第六十三話 決別の刻

 ――「お前は、この先俺みたいにはなるなよ」――




 ウッズをモンスター化させている元凶たる《憑怪の石》を、《衝撃拳フル・インパクト》でたたき砕く。


 パキン!


 涼やかな音と共に《憑怪の石》は粉々に割れ砕け、黒紫色の粒子が四散してゆく。


 


 それと同時に、確かにウッズの声のようなものが、はっきりと聞こえた。




 「……え?」と呆けたように声を上げた僕は、ウッズの胸部に拳を突き立てたまま、彼の顔を見る。


 モンスター化したウッズは、人間のときですら一度も僕に見せなかった、悲哀ひあいに満ちた表情をしていた。




 ど、どうして?


 それを口に出す前に、拳から放たれた衝撃波が、ウッズの身体を突き抜けた。




「……ガハッ」




 口からどす黒い血を吐いたウッズは、その勢いのままに後方へ飛んでいき、飛んでいった先にあった岩山に背中からたたき付けられた。




 《憑怪の石》を砕いた影響だろう。


 モンスター化していた身体が、ゆっくりと元に戻っていく。


 しかし、人間としての生気は感じない。


 身体が戻っていくだけで、モンスター化により食い潰された魂までは戻らないんだろう。




 早晩そうばん、ウッズは死ぬ。


 


(せめて、最後の言葉の意味を……)




 僕は落胆し、肩を落とす。


 しかし、次の瞬間。まだその心残りが潰えたわけではないことを知った。




「……エ、ラン」




 壁に埋まったまま、ウッズが視線をこちらに向けて言葉を放つ。




「う、うそ。正気を取り戻してる……?」




 エナが、信じられないとばかりに口元を押さえる。


 それとほぼ同時に、僕はウッズの元へ一目散に駆け寄った。




 おそらくだが、《憑怪の石》が消えてから、人間としての命も尽きるまでの僅かな間、人間としての状態を取り戻すみたいだ。




「ウッズ」


「エラン……」


「最後の言葉の意味、教えてくれないかな」


「最後の言葉?」


「とぼけないでくれ。「お前は、この先俺みたいにはなるなよ」……お前が僕に言ったことだ」


「記憶にないな……」




 ウッズは、嫌みったらしく鼻を鳴らして見せる。


 眉根をひそめる僕を満足そうに見た後、ウッズは「ただ……」と言葉を続けた。




「モンスター化していた間の理性は飛んでて、何も記憶にないが……確かに、そんなことを思った気はする」


「……そうか。一体何故?」


「お前が一番わかってるくせに。つくづくムカつくやつだぜ。お前だって、俺を可哀想な奴だと思ってるんだろう?」


「……ああ」


 


 答えるまでもない。


 ここまで悲惨な選択をされると、逆にウッズという男に興味が湧いてくる。




「《憑怪の石》に魂を喰われて、君はもうじき死ぬと思う。モンスター化してまで、僕に助けられたくなかったの? お前のことだ、勝てる勝負じゃないことは、わかっていただろうに……」


「ああ、わかっていた。だが、単にお前に対する嫌がらせで死を選んだわけじゃねぇ。あわよくば、共倒れになってでも一矢報いるつもりでいたのは本当だがな」


「じゃあ、尚更わからない。なんで負ける確率の高い勝負に、意味も無く命をベットしたんだ」


「……俺自身のケジメだ」




 ウッズは、苦しげに表情を歪めながら答える。




「このダンジョンに挑む者は、いつでも死ぬ覚悟ができている。俺自身の持論だ。だから俺は、何の躊躇もなくお前を見すてたし、これまでもいろんな奴を切り捨ててきた。けどな……」


「いざ自分が死ぬ番になって、怖くなったの?」


「……」




 ウッズは沈黙する。


 だがそれは、肯定を示すものだとすぐに理解した。




 ウッズは小者だ。


 ただ、自分が一番上だと思っていたいだけの、リーダー気取りの小心者。


 それはきっと、僕だけじゃなくエナやリシアなんかも気付いていたことだろう。




 だからと言って、死への恐怖を責めるわけじゃない。


 口で「いつでも死ぬ覚悟ができてる」なんて言えるのは、基本的に頭のイカれた奴。


 ダンジョンに全てを捧げた、愚かな賢者だけだ。




 そしてウッズは、賢者でありたいだけの愚者である。


 誰かを迷わず切り捨てる奴が、死ぬ覚悟なんてできているはずもない。


 だから――




「だから、わざと死ぬことを選んだの? 自分の発言と覚悟を、ただ証明するためだけに」


「……そうだ」


「悲惨だね」




 ウッズの首肯に対し、そう答えるしかなかった。


 これが、散々唯我独尊を貫いてきた男の末路……いや、ケジメとでも言うんだろう。




「口先だけで終わらせず、曲がりなりにも覚悟を証明したことだけは、素直に敬意を払おう」


「お前に尊敬されても、嬉しくねぇがな」




 ウッズは凄絶に笑い、咳き込む。


 赤い血が、口元を伝った。


 


「まあ、自分の命と引き替えにするだけの価値が、その覚悟にあったとは到底思えないけど」




 穿うがた見方をすれば、無駄死にだ。


 せっかく助かったはずの命を、くだらない覚悟とプライドのために捨てたのだから。




「そうだな。だからこそ……お前は俺のようにはなるな……よ」




 ウッズは、今まで一度も見せたことのない、やるせない表情で言った。


 ああ、その言葉はそういう意味だったのか。




「ご心配をどうも。でも、僕はお前のようにはならない」


「だろう、な。お前は……俺とあまりにも違いすぎる。だから、やっぱり……大嫌い……だ」


 


 それっきり、ウッズの口が言葉を紡ぐことはなかった。


 瞳から光が消えたのを見届けた僕は、静かに答える。




「僕もだ、バカ野郎……」




 そんな呟きは、降りしきる雨の中に紛れて消えていった。

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