第22話 悠々之鉄

 ゴーセルマウス総和教団は『証明隊ナッチベーセン』『証言隊ツァグニス』『実証隊ベスターティガング』という三つの武装神官団を抱えている。

 教団が掲げる教義によれば、万象の総和たる神が総和たる所以は、まさに世界を構成するすべては元々神の一部であることだという。

 人間も魔獣も天空も蒼茫も、抗えぬ運命も玉響の愛も元は神の一部であった。それらは神から剥がれ落ちて物質となり、自壊する、または破壊されることにより神の体へと還る。

 落ちたのがたとえば垢だったり角質だったり逆剥けの皮だったとしても、それが神のものであるならとんでもない力を有する。神は地上に落ちた自らの一部を監視し、それが地上に悪影響を与える場合は破壊するようにと、そういった意図で人間を作った。もちろん人間もまた神の体である。

 人間はしばらくの間、天命を全うする従順な垢であったが、徐々に変質していく。天命を蔑ろにし、垢同士で醜い争いを起こし、剰え神の存在を忘れ、疑い始める……自らの起源も否定して。

 そこで、心ある者たちが興したのが総和教団だ。世界中で盛んな信仰であるが、地方によってその色が若干異なる。ゴーセルマウスは特に『内侵の禁を許さず』という決意を重んじる風潮が濃い。あくまで我々は神の垢でしかなく、よって表皮より内側に踏み入ろうとする者を『冒涜の蚊』と呼び否定する。

 そして、神の存在を疑う者に対して『証明隊』がその存在を証明――『認めろ!』と叫びながら殴りつけるのが主なやり方――し、神の正統性を疑う者に対して『証言隊』が教団に伝わる正統を示す口伝を明かし――言葉より先に手が出る神官も多い――て、神の力を疑う者に対して『実証隊』が存分に絶大なる力のほんの一部を実演――やられた側はそれが神の力なのか神官の拳骨なのかわからない――する、というのが三つの神官団の主な役割だ。

 つまりは教団の私兵と考えて、ほぼ間違いない。


「やはり、全ては金を憎む奴らの仕業か……」

「まだ、そうと決まった、わけでは……」

 

 同じく総和教の信徒であっても、レイブンは教団を疑うことに躊躇いがない。セルトの弱々しい反論に対しても、


「証明隊の徽章が、こうも確実に残されていては、関与を否定することなどできない。この底辺……失礼、この伸び代ある冒険者組の大変粗末……失敬、慎ましやかな拠点を燃やしたのもまた、証明隊の魔術師の炎であるようではないか。セルト、受け入れろ」


 冷たい口調で一蹴した。

 

「……か、カルンの死も、教団が関与を……?」

「可能性として考慮すべきではあるだろうな。おい、そろそろしっかりしろ。マスターがその様子ではどうしようもない」


 レイブンの叱責に、セルトがすまないと言って、背筋を伸ばす。


「セルト、ひとまずは荒塚を拘束するべきだろう」

「……チルノ君、拘束は言い過ぎだが、後に話を聞く必要がある。それまで、君たちの拠点から出さないようにしてもらいたい」

「わかりました」


 レイブンは手に縄をかけ、足に枷を嵌めて引きずってきそうな感触だったが、セルトは最大限温和な対処を提案した。嫌ですとは言えない。

 ようやく落ち着いてきたセルトが、そういえば、とチルノの私書箱に手紙を入れていた人物がいたことを話す。


「俺の私書箱? この五年、胡散臭い広告以外何一つ入ってたためしがないけどな……後で確認してみます」

「そうするといい」


 セルトとレイブンはまだ話すことが残っているらしく、チルノはひとり執務室を辞した。

 私書箱へ赴き、中を確認する。ギルドに属する冒険者は全員、個人の私書箱を与えられているので、その数はかなり多い。手紙や贈り物を確認する冒険者たちでごったがえしている。ドルキアには住所というものがないため、郵便制度が未発達なのだ。外国から流入する人間が多く、冒険者はしばしば遠征にゆき留守にするため、個人個人の家や拠点を登録して配達するより、仕事場に集中させた方が簡単なのである。


「居酒屋の広告、新しい娼館……高えよ、一晩抱くだけでこんなに毟り取られてたまるか……脱毛? いや何で毛を抜くのにこんなに金がかかるんだおかしいだろ。指でぷちっとすりゃいいだろうに」


