第9話【旅立ち】
「傷の具合はどうですか?」
清潔な布団の上で横になるコルアの母に、康が食事を運びながら話しかけた。
「まだ少し痛いけれど大丈夫よ。ありがとう」
穏やかな笑顔。
あれから数日が経ち、看病の甲斐あって衰弱していた姿が嘘のようにすっかり元気になったコルアの母。
部屋の中も以前のような不潔感はなく、掃除が行き届いているのが見て取れる。
康がはにかんでいると、バタンと扉が開いてコルアと昌也が姿を見せた。
「隣のラウクさんも治ったって!お礼に食べ物いっぱい貰った」
「重いんだから早く入ってくれコルア」
昌也は何やらじゃがいものような作物を大量に抱えて辛そうだ。
コルアが尻尾を振りながら母のもとへ駆け寄ると、昌也もドサドサと作物を玄関に置いてゆっくり腰を下ろした。
母はコルアの頭を撫でながら、康と昌也を交互に見る。
「本当にありがとう。あなた達が何日もの間、残って村の人達を助けてくれたおかげですっかり皆元気になったわ」
あらたまった感謝の言葉を前に、慣れない二人は照れ臭そうに目を見合わせた。
そして何かを決意したのか、昌也が一歩前に出て口を開く。
「ちょっとそのことで話があるんだけど…」
いつもと違った様子でそう切り出す昌也に、コルアと母はきょとんとした様子で見つめ返した。
「…ええー!村を出て行っちゃうんですか!?」
コルアの絶叫が屋内に響く。
そんな反応を何となく予想していたのか、どこか申し訳なさげに俯く昌也。
「二人で話し合って決めたんだ」
と、今度は康がコルア達に向かって話し始める。
「もしかしたら僕達はこの村みたいに他に困ってる人達を助けられるかもしれない。それに、もっと色んな所を回ってこの世界のこと知りたいんだ」
その表情に普段の気弱な雰囲気はなく、しっかりと前を見据えているのが見て取れる。
「でもまた盗賊に襲われたり、危ない目にあったりするかもしれないんですよ!?」
もっともなコルアの説得に、昌也が苦笑する。
「まあトラックがあれば何とかなるさ。それに俺達、どうせ一度死んでるみたいなもんだしな」
意味深に微笑む昌也に、「でも…」と諦めきれないコルアはなおも止めようと試みる。
そんなコルアの肩を、母はポンと叩く。
添えられた手に振り向くコルア。
こちらに向かって諭すように静かに首を横に振る母を見て、コルアは寂しげに俯いたのだった…。
村人から貰った食べ物をトラックの荷台に積み込む昌也と康。
すでに大量の本で埋まっているためそれほど多くは入らなかったが、先行きが不透明な二人にとっては貴重な食料であり、その好意はありがたかった。
「本当にありがとう。リノルアはあなた方から受けた恩を忘れません」
村長テルードの挨拶を受けて二人は向き直る。
そこには村中の獣人が集まり、昌也達を見送りに来ていた。
最初の頃は獣人の顔が皆同じに見えていたが、数日間の滞在で打ち解けたのもあり、今ではそれぞれの名前が言えるくらい親しくなっていた。
「こちらこそありがとうございました。旅が一段落したら、また必ず立ち寄ります」
康が深々と頭を下げる。
昌也はというと、さっきからずっと母親のそばで目を潤ませているコルアに近付く。
「コルアはあの街に戻らなくて大丈夫なのか?」
「…はい。あの時は村の助けになればと思って出稼ぎに行ってたけど、結果的にあんまり上手くいってなかったし、もう大丈夫です」
それを聞いて、そうか…とどこか残念そうな昌也。
「じゃあここでお別れだな」
「………」
"お別れ"という単語を聞いてコルアの顔がより一層悲しみに歪む。
「…これから何処へ行くんですか?」
「さあな。俺達こっちの世界に詳しくないし、適当な方向に進むさ」
そこまで言った昌也は急に悪戯っぽい笑みを見せた。
「どっかに道案内してくれるガイドでも居たらいいんだけどなー」
