これだからドワーフは。
わたしはこの日、朝から機嫌がよかった。
砥ぎに出していた剣を受け取りに街の武器屋へ行く日だったからだ。
ただそれだけのことでなぜ機嫌がよくなるのかなどと訊く者は分かっていない。
武器屋は楽しい。
見ているだけでも楽しいし、一日中でも過ごせる素敵空間。
それが武器屋だ。
それが分からん奴はわたしに言わせればまだまだ素人だ。
そう、ブリュンヒルデとかな。
あいつは男のロマンがまるで分かっちゃいないのだ。
今世では女のわたしが言うのもアレだが。
ところで武器屋というからには武器を販売しているわけだが、RPGじゃあるまいしそんな業態が成り立つのかと疑問に思われるかもしれない。
しかし、ここはファンタジー要素溢れる剣と魔法の世界だ。
探索者や魔物退治を生業とするものは数多くいるし、何なら一般家庭も自衛のために剣の一本や二本持っていることも珍しくない。
政府による規制はどうなっているのかというと、スルバラン自由王国では少なくとも所持に関して特に規制はない。
ダンジョンだけでなく至る所に魔物がうろつく危険な世界なのでむしろ正当な権利として認められている節がある。
ただし武器を所持する者たちで届け出もなしに徒党を組めばたちまち目を付けられるし、下手をすれば官憲が出てきて問答無用で拘束される。
その辺りはやはりシビアだ。
ちなみに適正な訓練を施された騎士や兵士というのは、はっきり言って強い。
政府が武器の所持に鷹揚なのはこの点も関係しているだろう。
しょせん一般人や破落戸が寄り集まったところで軍には勝てないのだ。
さて、そんなわけでわたしは機嫌がよかった。
過去形である。
我が機嫌を急降下させているもの、その原因は目の前にいた。
中年の男だ。小汚い。
まだ昼にもなっていないのに顔を真っ赤にさせて酔っ払っている。たぶんゴブリンのせいで暇を持て余した低位探索者だろう。
手には木製のカップを持っているが、すでに中身は空だ。
元々そこには赤ワインが入っていたが、今それはわたしのチュニックの胸から腹にかけて大きな染みを作っている。
なおワインの染みというのは洗っても落ちない。
この世界では衣類というのはそれなりに貴重品だ。
つまり、帰ったらクラリッサに怒られる。
男の言い分としてはこうだ。
美人なのに一人で歩いているわたしが気の毒なので酒に付き合わせてやる、と。
むろんわたしは断った。
すると男は男装をしたわたしを侮辱した上でわたしの出っ張った胸と尻がいかにけしからんかを主張し、そんな恰好をしても女は女、何なら自分が女の喜びを教えてやる、と宣った。
わたしの答えはこうだ。
「そこらへんのオークのケツでも掘ってろ、粗チン野郎」
言い終えた瞬間、カップの中身をぶちまけられた。
解せぬ。
この世界では一般人にも武器の所持が認められている。
しかし、それすなわちいつでもどこでも武器を抜いて使用していいということではない。
武器を抜く理由、使う理由、そして殺す理由というのはやはり必要だ。
面倒なことになってしまったな、とため息を吐き出す。
問題が拗れに拗れたら最終的には殺すしかなくなるのだが、できればその前に穏便に済ませたい。
男の腰にはショートソード。鞘の様子からしてあまり手入れされていない。
武器を大事にしない輩は、例外なく雑魚だ。
そして雑魚ほどすぐに武器を抜きたがる。
酒のためか怒りのためか分からないが、顔を赤黒く染めた男がついに腰のショートソードに手を伸ばした。
予想通りの展開にがっかりしながら、わたしはすえた体臭のする男と距離を詰め、男が掴んだショートソードの柄頭を上から押さえ込んだ。
「がっ、てめぇ!」
筋肉を膨らませて力任せにショートソードを抜こうとする男だが、それを押さえるわたしの手はびくともしない。
というか本当に臭いな、この男。ダンジョンから帰ってきたまま体を洗ってないんじゃないか?
「このまま抜くならお前を殺さざるを得なくなるが、いいのか?」
「ああっ!?」
「男なら素手で来い。わたしに一発でも入れられたら酌でも何でもしてやる」
ここまで挑発されて、なお抜けもしないイチモツを抜こうと頑張るのも格好がつかないと思ったのか知らんが、男はショートソードの柄から手を離し、そのまま至近距離から襲い掛かってきた。
丸太みたいな腕がうなりを上げて振り回されるのを屈んで避け、わたしはくるりと体を回転させると軸足でしっかりバランスを取りながら、男の胸板に槍のような蹴りを叩き込んだ。
6、7mほど吹き飛んだ男は地面に大の字に倒れて動かなくなった。
脚を降ろしたわたしは、周囲の市民たちのざわめきを浴びながら普通の歩調で男に近づいて見下ろした。
意識はないようで白目を剥いている。
しかし胸が上下しているので一応死んではいないようだ。そもそも死ぬような力は込めてないが。
それにしてもたかが蹴り一発で情けない。
これでも本当に探索者か、この男?
