誇りと愛
「あ、トロル」
このところの恒例行事となったラバル郊外の草原地帯での戦闘訓練中のことだった。
ロルフとブルーノが『幸運の泉』の連中を扱いているのをわたしの傍らで見物していたテオドールが、視線を外してぽつりと呟いた。
「どこだ?」
剣の柄に手をかけてテオドールに訊ねる。
「向こうの三本重なって生えている木の陰に隠れてます。ほら、あそこ」
テオドールの指し示す方向を注意深く見ると、確かに特徴的な巨体の持ち主がこちらを窺っているのが分かった。
まだかなり距離があるが、明らかに我々を意識している。
「目がいいな。よく見つけたぞ、テオ」
「たまたまです。何かが動いた気がしたから」
謙遜するテオドールだが、声音には誇らしさが滲み出ている。
可愛い奴だ。
剣の柄から手を離し、わたしはこちらを窺うトロルに向かって大きく手を振ってみせた。
すると何やらその場で激しく地団太を踏むような行動を始める。
「ははは、怒ってる怒ってる」
「エル、あまり挑発しない方がいいんじゃ」
「何故? せっかく来てくれたんだ。歓迎してやろうじゃないか」
ひとしきり地団太を踏んだトロルは、木の陰から姿を現してこちらに向かって進み出した。
それを確認したわたしは、いまだトロルの存在に気付いていない者たちに向かって大きく声を張り上げた。
「よし、お前ら注目しろ!」
手を叩いて全員の視線をこちらに集める。
「客が来た。南南東300m。トロルだ」
トロルは体高が4、5mほどの二足歩行の魔物で、でっぷり太った毛のない猿といった感じの外見をしている。
わたしが猿に似ていると言ったのは、奴らの腕が脚よりも長いという特徴からだ。
トロルは長い腕を歩行の補助に使う。前世の世界にいたゴリラが行うナックルウォークをイメージしてくれたら分かりやすいだろう。
そのため鈍重そうな外見の印象を裏切り、トロルはかなりの速度で走ることができる。
今もトロルはぐんぐんとこちらとの距離を縮めてきている。
なかなか活きのよさそうな個体だな。
「仮想ドラゴンには物足りないが、ちょうどいい実践にはなる。『幸運の泉』が相手をしろ」
わたしの言葉を聞いた『幸運の泉』の面々は武器を握り締めて迫りくるトロルを注視した。
「ドラゴンの火力の七割は前面に集中している。一方で側面及び背面は細長い体型や翼や尾が邪魔をして死角になりやすい。分かるな? 回り込んで脚や背を削り、動きを制限することを意識するんだ。トロルから尾撃は飛んでこないが、代わりに長い腕には注意しろよ」
「おう。やるぞ、お前ら!」
クリストバルが仲間たちに号令をかける。
トロルくらいは危なげなく倒してもらわないとドラゴン相手では話にもならないからな。
といってもトロルの腕力は大木もなぎ倒すので、決して油断できる相手ではないのだが。
「テオ。お前も参加しろ」
「はい」
「うまく連携しろよ」
「任せて下さい」
頼もしく答えて剣を抜いたテオドールは、クリストバルたちと合流してトロルと対峙する。
苛立たしげな咆哮を上げて腕を振り回すトロルに対し、『幸運の泉』とテオドールは冷静に対処できているようだ。
常に死角に回り込むことを意識してテオドールたちが戦う様子を眺めていると、手持ち無沙汰になったロルフとブルーノがそばにやって来て言った。
「いいのか、今回のこと」
質問を投げかけてきたロルフの顔を見あげる。
相変わらずデカい男だ。羨ましいが首が疲れてかなわんな。
しかし屈んでくれと頼むのは屈辱なので絶対に言わん。
「よい。ラバルに居ついて一年半だ。いつまでも周囲を警戒ばかりしていても今後の活動に障りが出る」
「確かに気のいい連中ではあるが」
腕を組んだロルフは難しげな表情を浮かべてトロルと戦う『幸運の泉』の連中へ視線を送っている。
「慎重すぎるかとは思ったが、念のため奴らの経歴は洗っておいた。どこまで行っても真っ当で堅実なダンジョン探索者だったよ。貴族との個人的な繋がりもない」
「どうやって調べた?」
「何、メルセデスの耳元にちょっと息を吹きかけただけだ」
わたしの言葉に大男はあからさまに軽蔑の眼差しを向けてくる。
「お前、そういうのは悪い癖だぞ」
「公開して問題ない範囲でギルドの活動歴を見せてもらっただけだよ。後はゴットハルトに探ってもらった」
実際には『幸運の泉』と共同依頼を受けるかもしれないから経歴が知りたいとお願いしただけだ。緊急事態を除けばこれまで他の探索者と協力など一切してこなかったから、メルセデスはむしろ喜んで情報提供してくれた。
排他的なクランはあまり外聞がよくないし、そういう奴らに限ってある日突然ダンジョンで全滅とかするからな。魔物に殺されるせいか謀殺されるせいかは知らんが。
何だかんだ言って横の繋がりというのは大切だ。
そして、公式の情報以外はゴットハルトに情報収集してもらった。
一見役に立たない小男を装っているが、諜報はゴットハルトの得意技だ。実際問題、あの男がいなければヒューベンタール神聖帝国から脱出するのはもっと困難を極めたに違いない。
