第14話 蜜蝋と烙印

 スティグマ・ラリーは、爆破した圧搾施設の反対側、養蜂場の南側の壁際辺りにいる。


「落ちてるのは……蜜蝋か」


 地面に散乱している肌色のエステル質を拾い上げ、チルノが呟く。戯れに熱してみると、上品な香りがした。


「ねえ……あれって」


 セリカが恐ろしげに指差す先には、派手な服を着た女が倒れている。黒を基調とした、あまり防御力の高くなさそうな衣服。杖がそばに落ちているし、魔導士かもしれない。


「見て、あの人、背中に模様が……」

「やられたのか……」

「まだ息があるかもしれないっす」

「待て、安易に近づくな。フェルディアもだ」


 チルノが制止し、辺りを伺う。狡猾な魔獣だ、敵を誘い出す罠かもしれない。

 気配を窺っても物音なく、赤熱した角の色も見当たらない。拱手していても、相手から姿を見せることはなさそうだ。


「この辺りで見たのは確かなんだな?」

「間違いないよ。この目しっかり捉えた」

「チルノ、見て」


 セリカが倒れた女の側から、小さな円形の窪みが点々と続いているのを指さす。


「足跡じゃない?」

「でかした。異様に華奢な体格らしいから、あの小ささは合点がいく。足跡が続く先は、蜜蝋が保管される倉庫だな」


 倉庫の壁に張り付き、身を隠して窓から中を眺める。

 暗赤色の光が、ぼうっと浮かんでいる。間違いない。


「セリカ、離れたところから倉庫の中を射撃してくれ」

「わかった」


 チルノが、狡猾で臆病な魔獣の討伐手順を指示する。

 セリカが離れた位置に片膝をつき、風呪の矢をつがえ、射る。風を弾いて甲高い音を出しながら飛び、外れた扉の中に消える。中でがたっと物音がした。

 スティグマ・ラリーがゆっくり、外部へ足を踏み出す。襲撃者の姿がない。角を灯りにして周囲を探る。ふと、吸い込む空気に異物が混じった。急激な睡魔に襲われたように、意識が遠くなる。


「気絶薬、効いたみたいだ。さすがメンターフだよ」


 屋根の上から粉を撒いたフェルディアが感心する。その横で、アストラが力む。

 

「いくっすよ!」


 気合とともに屋根から跳び、逆手に構えた短剣を、朦朧として辛うじて立っているスティグマ・ラリーの細い背に深々と突き立てた。アストラが背に乗った勢いのまま地面にめり込むように潰れる。

 ぴくりとも動かなくなった。


「やったっす! 倒したっすよ!」


 アストラが両手を上げて叫ぶ。セリカが近づいて、


「あの人も浮かばれるといいわね」


 と、倒れた女の冥福を祈る。

 チルノは訝しむ。角の赤熱が一向に収まらない。細い足が、痙攣するように一瞬ぴくりと跳ねる。


「セリカ! アストラ! そいつから離れろ!」

「えっ」

「なんすか!」


 驚きながら反射的に飛び下がる。危機一髪、空死を解除したスティグマ・ラリーが起き上がり、頭を旋回させて角を振り回す。アストラを怨嗟が籠った目で見たが、敵わぬと判断して踵を返し、手負いとは思えぬ速さで逃避する。


「待つっす! せめて背中の短剣は帰すっすよ! 泥棒!」

「角を置いてけ! それがないと困るんだ!」

「待ちなさいよ! 今日はもう疲れたから走りたくないのに!」

「往生際が悪い男は嫌われるんだぞ!」


 各々、至極自分勝手なことを叫びつつ、追いかける。速い。馬も目を見張るような逃げ足だ。

 距離が離される。小さくなる華奢な逃げ姿が、急遽停止する。


「きゃああっ!」


 悲鳴。スティグマ・ラリーが角で誰かを突き飛ばした。悲鳴を聞いた冒険者たちが次々と集まる。

 再び逃げの姿勢に入るが、ついに叶わず、細い胴体が厚刃の槍穂に両断される。今度こそ死んだ。

 四人が息も絶え絶えに走りついたとき、全てが終わっていた。優先討伐対象を二体も討ち取ったレイブンが、両断された胴の片割れから短剣を抜き取り、放って投げる。


「貴様らのものだろう。得物を手放すとは迂闊な奴だ」

「うう……面目ねっす」


 四人は、疲労と落胆でへなへなと地面に尻をつく。

 戦いが終わった。丁度、日付が変わる頃合いであった。



 ***


 養蜂場の外で、戦功の確認と報酬の割り当てが行われている。こういった、ギルド主導の大規模な討伐作戦、攻略作戦などは、遂行後に『戦功手形』を配布され、それを後日ギルド本部で換金、ないし報酬品に換品する決まりだ。


「俺は大型の熊を倒したんだぞ。もう少し手柄を認めてくれてもいいじゃねえか」

「今回はワタシの弓が一番活躍したハズデス。報酬のサラなる上乗セを要キュウしマス」

「ゼェェェ、ハァァァ、か、金は要らねえからよぉぉ、草で払ってくれ。禁断症状で死んじまう……」

「おやおやお兄さん、刺激的なお薬が欲しいなら、相談に乗りますよ。いやなに、無害ですよ、む・が・い」

「呆れた。ねえチルノ、メンターフってば外で待ってる間、ずっと周りの人たちに怪しい薬を売りつけてたらしいわよ」

「アンフェーの成功に味を占めたんだろ。ああくそ、俺たちもあと少しで儲けられたのに……」


 歯噛みする。この討伐で蜂害は終息し、スパイシーハニーの需要も消える。多少の金は蓄えられたものの、主に調子に乗った男二人のせいでかなりの損失が出た。

 

