第九話 隣のカスタマー
自宅に閉じこもっていた。
黒音はリアンとお出かけ。反対隣りの会社員は午前11時現在未だ眠っているのか物音一つしなかった。
昼食を買いだすべく、外出の支度をしていたら、呼び出しチャイムが鳴った。隣だった。土日になるとやって来る隣の客。今日もきっとそうなのだろう。隣と言えど他人の事、詮索せずに外出することにする。
近所のコンビニは概ね盛況で、飲食コーナーで飲食できるか危うかったがかろうじて一席あったので、スパゲッティを購入して着席した。
ナポリタンスパゲッティ―は350プラス消費税だが、今年の初めに50ほど値上がってしまった。生産が滞っているからだというが、これ以上エンゲル係数が上がるようなら政治活動も止む無しとさえ思えてくる。
理由はわからないが隣に来客があるときは、ほとんど何となく家を留守にする。
コンビニから帰ってくると隣のドアから女性が一人出てくるところだった。
推定年齢20歳前後で同い年のように見える。服装は暖色系統、オレンジと黒のボーダー、灰色のスカートを着、黒い髪を後ろで束ねていた。
折悪しく、出くわしてしまってばつが悪かったのだが、遭遇した隣の客は、何も言わず、会釈して、ニッコリ笑った。
去っていく女性を見やり、見えなくなってから自室に戻った。
今の女性は一体?と思うほど知識不足のこともあったが、大学に入学して以来そこそこ知識もそろってきた。教養課程では一般的な教養を一通り身につけるが、その教養の中に性産業の社会学や法学、心理学もあった。羽夢さんを知るうえで受講した講義だが、羽夢さんが何者だったかも今では少々わかる気がした。
「毎週って結構金あるな」
「会社員らしいしな」
「何の話?」
トレーにハンバーグ定食を載せて黒音がやって来る。
「男の甲斐性、女子の秘密」
「隣の話」
「未だ会った事ない」
粗挽き胡椒を振る黒音。
「時間帯が合わないんだと思う」
未だ二か月とはいえ、アパートの住人で会った事が無いと言うのも珍しいかもしれない。
「細かい事探ってると寿命が短くなるよ」
「そうね」
「もしかして俺にーー」
『詮索しない』
「……はいはい。」
仲がいい時のこの二人には割り込むすきは無い。
「あれ」
「帰るの?」
「飲もうよ」
「いい酒紹介するよ」
立ち上がると畳み込みで引き留められた。
「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな。」
「何?」
「交通安全。人生の。じゃ」
テーブルの上のトレーを手に取り返却口へ向かう。
五秒ぐらい此方を見ていた二人は其のまま二人きりの世界を構成しだした。
「……帰ろ」
寄り道して戻った自宅のアパート。
ドアを開けて左手のスイッチを入れるとLEDがDKを照らす。
テーブルの上のアナログ時計は九時半を指していた。
テレビの電源が入って自動的にニュースのチャンネルが選択される。
何処か遠くの都市のデモが映されていた。
キャスターが図示化された勢力図の解説をしだした。
オジーもニアリーもクローズも一様に皆政治には無関心。
理由は不明だが、行政は近くても政治は遠い、と言う感覚のせいかもしれない。
行政と自分と政治の関係を計算したら何か答えが出るだろう。
大学の授業より、すぐ役立つ心理学知識。
冷蔵庫からよく冷えたアイスコーヒーのサーバーを取り出す。入れたのを直接冷蔵庫に入れられないので、二日物のドリップ珈琲だった。
今日の授業を録音した電子録音機のデーターをデスクトップに読み込ませる。全部テキストとグラフィックに変換されてドキュメントファイルに収められた。
「ふぅ」
イスに背もたれる。
大学生活は順調。オジーを離れ、始めた一人暮らしも軌道に乗っている。交友関係も予備校以来の、ーーの、関係も良好なままで、内一人は隣に住んでいる。四当五落を地で頑張った予備校生活。秋からは受験一色で過ごした。偏差値も順当に上がった。そして訓練の通りに受けた本番の試験も訓練同様に好成績を残せたようで、結果無事入学がかなった。夏から長いようで慌てる程短い時間だった。何処かへ辿り着くには先ず一歩から、そして倦まず弛まず進むこと。気が付いたら目の前まで来てる。来たのだが。
何が足りないのだろう。
テレビスイッチを消す。
急に静かになる部屋。
音楽でも聴こうか。
隣に人の気配がした。今日は早く仕事が上がったらしい。平日の夜十時前。
……人の気配が、二人?
二人らしい。
どうする。帰って来たばかりだが復コンビニでも行くか。
迷いつつコーヒーを一杯がぶ飲みすると。
ドアチャイムの音とドアをたたく音がけたたましく襲ってきた。
「日乃!」
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