いずれにしてももうこの男に用はない。
わたしは倒れた男を放置したまま、目的の武器屋へ向かって再び歩き出した。
「このチュニック、どうしよう……。ああ、下着にも染みが」
チュニックの胸元を引っ張って中を覗き込んだわたしは、絹のビスチェにも紫色のワインの染みができているのを発見し、もう一度深いため息を吐き出した。
ラバルの街には何軒か武器屋があるのだが、その内わたしが贔屓にしているのは『鉄の髭工房』という名の店だ。
名前から何となく想像は付くかもしれないが、この店はドワーフが経営している。
工房に所属する鍛冶師の作品をメインで扱っているが、いいものであれば他所からも品を仕入れて並べる。ただし、基本ドワーフの作品のみだが。
彼らに言わせれば他人種は金属のことを何も分かっちゃいないらしい。
実に偏屈で頑固で人種的偏見に満ち溢れた連中だが、わたしは嫌いじゃない。
鼻をつんと刺す金物くさい匂いが充満した店内へ足を踏み入れると、店番役のドワーフからじろりと視線を向けられた。
この世界のドワーフは前世でのイメージとほぼ変わらない。
平均130cmほどの背丈にずんぐりした筋肉質な体型。もじゃもじゃの髭。
採掘と鍛冶に秀で、酒が好き。
あまりにもイメージ通り過ぎて逆に違和感しかないが、この世界の現実がそうだと言っているから仕方がない。
「何だ、あんたか」
最初は『またどこの素人が仕事の邪魔しに来たんだ』という表情をしていた店番だったが、上客の一人だと認識すると幾分か態度を改めた。
「預けていた剣を受け取りに来た」
「奥だ。親方がいる」
店番はわたしの指を三、四本束ねたくらいの太さがある親指で店の奥を指差して言った。
ドワーフってちんこも太そうだな。
などと馬鹿なことを内心で考えながら、生真面目な顔で頷いたわたしは店の奥を通り抜け、そのまま鍛冶場へ向かった。
鍛冶場では何人もの鍛冶師が作業を行っている。
とりあえず親方を探さなくては。
辺りを見回すがどのドワーフが目的の人物なのか、ぱっと見では分からない。
異人種というのはとにかく顔の見分けがつきにくい。
わたしは特に遠慮することもなく鍛冶場に足を踏み入れ、作業しているドワーフの顔を一人一人の覗きこんでいった。
「おいっ! 何勝手に入って来てやがる!」
「勝手にじゃない! 剣を受け取りに来た! 親方はどこだ!」
「何だって!?」
「お前らの! 親方は! どこだ!」
鍛冶をやるドワーフは大体耳がイカれている。
わたしが腹の底から声を絞り出して叫ぶとようやく聞き取ることができたのか、そのドワーフは店番ドワーフよりさらにぶっとい火傷だらけの指で鍛冶場のさらに奥を指差した。
「あっちだ!」
「分かった!」
「親方の槌の音が聞こえるほうに行きゃすぐ分かる!」
そんなもん分かるかこの髭もじゃ、という罵倒を飲み込み、わたしはとにかく指差された方向へ向かった。
しばらく奥へ進むと、赤々と光を放つ炉のそばで黙々と熱した鉄を叩いているごま塩髭のドワーフを見つけた。
あのごま塩は『鉄の髭工房』親方の特徴だ。顔は正直他のドワーフとあまり見分けがつかない。というよりそもそも顔の半分は髭で隠れているので見分けろという方が無理なのだ。
見分けて欲しかったら髭を剃れ。
というのはドワーフにとっては衆人環視の中で尻の穴を見せろと要求するのと同じくらい失礼なので口には出さないが。
「親方! 預けていた剣を受け取りに来た!」
ごま塩髭のドワーフはリズミカルな槌の音を絶やさないままこちらを一瞬だけ見た。
「お前さんか。ちょっと待っとれ」
そう言いつつ手は止めない。
わたしも親方の性格は知っているので、その場に座り込んで大人しく作業の見学を始めた。
鍛冶場というのはそこら中で火を使っているのでとんでもなく暑い。
特に炉のそばにいると直接熱が肌を焼くので、あっという間に汗が噴き出してきた。
どこからともなく現れたドワーフの女性が床に直接座っているわたしのために腰かけ椅子を持ってきてくれた。
ありがたく座ると、なみなみと注がれた馬鹿でかい木製のジョッキを手渡してくれる。
中身は水だ。残念ながら酒ではない。
わたしは礼を言い、体から噴き出していく水分を補充するために馬鹿でかいジョッキを両手で支えて口を付けた。
結局一時間ほど親方が鉄をカンカン叩くのを眺め続けていた。
ブリュンヒルデだったら一分と持たなかっただろうが、わたしはこういうのが平気な性質だ。
熱した金属が叩かれる度に形を変えていくのを見るのは面白い。
前世ではありとあらゆる完成済みの製品が身の回りに溢れていたが、制作過程を目にすることなど皆無と言ってもよかった。
ひとまず作業が一段落したのか、手を止めた親方はようやく正面からこちらに向き直った。
