第07話 下駄箱に春の香り

 放課後を告げるチャイムの音が、各教室と廊下に設置されたスピーカーから放送される。


 終礼を終えた一組では、担任の教師が荷物をまとめて職員室に戻っていこうとしており、クラスメイトらも好き好きに立ち上がって友達同士で合流したり、部活や委員会に向かう準備を始めたりしている。


「よいしょっと……ユウ帰ろ~」


「おう」


 ガラガラっと椅子を引いて立ち上がった碧にいつも通り声を掛けられて、俺も机の横に掛けてあった学校のカバンを肩に掛けながら席を立つ。


「じゃあね~、香歩ちゃん。あとわっくんも」


「また明日ぁ~、碧ちゃ~ん」

「俺はおまけか」


 碧がそう別れを言うのに対して、俺は手を軽く持ち上げるに止めて教室をあとにした。


 一階に職員室やら保健室などがあるこの高校の校舎では、二年生の教室は三階に並んである。なので、下駄箱へ向かうには階段、踊り場、階段という三つでワンセットのものを二回繰り返さなければならない。


 去年はワンセットで済んだのに、来年になったらスリーセット……また上り下りする距離が増えるの嫌だなぁ。


 そんなことを考えてため息を溢すと、隣で碧がクスッと笑いを溢した。どうやら俺が何を考えていたかを察したらしい。


 まだ少し位置に慣れない二年生用の下駄箱まで来てから、俺と碧はほぼ同時にガチャッと扉を開ける。もちろん碧の下駄箱からは碧のローファーが、俺の下駄箱からは俺のスニーカー……が、出てくるはずだった。


 ……はらり。


 扉を開けた僅かな勢いで、一つ折りにされた一枚の紙が音もなく地面に落ちる。


 俺は状況が掴めないまま、足元に落ちた紙を見詰めて瞬きを繰り返した。その紙の正体を本能的に察したが、今までこんなことを経験したことがなかったのでただただ固まってしまっていると、碧が俺の代わりに拾い上げた。そして、戸惑い混じりに手渡してくる。


「ゆ、ユウ……コレって……」


「い、いや待て。結論を出すのはまだ早い。まずは中身を確認してみてから……」


 俺は碧から二つ折りの紙を受け取って、恐る恐る開く。そして――――


「……ふっ」


「ユウ……?」


 俺はその紙をひっくり返して碧に見せた。その紙には、間違いなく女子が書いたと断言できる筆圧の弱い柔らかな文字でこう書かれていた――――


『放課後、四季公園に来てください。北入口の傍にある桜の木の下で待っています』


 碧がその文面と俺の顔を二、三度交互に見る。そして、信じられないと言わんばかりの表情で呟いた。


「呼び出しじゃん……!」


「あ、ああ……」


「これ、どうするのさ」


「どうするって、多分俺が行かなきゃ待ち続けるかもだし……行かないわけにはいかないだろ」


「だ、だよね……」


 俺はその紙を再び折り畳み、カバンの中に仕舞う。そして、下駄箱からスニーカーを取り出して上履きから履き替える。


「ってわけで、悪い碧。今日は一人で帰ってくれ。俺はちょっとここに行ってくるわ」


「え、あっ……ちょ……」


 何か背後から碧の戸惑うような声が聞こえた気もしたが、俺は構わず小走りに学校の玄関を出た。


 一体誰だ……? 俺にこんな手紙書くなんて……。


 俺の交友関係はそこまで広くない。いくつか知り合いの顔を頭に思い浮かべてみるも、こんな手紙を書く人物はいないはずだ。


 疑問が募る。悪戯だったら最悪だと不安も少しある。

 しかし、やはりどこか胸が弾んでいる気もする。


 俺は碧が好きだ。それは変わらない。だから、もしこれから告白を受けることになるのだとしても、俺はきっとそれを受け入れることは出来ない。けど、やっぱり誰かに好かれるというのは…………


「悪い気はしない、な……」


 四季公園まではそう遠くはない。恐らく歩いて十分掛かるか掛からないかくらいだろう。だから、俺は多分十分も掛からずに到着する――――



◇◆◇



《氷室碧 視点》


 ユウの姿がどんどん小さくなっていく。ボクは未だにユウの遠ざかっていく背中を眺めたまま、学校の玄関から動けずにいた。


 多分、凄く驚いたから腰を抜かしたと表現するに近い状態になっているんだと思う。


 まさか、ユウの靴箱に手紙が――いや、アレはもうラブレターだ。ラブレターが入っているなんていう状況が起こるとは思ってもみなかった。


 でも、不思議ではないのかもしれない。


 ユウはなぜかボクにお熱で、ボクに振り向いてもらおうと努力を欠かしてこなかった。根っこのところは家でゴロゴロ、アニメを観たりゲームをしたりしていたい系の人間なくせに、慣れない運動や筋トレをしたりして、自分磨きを続けていた。


 その甲斐あってか、ユウはまぁ客観的に見ても割とカッコいい部類に入ると思う。ただ、ユウの視界にはボクしか入っていないのと、そこまで積極的に周囲と馴染んでいくタイプではないから、あまり目立たず、陽キャイケメンのようにキャーキャー騒がれたりはしない。


 しかし、気付いている人は気付いている。実際、中学生くらいの頃から一部女子の間では、ユウが意外とカッコいいとか、体育のときでも割と動けて勉強も結構できるから地味にスペック高いとか囁かれていた。


 ユウが告白される……彼女が、出来るのかな……?


 そう考えた瞬間、なぜか胸が少しキュッと締め付けられるような感覚が走った。


 感動? 驚き? 喜び? ……何かどれも違う気がする。この気持ちの正体が良くわからない。


「あれ? 碧ちゃん?」

「何だ氷室。まだ帰ってなかったのか」


 後ろから香歩ちゃんとわっくんに声を掛けられた。振り向くと、二人が少し驚き顔を見せたあと、心配そうに眉を寄せた。


 どうしてそんな顔をするんだろう。そんなに今のボクの顔は、人を心配させるような表情を浮かべてるんだろうか。


「碧ちゃん、どうかしたの……?」

「ってか、優斗は? 一緒じゃないのか?」


 ボクはいつもより重たい唇を動かして、少しぎこちなく答えた。同時に、チクリと胸の奥に針を刺されたような感じがした。


「……ユウに、彼女が出来る、かも…………」

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