どちらかというと猫派②
陽光の間は何もしていなくても汗ばむ程度に暖かい。
基本的に地下空間というのは冷えるものだが、陽光石の恩恵を受けているこの空間は別だ。
地面のほとんどは膝ほどの高さの草に覆われている。
外界から迷い込んだ魔物や動物の糞に未消化の種子が含まれていたか、あるいは探索者の靴裏にでも付着していたのか。
低木もそこかしこに生えており、陽光の間は完全なる草原の様相を見せていた。
「何とも非常識な……」
「陽光石っていうのがここだけじゃなくてダンジョン中にあれば、もっと探索しやすいんですけどね」
思わず零したわたしの呟きをテオドールが拾う。
まったくもって彼の言うとおりだが、空気の循環に乏しい地下空間がこれだけ暖かいとそれはそれで問題が多そうではある。
「見られてますな」
バルタザールがふんふんと鼻息を荒くしながら、落ち着きなく周囲を見回している。
「一瞬だがあちらに影が見えた。かなりの大きさだ」
ブルーノが低い声で応じながら弓である方向を指し示した。
そこは草原の中でもちょっとした高台になっている場所だった。
「高所から隠れて我らを観察か」
「アルファですかねぇ」
狼の群れは通常アルファと呼ばれるボスに率いられる。魔物とはいえ狼としての習性の多くを引き継いだダイアウルフもそうした群れを作ると先人の記録にはある。
「これだけ仲間を殺されて向こう見ずな行動に出ないからには、相当に知恵が回る相手なのは疑いようがない。油断はできんな」
一頭一頭を見ればドラゴンなどとは比べるべくもない非力な存在だが、優秀なボスに率いられた群れを一己の個体と見るならば侮るわけには行かない。
「草陰に隠れられるほど奴らの体は小さくはないが……」
バルタザールの魔法で草原を焼き払うことを一瞬考えるが、炎に巻かれてこちらも焼け死ぬか酸欠で死ぬかどちらかだとすぐに思念を放棄する。
「連中を探し回るのは体力を消耗するだけだ」
矢を軽く番えて周囲を警戒するブルーノの言葉にわたしも首肯する。
「ブルーノの言うとおりだな。こうなったら釣りをするか」
「釣り?」
不思議そうに首を傾げる純粋なテオドールから顔を逸らし、ブルーノとバルタザールに指示を出す。
「そこらへんに転がっているダイアウルフの中から、まだ息がある奴を探してくれ。いなければ一番状態がいい死骸だ」
わたしが何をしようとしているか気付いたのだろう、テオドールが悲しげに顔を伏せた。
瀕死の仲間を痛めつけることで残りのダイアウルフをおびき出すという行為が、とても残酷で無慈悲な所業であることはわたしだって承知している。
きっと前世のわたしのままならこの行いを唾を飛ばして非難しただろう。
しかし、今のわたしは違う。
ブルーノとバルタザールは何も言わずわたしの指示に従った。
すれ違う時、俯いたままの優しい少年の肩を軽く叩いていく。
わたしは二人の背中へ軽く目礼し、声をかけた。
「不意打ちに気を付けろ」
軽く手を上げて応じるブルーノたちを見送り、わたしはテオドールのそばへ近寄った。
「わたしたちは周囲を警戒だ。できるな、テオ?」
「……はい」
顔を上げたテオドールにはまだ迷いがあるようだった。
二年近く前にわたしに連れられて祖国を出てから様々な経験をしてきたはずだが、彼が生まれながらに持っていた純粋さと優しさは少しも損なわれていないように感じられる。
むろんそれは人間として稀有な美質だが、このような過酷な世界でわたしたちのような命のやり取りをする稼業にある者としては、生きにくいに違いなかった。
「エル。必要なことなんですよね」
「そうだ。わたしだって奴らを苦しめることを楽しんでいるわけじゃない」
率直に答えると、テオドールは何度か自分を納得させるように頷いてから言った。
「分かりました」
「いい子だ」
テオドールの柔らかい巻き毛を撫で、周囲の警戒に入る。
ほどなくしてブルーノたちが一頭の瀕死のダイアウルフを見つけた。
そのダイアウルフは鼻面を砕かれ、全身も氷の礫に貫かれた状態で岸壁の近くに横たわっていた。
浅く小刻みな呼吸で弱々しく胸が上下している。
放っておいても死にそうなので、やるならば急がねば。
「場所が悪いな。動かすか」
「でもエル、ここなら壁を背にして戦えますよ?」
わたしの言葉にテオドールが疑問を呈す。
一見すると壁を背にすれば敵の攻撃方向を限定できるので悪くない手のように思える。だがわたしはかぶりを振って彼の言葉の問題点を指摘した。
「一番最初、ダイアウルフが上下逆さまに壁に張り付いていただろう。真上から奇襲を食らいたくないからな。もっと見晴らしがいい場所へ移動させよう」
ブルーノに合図し、ダイアウルフの尾を二人がかりで掴む。
