第64話「第五階層へ」

 第四階層のフロアボス、アシッドスネイルをユリが討ち取った。これによって、僕らは第五階層への通行権を獲得した。

 第四階層は勢力の均衡が崩れ、新たなフロアボスを決めるため魔獣同士での争いが始まっている。第五階層への道が封じられるのは、新たなフロアボスが定まった時。まだしばらく先のことだ。

 僕らはそのまま第五階層へと繰り出すことはなく、一度第三階層まで撤退した。こう言う時に急いでも、碌なことにはならない。


「アシッドスネイルを倒したみたいだな」


 出迎えてくれた聖女様は開口一番そう言った。

 アシッドスネイルの腐食液で肌を溶かしたユリを守りながら戻ってきた僕たちは、彼女にしっかりと頷く。フロアボス打倒の証として、砕けてなお大きな欠片である立派な魔石を掲げてみせる。


「足元の均衡が崩れたのは、ここからでもよく分かった。――よくやった、ユリ」

「当然の結果です」


 珍しくユリを褒める聖女様。けれど、ユリは澄ました顔だ。

 彼女もアヤメも、アシッドスネイルに負けることなど考えてすらいなかったらしい。ユリには十分な実力があると、自他ともに認めていたのだ。


「そんな満身創痍で言われてもな。とりあえず、しっかり休みな」

「……わかりました」


 とはいえ、ユリも無傷というわけではない。全身にアシッドスネイルの強力な腐食液を浴びたせいで、滑らかだった肌も虫食いのように荒れ、その下にある金属が露出してしまっている。このまま第五階層へ向かうという判断はまずできない。

 幸い、彼女の自動修復機能は健在だ。というか、この程度の損傷は機装兵的には重傷にもならないらしい。魔力濃度の高いところで安静にしていれば数時間程度で治るという。こういうところで、彼女たちの規格外さを見せつけられる。


「とにかく、次は第五階層だ。ここから先はより一層気を引き締めていけよ」

「分かってます。階層が変われば世界が変わる。探索者の間でもよく言われることですから」


 聖女様の忠告に、僕は素直に頷いた。

 ダンジョンにおいて階層の違いは、根本的なレベルの違いと同義だ。“老鬼の牙城”なんかはまだ地続きである実感もあるような構造をしていたけれど、場所によっては階層ごとにまるで別の土地や世界へ移ったかのような錯覚を覚えるほどだという。

 当然、生息する魔獣も大きく変わる。そもそも魔力濃度そのものが桁違いに高くなるから、魔獣も相応の力をつけるのだ。

 それに、僕らが挑む“銀龍の聖祠”の第五階層は、他のダンジョンとも大きく違う点がある。


「第五階層が今どうなってるのか、私も分からない。どれだけ慎重を期しても十分ということはない」

「そうなんですよね……」


 “銀龍の聖祠”は表向きには魔獣の存在しない平和な迷宮として知られている。内部に立ち入ることができるのは唯一聖女様だけであり、彼女が長年ひとりで魔獣を抑え続けてきた。

 故に、内部に関する情報はほとんど存在しない。当然、アレクトリアの探索者ギルドにも地図や魔獣図鑑はない。唯一頼みの綱となる聖女様も、ここしばらくは第四階層から登ってくる魔獣を抑えるのに精一杯で、第五階層には長らく足を踏み入れていないという。

 彼女が知らない間に、環境が大きく変わっている可能性はおおいに考えらえる。


「――でも、だからこそ任せてください」


 僕は心配そうにこちらを見る聖女様に、わざと笑ってみせる。

 未知の階層。前人未踏の領域。そんなものは探索者にとっては当たり前。むしろ、新天地を見つけることこそが僕たちの仕事なのだ。情報がない場所というのは、ある意味で当たり前。そこからいかに情報を集め、安全を確保しながら歩みを進めるか。そこに僕らの実力が現れる。