「え…」
困惑するコルアの頭を、くしゃくしゃと昌也は撫でる。
「…冗談だよ。お母さんを大事にしてやれよ?」
「…はい」
コルアはこくりと頷く。
何か言いたげだけど、言えない。
そういった複雑な感情が見て取れた。
そんなコルアの姿を見て、母が後ろから背中を押した。
「…一緒に行かなくていいの?」
「え!?」
驚いて振り向くコルアに、母は優しく微笑みかける。
一緒に、行ってもいいのだろうか…。
コルアの中に迷いが生まれる。
確かに一緒に旅に出れたらどれだけいいだろう。
街へ出稼ぎに出たのも、村のためというのは建前で、本心は外の世界を見てみたかった。
だが街で厳しい差別を受け現実を知った。
そこへ追い打ちをかけるように、村で伝染病が広まったとの知らせを受け、やはり村を出るべきではなかったと打ちのめされた。
絶望の中、現れたのが昌也と康だった。
今まで会ってきた誰とも違う不思議な雰囲気を持つ二人。
獣人である自分の願いを聞き入れ、優しく受け入れてくれた。
そんな二人の力に今度は自分がなりたい。
それが、今のコルアの一番強い願いだった。
「一緒に行っても、いいの…?」
不安げに顔を上げるコルアに、昌也は喜びと驚きを込めて聞き返す。
「そりゃあ俺達はもちろん歓迎するけど、大丈夫なのか?」
コルアはもう一度母の目を見る。
優しくて温かな瞳。
今まで自分を誰よりも大切に見守ってくれていたその光が、そっと後押ししてくれるのを感じた。
「自分も行きたい…。連れてってください!」
コルアの決断を受け止め、昌也は笑顔で手を差し伸べた。
「これからもよろしくな」
「はい!」
手を引かれて昌也のそばへ寄るコルア。
見送る側から見送られる側に変わって、どこか誇らしそうだ。
「そろそろ出発するよ」
運転席から康が声をかけてくる。
エンジンがかかり、もういつでも出発できることを知らせた。
コルアが先にトラックへ乗り、昌也もあとに続く。
助手席から村を見渡すと村のみんなが手を振ってくれていた。
笑顔の者も、泣いてる者もいる。
コルアは真ん中の席から昌也を避けて窓際に身を乗り出すと、ありったけの気持ちを込めてそれに応えた。
「また絶対、帰ってくるから!」
村から歓声が湧き起こる。
三人にとってはこれ以上ない旅立ちと言えるだろう。
康がアクセルを踏むと、ゆっくり動き出すトラック。
交換したまっさらなタイヤが土を纏い、力強く回り始めた。
徐々に遠ざかっていく一行に、コルアの母が最後に深々と頭を下げた。
「どうか娘をよろしくお願いします!」
「分かりました。………って、娘!?」
昌也がぎょっとしてコルアの方を向く。
「お前女だったのか!?」
「はい。…え、今さらですか!?」
そんなことを聞かれると思わず、逆に驚くコルア。
「いや、その…ごめん。性別なんて気にしてなかったもんだから…」
長い間一緒に共同生活をしていたが、全身毛で覆われた種族なこともあって今まで性別など意識したこともなかったのだ。
「おっさんは知ってたのか?」
昌也は気まずさを誤魔化すよう、咄嗟に話を康に振る。
「も、もちろん!」
…嘘である。
康も昌也と同様、コルアの性別など深く考えたこともない。
むしろ元気な少年だと思っていたくらいだ。
「その反応は絶対嘘だ!」
「う、嘘じゃないよ!」
「もう!気付いてくれないなんて二人とも酷いですよ!」
騒々しい会話と、CDから流れる音楽を響かせながら、トラックは村を進む。
行き先はまだ誰も知らないが、この世界の人々が不思議な乗り物で世界を旅する人と獣の物語を知るのは、そう遠くない未来のことだ。
そんな三人の旅はここから始まった。
第1章 完
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