瀕死とはいえ、魔物は死ぬまで何をしてくるか分からない。わずかな動きも見落とさないよう注意しながら開けた場所へ運び始めたが、まだ数mと進まないうちに身の毛のよだつような狼の遠吠えが聞こえてきた。
「エル!」
テオドールが緊張したような声を上げる。
「ああ。思ったより堪え性がなかったな」
というより、それほどまでに仲間思いなのかもしれない。
人類の敵対者たる魔物とて必死に生きているに過ぎない。わたしたちがこの空間に踏み込まねば奴らは今日も普段通りに過ごせたろうに。
気が滅入ることこの上ないが、しかし今考えることではない。
わたしは剣を構え、仲間たちに指示を出した。
「ブルーノとバルタザールはわたしとテオドールの間に入れ」
我々が簡単な防御陣形を取っている間も遠吠えは続いている。
やがて高台の背後から四頭ほどのダイアウルフの一団が姿を現し、次いでそこから90度ほど離れた場所から別の四頭がこちら目指して疾走を始めた。
「挟撃するつもりのようだ」
「高台側の集団のほうが近いな。時間差まで付けてくるのか」
ブルーノの言葉にわたしも続ける。
怒りに我を忘れて飛び出してきたようでいて、決してそうではない。やはりこの群れのボスは賢い。出し惜しみなしに片付けないと相手のペースに呑まれてしまう恐れがある。
「バルタザール。高台側を任せる」
「わたくし一人でですか?」
「そうだ。わたしとテオドールがもう片方の集団を受け持つ。ブルーノは援護しろ」
「了解した」
「分かりました!」
全員に指示を出し、それぞれが担当する集団へ向けて展開する。
高揚しているのか少し荒い息遣いを繰り返しているテオドールの隣に立ち、わたしは静かな声で付け加えた。
「それからボスがまだ姿を見せていない。今奴が現れたらわたしかテオ、どちらかが相手をするぞ」
「……はい」
「心配いらん。お前は強い」
比較対象がわたしたちなのでテオドールは自己評価が低いきらいがあるが、生半な鍛え方をしてきたつもりはない。
成長すればきっとわたしよりずっと強くなれるだろう。
「来ました!」
話している内にすでに地面を蹴る音が聞こえてくるほど狼たちは近づいて来ていた。
わたしとテオドールは重心を低く構え、わたしは頭上に高く振り上げる上段に、テオドールは右足を下げて剣身を後ろに引いた脇構えを取る。
「もう少し引き寄せろ。もう少し……今だ、行くぞ!」
合図と共にてテオドールの喉奥から裂帛の気合が上がった。
「裂空剣!」
後方から一気に振り抜いた剣の軌跡をなぞるように、鋭利な衝撃波が空を走った。
前世風に言うならば、飛ぶ斬撃という奴だ。
文字通り目にも留まらぬ速さで繰り出されたテオドールの斬撃は、先頭を走っていたダイアウルフの四つ足を綺麗に斬り落とした。
まずは一頭。
残るは三頭と姿を見せないボス。いや、他にも伏兵が潜んでいるかもしれん。
上段に構えたわたしの剣が黒く染まり、無数の鋭い棘に覆われる。
「金剛剣・黒茨」
テオドールの裂空剣とブルーノの矢をすり抜けて躍りかかってきたダイアウルフの鼻面に渾身の一撃を食らわせる。
血肉と毛皮が剣閃に合わせて飛び散り、ダイアウルフが苦悶の鳴き声を上げた。
顔面を半分失いながらも相手はその場から飛び退き、攻撃の機会を窺おうとする。しかしそこへブルーノが放った矢が飛来し、獣の足と地面とを強力に縫い止めた。
たかが一本の矢を振りほどけないことに困惑しているダイアウルフの頭上へ無慈悲な一撃を振り下ろし、とどめを刺した。
わたしが一頭を片付ける間にテオドールがもう一頭を細切れにしていた。
勝利には代えられないが、おそらく今のテオドールの頭からはダイアウルフの毛皮回収のことは抜け落ちているな。
仕方があるまい。
戦場の高揚を制御するのは難しい。こういうことはとにかく経験を積むしかないのだ。
さて残る一頭、とわたしが剣を構えたところで生き残ったそいつの目玉と鼻、喉元にとんとんとん、と軽やかに矢が突き立った。
射抜かれたダイアウルフは動きを止めて立ち尽くしたかと思うと、糸が切れたように横倒しに倒れ伏した。
まったく鮮やかなものだ。
ブルーノの手並みを称賛してわたしが頷いてみせると、彼は何でもないことのように片手を上げて応じた。
ところでバルタザールのことは別に心配していない。
戦闘開始直後にずいぶん派手な魔法をブチかます音が聞こえていたが、すでにバルタザールが向かった方向は静まり返っている。
「後はボスのアルファ」
わたしとテオドール、ブルーノが一か所に集まり、互いの死角を埋めるよう陣形を作る。
テオドールの息がやはり荒い。肩をかなり上下させている。
この様子ではアルファの相手は……。
思考は唐突に中断させられた。
