第16話 辺境の変事

 都市を離れ、二十六日。ガジェキック湖畔地帯と呼ばれる不毛の地の門戸、ルード村に、冒険者たちがたどり着いた。村人は三日前に生まれた赤子を合わせて十九名、四世帯のみ。その内一人は病気で明日をも知れぬ命の八十五歳。百名以上の冒険者たちが押しかけて、村は破裂寸前だ。

 アルトゥールは、都市に残してきた一人息子の身を案じていた。無能ではないが、年の割に落ち着きがなく泣き虫だ。それで嫌うつもりも甘やかすつもりもないが、自分の昔の姿とは似ても似つかないため、どう接していいのか困る。アルトゥール自身は父に性格も趣味も似ていたため、父の自分に対する教育を倣うわけにはいかない。おまけに今の家庭には母がいない。

 ふと横を見ると、ハーラルがウキウキとした様子でこちらに顔を向けている。アルトゥールは、無理やり不安を忘れ、冒険心を前面に掻きだした。


「地面がパサパサ。ハーラル殿、この辺りはよほど耕作に適していない様子ですな。魔獣も強い」

「人家も少なく、ギルドへの依頼で訪れることもほぼない。人がいない場所で凶暴な魔獣が暴れていても、何の問題もないですからな」

「ということは、今後は更に強く凶暴な魔獣、魔人に出くわすかもしれない。冒険者たちの連帯、底力、見せてもらいましょう」

「ギルドの面目にかけても、成功させなければ……王まで担ぎ出し、打ち立てたプロジェクトですからな……ちょっと、失礼」

「おやどこへ」

「葉巻を吸いたいのですが……彼女が、ね」


 ハーラルは、秘書を横目に、ばつが悪そうに肩をすくめる。秘書は、委員会へ提出する報告書の下書きを作るため、冒険者たちに随行している。戦闘経験などないのに、危険な役目を涼しい顔で買って出る女傑だが、健康管理にとにかく厳しく、命よりも大切な葉巻の量を制限しろと厳しく迫る鬼のような女でもある。


「この歳まで仕事一途、妻も娶らず歓楽街の灯の色を未だに知らない、ただこの味と煙だけを楽しみに生きているんですぞ。そりゃ、庶務雑事から高度な計算業務に至るまで、彼女の有能さは認めているが、私の細々とした愉悦まで管理されてはたまらんよ……」

「そう、それですよ。その、妻を娶らず、って部分に寄ってきてるんじゃないですか。ハーラル殿、もう一つ楽しんじゃいかが」


 アルトゥールが、猥談に勤しむ学生のように笑い、ハーラルは冗談よしてくださいと、また肩をすくめる。


「彼女が私の行方を知りたがったら、適当にはぐらかしておいてくださいね。私は向こうの低い木立で満喫してますから」


 念押しして、秘書の方を気にしながら足早に木立へ駆けていく。木立の周囲にも凄腕の冒険者がいて、彼らも歓談しているから、魔獣の気配はないと見ていいだろう。何かあれば、彼らがどうにかするはずだ。

 それにしても、痩せた土地だ。まだ湖畔地帯と呼ばれる場所の外縁部分でしかない。既に地味悪く、低木がまばらに生え、雑草が懸命に生きようとしているが、花も作物もなく、殺風景極まりない。村の住民も、生きているのか死んでいるのか不明な生命力の無さで、赤ん坊すら静かに泣く。


「まあ、赤ん坊を作る気概が残っているうちは、大丈夫か……」


 アルトゥールは、そう結論した。村人の心配より、金の発掘だ。

 ハーラルが戻るのを待つ。時が流れる。湖畔地帯の方から風が吹き、湿った空気がまとわりつく。ここら辺は乾燥しているが。もっと進めばぐちょぐちょの地面と気色悪い魔獣が蠢く魔の地域。

