差し許す。存分に見よ

 

 わたしは自室の姿見の前でパンツ一丁で仁王立ちしていた。

 機能性には甚だ疑問を感じるレース製のひらひらしたパンツの両サイドを大きく引っ張り上げる格好で、だ。


「ハイレグ」


 この世界にハイレグという概念はない。

 もし仲間たちにこの呟きを聞かれたとしたら、頭がおかしくなったと思われるだろうか。

 局部に鋭角に食い込んだレースを冷ややかな眼差しで見つめてから、わたしはくるりと後ろを向いて首だけで振り返った。


「……Tバック」


 レースのパンツでまったく包み切れていないぷりっぷりの尻を批判的に睨んでから、わたしは海より深いため息を吐き出して阿呆な振る舞いをやめた。


 こんこんと控えめなノックの音がする。


「姫様。入ってもよろしいですか?」


「入れ」


 クラリッサの声だったのでそのまま入室を許可する。

 彼女はわたしがいる衝立の内側を覗き込むと、呆れたような声音で言った。


「まだそんな恰好をしていらっしゃるのですか。お風邪を召されますよ」


「わたしはそんなに柔じゃない」


「そうでしょうか?」


 わたしの言葉を受け流しながら、クラリッサは尻の真ん中に食い込んだパンツを広げてきちんと尻全体を包むよう手直ししてから、手のひらでぽんぽんしてくれた。

 なぜこんな変な穿き方をしているのか、といちいち訊ねてこないところにクラリッサの優しさを感じる。


「なあ、クラリッサ」


「はい、姫様?」


「わたしの尻、デカいか?」


 クラリッサは目をぱちくりさせてから、言葉を探すように中空に視線を彷徨わせた。


「ええと、確かに背丈の割には少し肉付きはよろしゅうございますね。元々鍛えていらっしゃいますし。でもそれはあくまでも女性的な……」


「デカいんだな?」


「ですからね、姫様」


「ケツでか女なんだな?」


「はしたない言葉を使うのはおやめなさい、姫様。どうされました、誰かにからかわれでもしたのですか? どこの誰かは存じませんがこのクラリッサが叱りつけてきてあげましょうか?」


 クラリッサが腕まくりをしてむんと力こぶを作ってみせる。

 本当に他人を撲殺できるわたしの腕とは違い、治癒魔法使いのクラリッサの力こぶはただひたすらに柔らかそうだ。


「……昨日酒を飲んでいて、わたしがギルドのメルセデスのことをケツでか女と罵倒したんだ」


「あらあら」


「そうしたらブルーノの奴が『お前の尻もデカい』と」


「……まあ。ブルーノ殿が」


 クラリッサの声が1オクターブほど低くなった。

 これは地雷を踏んだかもしれん、と思ったが後の祭りだ。

 わたしはそそくさとズボンを穿き、頭からチュニックを被ろうとしてクラリッサに制止された。


「姫様」


「はい」


「下着を着けてからチュニックを」


 被りかけのチュニックをもぞもぞ脱ぐと、問答無用で絹のビスチェを渡される。


「夜会に行くわけじゃないんだぞ」


「姫様が今着ようとしているような男装のズボンやチュニックを愛用していらっしゃるのは承知しております。それについてはもはや何も申しません。本当ならそんなみすぼらしい格好は即刻おやめ頂きたいですが、ええ、何も申しませんとも。ですが、服の下まで殿方の真似事をするのは感心致しませんね」