 と、ぶつぶつ言いながら不要な広告を抜いては不要書類を破棄する箱に突っ込んでいく。

 お目当ての手紙は、封筒にも入れずに裸のまま、汚い字を連ねていた。筆跡と語彙から察するにあまり教養のある人間ではない。宛名も差出人の名もない。


「フランセル通り エキドナの足 月がない夜 金をやる」


 そう書かれている。

 金をやる、と言われても、何のことだかわからない。『きん』ではなく『かね』だから、誰かに貸したものを帰してもらえるのかと思ったが、思い当たる節はない。むしろこっちが借りたいくらいだ。


「まあ、行くしかねえか。新月って、今晩じゃねえか……」


 もし今日見逃していたらどうするつもりだったのだろうか。こういうことは、拠点に直接届けるか、本人に直接言うべきだろう。もし、それができないような相手なら……。

 チルノは手紙を服の中に仕舞い、ギルドの建物を出る。日が完全に昇り、大通りは朝の活気にあふれていた。



 ***



 荒塚に事の次第を説明する。

 

「相分かった。暫く蟄居していればいいのだな」

「折角協力してくれたってのに、すまねえな」

「構わぬ。潔白なのだから、身の証は簡単に立つ」

「でも、どうして三人も目撃者がいるのかしら」

「理由はともあれ、向こうさんはでっち上げも辞さない覚悟みたいだねえ」

「それに冒険者管理委員会の委員長まで殺すとは、とうとう牙を出してきたようですよ」

「……」


 アストラが、じっと黙りこくっている。これは珍しいことだ。黙っていることがではなく、深刻な表情で考えていることが。

 セリカが心配して声をかける。


「え、ああ、心配ないっす。ちょっと思い当たることがあって……考えてたっす」

「考える前に言葉にしてくれ」

「いやあ、この前レイブンさんとこのライカと一緒に、メドレイヒの厩舎近くの店でゲロ甘い栗菓子を食べたんすけど……」


 その言葉に、チルノと荒塚が僅かに反応する。今度、暇を見て行ってみよう……。無論、誰にも悟られないように。


「そこで、不思議な侍を見かけたんすよ。荒塚さんみたいな恰好でしたけど、もうちょっとこざっぱりしてて、髪も整ってて。歳ももうちょっと上っすかね。すっごい厳しそうな顔なのに、砂糖そのものよりも甘い栗をぱくぱく食べて喜んでるんすよ。その上店員の女の子の手なんか握って、心づけなんか渡して」

「ああ、やっちゃったね。それ、頬に一発ビンタ喰らうやつだ」


 フェルディアが自身の経験に照らし合わせて、ひとり頷く。叩かれて、心づけはちゃっかり持ってかれて。


「その侍、『大仕事がある』って言ってました。それに、なんか石段を登ってったっぽいんすよ」

「それ、いつ頃のことだ」

「夕方っす」

「……凶行は夜中だが……あらかじめ潜んでいたと考えても、問題はないか」

「アストラちゃん、その侍に特徴はないの? もしかしたら荒塚さんの知り合いかもしれないじゃん」

「そんな偶然あるんすかね?」

「いやだって、荒塚侑七郎って嘘の名乗りをしたくらいだから、知り合いじゃなきゃおかしいでしょ」

「確かに……フェルさんに言いくるめられるとは、屈辱っす……」

「酷くない? 俺って馬鹿だと思われてる?」

「頭はともかく言動が馬鹿なのよ、あんたたちは」


 セリカはチルノまでまとめて言った。とんだ流れ弾である。

 アストラは、甘味侍の容姿を思い出す。顔は、壮年の武芸者らしく精悍で、老練さもにじんでいる。若々しさには欠けるが、身のこなしは幾多の修羅場をくぐってきた猛者、といった感じがした。


「そうだ、左手の甲に瘤があったっす!」

「左手の甲……! それはまことか!」

「やっぱり知り合いっすか」


 荒塚は一時狼狽して膝を揺らしていたが、大きく息を吸って丹田に力を籠め、吐き出して心を鎮める。


「……悠々之鉄」

「はい?」

「チルノには申したが、拙者には竹馬の友がおった。拙者が海を越え、修行の旅に出る前、とある藩の下士で在った頃だ。名は杉下郷真すぎしたさとま。川を浚い砂金を採掘する人足の支配頭であった」


 荒塚は、訥々と友との思い出話を語る。

 それは、砂金の煌めきが見せた、悲劇の語りであった。

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