと、そんなふうに捉えられ、大半の時間を楽園化計画に奪われた。囚われの身だった所を、マスターが救い出し、狩人となったのだ。


「安心したまえ。トートがオマエを殺す事はないよ。楽園化を止めたいのは、みんな同じなんだ」

「……リーラはどうして、狩人になったんだ?」

「約束をしているんだ。オマエを生み出した人とね」

「約束?」

「ああ。それを果たすために、ワタシはここに居る。さあ坊や、皿を二枚、用意してくれたまえ」

「分かった!」


 リーベは食器棚から、鮮やかな模様が入った皿を取り出す。磨かれたそこは鏡のようで、自分の黄色と緑の瞳と目が合った。

 みんなそれぞれ、理由があって狩人となり、代表にまでなった。自分はただ生み出されただけ。それでもサルヴァトーレが言ったように、生まれた瞬間から罪なのだ。それを今日突きつけられた気がする。

 しかしもう泣かない。ここで生きると決めたのだ。この命も体も、自分のものだけではない。だからダニールが言った通り、自分の罪を自覚して、そして全うする。


「坊や?」

「あ、今行く!」


 これから先、どれほど危険な目にあっても、たとえ自分の存在がそれほど残酷であろうとも。



-蠱毒のテンシ.Fin-

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