面白い女
前回のあとがきにも書いたのですが、設定ミスがあったので修正しました。
過去編でのエレオノーラの年齢を18歳から17歳へ。
またロルフの結婚を過去編より1年ほど前としました。
これでフリーデリーケの年齢の矛盾や、過去編と現在との間隔が短すぎることで起こる違和感が解消されるはずです。
大変失礼致しました。
ライブ感でお話を書いているからこういうことに……。
今後できるだけ気を付けます。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
受け取った手紙によると、母ヘルミーネは帝都貴族街の中心部にあるフェルンバッハ家別邸ではなく、しょぼくれたわたしの屋敷に滞在するつもりらしい。
そのため急ぎ客室を母上好みに設える必要が生じてしまった。
我が家のメイドもクラリッサもフェルンバッハ家で教育を受けているため、そもそも母上の好みがベースにはなっているのだが、ベッドカバーの色だの飾る花の種類だの細かいところで修正をすねばならないようだった。
正直わたし自身はどうでもいいと思っているが、ベッドカバーの色一つで母上のご機嫌が取れるなら安い物だ。
そんなわけで、家臣であるはずのクラリッサに命じられてわたしは商人街区へおつかいに訪れていた。
貴族たるもの、御用商人を屋敷に呼びつけて買い物をするのが本来の形だが、今のわたしは親元を離れて暮らすしがない騎士に過ぎないからな。
街歩きをするのも気晴らしになっていい。
職業柄、どうしても物陰や不審人物に目を光らせてしまうのが玉に瑕だが、貴族街区と違い商人街区の猥雑とした空気は前世の庶民的感覚が抜け切れていないわたしの肌に合っている。
ちなみに黒曜姫などという大仰な異名で呼ばれることもあるわたしが街を歩くとどうなるか。
腰まで届く艶やかな黒髪を隠しもせず堂々と歩くわたしは当然の如く周囲の注目を集めている。
こちらを指差し名を呼ぶ者、歓声を上げる者、中には一心に拝んでいる者までいる。
これでも帝都に来たばかりの頃より随分ましな反応に落ち着いたのだが、残念ながら見て見ぬふりをしてくれるほどではない。
わたしにとっては結構なストレスだが、まだフェルンバッハにいる頃にかつらで黒髪を隠してお忍びで街へ出かけようとしたら、両親から特大の雷を落とされたことがある。
瑞兆たる黒髪を隠そうなどともっての外というのが両親の言い分だが、それはそれとして確かにわたしも持って生まれた特徴を隠してこそこそするのは卑屈過ぎて何だか嫌だった。
たかが黒髪じゃないか。
前世の日本人ならではの感覚でわたしは割り切ることにしたのだ。
以来、わたしは黒髪や金の瞳を隠すような真似をやめた。
注目を集めるのは鬱陶しいが、涼しい顔で無視していればよいのだ。
クラリッサから渡されたおつかいメモを頼りに買い物を済ませたわたしは、軽い空腹感を覚えていたので茶屋でも探して入るかと散策し始めた。
帝国の北西部国境地帯では今もストローレ魔族軍とレーダー子爵らがにらみ合っており、頻繁に戦闘も起こっている。
その噂は民衆にも届いているはずだが、帝都に動揺は見られない。
帝都から遠く離れた場所の出来事だから、ということもあるだろうが、やはり数か月前の謁見の際にレーダー子爵と騎士イェレミアスの活躍が喧伝されたことが大きいのだろう。
彼らさえいてくれれば魔族など恐るるに足らず。
そんな風に信じているに違いない。
北西部ではすでにレーダー子爵たちへの支持は絶大なものであるらしい。
帝都までこの流れに飲み込まれねばよいのだが。
思案に耽りながら通りを歩いていると、進行方向から上流階級と思しき装いの一団が近づいてくるのに気付いた。
遠巻きにわたしを眺める庶民は無視できるが、さすがに貴族とすれ違うのに同じことはできない。相手も唯一無二の特徴を持つわたしには当然気付くはずだ。
はてさてどこの家の者なのか。
中心人物と思しき青年に焦点を合わせたわたしは、一瞬息が止まった。
徐々に歩みが遅くなり、互いの間に俗に言う一足一刀の間合いより少しだけ多く間隔を残して、わたしと相手の一団は足を止めた。
「これはこれは、こんなところでお会いできるとは」
