第11話 お隣さんと蟹味噌甲羅焼き

「アンタら、ハイジアが酔ったところみたことある?」


 昼下がり、お隣さん家のコタツ部屋に集まる。

 いまの面子は女騎士マリベル、なんちゃって女魔法使い杏子アンズ、それに俺だ。


 俺たちは今日も好き勝手に酒を飲む。

 実にマッタリとした雰囲気だ。


 そんな中、俺は口を開いた。


「ハイジアが酔ったところって、見たことないよな」

「うむ。そういえば、確かに見た覚えがないな」

「えっと、私もちょっと、見た記憶がありませんねー」

「だろ? 俺もだ」

「だが、それがどうしたと言うのだ?」

「いや、単なる興味だ。なんつーか、ハイジアって酔うとどうなるのかなってな」


 マリベルは炬燵に足を突っ込みなが、手酌で温燗ヌルカンをぬるぬると飲んでいる。

 肴はホタルイカの沖漬けだ。


 マリベルは温燗をグイッとやってから、薄くスライスした胡瓜に沖漬けを乗せて摘む。

 その姿は女騎士と言うより、さながら場末の居酒屋のオッさんである。


「そんな酔ったからといって、そうそう人の振る舞いなど変わるものでもあるまい」


 女騎士マリベルはそう言って、温燗をもう一度クイっとやり、「くはぁ! たまらぬ!」と熱い息を吐いた。


「いやいや、そんな事ねーって。実際、マリベル、アンタは酔うと人が変わる」

「そんな訳あるまい」

「ほんとだって」

「ふむ、なら言ってみろ。どういう風に変わるのだ?」

「なんつーか、馬鹿面になって呆けだすな」


 俺は無自覚なマリベルに、真実を突き付けた。


「ッ、なっ!? そんな筈があるまいッ!」

「いや、マジマジ」

「嘘をつくでない!」

「ホントだって、なんなら真似してやろうか?」

「ふん、いいだろう、やってみろ!」

「よし、なら今から呆けるから、少ししたら俺に声をかけろ」


 俺はマリベルにそう言って、ポケーッとした顔をする。

 マリベルは「ぐぬぬ」と歯を鳴らしながら俺の名を呼び掛けてきた。


「おい、コタロー」

「………………んあ?」


 俺は酔ったマリベルの真似をした。


「うわー、虎太朗さん、マリベルさんにそっくりですね!」

「わ、私はそんな酔い方はせんわッ!」

「いや、マジでこんなだから」

「ですねー、ほんっとマリベルさんそっくりでした!」

「で、酔って剣を抜いたりな、タチわりぃー」

「ぐぬぬぬ、……なら、お前はどうなのだ、コタロー!」

「俺? 俺は酔わないから変わらん」

「えー、本当ですかー?」

「おのれ、一人だけいい子振りよって!」

「そういや、杏子ちゃんも酔うと相当人が変わるよな」


 俺は杏子にそう言った。


「うむ、そうだ! 何も私が特別酒癖が悪いわけではない!」

「ええーッ? 私、酔っても変わらないですよー?」

「で、アンズはどういう風に変わるのだ、コタロー?」

「なんつーかな、こう、陽気になる感じだな」

「別にそれなら構わんではないか」

「いや、つか、ちょっとウザい感じの陽気さなんだよ」

「えっと、それは、どんな感じに変わるんでしょうか?」

「例えばだな、『コタロぅさぁーん、きゃは!』とかそんな感じだな」


 俺は無自覚な杏子に、真実を突き付けた。


 杏子は「そんはこと言わないですよー」と言ってワタワタした。


 俺たちは、女吸血鬼ハイジアを酒に酔わせる作戦を練る。


「で、具体的にはどうするのだ?」

「そりゃあ、飲ませまくるしかないんじゃねーの?」

「それだといつも通りじゃないですかー」

「私に、良い案がある」

「おう、どんな案なんだ?」

「拘束して無理やり飲ませよう」

「却下だ!」

「はいはーい! お酒に目薬混ぜちゃうとか!」

「それも却下だ、却下!」


 なんつー恐ろしい発想をするヤツらなんだ。

 俺はガクブルと震えた。


「じゃあ、どうするんですかー?」

「そうだぞ、お前も案を出せコタロー」


 マリベルと杏子が俺に詰め寄る。


「お、おう。いいものがある。俺に任せろ」

「いいもの、ですか?」

「ああ、これだ」


 俺は今日の肴にと持参したそれを、コタツテーブルに取り出した。