 そんな想像を膨らませながらなお待つ。遅い。何本吸えば、こんなに遅くなるのやら。


「流石に、遅すぎる……秘書が心配するのも当然だぞ」


 木立の方を見ると、なにやら騒がしい。冒険者が木立を指さし、別の冒険者が中に飛び込んで、人を引きずり出す。

 それは、遠目に見てもハーラルだった。

 アルトゥールは本能的に駆け寄る。


「ハーラル殿! おい、しっかりしろ……! な、なにが」

「う、ぁ……」


 わずかに呻いて、瞼を閉じる。絶命している。アルトゥールは、心を乱して惑いながらも、ハーラルが何かを握りしめていることに気づく。

 こじ開けて見てみると、それは見覚えある徽章だった。


「証言隊……総和教団……まさか、彼奴らが……」

「は、ハーラルさん! これは一体……何が起こったの⁉」


 秘書が悲痛な叫び声を出す。アルトゥールは、徽章を突き破るほど爪を立てて握りしめ、空を睨む。

 湖畔地帯のどんよりした空気と、その遠景たる山の稜線が、憎らしいほど素っ気なく存在していた。


 ***


 夏真っ盛り。蜂の狂乱の刺痕癒えぬ都市で、夏の日差しから逃れようと可能な限り日陰を歩く人々が懸命に生きている。

 この季節、馬車が儲かる。箱馬車、幌馬車を問わず、日差しを遮る屋根に護られて移動できる。この書き入れ時の夏のある日、馬車組合の親方一同が年に二度の寄り合いで顔を合わせる。

 蜂が鎮まった今、横暴を極める馬車組合へ厳しい制裁を、という声があちこちから噴出している。噴出しているのだが、いざ実行して、臍を曲げられてしまうと交通網が大打撃を喰らう。交通が減衰すれば、人と物の移動で成り立つ経済が衰弱化してしまう。

 チルノたちは、エマノエーレの死の真相を確かめるべく、色々頭を巡らせてはみたが、無益な毎日が続くだけだ。

 ある日、宿に棟梁が訪ねてきた。一度燃えた新居が、再度完成したという知らせだ。


「すまねえ、当初の計画よりもだいぶこぢんまりとした家になっちまいましたが……雨漏りしないことと、虫食いに強いことだけは保証しますぜ」

「それで十分。またなんかあったら贔屓にさせてもらうからな」

「ありがてえや。じゃ、これで」


 新居に入って、真新しい生活空間の香りを嗅ぐと、希望が湧いてくる。木材基本だが、要所要所は堅い石材で補強されている。規模を小さくした分、長く保つよう堅固なつくりにしてくれたのだ。木材も、水だけでなく火にも強い小春栗ソルベントチェスナットを用いている。隣国カステライヒ出身の詩客の名作『吹雪の前の春を喜ぶ歌』で称えられた、浸食を拒む清楚な婦人のごとき強さを秘める、高級木材だ。薬品にも耐性があるから、チルノが気まぐれに火を焚いても、ミタン兄妹が粉末や強酸を溢しても、アストラがはしゃいで水バケツをぶちまけても、びくともしないのである。


「跳び放ても穴の開かない床って、最高!」

「兄さん、調合部屋、どこにしましょうかね」

「折角なら広いスペースが欲しいけど……まあ、無理をいっちゃいけないか」

「でも、相変わらず女を連れ込むほどのプライベートエリアは、確保できそうにないな。残念でならないよ」

「まず、連れ込む女を探してくることね。一生を棒に振ることになるでしょうけど」

「セリカちゃん、酷いよ」


 と、組の面々は大興奮。一時暑さを忘れてはしゃぎまくる。

 それも落ち着き、大体のスペースを何に使うか、どこからどこまでを共有し、私有するか、簡単に取り決める。

 その話も終わると、やはり話題は遅々として進まない偽金塊詐欺の黒幕、馬車組合の関り、総和教団の謎の捜査になる。チルノたちは薬草採取や野犬退治、荷運びなどかなり低格な依頼をこなして日銭を稼ぐ合間に、聞き込みや文献調査で少しでも近づこうとするが、手掛かりは得られていない。


「チルノ、そういえば、東国出身のお侍さんとの約束、どうなったの?」

「ああ、前に一度、行ったは行ったんだが留守だったから、帰ってきた。そうだな……何か依頼したいって話だし、いっちょ行ってくるか」

「あたしも行こうかな」

「やめとけ。外は暑いぞ」

「じゃ、やめとく。玉の肌が日焼けしたら嫌だしね」

「気にする必要もねえだろうに。元から玉ってタマじゃねえんだから」

「アホっ! いいから行ってこい!」


 顎に手を当てて考え込む猿の彫刻が、チルノの眉間にヒットした。いい案は、ひらめかなかった。

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