 こういう時にクラリッサに逆らうと面倒なことになるので、わたしは大人しく窮屈なビスチェを身に着け、その上からチュニックを着た。

 腰にベルトを巻き、袖なしの革のベストを羽織り、ひざ下まであるロングブーツを履く。

 これで着替えは完了だ。


 クラリッサはわたしの男装を少し批判的な目で眺めていたが、すぐにかぶりを振ると気を取り直すように言った。


「御髪を整えましょうか。姫様、椅子に」


「うむ」


 髪なんて適当に結べばいいだろ、と内心では思っていたが、わたしはそれをおくびにも出さず頷いてみせた。

 椅子に座ったわたしの背後に立ったクラリッサが丁寧な手付きで髪を梳き始める。


「今日は細い編み込みを作ってお団子の周りに巻きましょう」


「任せる」


 鼻歌を歌いながらクラリッサがわたしの髪を結い始める。

 仲間たちに請われたのでまた伸ばしてはいるが、本来は短い髪の方が好みだ。何といっても手入れが楽だし鬱陶しくない。

 とはいえ、このわたしにも他人から求められる理想の姿というのがあって、仲間たちが望むなら可能な範囲であればそれを叶えてやりたいという殊勝な心持もある。

 だから髪は伸ばしている。

 でもドレスやワンピースは着ない。


「姫様の御髪は本当にお綺麗ですね」


「ただの真っ黒い髪の何がそんなに面白い。南方大陸では皆髪が黒いと聞くぞ」


「南方のことは存じませぬが、ヒューベンタールでは神秘の象徴ですよ」


「益体もない。巫女でもあるまいし」


 いくら有難がったところでわたしの黒髪が何か奇跡を起こしてくれるわけでもないし、もちろんわたしは神の使いでも何でもない。

 前世の記憶がある、あるいは転生者であるという点は特別と言えなくもないが、別にそれだって神やそれに類する存在からの指令を受けたわけではない。

 ただ気が付いたらわたしはここにいた。だから必死になって生きている。

 それだけの話だ。


「ところで姫様、本日ブルーノ殿は屋敷に残られるのですよね?」


「いや、ブルーノにはダイアウルフの毛皮を運んでもらおうと……」


「姫様」


「……と思ったが、やはりゴットハルト辺りに頼んでブルーノは休ませよう」


 わたしは秒で前言を撤回した。

 ブルーノには申し訳ないが犠牲になってもらおう。しかし、元はといえばあいつがわたしの尻がデカいなんて言うのがいけないのだ。


「まあ、よかった。これでブルーノ殿とはゆっくりお話ができますわね」


 にっこりと笑ったクラリッサがシニヨンの仕上げをしてわたしの肩に手を置いた。


「はい。今日もお綺麗ですよ、姫様。これでドレスを着て頂ければ言うことはないのですが」


「行き先はギルドと商会だぞ。めかし込んでどうする」


 わたしは椅子から立ち上がり、剣帯ごと壁に立てかけてあったレイピアを腰に佩いた。

 ふと姿見で自分の全身を眺める。

 服装は完全に庶民階級の一般男性のものだ。

 胸部がかなり盛り上がっていることと腰回りが細く絞られていること、そして尻から太ももにかけて布地に余裕がないことが、男物の服を着てはいても体は完全に女性であることを示しているが。