「ん? なんだ、これは?」

「これはな、蟹の甲羅(味噌入り)だ」

「あ、私、カニ大好きです! お酒がすすみますよねー」

「おう、でな、これで作るんだよ、『蟹味噌の甲羅焼き』をな」




「おはようございます、ハイジアさん!」

「おはようハイジア。さ、ここに座れ!」

「おう、ハイジア。取り敢えず気つけの一杯、グイッといっとけ!」


 ハイジアが起き出してきた。


「……なんじゃ貴様ら。今日も朝から喧しいのう」

「いや、もう昼過ぎだからな」

「……昼から喧しいのう」

「そんな事より、ハイジアよ、早くここに座れ」

「分かったから、そう急かすでない」


 ハイジアは俺たちに背を押され、炬燵に座る。


「テレビテレビ、……アンズよ、そこのリモコンを取るのじゃ」

「どうぞー」

「随分テレビが気に入ったみたいだな」


 俺はハイジアに日本酒を注ぐ。


「おっとっと、そのくらいでいいのじゃ」


 ハイジアは日本酒をクイっと煽る。


「ハイジアさんはどんな番組を観てるんですかー?」


 杏子がハイジアに焼酎を注ぐ。


「宝具の販売番組じゃな。知っておるかぇ? いま妾が一番注目しておるのは、使用者を真の眠りに誘うトルースリーパなる宝具じゃ」


 ハイジアは焼酎を一息に飲み干して、「ぷはぁ」と息を吐いた。


「ほう、そんな宝具があるのか。だが、ハイジア。そんな宝具を使おうものなら、お前、夜まで起きなくなるのではないか?」


 マリベルはそう言ってハイジアに缶ビールを手渡す。

 ハイジアはプルタブをカコンと開き、ゴクゴクと喉をならして缶ビールを飲んだ。


「ぷはぁ、なんじゃ貴様ら、今日は随分と気前のよい奉仕ぶりじゃの? もしや、ようやっと妾の偉大さに気が付いたのかぇ?」


 ハイジアは調子に乗った。


「……お、おう。その通りだ。ハイジアは偉大っつーか、凄いっつーか」

「そ、そうですよね! うわぁ、ハイジアさん凄いなぁ、うわぁ」

「う、うむ。さすが魔王級の吸血鬼だ。凄いなー」


 俺たちは中身のない「凄い」を連呼しながら、代わる代わるハイジアに酒を飲ませた。

 日本酒、焼酎、ビール、日本酒、焼酎、ビールの波状攻撃だ。


「ふは、ふはははは! 真なる闇たる偉大な妾に酌が出来る事を光栄に思うがよい! ふはははは!」


 ハイジアは益々調子に乗って、鼻を高くし薄い胸をはって次々と酒をちゃんぽんした。




「ふぬ、そろそろ少し酔いが回ってきたのぅ」

「まま、そんな事を言わずに、ほら、もう一杯日本酒どうだ?」

「いや、妾はもう酒はよい」

「……本当にいいのか?」

「ん?」

「これを見てもまだ、酒はもうよい、なんて言えるのか?」


 俺はあらかじめ熱しておいた卓上七輪に、蟹の甲羅(味噌入り)をおいた。


「なんじゃそれは?」

「『蟹味噌の甲羅焼き』だよ」

「蟹味噌の甲羅焼き……」

「ああ、最っ高の肴だよ」

「それは、そんなに旨いのかえ?」

「つか、単品でも相当旨いが、なんつーかこいつは、最高に日本酒に、……合うッ!」


 七輪の上では蟹味噌がクツクツと煮え始めた。

 甲羅の端で味噌が焦げ付き、ジュッ!っと音を立てる。


「ゴクリ」


 誰かが喉を鳴らす音がした。

 もしかすると俺の喉かもしれん。


 コタツ部屋に、蟹の甲羅が炙られる香ばしい香りが立ち込める。

 その香りだけでも旨い肴になりそうな程だ。


「……な、ハイジア。もう一度だけ聞くぞ?」

「う、うむ」

「日本酒、もう一杯どうだ?」


 ハイジアは七輪の上の蟹味噌甲羅焼きから目が離せない。


「も、もう一杯、もらおうかの……」


 夜魔の森の女王、真祖吸血鬼トゥルーヴァンパイアのハイジア。

 その誇り高き闇の支配者は、蟹味噌甲羅焼きの魔力の前に、膝を屈した。




「どうだ? 旨いか?」

「旨いなんてモノではない! 口に含むとまず口腔を駆け抜ける風味豊かな磯の香りと香ばしいカニの香り、次に少しだけカニ身の繊維を残してトロトロッと舌で溶けてゆく味噌の濃厚な味わい! 残った余韻を日本酒で洗い流すと再び口腔を襲い来る新たな旨味! 極楽、まさに極楽よ! 我、ついに涅槃に至れり!」