「何じゃ、まだおったのか」
「剣を受け取るまで帰るわけないだろう」
「店の方で待っておればよいものを物好きなことだ。その服はどうした?」
服と言われて自分の体を見下ろすと、ワイン染みと大量の汗が混ざり合ってなかなか壮絶なことになっていた。
「ワインを引っ掛けられた」
「もったいないことをする」
「わたしの心配もしてくれ」
「そんな無駄なことはせんわい。剣だったな。ちょっと待っちょれ」
親方はむっくり立ち上がると壁際の棚に飾られていた一振りの剣と、ついでに弟子の一人と思しきドワーフから馬鹿でかいジョッキを受け取ってからこちらに戻ってきた。
「ほれ。お前さんの剣だ」
「確かに」
剣を受け取ったわたしは、その場で抜き放って鋭い切先を天に向けた。
「よい仕上がりだ」
「当たり前じゃろ。いちいち目の前で確認するでないわ」
言葉の割にまんざらでもなさそうな様子の親方は、ごくごくとジョッキの中身を喉に流し込んだ。
当然飲んでいるのは水ではなく酒。
これだからドワーフは。
「しかし、わしが名工ダーインの打った剣を砥ぐことができるとは」
確認するなと言った癖にわたしと一緒になって剣身の輝きを惚れ惚れと眺めながら親方が言った。
「またそれか。ダーイン作と銘があるわけではないんだろう?」
「馬鹿もん。見りゃ分かるわい。これだから人間は」
しかつめらしく言い放った親方はジョッキの中身を飲み干してごま塩髭をしごいた。
ちなみにここで親方が言っている『人間』というのは狭義の人間、つまり外見的には多少大柄なくらいで前世のホモ・サピエンスとほぼ同一の特徴を持つ種族のことである。
ドワーフやエルフといった種族も広義の人間、つまり人類には含まれるのだが、彼らは好んで自分たちと狭義の人間を分けたがる。
この辺りの問題を下手に掘り下げると非常に面倒くさいことになるので、わたしはこれ以上何も言わない。
ただ彼らが人間という語を使用する時はわたしの種族のことを言っているのだと考えてくれたらそれで構わない。
「誰が打っていようといいさ。この剣はよく斬れるし曲がらない。お気に入りだ」
「あっさりと言ってくれるわ、小癪な娘が」
なかば呆れたような親方へにやりと笑ってみせると、わたしは剣を鞘に納めて立ち上がった。
「今回もいい仕事をしてくれた。礼を言う」
「報酬はもらっておる。それより店で剣を見て行かんか。新しいのが入っとるぞい」
「もちろん。早く行こう」
身長130cmほどの筋肉だるまにエスコートされ、わたしはスキップするような足取りで鍛冶場を抜けて店に戻った。
そこからたっぷり三時間ほど親方と武器談義に花を咲かせて楽しい時間を過ごすことができた。
汗ぐっしょりの汚いチュニックを身に纏ったわたしの姿に店番ドワーフは終始眉をひそめていたが、探索者には不人気の長槍を三本ほど新規に購入すると現金なもので目に見えて機嫌を直した。
「槍か。珍しいの」
「今度の仕事で必要になるかもしれんと思ってな」
「仕事熱心なことじゃ。槍は後で屋敷に届けてやる」
「助かるよ。頼んだ」
わたしは朗らかに笑って親方と握手を交わした。
この工房の誰よりも皮が分厚く、誰よりも力強い手だ。
「惜しいの」
ぽつりと親方が呟く。
「何がだ?」
「人間の娘にしてはいい手をしておる」
「ふふ、それなら来世はドワーフに生まれ変わろう」
「お前さんが言うと冗談に聞こえんわい。どうせ生まれ変わるならまた女子になってわしの息子と結婚してくれんか」
「分かった。口説き文句を考えておくよう息子に伝えておけ」
「約束じゃ」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑った親方は、ちょうどいい高さにあるわたしの尻をバシーン!と平手打ちすると豪快にガハハと笑った。
もちろんわたしは暴挙に及んだ親方を許した。
相手の硬い尻を思いきり蹴飛ばし返した後で。
床にひっくり返ってもまだ笑っていたのにはさすが頑丈なドワーフだと呆れたが。
馬鹿力の親方に叩かれてひりひりする尻を撫でながら、わたしは『鉄の髭工房』を後にした。
加減を知らんのか、あの髭だるまは。
屋敷に帰ったらクラリッサに治癒魔法をかけてもらって……、あ、いや。
治癒魔法をかけてもらう前にクラリッサからもお尻ペンペンされるかもしれない。
わたしは少し乾いて汗の匂いが漂い始めているチュニックの裾を引っ張って拡げ、改めて汚れ具合を確かめると憂鬱なため息を吐き出した。
この世界にもユニ〇ロとかあればな……。
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