 探索者にとって、未踏破領域の捜索こそが本業。そのための技術やノウハウは、僕も十分に習得しているつもりだ。


「ふっ。さすが、ヤック殿は頼もしいな」

「あはは。まあ魔獣の相手はアヤメやユリに任せることになると思いますけど」


 威勢よく啖呵を切ったはいいものの、僕は荒事が苦手だ。第五階層で待ち構える魔獣と直接対峙するのは荷が重い。

 けれど、つい頭を掻く僕を聖女様は優しく肯定してくれる。


「それでいい。マスターに求められる資質は、機装兵をうまく扱うことだ。ぜひヤック殿の手腕を存分に振るってくれ」

「分かりました。精一杯、頑張ります」


 頼ってくれる人がいるのだ。僕もできる限りの仕事をこなす。


「ヤック様。私が必ずお守りします」

「え? うん。アヤメのことも頼りにしてるよ」


 横からアヤメが顔を覗かせて、僕の腕をぎゅっと握る。今更言われなくても、彼女のことはずっと信頼しているんだけど。


「アヤメがいるなら安心だ。――ところでヤック殿」


 からからと快活に笑った後、聖女様が話題を変える。一転、真剣な表情で切り出したのは、僕らがダンジョンに潜る目的の一つに関することだった。


「すでに特殊破壊兵装リーサルウェポンについては知っているな?」

「“堅緻穿空の疾風槍ガストスラスト”ですね」


 ダンジョンを闊歩する魑魅魍魎の中でも一際異彩を放つ、四体の特別な魔獣。強化魔獣と呼ばれるそれらは、聖女様の力をもってしても仕留めるには至らなかった。それを打ち倒すために必要なのが、マスター契約を結んだ機装兵のみが扱える強力な武器――特殊破壊兵装だ。

 アヤメの持つ“万物崩壊の破城籠手スクラップ&デストロイ”は“老鬼の牙城”に安置されていたものだけれど、この“銀龍の聖祠”にも別の特殊破壊兵装がある。

 その名も“堅緻穿空の疾風槍”。

 聖女様からの依頼を達成するためには、これの入手が不可欠だ。けれど、マスターが不在だった聖女様はそれを扱うことができず、魔獣の侵攻に押されて迷宮内に放棄してしまった。


「あれは第五階層にあるはずだ」

「なるほど。分かりました」


 究極の目的、聖女様のフルメンテナンスを行うための整備室は第六階層にある。けれど、第五階層を最短経路で突き進んでいくわけにはいかなくなった。“堅緻穿空の疾風槍”を手に入れなければ、聖女様が修理を完了するまでの無防備な時間を守り切ることができない。


「特殊破壊兵装を探し、手に入れる。第六階層へ至るまでに、それをこなさないといけないわけですね」

「そういうことだ。……手間をかけて申し訳ない」

「仕方ありません。当時はそれが最善だったんでしょう」


 聖女様としても切り札といえる特殊破壊兵装を放棄するのは苦渋の決断だったはずだ。当時のことは推し量る他ないけれど、そうせざるを得ない状況に追い込まれていたということなのだろう。ならば、彼女を責めることなど、できるはずもない。


「ひとまず、私が記憶している限りの情報を伝えよう。それを元にしつつ、過信しないように気をつけて仕事をこなしてくれ」

「ありがとうございます。情報はわずかな一つが生死を分けることもありますからね」


 第五階層の構造、そこに生息する魔獣。どのような環境にあるのか。危険はあるか。セーフティエリアはどこにいくつあるのか。あらゆる情報、どんなに些細なものでも全て掻き集める。

 分析し、使えるようにするのは僕の仕事だ。

 聖女様は紙にペンを走らせる。わずかな歪みもない精緻な文字が高速で書き連ねられ、更に細やかな地図も描かれる。まるで白紙に手をかざすだけで絵が浮かび上がってくるかのようにすら見える。


「当然だが、この情報は外部には漏らさないでくれよ」

「重々承知してます。この第三階層より上には持っていきません」


 “銀龍の聖祠”の秘密について明け透けに記された紙束は、それだけでアレクトリアの根底を揺るがすほどの衝撃を宿す。万が一にも外部に流出すれば、混乱は避けられない。

 聖女様の忠告にしっかりと頷き、取り扱いには細心の注意を払う。

 ここからしばらくは、第三階層で探索計画を練る日々となるだろう。僕は静かに佇むアヤメと、傷の治癒に専念しているユリをちらりと見ながら、両肩にのしかかった重みに思わず生唾を飲み込んだ。

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