反射的に体の側面へ置いた剣身に凄まじい衝撃が加えられる。
真横から殴りつけられたのだ。
とっさに防御しなければ鋭い爪で輪切りにされているところだった。
殴られた衝撃で中空を吹き飛ばされながら、遠くからこちらに駆けつけようとしているバルタザールに大声で呼びかける。
「報告!」
「影です、姫様!」
バルタザールの叫びを受け、わたしは地面に落ちる自らの影を見下ろした。
するとそこから、一頭の真っ黒い狼が顔を現した。
「シャドウライダー!」
ダイアウルフの突然変異種。
影に潜み獲物を食らう魔法獣だ。
こんな奴がいるなんて依頼書には記載がなかったが、調査不足に今文句を言っても仕方があるまい。
不測の出来事に対処してこそダンジョン探索者だ。
吹き飛ばされながらも手放さなかった剣をしっかりと握り直す。
交錯と同時にその黒い体を打ち砕いてやる。
わたしの影から完全に姿を現したシャドウライダーはいまだ空中にいるわたしに飛び掛かろうと両前脚を前方に繰り出しながら跳躍の構えを見せた。
と、そこへ新たな遠吠え。
視界の端にかすかに引っかかるのは、他のダイアウルフより一回り以上大きな個体だ。
あれがアルファに違いない。
とすると、こいつはそれに次ぐベータか。
「三人でアルファを倒せ! わたしはこいつを殺る!」
こちらを噛み砕こうと開かれた顎をブーツの裏で押さえ込み、強靭な筋肉に覆われ硬く鋭い爪が生えた前脚に自身の両腕で組みついて、わたしはそのまま自由落下に身を任せた。
「エル!」
地面への衝突はなく、わたしとシャドウライダーはそのまま水中へ潜るように影の中へ落ちた。
影の中は陽光の間がそのまま白黒反転したような、とても奇妙な空間だった。
おそらくは奴の能力によって作られた魔法空間。
殺せば解除されて外に出られるだろう。
「剣を落としてしまったが、仕方ない」
徒手空拳となった自らの両腕に視線を落とし、小さく呟く。
武器を落とすとはわたしもまだまだ未熟だが、他に戦う術がないわけではない。
わたしは大きく胸を膨らませて息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「体が軽いから徒手空拳の戦いはあまりしたくないんだがな」
どうせならブルーノたちのような大男に転生したかった。
いくら乳や尻が大きくても戦場では何の役にも立たん。
今さら言っても始まらんが。
右手右足を前に出し、半身になって重心を低く落とす。
「……金剛拳」
キン、という澄んだ音と共にわたしの全身が硬質な薄鎧に覆われる。
昔は騎士ならば武芸百般を修めよと父上やら騎士団長やらにさんざっぱら扱かれたものだが、どんな経験でも危地を救う術にはなり得るものだ。
ちなみにわたしの使う技は水神剣も金剛剣もゲームやラノベで言うところのいわゆるスキルで間違いないのだが、その習得法はただひたすら修練あるのみというものだ。
転生者特典などというものはこの世界にはない。
少なくともわたしには。
せめて庶民に生まれていれば、もう少し平凡で穏やかな一生が送れたに違いない。
その代わり、テオドールにも他の仲間たちにも出会えなかっただろうが。
どちらがいいかなど、考えるまでもないな。
「来い!」
右足で真っ黒い地面を打ち抜き、相手を誘う。
仲間を皆殺しにされた憎しみか、鼻面に幾重もの深い皺を刻んで牙を剥き出したシャドウライダーは、弾丸の速度で突っ込んできた。
魔力視を最大に強化してもかすかにぶれる影しか見えない。
かろうじてガードが間に合った腕に鉄よりも鋭い爪がぶち当たった。
ギャリギャリという硬質で耳障りな音が響き、わたしは十m以上ふっ飛ばされた。
つくづく軽い体が恨めしい。
「だが貴様の攻撃も軽い!」
跳ね起きたわたしは追撃を加えようと顎を大きく開いて迫るシャドウライダーにカウンターを食らわせてやった。
繰り出した右拳には金剛石と同等の硬度を誇る棘を生成している。
上顎を深く抉られ、シャドウライダーは首を振りながら後ずさった。
再び右手右足を前に出す構えを取る。
ゆっくりと息を整え、半眼になって視界全体を視るとなしに視る。
どう足掻いてもシャドウライダーの動きの方が速いし、目を凝らしたところで影しか捉えられないのだ。
ならば肉を切らせて骨を断つしかない。
俯いて首を振っていたシャドウライダーが顔を上げた。
と同時に前脚がぶれた。
絡め取るように両腕で相手の攻撃を受け止めたわたしは、勢いを上手くいなしてするりと体を入れ替えた。
シャドウライダーが憎々しげに吠えた。
後ろ脚に力を溜めて飛び掛かってきたので間一髪屈みこんでかわす。
着地したシャドウライダーは素早く方向転換し、そして唐突に姿を消した。
ここだ!
