テンシを狩る理由

 拍手の中、恐る恐る上げた頭をマスターの手がポンと撫でる。


「ありがとうリーベ。さて、話は以上。各自自由に過ごしてくれ。何かある者は、俺の所に」


 そう切り上げ、マスターは自室に向かった。最後手を振られたリーベは振り返していると、リーラに「おいで」と呼ばれる。先に階段を降りて代表たちに混ざろうとする彼女を追いかけた。が、リーベはそんな背中を見て「あ」と声を零す。

 さっき彼女とアイコンタクトをしていた白髪の男が、走って来ていた。その勢いは人というより、まるで獣だ。


「リーラ!」

「うぐっ」


 男は音と気配に振り向きかけたリーラの背中に、思い切り飛び付いた。派手な音をして倒れた二人は見慣れた光景なのか、近くの代表は可笑しそうに笑って見守っている。

 リーラは頭を抱えながら、やれやれと言ったように起き上がった。


「コラ子犬。室内で走るなと、あれほど言っただろう?」

「リーラ、来た! リーラ!」


 男は見た目に似合わず、幼なげに擦り寄る。よく見ると、長い尻尾が千切れんばかりに左右を踊っている。リーラはクツクツ笑いながら、人間とは違う獣の耳がある頭を撫でた。


「ゾネ、立つから退きなさい」


 退けと言われた瞬間、ゾネと呼ばれた男はすぐさま言う事を聞き、いい子と撫でられる。立って気付くが、リーラより背が高い。


「リーベ、おいで。紹介しよう」


 リーベはぽかんとしてその様子を見ていたが、呼ばれて階段を降りた。一歩一歩と近付くごとに、ゾネは鋭利な牙を剥いている。だが怖くなかった。それはゾネの感情が、警戒と恐怖だから。リーラを取られたくない、彼女の近くに居させたくない。そんな感情が伝わってくる。殺意が無いなら、怖くはなかった。

 ゾネは姿勢を低くして手を地面につけ、髪の毛を逆立てる。今にも襲いかかって来そうだ。すると強張る頬に、リーベの真っ白な手が添えられた。ゾネは大きな体を大袈裟にびくっと跳ねさせる。


「ウーっ!」


 唸りながらも、耳がぺたっと頭について、尻尾が内巻きになった。完全に怯えた仕草に、リーラは意外そうに目を瞬かせる。リーベは瞳を緑色にして、穏やかな笑顔でゾネの頬を撫でた。


「ゾネっていうのか?」

「うぅぅ……っ」

「わたしはリーベっていうんだ。大丈夫だぞ、わたしは、怖い事も痛い事もしない」

「…………パートナー、オレと、リーラ」

「わたしも一緒だ! 友達になろう!」

「とも」


 ゾネは金色の目をパチクリさせ、牙をしまい、差し伸べられる手を恐る恐る嗅ぐ。その頃には、ゾネから感じていた恐怖や警戒は和らいでいた。

 てっきり噛むと思っていたのに、もう打ち解けたとは。リーラは驚きながら、二人の頭を優しく撫でた。


「改めて……リーベ、この子はゾネ。ワタシのドイツでのパートナーだ。狼男で、昼は人間、夜は狼になる。ゾネ、以前話した日本でのパートナーのリーベだよ。吠えなくて偉かったね」

「──本当、子犬が吠えないなんて……意外だわ」


 関心したように言った声は、リーラの背後から聞こえた。そこに居たのは、車椅子の少女と、車椅子を押すうさぎの顔をした長身の男。


「やあ、ロゼにリュゼ」

「久しぶりね、リーラ、ゾネ。そして初めまして、リーベ。私はフランス代表のロゼッタ。こちらは、パートナーのリュゼよ」


 フランス人形のような綺麗な顔を、ロゼッタは可愛らしくも上品に微笑ませる。リュゼは赤い眼を閉じて胸に手を置き、丁寧に会釈した。

 リーベは思わずロゼッタの顔をまじまじと見つめる。とても美しい。しかしそれにしては整いすぎて、偽物のような美しさだ。僅かな歪さが無ければ、美は不気味と表裏一体なのだと理解する。


「リーベ、ワタシは少し一服してくる。一緒に来るかい?」

「みんなと、お喋りしててもいいか?」

「もちろん。何かあったら呼ぶんだよ。ロゼ、少しこの子を頼む」

「ええ」


 リーラは白いレースの手袋に包まれた華奢な手をすくい、甲にキスをする。それを見たリーベは目を疑った。手首が球体の関節でできているのだ。

 意識がロゼッタの手に向いていると、リーラが側を離れる気配がした。彼女の背中を、ゾネが追っている。なんとなくそれを見ていると、そっと耳元に囁かれた。


「二ヶ月会えていないの。二人きりにしてあげてちょうだい。その間、私とお喋りしましょう?」


 ロゼッタの指示でリュゼが車椅子を移動させる。二人について行った場所には、簡易的なソファとテーブルがあった。目線で促されて座ると、いつの間に用意したのか、リュゼが紅茶とマカロンを差し出す。