 後ろを向いて姿見に背中側を映し、振り返ってじっと眺める。


「クラリッサ、やっぱり」


「姫様は気にされ過ぎですよ。どうせ子どもを何人か産めば自然と大きくなるのですから」


 姿見に尻を映したまま、わたしは絶句した。

 慈母の如き表情で『姫様の子どもはわたくしが取り上げて差し上げますからね』と語るクラリッサから逃げ出すようにわたしは部屋を飛び出していった。






 エスコバル商会。

 それが今回わたしたちがダイアウルフの毛皮を納品する商会の名前だ。

 ラバルでも大手に数えられる商会だが、本部は確か王都マドゥルガーダにあったはず。王都の大商会となると王室や行政機関との取引も当然あるだろうな。

 商業区の目抜き通りに建つ重厚なエスコバル商会支部を見あげながら、わたしは小さくため息を吐いた。


「姫様。ため息を吐くと幸せが逃げっちまいますぜ」


 ここまでダイアウルフの毛皮を載せてきた荷馬車の御者台からゴットハルトの軽薄な声が掛かる。

 痩せぎすでずる賢そうな顔をした中年男だ。身長はわたしと同じくらいしかないので、この世界の基準で言えばかなりの小男である。

 灰色の髪の毛はぼさぼさで、正直あまり清潔感のある見た目の男ではない。

 そのせいか知らんが、本人も好んで我がクランの下男役を演じることが多く、大方の人間はその演技に騙されている。


「ため息如きでわたしの幸せは逃げたりせん。ゴットハルト、商会に我々の来訪を告げてこい」


「はいよ」


 御者台から飛び降りたゴットハルトは足早に商会支部の中へ入っていった。

 その様子を荷台の上からつまらなそうに眺めている女が一人。

 そして、わたしの隣には少し落ち込んだ表情のテオドール。


「エル」


「テオ。屋敷でも話したが、お前は荷馬車と一緒に外で待っていろ。エスコバル商会とはわたしが話を付けてくる」


 力のある商会と個人的な繋がりができることは探索者にとって必ずしも悪いことではない。

 が、わたしたちのような訳ありにとっては少し話が違ってくる。

 どういう意図の接触なのか。

 その辺の見極めはせねばならないし、それをテオドールにさせるわけには絶対に行かない。


 しばらくしてゴットハルトが商会の人間を五名ほど引き連れて戻ってきた。


「エレオノーラ様。毛皮は商会の方々が運んで下さるそうです。あっしは坊主と荷馬車でお待ちしておりますわ」


 演技過剰だ馬鹿者、と喉元まで出かかったのをこらえ、わたしは商会の者たちの前に立つ。


「ダンジョン探索管理協会ラバル支部所属、クラン・ツークフォーゲルのエレオノーラだ。よろしく頼む」


「本日はようこそおいで下さいました、エレオノーラ様。毛皮はわたくしどもがお運び致します。ご案内させて頂きますのでどうぞこちらへ」


「ああ。ゴットハルト、後は頼む。それとブリュンヒルデ」


「なぁに?」


「いつまでそこに座っている気だ。お前はわたしと一緒に来い」


「はぁい。よいしょっと」


 裾の長い深緑のドレスを身に纏ったブリュンヒルデは何とも気の抜けた掛け声とともにその場から立ち上がると、ぴょんと荷台から地面へ飛び降りた。

 うんざりするほど襞の多いスカートの裾が風を孕んでまくれ上がり、ガーターを装着した彼女の脚が一瞬だけ露わになった。そこに目を奪われていた商会の者どもにとっては永遠に等しい一瞬だったかもしれんが。