「……お、おう」


 ハイジアに甲羅焼きの感想を聞くと、マリベルが横から急に叫びだした。

 俺は軽く引き気味になる。


「でも、本当においしいですよー。日本酒がすすみますね!」

「そっか、杏子ちゃんも、いっぱい飲め飲め」

「はーい! ありがとうございます!」

「で、ハイジア、アンタの感想は?」


 俺は今日の本命、ハイジアに改めて尋ねた。

 ハイジアは俯きながら顔を背ける、肩を震わせている。


「……こ、このくらいの美味なら、夜魔の森の我が居城で、我が、我が居城で、我がわが」


 ハイジアは壊れたスピーカーの様に「わがわが」と言いながら、ニヤけそうになる顔を我慢していた。


「気に入ったみたいだな。ほら、ハイジア、日本酒もう一杯いっとけ」

「うむ、しゅまぬの、ヒック」

「いいって事よ」


 俺はそう言って、次から次へとハイジアに酒を飲ませながら、ニヤリとほくそ笑んだ。


 ハイジアの顔が赤く染まる。

 酒気を帯びた息を「ほう」と吐き、色っぽいため息をついた。

 なんつーか、この女吸血鬼は見た目12、13歳のガキンチョのくせに、妙な色気があるな。


「おい、ハイジア、もう一杯だ」

「も、もういらにゅ、わらわはもう酒はのめぬ」


 ――――キタッ!!


 この時を待っていた。


 俺は少しの味噌を残して空になった蟹の甲羅を、丹念に七輪で炙る。


「コタリョー?」


 ハイジアが可愛らしい仕草で首を捻った。


「まあ、少しだけ待て、これでトドメ、……いや最後の酒だからな」

「うん、わらわ、まつ」


 俺は丹念に炙って水気を飛ばした蟹の甲羅に日本酒を注ぎ、七輪の上で温めた。


 甲羅からは日本酒の甘い香りと蟹の香ばしい香りが混ざった、なんとも堪らない香りが溢れる。


「さ、出来たぞ。『蟹の甲羅酒』だ」


 俺はトドメの酒をフラフラになったハイジアに差し出した。




「はぁー、やっと妻の拘束から逃げ出す事が出来たよ!」


 時刻は夕方。

 大家さんがそう言いながらコタツ部屋に顔を出した。


「おう、大家さん。なんつーか久しぶりっすね」

「うん、ちょっとしばらくここに入り浸ったからって、妻が怒り始めてね、捕まってたんだ」

「あちゃー、それで奥さん、許してくれたんすか?」

「抜け出してきたよ」

「怒られないっすか?」

「漢には例え妻を泣かせても、成し遂げないといけない事があるからね」

「つか、カッコ良く言っただけで、単に酒盛りがしたいだけだろ、オッさん」

「ははは、バレちゃったか! 虎太朗くんは鋭いね!」


 俺と大家さんは「ははは」と笑い合う。


「で、虎太朗くん、どうしたんだい、これは?」


 大家さんはコタツ部屋を眺める。


 コタツ部屋では、女騎士マリベルが日本酒の一升瓶を胸に抱えながら、壁に向かって「……んあ」とやっていた。


 その直ぐそばで、女魔法使い(笑)杏子はイラっとする甲高い声で「キャハッ!」と笑いながらポーズを決めていた。


「いや、ちょっとみんな飲み過ぎたんすよ」

「ほう、楽しんだんだね」

「ええ。つか、大家さんも、もう少し早く来たら良かったのに」

「ん、残念だけど、次の機会に期待するよ」


 俺は大家さんに「そうっすね」と応えた。


「で、それはどうしたんだい、虎太朗くん」


 大家さんが俺を指差す。


「なんつったらいいかな、アレっすよ、今日の勝利の証、戦利品っす」


 大家さんの指差す俺の膝の上。

 そこには酔っぱらって赤くなったハイジアがいた。


「えへへー、わらわにゃ、コタリョーのこと、だいすきなのじゃー」

「……ああ、ハイジアは、可愛いなぁ」

「コタリョーも、わらわのこと、すきかえ?」

「ああ、もちろんだ!」


 酔っぱらったハイジアはとんでもなく可愛いかった。

 これは最早いつものハイジアとは別の生き物。

 いうなれば『ハイジアたん』だ。


「コタリョー?」

「なんだい、ハイジアたん?」


 俺たちは見つめ合い、「ふふふ」と微笑み合う。


 俺はハイジアたんを膝の上に乗せて愛でながら、「これからは積極的にハイジアに酒を飲ませていこう」と、心に誓ったのであった。

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