「甘いものは嫌い?」

「! ううん、好きだ」

「そう、リュゼが作ったのよ。召し上がれ」

「お菓子を作れるのか? すごいんだな!」


 リュゼは何も言わずに会釈する。

 マカロンはサクサクしているのに不思議と雲のような柔らかさがあり、舌の上で溶けていく。美味しそうに食べるリーベに、ロゼッタは口元に手を当てて笑った。


「あの子は料理が苦手だものね。昔、何枚もパンを焦がしたのよ? リュゼが教えるのを諦めたくらい」


 「ねえリュゼ?」と言われ、彼は初めて「はい、手を焼いた記憶がございます」と静かに答える。しかしそれ以上、心地良い低い声が思い出を語る事はなかった。リーラは意外にも不器用なのだろうか? 新しい一面を知れて少し嬉しい。

 ふふふと笑うロゼッタの手を、リーベは再び見る。やはり彼女の顔から下は人形だ。まるでお姫様のような白と黒のドレスの下にも、球体関節があるのだろうか。ロゼッタは目線に気付くと、リーベの頬を優しく撫でた。手袋越しでも分かる硬さで、やはり人の肌ではないのを確信した。


「見ての通り、私は人形よ。数百年前は、ちゃんとした人間の体だったのだけれどね」

「どうして、人形になっちゃったんだ?」

「天使に盗まれたの」


 彼女は幼い見た目だが、2千年生きる魔女。本来は20代ほどの見た目なのだが、その姿は天使に騙されて盗られてしまった。彼女は人形遣いで、人形に魂を宿し、取り戻すためにテンシ狩りに所属している。

 しかしいくら洗礼された人形遣いだと言っても、人の魂が入った器を動かすのは億劫だ。そのため、リュゼという人形を生み出し、パートナー兼世話係をしてもらっている。


「貴方は、どうしてここで生きたいの?」

「わたしの体は、別の人間のだったんだ。その人が、幸せは楽園じゃない、現実にあるって教えてくれて」

「それを、証明したいのね?」

「……うん」


 体が馴染むにつれて、玻璃はりがどうも、幸せとはほど遠い人生を歩んでいたのを理解した。それなのに彼は現実を選び、この体をくれた。その何にも勝る幸せを知りたい。そしてそれを守りたい。

 ロゼッタの新緑の瞳が、じっとリーベを見つめる。


「綺麗な目」


 瞳は美しければ美しいほど、汚れやすい。そしてそれを防ぐのはどうしても自分自身。危うい天秤だ。


「おまじないをかけてあげる」

「おまじない?」

「ええ。目を閉じて」


 黄と緑色を混ぜた丸い瞳が、白いまつ毛に隠される。ロゼッタはそれに思わずクスリと笑った。

 リーラの知り合いと言えど、まだ出会って数分。そんな相手の前で、なんの警戒も無く視界を自ら閉ざすだなんて。そんな気はないが、今ここで彼を殺す事もできるのに。

 ロゼッタはリュゼの手を借り、車椅子に浅く座り直す。


「多くの人に会い、多くの事を知りなさい。それが貴方の道を作る。その道は困難な事でしょう。けれど一人ではないのを、忘れちゃダメよ」


 彼自身と、彼に関わる者たち全てに、幸多からん事を。そう胸の中で唱え、小さく赤い唇がリーベの額に軽く触れた。冷たいが柔らかい。

 開けた目をパチパチさせたリーベに。ロゼッタは優しく微笑む。


「魔女のキスは、特別な魔法なのよ」

「ロゼッタは魔法が使えるのか?」

「魔女だもの。ロイエと屋敷の一部を繋げているのも、私の魔法よ?」

「そうなのかっ? ありがとうロゼッタ! ロゼッタはリーラととっても仲良しなんだな」

「ええ、小さい頃から知ってるわ。少しハラハラする子でね。でも……安心したわ」


 そう呟く彼女の緑の瞳は、過去を覗いているのか懐かしむように遠くを見つめ、閉ざされる。リーベは何が安心なのか、不思議そうに首をかしげた。


「あの子は失いすぎた。全てを背負おうとする子なのよ。日本に行ったのも……。だから、貴方が来てくれて良かったわ。これからもよろしくね」


 リーベは冷たくも優しい手に撫でられ、心地良さそうにしながら頷いた。


「あの子の事、もっと教えてあげましょうか?」

「お嬢様」

「うふふ、いいじゃない」


 ロゼッタの戯れを止めようとしたリュゼに、彼女は楽しそうに笑った。なんだか生き生きして見える。リーベにとってもリーラの事をたくさん知れるのは嬉しく、興味深そうに頷いた。

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