 背の中ほどまで届く赤髪。秀でた額には貴石が埋め込まれた繊細なサークレット。

 勝気そうなエメラルドのような瞳に薔薇色の頬。小ぶりなくちびる。

 見てくれだけならこの女の方がよほど姫様っぽい。

 まあ……、とわたしはブリュンヒルデの過剰なまでに露出されたデコルテに視線をやる。

 ブリュンヒルデはあまり胸が豊かではない。

 前世風に言えば貧乳という奴だ。

 それでよくもまあ、あんなに抉れた襟の服を着るものだが、当人が好きでやっていることだ。わたしはとやかく言うまい。


「行くぞ。案内を頼む」


「は、はい。かしこまりました」





 わたしとブリュンヒルデが通されたのは支部長室と思われる豪華な部屋だった。

 ダイアウルフの毛皮もあるし、てっきり会議室のような場所かと思っていたのだが。


「ようこそおいで下さいました。どうぞそちらへおかけに」


 部屋の主と思しき壮年の男がわたしとブリュンヒルデに椅子を勧める。

 大商会のおそらくは支部長と思われる者が、たかが探索者風情に随分と下手に出たものだ。


 促された通り、わたしは遠慮なく革張りの椅子へ腰を掛けた。

 が、ブリュンヒルデは腰かけることを拒否し、わたしの背後に直立した。


「お初にお目にかかります。手前はエスコバル商会ラバル支部を預かります、支部長のハビエルと申します」


 対面の座った男が自己紹介をする。

 やはり支部長のようだ。一見物腰は柔らかいが、抜け目なくこちらを観察し続けている。


「わたしはツークフォーゲルのエレオノーラ。後ろに立っているのは仲間のブリュンヒルデです。この度はよろしくお願い致します」


 丁寧に会釈してみせると、ハビエルはやや驚いた表情を見せた。


「さっそくですが毛皮を検品して頂いても?」


「そ、そうですな。では準備を……」


 ダイアウルフの毛皮は全部で十一枚。

 可能な限り丁寧に剥がしてはあるが、当然のことながらまだ鞣してはおらず、腐敗しないよう凍らせてあるだけだ。

 ハビエルは解凍するために水桶か何かを用意させようとしているようだが、わたしがここにブリュンヒルデを伴ってきたのはその労を省くためだ。


「解凍ならこちらで行います。ブリュンヒルデ」


「はぁい。一枚ずつします? それとも全部まとめてやっちゃう?」


 ブリュンヒルデが前屈みになってわたしが座る椅子の背もたれに肘を置いた。

 そんな恰好をしたら襟ぐりが開いて大して質量のない胸が露わになってしまうのだが、ブリュンヒルデは当然分かってこれをやっている。

 ハビエルは視線を右往左往させながらも、全部まとめて解凍するようブリュンヒルデに頼んだ。


「それじゃあ、ほいっと」


 脱力感溢れる掛け声と共にブリュンヒルデが指を鳴らすと、パリンと何かが割れる音がした。


「……は?」


 ハビエルの口から唖然とした声が漏れた。

 一つ一つがそれなりの大きさがある、十一枚ものダイアウルフの毛皮。

 それが一瞬ですべて完全な形で解凍されていたのだ。

 先ほどのパリンという音は毛皮を覆っていた薄氷が割れる音ではない。毛皮を凍らせていた魔法術式を割り砕いた音だ。

 氷は解けたのでも砕けたのでもなく、文字通り消失していた。


「やっぱり術式割るのって楽しい~。特にバルトのは音が違うのよねぇ」


「他に余計なものまで割ってないだろうな?」


「さあ? もしかしたら勢い余って何か割っちゃったかも」


 わたしとブリュンヒルデとで白々しいやり取りを交わす。

 事前にブリュンヒルデには商会で何か仕込まれていたら排除するよう指示してある。

 今の受け答えからして、やはり何らかの仕込みがあったようだな。

 ちなみに魔法術式を他人に破壊されると、術者には何かしらの反動が返る。

 目の前のハビエルには多少の動揺以外に特に変わったところは見受けられないので、おそらく術を仕込んでいたのは別の者だ。

 ついでに付け加えると、ダイアウルフの毛皮を凍らせたのはバルタザールなので、当然奴にも術式破壊の反動が向かっている。

 しかし、それを承知の上でマリーと一緒に過ごすことを優先して今日の同行を拒んだのは奴の方だ。今頃屋敷の自室でひっくり返っているだろうが、自業自得なのでわたしは知らん。


「さて、どうぞハビエル支部長。ご検分を」


 ハビエルは最初蒼い顔をしていたが、毛皮を検品し始めるとすぐに商人の顔つきに戻った。

 体長が5mにもなるダイアウルフの毛皮なのでかなりの重労働だが、商会員の手を借りながら子細に品質の見極めを行っていた。


「戦闘痕があるものも多いですが、全体的には驚くほど状態がよいですな。ボスの毛皮もこれまで世に出た中では最大級の大きさなのは断言してよいでしょう。しかし何よりこの漆黒の毛皮……」


「シャドウライダーです。どうやら群れのナンバー2だったようですね」


「これは非常に希少価値の高い品です。そもそも出会うことが稀ですし、たとえ討伐されても大抵毛皮は消し炭のように傷ついていることがほとんどです」


 あのスピードで影に潜みながら襲ってくる敵と馬鹿正直に真正面から戦おうという者はあまりいない。

 ではどうするのかというと、高火力の広域魔法で姿を見せた瞬間焼き尽くすわけだ。


「大変素晴らしい。さすがはあの……」


「何でしょう?」


「あ、いえいえ」


 わたしが先を促すと、ハビエルは慌てたように言葉を濁した。

 ふん、他人のことは言えないがこいつも随分と白々しいな。

 猿芝居はお互い様というわけか。


 一通りの検品が終わると、ハビエルは懐からそろばんを取り出して手早く計算してから買取金額を告げた。


「まずは金貨八枚と銀貨七十枚。これはシャドウライダーの毛皮を除いた金額です。加えて金貨三十枚。こちらはシャドウライダーの分ですな。しめて金貨三十八枚銀貨七十枚で買い取りをさせて頂きます。むろん、支払いには王国金貨と銀貨を用います」


