一日の終わり

 独は、ゆっくりとした仕草で立ち上がった紳士を見上げる。その視線はどこか疑わしそうに鋭い。


「本当に、力が手に入るんだろうな?」

「もちろん。私は人間に嘘はつかない」


 ギヴァーと名乗る彼と出会ったのは、数日前。テンシ狩りに入った当日、突然住んでいる部屋のドアをノックした。見知らぬ相手だし見た目がどことなく胡散臭いため、初めは宗教勧誘かとも思った。

 しかし疑念もつかの間、部屋に招く事となる。彼が自分の能力も、テンシ狩りについても熟知しているからだった。そしてもう一つ、ギヴァーは気になる事を言った。それは、「君の力では、代表にはなれない」という言葉。プライドの高い独は、不躾だと憤り部屋から追い出そうとした。するとギヴァーは感情を読んだかのように、「条件を飲めば、君の望む力を授けよう」とも続けた。

 別に力が劣っているとは思わない。しかし力はあればあるだけいいもの。力に飢え続けている彼にとっては、飲みやすい条件だった。


「条件……あの真っ白なチビをアンタに渡せばいいんだろ?」

「そう。可能かな?」

「余裕だ。それにしても、少し話したが……ただの子供だったぞ。なんで欲しがるんだ?」

「まあ、それは追々分かる。それじゃあ、これを」


 差し出された白い手袋の上に、ネックレスが一つあった。ヘッドに縛られているのは、緑色をした不恰好な石。


「これを、好きなタイミングで飲んでみるといい。君の力になる」

「ふぅん……。まぁ、使うかは分からないけどな」

「? 代表は諦めたのかい?」

「な訳ないだろ。相手は女だ。殴っただけでも勝てる」


 ギヴァーは空のような瞳を驚いたようにパチクリさせると可笑しそうに、それでも控えめに笑った。それがなんだか嘲笑のように感じ、独は思わず睨む。


「だからなれないと言ったんだよ」

「は?」

「あのに会ったんだろう? それなのに、君は力量を測れなかった。それくらい分からなければ、死ぬよ」


 独はカッと頭に血が昇る感覚を味わった。偉そうに説教垂れる相手が、この世で一番嫌いだった。だから少しでも上に立つために代表を目指すのだ。


「ご忠告どうも」


 思わず出そうになった拳を握っただけに止め、彼は背中を向ける。ここで行動に出たら、相手の嘲笑はもっと濃くなるだろう。そんな手には乗らない。

 去ろうとした背中を、ギヴァーは止める。


「くれぐれも、使い方を誤らないように。全ては君次第だ」

「……肝に銘じとく」


 振り返りもせず吐き捨てるように呟き、独は公園をあとにした。

 一人残されたそこで、ギヴァーは緩く握った手を唇に添える。思考を巡らせている様子の背後から、よろよろと少年が歩み寄った。杖に頼る重そうな足音の方に向いた時、彼は歩調を間違えて足をもつれさせる。ギヴァーは慌てて抱きとめた。


「大丈夫か、ノア? 車で待っていれば良かったのに」

「……もうしわけ、ありません」


 倒れる際に放った杖をギヴァーは拾い、ノアをベンチに座らせた。彼は苦しそうに咳き込み、ひりついた呼吸を深くする。きっと体を無数の激痛が襲っている事だろう。しかし彼はそれに構わまず、独が立っていた場所を見つめた。


「…………ずいぶんと、無礼な男でしたが」

「ああ、そうだね」

「頭も……壊れている。本気で、使えると?」

「あの娘を殺せるとは、思っていないよ。多分力に食われる」


 ノアの顔は、目と鼻、口以外は包帯に包まれている。痛みのせいで表情もまともに作れない。それでも、疑問を浮かべているのはよく分かった。ギヴァーは子供のように面白そうな笑顔を見せる。


「だからいいのさ。実験には最適だからね」


 ギヴァーは別に、忠実な僕が欲しい訳ではない。欲しいのは操りやすい人間。ああいった感情に素直な人間ほど、自分の意思を持っているつもりで他人に踊らされるのだ。現に独は、自分が利用されているとは梅雨ほど知らない。