「お、トロルが膝を突いたな」
「連携も息が合っている。やはりダンジョンでの実戦経験は馬鹿にできないな」
わたしの言葉にロルフも同意する。
もう一人の無口な大男に視線を向けてわたしは訊いた。
「ブルーノはどう思う?」
「悪くない。特にテオと連携して動いている若い戦士」
ブルーノが指摘した人物へ注目する。
名前は確かルカ。
年齢は17歳ということだから、テオドールより二つほど年上になる。
細身だが背は180cmくらいはある。暗いこげ茶色の髪を持つ中々の美少年だ。
いや、顔のことは別にどうでもいいんだが。
「何年かしっかり訓練を施せば良い騎士になりそうだ」
「才能というのは探せば見つかるものだな。『幸運の泉』か。思いがけぬ良縁だったかもしれん」
これまでは自分たちの力だけで生活を安定させることに躍起になっていたが、今後は他者との協力が不可欠だ。
もはや祖国には戻れないのだしな。
翼休めではない、安住の地を探すのも悪くはない。
ラバルがそうなるかはまだ分からないが……。
「腐竜が本当に現れた時の対応だが、『幸運の泉』と共同で討伐に参加する。メンバーはわたしとバルタザール、ロルフ、そしてテオドールだ」
前々から考慮していたことを口にすると、わたしの頭上で大男二人がアイコンタクトを交わし合った。
「言いたいことがあるなら言え」
「……なら言うが、テオは参加でいいのか?」
やや遠慮がちに質問したロルフをわたしは睨みつけた。
「よい。危険は承知の上だ」
「しかしテオは俺たちとは……」
「わたしが預かった時点でそういうことだと理解している。文句は言わせん。わたしにはわたしのやり方がある」
こちらの断固とした口調にロルフたち二人は押し黙ってまた顔を見合わせた。
「わたしの視界の外で見つめ合うんじゃない」
ほぼ真上を見あげる苦しい姿勢を取りながら思わず抗議すると、ロルフとブルーノはこれをやるとわたしが激怒すると知っていながら、膝に手を置いて中腰になって視線を合わせるという屈辱的な姿勢を取った。
二人の顎に飛び膝蹴りを食らわせてやりたい衝動をぐっと堪え、首が楽になったことを自覚しながら真正面から向き合って二人を睨む。
「親戚の叔父さんみたいな目でわたしを見るのをやめろ、ロルフ上級近衛騎士」
ロルフの眼差しには親愛と共に年長者としてこちらを見守る色がある。
「俺はもう騎士じゃない。ブルーノもお前もそう。他の連中も昔の身分は捨てた。しかしテオはわけが違うだろう?」
「あの子はただのテオドールだ。それ以上でも以下でもない」
しばらく見つめ合っていたロルフは、やがて眼を閉じると大きなため息を吐き出して中腰姿勢をやめた。
「テオは強くならねばならない。わたしが守るから心配はいらん」
「エレオノーラ。お前は確かに強いが、何でも守れるほど強くはない」
ブルーノが低い声で痛いところを指摘してくる。
わたしにだって守れなかった者はたくさんいる。そんなことは分かっているのだ。
「それでも守る。文句を言うな。わたしはもう決めた」
暴論は承知の上だ。
それでもわたしが胸を張ると、ブルーノもそれ以上何も言わなかった。
が、おもむろにわたしの頭にグローブみたいにデカい手を置いて撫で繰り回してきたので、腕を使って力任せに振り払った。
「やめろ馬鹿者!」
まったく、このろくでもない大男どもが。
ブルーノが乱暴に撫でてくれたせいで髪がめちゃくちゃになったので、結わえていた髪紐をほどいて手櫛を通した。
二年前にあれだけ短く刈り込んだ髪の毛も随分と長くなった。
赤ん坊だったフリーデリーケも口が達者になってそこら中を走り回るようになったし、テオドールも最近はいっぱしの戦士の顔をするようになってきた。
わたしももう無鉄砲なだけの小娘ではいられない。
離れた場所で地に倒れ伏したトロルを囲んで『幸運の泉』とテオドールが快哉を上げている。
お互いを称え合って手を打ち合わせるテオドールとルカの姿を見て、わたしは口元を綻ばせた。
テオドールやブリュンヒルデ、わたしについて来てくれた仲間たち。
彼らを守り、幸せに導くことが我が人生の意義だ。
年老いて背が曲がる頃になるまで探索者稼業を続けるわけにも行かないので、金を貯めて地盤を固め、皆に新しい生活を用意してやる必要がある。
異世界で男として生きた前世の記憶があるとか実質二度目の人生を送っているとか、そういう事情は関係ない。
わたしはこの世界に生まれたエレオノーラだから。
エレオノーラとして生き、エレオノーラとして死ぬのだ。
願わくば誇りと愛を胸に抱いて。
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ロルフ:デカい。
ブルーノ:デカい。
テオドール:成長期。食事の際はいつも姫様におかわりをさせられる。
姫様:小さいけど、部分的にデカい。
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