一団の中心にいる青年が慇懃な様子で口を開いた。
「それはこちらの台詞だ。北西部戦線の英雄が帝都で何をしている?」
端正な貴族青年といった出で立ちをしたイェレミアス・アルムスターは、わたしの詰問にも余裕の薄笑いを崩すことなく応じた。
「すべての戦場でわたしが剣を振るっていると思っていたのか? わたしはわたしで色々とすべきことが多いのだよ。国境でもそれ以外の場所でもね」
「それは興味深い話だな。国境で部下たちに血を流させて、貴公は帝都で女を侍らせるのが仕事というわけか」
イェレミアス含め一団の人数は8人。
その内5人が女だ。
特にイェレミアスにぴったりと寄り添うようにしている法衣姿の女には見覚えがあった。
「聖女フロレンツィアとお見受けする」
豪奢な金髪を緩い三つ編みにし、前面以外にヴェールを垂らした法帽を頭に乗せている20代半ばの女性がわたしと目を合わせて小さく微笑みを浮かべた。
クラリッサのような在野で聖女などと呼ばれている者とは異なり、オレステス教会から公式に聖女の称号を授与されている治癒魔法使いの最高峰にして、生きて聖人に列せられた数少ない人物の一人。
「黒曜姫エレオノーラ様。これまでお会いしたことがありましたでしょうか?」
「聖火祭で遠目にお顔を拝見したことがあるだけだ」
「まあ、左様でしたか」
穏やかに微笑む聖女フロレンツィア。
教会の信徒どもはこの顔を拝むだけでも病も治りそうだが、今のわたしにとってはどうにも不気味に見えた。
「教会の至宝が一介の騎士と何故一緒に?」
「あら、イェレミアス様は一介の騎士などではございませんよ。この方は今や白羊騎士団の団長なのですから」
フロレンツィアがどこかうっとりした口調でわたしの言葉を訂正した。
白羊騎士団というのはレーダー子爵旗下の騎士団のことだ。
わたしは眉をひそめてイェレミアスに視線を送る。
「騎士団長だと? 数か月前は分隊長に過ぎなかった貴公が?」
「魔族との戦いでの功績が認められて、つい先ごろな。前騎士団長も不幸にして魔族に殺されてしまったし、わたし以外にふさわしいなり手がいなかったという側面もある」
不幸にして、か。
実際に戦闘は起きているから不自然とまでは言えないが、どうもアルバン卿の家督相続の件といい、きな臭いものを感じずにはいられない。
「それは知らなかったな。お慶び申し上げる」
「ご丁寧にありがとう、黒曜姫。ところでわたしたちはこれからホフマン商会と会食付きの商談に赴くところなんだが、貴公も一緒にどうだ? ここで会ったのも縁というものだし、貴公とはもう少し話がしたい」
「ほう?」
ホフマン商会というと主に薬を商っていると記憶している。
他に医療用の包帯や糸、針など。
つまりは軍需物資だ。
実際に戦闘を行っている者たちには確かに必要なものだろうが、ホフマン商会の縄張りは帝都を含む中央部から東部諸侯領。
北西部と取引するには遠すぎるな。
とすると、これは今起きている戦いのための取引ではないということか。
「お誘いに感謝するが、生憎わたしも暇ではないのでな。今日はこれで失礼する」
暇ではないのは真実だ。
この後すぐにでも皇宮へ報告に行かねばならん。
おそらく諜報員ゴットハルトとその部下たちはイェレミアスの動向をすでに掴んではいるだろうが。
現に今も遠間から視線を感じている。
「精霊の姫巫女エレオノーラ」
腰に差した長剣の柄頭に手のひらを置き、イェレミアスがわたしの名を呼んだ。
イェレミアスの平凡な青い瞳をまっすぐに睨み返し、わたしも腰に差したレイピアの鞘を左手で掴んだ。
「わたしは騎士だ。姫でも巫女でもない。間違えるな、騎士イェレミアス」
体から立ち昇る闘気を感じ取ったのか、イェレミアスの取り巻きたちが一斉に緊張を見せた。
見たところどいつもこいつも近衛騎士と同等かそれ以上。
そもそも聖女フロレンツィアがいる以上、こちらの分が悪すぎる。
とはいえ、ここで引くわけには行かない。
イェレミアスが精神干渉スキルの保持者だとしたら、ここで何らかの手掛かりを掴んでおきたいからだ。
今のところ精神への干渉は何も感じないが……。
「失礼した、騎士エレオノーラ。では改めて誘うとしよう。わたしと一緒に来い。わたしには貴公の力が必要だ」