 それに、こんな初期段階で重要な人物を使う事はしない。


「何事にも、最初は犠牲者が必要だ」

「ええ……私も、そう思います」

「さて、そろそろ帰ろうか。グレースが待ってる」


 ノアは頷き、杖に体重をかける。少しよろけ、ギヴァーに支えられながらも、共に車へ戻った。


─── **─── **


 どこの店もシャッターが閉じているが、BAR『Rose』はまだまだ賑わっていた。

 リーベは春人の隣に座り、新しいノンアルカクテルで乾杯した。


「よろしゅうね、リーベちゃん。俺の事はハル兄って呼んでや」

「うん、ハル兄」

「素直ないい子やね」


 頭を撫でられ、リーベは瞳を緑色にすると嬉しそうに細める。なんだか彼の隣に居ると気分が落ち着いた。不思議な気分だ。単に優しいからではなく、本能が感じる空気が他と違う。だが既視感はあった。リーラの隣に居る時も、こんなふうに心が安定する。

 リーベはそれがどうしてか知りたくて、じっと春人を見つめる。春人はその視線に気付き、細長いグラスを置くと目を合わせて首をかしげた。


「どしたん? 顔になんか付いとる?」

「なんだかな、ハル兄と居ると、落ち着くんだ。リーラと居る時みたいに、体が楽なんだ。なんでだろう?」


 見つめても分からない。だから素直に尋ねる事にした。口にする事で、疑問は無意識にでも整理される。リーベはうんうん唸りながら、もう一度春人を見上げた。

 驚いた顔をする彼の茶の目と透き通るような青い瞳が合わさる。そのガラスのような瞳には、今何が映っているのだろうか。


「ハル兄の中に、いっぱい居るから?」


 リーベの鼻は、彼の意識が醒めてからずっと不思議な匂いを感知していた。鋭い匂い、柔らかな匂いや苦い匂い。表現するには難しい複雑な匂いも。それらは全て、人が近くに居るいる時に分かるものだ。

 それはここに来て一気に増え、みんなをよく観察する事で気付いた。笑ったり困ったりすると、匂いが変わる。そして春人からは、一人だけしか見えないのに、まるで複数人のように様々な匂いがするのだ。

 春人は絶句して、言葉を紡げないでいた。そして、再び悩み出したリーベに面白そうに笑う。内緒話するように、身をかがませて彼と目線を合わせると、自分の胸に手を置いた。


「よう分かったな。怖い?」

「ううん。でもハル兄は人間じゃないのか?」

「半分正解で半分は不正解やね。俺自身は人間。そやねえ……こっち来た時、実際に見せるわ」

「こっち?」

「大阪。いつか来る思うから、それまでのお楽しみって事にしいひん?」


 テンシ狩りは出張が多い。その理由として、個性的な能力を持つ狩人が各地に散らばっているからだ。そのため、テンシを狩るに当たって最適な能力を持つ者が別の県に居る場合がある。そんな時、リーラの指示で目的の場へ向かう。もちろん、その出張の経費は落ちる。


「それって、リーラは全員の戦い方を知っているって事か?」

「そうなんよ。あいつな、日本に来た当時に全都道府県回って挨拶するわ、ドイツの時にも予習するわ……えぐい事するんよ。頭ん中どうなってるんやろな。まぁけど、せやから俺らも納得して代表任せられるんやけどな」


 それは全て、人を想っての行動と責任力。春人はそれを知っているから、力があるというだけでは代表が務まらないのを知っている。あっけなくこなしてしまうリーラに敵うはずがない。


「そっか、リーラ凄いんだな! あ、でもわたし、どんなふうに力になるか、分からないんだ。だから、ハル兄のとこ行っても、役に立たないかも」

「何言ってんよ。ここに居る時点で必要やねんから、そないな心配要らん。それに……大阪来てもちゃぁんと俺が守るさかい、安心してええよ」


 柔らかな声で言いながら、春人はしょんぼりと俯いたリーベの頭をぽんぽんと撫でる。顔が弾かれるように上がると、悲しげだった青い瞳は緑色に変わった。それと同時に、ふにゃりとした笑顔になる。


「そっか、じゃあわたしも、がんばって……強く──」


 言葉が少しずつゆっくりになったと思えば、笑顔のままふらりと後ろへ倒れる。春人は慌てて支えようとしたが、咄嗟の事で手が間に合わない。後ろにはテーブルの角がある。

 小さく舌打ちした彼の目が赤く染まり、小さく収縮する。その瞬間、手の形をした影が背中からずるりと這い出した。影はリーベの背中をそっと抱きとめ、春人の胸にとさりと収まった。


「あっぶなぁ……。リーベちゃん? おーい。あかん、寝とるわ」


 軽く揺すってみるが、起きる気配はない。彼が飲んでいたのは間違いなくノンアルカクテルで、酒のせいで寝たわけではなさそうだ。それでも念のためにと、パートナーであるリーラに声をかける。