「ほう。随分色を付けて頂いているように感じますが」


「正当な評価額と考えております。このハビエル、ラバルでの商業権に懸けて誓いましょう」


「……ま、こちらは適正価格で買い取って頂けるなら文句はありません。では書類を」


 わたしが言うとハビエルは部下に羊皮紙を持ってこさせて売買契約書を作成し、内容確認の上で双方の署名を入れた。

 こういう面倒くさい手続きをせずに済む、というのもギルドに仲介してもらう利点の一つだ。

 そもそも学がない探索者は大抵条件や額を誤魔化されたりして損をする。


 契約書の作成も終わり、物品はこのまま引き渡すことになるので後はこちらが金銭を受け取るだけだ。

 ハビエルはやはり部下の商会員に指定の金額を持ってくるよう伝えた。

 指示を受けた商会員の一人が支部長室を出て行き、わたしたちとハビエルは向かい合ったまま金が届くのを待つ。


「僭越ながら、実はあなた様のことはこの度の取引以前から存じ上げておりました」


 ハビエルが意を決したようにこちらをまっすぐ見て切り出してきた。


「おや。このような大商会が一介の探索者風情にそこまで注目なさっていたとは」


 わざと驚いたふりをしてやると、ハビエルはどこかしたり顔を浮かべてこちらの言葉を否定した。


「いいえ、もちろん探索者としてではございません。フェルンバッハ侯爵令嬢」


 こちらが動揺するのを見逃すまいとしているのか、ハビエルの眼差しはわたしの顔に張り付いて離れない。


「ヒューベンタール神聖帝国、上級近衛騎士。黒曜姫、あるいは金眼の戦乙女と民草や吟遊詩人に謳われ、また敵対者からは戦烈鬼と恐れられる。まさか直にお目にかかれる日が来るとは光栄の至りにございます」


 つらつらとハビエルが並べ立てたのは、すべて祖国でのわたしの肩書や異名だ。

 やはりこちらの素性を知った上で接触してきた口だな。

 わたしは背後に立つブリュンヒルデを何もしないよう手で制してから、得意げな表情のハビエルをじっと見つめ返した。


「隠してもいない情報を得意げに開陳してそんなに嬉しいか? 商人風情は単純で羨ましいことだ」


 言葉遣いを繕う必要もなくなったので、わたしは常の横柄な口調でハビエルの鼻面を殴りつけることにした。


「お目にかかれて光栄だと? よもやそんな下らん理由で呼び出されるとはな。しかしまあ良い。金が届くまでなら差し許す。存分に見よ」


 顎を少し持ち上げ、抑えつけるようにハビエルを睥睨する。


「侯爵令嬢、わたくしは……」


「この姿を眺める以外に望みがあると?」


 ハビエルの額には大量の脂汗が浮いていた。

 スルバラン自由王国では気風として商人の力が強い。そしてエスコバル商会くらいの規模になれば貴族との取引などは日常茶飯事に行っているはずだ。

 ハビエルもそこいらの貴族であれば対等以上に渡り合う才覚を持ち合わせているのだろう。


 そこへ現れたのがわたしだ。

 国を追放され、郎党を抱えて探索者稼業に身をやつしている元騎士にして貴族令嬢。


 己が商会で飼い馴らすにせよ他者へ売り渡すにせよ、見逃す手はない。

 前世風に言えばカモがネギ背負ってやって来たどころの騒ぎじゃない。コンロも鍋もその他の具材も全部取り揃えてまな板の上で寝そべっているようなものだ。


 だが、勘違いしてもらっては困る。

 わたしはどこの誰にも美味しく頂かれるつもりはないし、現状をどうにかするために誰かに媚を売るつもりもない。


「ハビエル支部長。わたしの立場はそなたも知っての通り複雑だ。ゆえにわたしが望むのは対等な取引、ただそれだけである」


「は……」


「ここにいるのはただの探索者エレオノーラとその一党だ、と認識せよ。幸いに腕は立つ。厄介な依頼も条件次第では請け負うてやれる。だが、我らを利用しようとするな。神聖帝国はそなたらが思うほど甘くはなく、そしてまたヒューベンタールの勇者は真正の怪物だ」


「勇者……でございますか」


「すでに調べは付いていよう。わたしは勇者の片腕を斬り落とした。引き換えに腹に風穴を開けられ、全身を燃やされたがな。皇帝陛下の取り成しがなければ今ここで喋ってはおらん」


 わたしは一度ハビエルから視線を外し、自分の腹を見下ろした。

 今でこそ傷痕一つ見当たらないが、今でもあの体が冷たくなっていく感覚をまざまざと思い出せる。


「ゆえにわたしを餌に帝国と取引できると思うな。スルバランに屍山血河を現出させたくはなかろう」


 今や顔面蒼白となったハビエル支部長を若干哀れに思いながら、わたしはさらに付け加えた。


「皇帝陛下からは今後帝国に係わらぬ限りわたしの動向に関知せぬと免状を頂いている。勇者も西の魔王討伐のため聖騎士団を率いて戦っている。余計なことさえせねば何事も起きぬのだ」


 ここまで話したところでようやく毛皮の代金を持って商会員が戻ってきた。

 金を受け取ったわたしが立ちあがると、慌てたようにハビエルも席を立った。


「今の話、ゆめ忘れるでないぞ」


「はは、かしこまりました……!」


 直角に頭を下げるハビエルのつむじを見下ろし、もう一つだけ付け加えてわたしは部屋を退出した。


「此度はよい取引であった。またな」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る