わたしの背後、足元の真っ黒い地面からシャドウライダーが飛び出してくる。
シャドウライダーのとっておきの能力、この空間でいつ使うのかと待ち構えていたぞ。
間合いの内側からこちらに組み付こうとしてくるシャドウライダーの体に、逆に自分の方からぶつかっていく。
鋭い爪をかわし、黒い毛皮に覆われた太い首へ両腕を回して全力で抱き着きながら、捻りを加えて押し倒したのだ。
「グロォォォン!」
シャドウライダーがくぐもった咆哮を上げた。
金剛鎧で覆われた腕で相手の首を絞め上げながらも、わたしはこの状況がそう長くは持たないことを理解していた。
躊躇する者は死ぬ。
わたしはエレオノーラとしてこの世界でその事実を学んできた。
「やっ!」
短い掛け声と共に、わたしの全身から無数の鋭い棘が飛び出してきた。
棘はシャドウライダーの頑丈な毛皮も引き締まった肉も貫き通した。
甲高い悲鳴を上げたかと思うと、やがてシャドウライダーの体が脱力する。
立ち上がったわたしは光を失った敵の瞳をじっと見下ろしながら、心の中で独り言ちた。
別に謝ったりはしない。
わたしと仲間たちが生き延びるため、お前はここで死んだんだ。
物言わぬ狼の死骸を眺めていると、魔法空間にひび割れが生じ始めた。
元の空間への帰還はあっけないものだった。
一瞬視界が白く塗りつぶされたかと思うと、わたしとシャドウライダーの死骸は元の陽光の間に存在していたのだ。
「エルー!」
呼び声がしたかと思うと、テオドールが一目散に駆け寄ってきた。
どうやらアルファも無事に倒したらしい。
テオドールだけじゃなくブルーノとバルタザールがいる時点で疑ってはいなかったが。
体ごとぶつかってきたテオドールを受け止め、抱き締めてやる。
最近は彼の方からこうして触れてくることは珍しい。逆はともかく。
「ご無事で何よりですな」
魔法杖の石突で地面を突きながら、バルタザールが近づいて来て言った。
「無事に決まっている。これはどういう状況だ?」
いまだわたしに抱き着いたままのテオドールを指し示して訊ねると、バルタザールだけでなく何故かブルーノまで呆れたような表情を浮かべた。
「何だ、お前ら。その顔は」
「もちろんテオは姫様を心配していたのですよ」
「心配? 大げさだな。わたしはあの程度では死なん」
「そうでしょうとも。しかしそれとこれとは話が別という奴でして、ハイ」
バルタザールの言葉にブルーノも小さく頷いている。
心配。
いや、確かに不測の事態というのはいつもで起こり得る。
大切な者が危険を冒しているならば、心を揉んで当然か。
「……そうか。心配をかけてすまなかったな。お前も無事でよかった」
「はい」
テオドールがわたしの胸元に顔を埋めたままくぐもった返事をした。
自分の胸に埋まったテオドールの頭頂を眺めて、わたしは何だか笑いが込み上げてきた。
いやまあ、金剛拳はすでに解除しているがそれでも金属プレートを貼り付けた革鎧を身に着けているので、微塵も柔らかさは感じないだろうが。
「ともあれ討伐はこれで終わりだな。ただいま、テオ」
「はい。おかえりなさい」
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