 気付いて戻ってきたリーラも、急に眠ったと聞いた驚いていた。しかし思えば、リーベは起きてまだ数時間しか経っていないのを思い出す。疲れが出たのかもしれない。


「大丈夫なん?」

「ああ、この子はまだ不安定なんだ。力が足りないせいで、体力も不充分なんだろう。ノバラ、悪いがツケで頼むよ」


 リーベの体を受け取りながら、リーラはカウンター内に居るバーテンダーに言った。彼は少し残念そうに、それでも妖艶に微笑む。


「あら、残念」

「今日はありがとう。キミも好きに飲んでくれ」


 リーラはノバラの手の甲に軽くキスすると、皆に別れを告げて早々に店を出た。落ちないようリーベをしっかり抱え、足に力を込める。地面を蹴ると同時、彼女の背中から巨大な漆黒の翼が開かれた。


「んぅ……」

「いい子に寝ておいで。オマエを屋敷に招待しよう」


 飛び立つ時に巻き起こった風に、リーベの穏やかな顔が迷惑そうにしかめる。リーラは、みじろいだ小さな体をあやすように宥め、店へ飛んだ。


 ブーツのカカトがアスファルトを踏む重たい音がする。リーラは店の前で降り立ち、closeの看板が下がったドアを開けた。

 この店は、比較的こじんまりとしているため、寝泊まりはできない。彼女は奥の客室へ向かい、クローゼットの前に立った。教会に繋がったクローゼットだ。だが選ばれたのは、束の中でもアンティークに思える金縁の黒い鍵。

 変わらず開かれた黒い霧の中に飛び込む。視界が開けたそこは、長い廊下だった。等間隔に部屋のドアがあるだけの、シンプルなもの。簡単に言うとここは、リーラが昔に暮らしていたドイツの屋敷の一部を切り抜いたレプリカ。本物は彼女のパートナーと他の狩人たちに貸しているため、例のフランスの代表に頼んでここを作ってもらった。

 いくつも部屋があるのは、天や優牙、他の仲間が気軽に泊まりに来られる用の客室。この中から一つ、リーベが気に入った場所を彼の部屋にしようと思っている。


(起こすのは気が引ける。だが……勝手に見知らぬ部屋に一人にさせるのもなぁ)


 廊下を右往左往して迷った結果、今日のところは自室で一緒に寝る事にした。

 突き当たりに、どの部屋よりも大きく豪華なデザインを施したドアがあった。そこが、彼女の自室。自分で選んだ部屋ではない。この元となった屋敷はそもそも、父親が建てた物だ。そしてこの部屋は、娘が母の腹にできてから作られた。つまり、まだ彼女の好みを父が知らないまま出来上がったという事でもある。

 ドアの先にあったのは、白と茶で統一された上品な部屋。そこまではこの屋敷全体とマッチしている。だからこそ目立つのは、レースの天蓋付きのベッド。可愛らしく花が散りばめられ、よく見れば壁の柄もさり気なく花模様だ。

 正直に言えば、リーラの趣味ではない。しかし彼女はここが好きだった。それは、事情があって共に過ごせなかった分、父の愛を感じるからだろう。


 リーベをベッドに寝かせて、リーラは作業机に座った。ポーチの中から、数個のテンシの核が取り出される。まだこれを『綺麗』にしていない。

 彼女は腰にしたベルトに括ったシースからナイフを引き抜く。赤黒い刃を、そのまま手の平に突き刺した。骨を無視して、刃は貫通する。灰色の手から滴る血が、核を濡らした。核は血が触れた瞬間、まるで焼けるかのような音を立てる。

 手からずるりと、血の糸と一緒に刃が抜かれた。紫の目が、表情を変える事なく傷を見下ろす。すると傷は小さな蒸気のような煙をあげて、元通りとなった。


「うん、いい色だ」


 これが、核をギフトにする方法だった。血に弱いのではない。リーラの血が特殊なのだ。テンシを葬るナイフや弾丸、鎌の刃は全て彼女の血液を固めて研いだもの。これよって死んだテンシは、皆有無を言わさず地獄に堕ちる。

 他にも血を大量に使うため、貧血になりやすい。一度倒れてレーレに説教を食らって以来は気をつけている。

 リーラは新しいギフトを専用のケースに入れ、次に窓を開ける。軽く口笛を吹くと、カラスが腕に止まった。ボソボソと口から零れる言葉は、耳慣れない音。カラスはひと鳴きすると、暗闇へ飛び立つ。自身の目を見送り、仕方なさそうに笑う。


「今年の新人は、ずいぶん目が離せないみたいだね」


 リーラは窓を閉め、私服から寝巻きのローブに着替える。寝やすいよう、リーベの胸のボタンを少し外してやって、ようやく隣に寝そべった。

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