殺気立つ取り巻きどもを制してイェレミアスは強い口調で再びわたしを誘った。
「一緒に来いだと? 貴公に命令される謂れはない」
むろん言いなりになってやる義理などないので拒絶すると、イェレミアスはやや怪訝そうに眉をひそめた。
「エレオノーラ様。どうか魔族との戦いのために力をお貸し下さい。教会も黒曜姫たるあなた様を聖人として迎え入れる準備はできております」
口を挟んできた聖女フロレンツィアをわたしは敵意を隠さず睨みつけた。
「聖人の位も随分と安売りされるものだ。いっそのこと、そこの騎士団長を聖人に推挙してみたらいかがか? 数多くの魔族を殺してさぞや教会の教えを広めることにも貢献したことでしょう」
こちらの言葉にフロレンツィアは目に見えて動揺した。
反応から察するに、やはり『奇跡の如きスキル』の保持者はイェレミアスだな。
教会が欲している勇者は聖人とはまた別格の称号だが、今のままでも聖人に列せられる資格はあるようだ。
……いや、最初から秘匿された聖人である可能性もあるか。
「ふっ、面白い女だ。ますます貴公に興味が湧いたよ、騎士エレオノーラ」
イェレミアスはここに至っても余裕の表情を崩さない。
しかし、眼差しが先ほどまでと違う。
何一つ見落とすまいとするかのようにわたしの全身に視線を這わせていた。
「貴公に興味を持たれても不愉快だ」
「貴様! イェレミアス様に向かって無礼が過ぎるぞ!」
取り巻きの一人がついに激発して怒声を上げた。
が、わたしはそれを凍り付くような眼差しで威圧しながら答えた。
「雑魚は黙っていろ。それ以上動くと首と胴を斬り離す」
「なっ……!?」
スキルを使えば縫い針みたいなレイピアでも首くらい簡単に飛ばせる。
ただの脅しではないと理解したのか、声を上げた無礼者は震えて動かなくなった。
わたしの威圧に怯んだ無礼者へさらにイェレミアスが警告した。
「勝手なことをするな、ロミルダ。貴様はわたしが命じた時だけ剣を抜けばよいのだ」
「はっ……」
イェレミアスの一言でロミルダとかいう取り巻きの女は完全に落ち着きを取り戻して後ろへ下がった。
「大した人心掌握術じゃないか、騎士イェレミアス」
痛烈な皮肉に対し、イェレミアスは口元を歪めてみせた。
「ふっ……、部下の無礼を謝罪する。今日のところはこれで失礼しよう、騎士エレオノーラ。だが、いずれ貴公を手に入れる」
「そこの女どもでは下半身が満足できないのか?」
詰め物でもしているのかそれとも本当に勃起しているのか知らないが、大きく膨らんだ股間のコッドピースを見やって皮肉る。
それにしても取り巻きの女どもがイェレミアスを見る異様な目つき。
そこに宿る色は真っ当な忠誠とか心酔とかではない。
聖女フロレンツィアはさすがに理性を保っているようだが……。
「気性が激しく能力も極めて高い。容姿も申し分なく、何より精霊の加護も受けている。貴公はこの先きっと役に立つことだろう」
こちらの侮辱を無視し、イェレミアスは好き勝手にわたしを評して何かに納得しているようだった。
一見言葉が通じているようでその実何も通じていない、嫌な感じだ。
そのまま本当に大人しく立ち去ったイェレミアスたちを見送り、完全に姿が見えなくなるところまで確認してから、わたしはようやく全身の力を抜いて深く息を吐き出した。
すぐにでも報告に向かわなければ。
しかし精神への干渉は最後まで感じなかったが、イェレミアスやフロレンツィアの様子からして何かを仕掛けようとしたにもかかわらず何故か上手く行かなかったのは間違いなさそうだ。
ここに至ってついにわたしの異世界転生特典が発現しただとか、そういう馬鹿げた理由ではないと思うが、敵のスキルが効かない一定の条件があるかもしれないという情報は今回の大きな収穫だ。
それにしてもまさかイェレミアスが帝都にいるとは思いも寄らなかった。
教会やレーダー子爵は想像以上に活発に動いているらしい。
こちらの対応が後手に回らなければいいのだが。
大きな危機感を抱きながら、わたしは皇宮までの道のりを急ぐのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます