第18話 甘栗侍

 アストラは露店で買った羊肉の串焼きを喰みながら、休憩時間を使い、多くの馬が繋がれた馬車組合の厩舎を眺めている。

 馬の頭数三百を数え、そのうち馬車馬が百二十、冒険者向けの貸し馬が五十、一般向けの貸し馬五十、ギルド御用の伝馬が四十、そして残り四十は王宮や教団などの要請に応じて都合するための予備役だ。

 冒険者ギルド周辺から、都市大門から王宮正門までのグレッツェン大通りまでを縄張る、都内最大の馬車組合。親方の名はメドレイヒ・ノートルドー。

 アストラは、メドレイヒがギルド本部に頻繁に出入りすることを、ここ数日の観察でよく知っている。都市内に二つ豪邸を持ち、三人の妻と五人の愛人がいると噂される金満家だ。頬の肉は、その厚さがそのまま面の皮の厚さを示すように垂れ、ただでさえ低い背丈をヘコヘコと追従の卑笑を浮かべて腰を曲げるため、小人のように小さく見える。

 口癖は、『全くそのとおりでございます!』。何を言われても、まずはそれが発せられる。


「善人っぽくはないっすけど、陰謀に加担するような大物にはみえないっすね……」


 アストラが正直な感想を漏らす。行動にも怪しいところは特にない。ギルドに対してやたら媚を売り、自身の馬車を贔屓にするよう冒険者たちに働きかけているようだが、それはむしろ本業に熱心だという話になる。

 後でメンターフにそれを話したら、メドレイヒの二つ名は『肯心のメドレイヒ』なのだと教えてくれた。先代の親方のもとで御者からはじめ、わざとらしいほどの阿諛追従で出世し、親方の座に登った。目上にも配下にも謙って機嫌を取ることから、それなりに好感を持たれているらしい。一方で、一部の硬派な冒険者からは軟弱な馬商人だと反感を買っているそうだ。


「おーい、そろそろ交代してちょうだい!」


 休憩時間は終わった。今日も収穫なく、気落ちしながら荷運びの依頼に戻った。

 仕事終わりに、思わぬ人物に声をかけられた。


「アストラ!」

「ライカじゃないっすか。どうしたんすか」

「見かけたから、つい……買い物?」

「依頼っすよ」


 正統の章の新米魔導士、ライカ。養蜂場で怪我を負わせてしまい、謝罪のつもりで話しかけたのだが何故か意気投合してしまったのだ。年も背丈も近く、性格的にも馬があった。

 ライカは、ちょっとお菓子でも一緒にどう、と誘って、二人は甘味処の露天椅子に座る。気分的に蜂蜜を口にするのが憚られ、栗の砂糖菓子を頼む。これが舌を焼き焦がすほど砂糖が効いていて、思わず顔を顰める。

 アストラは声を潜め、


「こんなダダ甘いもの、好きで食べる人がいるんすかね」

「いるから、売ってるんじゃない?」

「うちのリーダーなんか気絶しちゃうっすよ。甘いものが大嫌いでセリカをよく嘲笑ってるし」


 チルノは仲間に対し、うまく見栄を張り続けている。それに張る価値があるかは甚だ疑問だ。


「ライカは買い物? やっぱりレイブンさんへの贈り物っすか?」

「もう……恥ずかしいじゃない。この前、またリーダーの手を煩わせちゃったから、そのお詫びに、ね」


 ライカは魔法の威力が弱く、その分小回りが効く。風を操り毒ガスを滞留させたり、土を湿らせて敵の足を取ったりと、補助的に活躍するタイプだ。しかし、経験の浅さと胸を締めるような焦燥感から、時々大失敗をする。レイブンはライカを気に入っているのか見下しているのか、冷淡に罵りながらも世話を焼いている。


「近頃、リーダーは忙しくて……ルドルフベンツまで遠征して、たった二日でとんぼ返り。都市にいる日は毎日、本組のセルトさんに会いに行ってますし……私を連れて」

「レイブンさん……」


 ライカは、レイブンがセルトやチルノとともに、馬車組合などを巻き込んだ陰謀に探りを入れていることを知らされていないようだ。たかだか六人所帯の底辺と違い、正統の章は構成員五十八名、加盟していない協力者も合わせれば三桁に届く規模だ。筒抜けになる情報な方が少ないのである。


「その……アストラ。ちょっと聞きたいんだけど……アストラのとこのリーダー、チルノさんって言ったっけ?」

「そうっすよ。身内じゃ馬鹿とか間抜けとかの二つ名で通ってるっすけど」

「それって悪口じゃ……ちょっと聞いたんだけどさ、すっごく魔法の使い方がうまいらしいじゃん」

「魔法……あれは魔法ってより火加減って感じっす」


 魚の皮をパリパリにしたり、煎餅のような毛布をできるだけふかふかに乾かしたり、真冬の降雪日なんぞは普段の悪口雑言もなりを潜めみなが伏し拝むような便利な存在ではある。

 が、しかし、魔法の遣い手として優秀かというと、火魔法以外が壊滅的で、勉強用の魔導書を買う金もなく、そもそも勉強家ではない。魔導書どころか哲学書、物語の類まで敬遠し、挿絵多めの軽薄な本を辛うじて読める程度の厭書家だ。


「でも、どうしてそんなことを?」

「あたし、何度も戦場に出て、実戦だってもう何回も経験してるのに、いっつも失敗するんだ。リーダーに、レイブンに認められたいのに……」

「うーん、なるほど……?」


 チルノに認めてほしいなどとは、蚊のまつげの先っぽほども考えたためしがない。本人がいれば男泣きするかもしれないが、これが人望の差というやつである。


「劫火谷の火薬庫って、今までほとんど魔獣の討伐経験がないんでしょ」

「そうっすね。都内の仕事がメインで、荒事は精々野犬退治か酔っ払いへの制裁か、女たらしを蹴っ飛ばすか、ってとこですね」

「そんな私的な依頼まで……」

「やってかなきゃ、ご飯が食えないんす」

「……でも、養蜂場ではすごい活躍だったじゃん。弱いとはいえ魔獣を何十も吹き飛ばして、もう少しで優先討伐を成し遂げるところだった」

「その節はほんと、ごめんっす」

「それはもういいの。そうじゃなくて、経験がほとんどないにも関わらず、なんであそこまで上手く立ち回れたのか、聞きたいなって。爆破とかスティグマ・ラリーを追い詰める作戦とか、チルノさんが立案したんでしょ」

「そうっすね。そういうことなら、本人に直接聞けばいいっすよ」

「え、いいの?」

「今ちょっと忙しくてすぐには無理かもっすけど、リーダーには声かけとくっす」

「ありがとっ! あたしの栗、全部あげるね!」

「虫歯になるっす……」


 虫歯以前に糖で舌がかぶれそうだ。近頃流行りの、肩とヘソを出して色付き遮陽眼鏡をかけた、独自言語を操るやけにきゃぴきゃぴした女子ですらそっと皿を押し戻すだろう。


「でも、あの人、美味しそうに食べてる……」

「うわ、ほんとっす。おっかない顔なのに、めっちゃ笑って……なんか荒塚さんに似てるっすね、格好とか腰の剣とか」


 その男は、着物や刺し料から見るに荒塚よりもやや裕福な生活を送っているようだ。もちろん金糸銀糸や猩猩裏地の羅紗綿とはいかない。

 吐き気を催すほど甘い栗を――事前に知らされなければ、それが栗だなどと誰が気づくだろうか――口に入れることが、人生の意義であるかのように食らい、食べ終え、立ち上がる。


「……娘。そこな、娘よ」

「あ、はい! 毎度ありがとうございます! アレを食べ切るお客さん、少ないんですよね」


 店員と楽しげに話している。立ち上がるとかなり上背があり、袖口から半分だけ見える左手の甲に大きな瘤がある。


「大仕事の前には、糖を摂取せねば感覚が鈍る。好き甘さだった、これはほんの心付けじゃ」


 侍は、店員の手を取って小銭を握らせる。小銭とはいえ、その日の稼ぎの四分の一くらいにはなる。


「あ、ありがとうございます……きゃっ」

 

 握られた手を、握られていない方で揉みながら、店員は顔を赤くして店の奥へ引っ込む。真面目に観察すればこの侍、やや萱が立っているものの大した男前だ。


「ああいうのがモテるんすかね。フェルさんに教えてあげよっかな……まあ、フェルさんがやると怪しいだけな気がするっすけど」

「うーん、私はちょっとな……」

「そりゃライカは冷たくて素っ気なくてほんの時々優しくしてくれる人がタイプだしね」

「そ、そういうアレは、違うよ……アストラちゃんこそ、モテそうな気がするけど。おっきいし。仲間に言い寄られたりしないの?」


 アストラは首を振る。結成当初、まだミタン兄妹もいない頃、フェルディアに少しちょっかい出されたことはあった。それも一瞬のことだ。

 左手に瘤のある侍はグレッツェン大通りを横切って、建物の陰に消えた。南西部へ向かう様子だ。

 二人は申し訳ない気分になりながらも栗の砂糖菓子を残して席を立つ。


「じゃあチルノさんによろしく言ってね」

「んじゃ、また連絡するっす」


 冒険者同士なら所属するギルドの私書箱に手紙を投ずることで連絡が可能な仕組みになっている。

 アストラはライカの背姿が十分小さくなるまで見送って、夕日が濃くなった空の下、薄汚いスラムに戻るのだった。

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