「コールさんですね。ホーニャコーン討伐、おめでとうございます。こちら、優先討伐証明印です」

「おう、あんがとさん」


 前に並んでいた大斧使いの戦士の戦功交渉が終わり、劫火谷の火薬庫の番になる。

 丸眼鏡をかけたギルド職員の古株が担当する。


「冒険者組、劫火谷の火薬庫の皆さまですね。作戦参加人数は四人。リーダーのチルノさま、そしてセリカさま、フェルディアさま、アストラさま」


 ミタン兄妹は、物資支援なので討伐作戦の参加数に含まれていない。


「では、戦功を述べてください」

「主な戦功は二つだな。一つは、蟲と小型の獣系魔獣が集まる圧搾施設を、まるごと吹き飛ばして、多くの魔獣を討伐いたこと。爆破音、ここまで聞こえたんじゃないか」

「聾するかと思いました。あの爆発はあなた方でしたか」

「雑魚だが一帯の危険を排した功績は大きいんじゃないかと、そう主張する。それから二つめ、優先討伐対象を一匹、死の縁まで追い込んだ」

「と、いいますと」

「まあ、その縁から突き落としたのは、別人ではあるんだが」

「……スティグマ・ラリーの件ですね。『正統の章』の皆様からうかがっております。残念ですが、あなた方の手柄とは認められません」


 古株が無情にも首を振る。眼鏡は丸だが、性格は四角四面だ。


「あなた方が打ち漏らしたことが因でけが人も出ています。まあ、背中に瀕死の重傷を負わせたのも事実、相殺といったところでしょう」

「……まあ、それはやむを得ないな」


 チルノが渋々認める。


「そして、倉庫爆破の手柄ですが……確かに、圧搾施設周辺の魔獣をほぼ無力化できたようです。この功績は、少なくないと見ていいでしょう。では、戦功手形を発行します」


 優先討伐は成らなかったが、功績には割増がついた。セルトから、少し色を付けてやれと言われていたのもある。

 しかし、横やりを入れる者がいた。


「ちょっと待った! あの爆破はてめえらだったのか!」


 青筋を浮かべてがなり立てるのは、プレートメイルで武装した重戦士。


「爆破のせいで、避けられたはずの攻撃を受けちまっただろが! 底辺のクセにド派手な演出ぶちかましてんじゃねえぞ!」

「シェルダーさま、落ち着いてください」

「落ち着けだと。俺は『無傷のシェルダー』の通り名で売ってるんだ。それが見ろ、このざまだ。ふざけんじゃねえ!」


 シェルダーはプレートメイルをがちゃがちゃ言わせて、チルノに掴みかかる。丸太のような腕でつかまれて宙づりになる。


「落とし前はきっちりつけてもらうぜ。さあ、どうしてくれる」

「ぐうっ……俺がどうするもこうするも、まずは足元の火事をあんたがどうにかしろよ……!」

「足元だぁ?」


 視線が自分の足に向く。その隙にチルノが分厚い鎧に手を当て、熱する。


「ぐあっちちちち! や、焼ける!」


 チルノを放り投げて胸を押さえる。鎧を脱ぎ捨てようとするが、分厚いプレートメイルは容易に着脱できない。

 シェルダーが怒り心頭に達し、大剣クレイモアを抜こうとする。しかし、抜けない。柄に、淡白い鎖が巻き付いて、手首ごと締め付ける。

 

「愚かな。退がれ!」


 騒ぎに駆け付けたセルトが一喝する。隣にはレイブンもいて、本組と分派組のリーダー同士で話している途中だったようだ。


「戦いは終わった。これ以上騒ぎ立てるような真似をするならば、今すぐこの場から消えてもらうことになる」

「ひいっ……わ、わかったよ、黙る」

「そうしろ……チルノ君、災難だったね。立てるか」


 セルトが手を差し出す。普通に立てたのだが、差し出されたものを無視するのもどうかと思い、手を取って立ち上がる。

 セルトは功績を吟味する古株に、


「劫火谷の火薬庫は、直接参加した四人だけでなく、他二人もまた、貴重な品を支援して貢献した。この品で倒した魔獣もいるのだから、それも戦功に加えてやってほしい」

「……道理ですね。マスター、承りました。では、再発行いたします」


 と、より多くの戦功を保証する手形が発行され、チルノに渡される。


「マスター自らありがとうございます」

「いいや、君たちこそよくやってくれた。あの爆破には私まで腰を抜かしそうになったよ」

「まさか……竜の咆哮すら猫の鳴き声のように受け流すマスターがですか。揶揄わないでくださいよ」

「本気だよ。また、一緒に戦いたいものだ。本来なら、昇級も考えるのだが……生憎、代理ギルドマスターには昇級の権限がないものでね。アルトゥール様が帰還されたら、報告すると約束する。神に誓って、ね」


 敬虔な総和教の信徒でもあるセルトが、堅く約束する。


「いいなあ、セルトさんにパイプができるなんて。うまくやったわね、あいつら」

「火薬庫だってさ。もしかしたら、今後どこかで一気に爆発するかもしれないね、楽しみだ」


 と、参加した冒険者の間でささやかれる。無名の冒険者組が、少しだけ広まった。

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