夢の中で

 その日の夜、夢の中でいぶきはミーヤの声を聞いた。それは東先生の声ではなくて、ミーヤ自身の声だった。


 🐝


 僕は東先生の右側の靴下に描かれたミツバチだった。

 僕はただの絵で、何の意志も持っていなかったけれど、そこは何だか心地良ここちよい場所だった。

 東先生はいつも靴下をとても大切にしてはいてくれていた。


 先生が高校生の時、ボクシングの試合で倒れて、その時突然左足のハニーが靴下から飛び出した。

 僕があっけにとられていると、ハニーは東先生のほっぺたを刺した。

 ハニーはたぶん知っていた。すぐに薬を入れなければ、東先生が死んでしまう事を。

 ミツバチの毒が薬になるなんて何の根拠こんきょも無い。

 だけど、何のがないとも決めつけられない。

 ミツバチは自分の針を刺すと内臓ないぞうごとえぐり取られて命を落とすって事をハニーは知っていたはずだけど、たとえ自分の命を失ってもためしてみたかったんだと思う。

 ハニーはきっと東先生の事を大好きだったと思うし、東先生もハニーを大好きだったんだと思う。

 きっと2人の思いが結ばれて、奇跡きせきが起こったんだ。


 僕はそれをじっと見ている事しか出来なかった。

 ハニーがなぜ靴下から飛び出る事ができたのか分からなかった。

 彼女はメスで、きっとハタラキバチの本能ほんのうがそなわっていたんだろうなって思った。


 僕は東先生が助かってとても嬉しかったけれど、自分自身がなさけなくて仕方なかった。

 ハニーはカッコよかったなってずっと思っていた。


 東先生は意識をとりもどしてから、すごくよく頑張った。リハビリを誰よりも頑張っていた姿も、専門学校せんもんがっこうに行くために一生懸命に勉強していた姿も、またボクシングをできるようになって頑張って練習している姿も僕は見ていた。

 病院で働くようになって、リハビリの先生とボクシングとの両立は大変そうだったけど、先生はその両方を楽しんでいた。

 僕は嬉しかった。見ている事しかできなかったけど、先生の事が大好きになった。


 そしてあの日‥‥‥。

 本当に突然の出来事で、死因しいんなぞのままなんだけど、東先生が亡くなった。

 その日の夜中、先生はいつもと変わりなく眠っていたのに、朝、目をさまさなかった。

 僕は先生の枕元まくらもとにいたのに、その事に気づきもしなかった。何もできなかった。いたたまれなかった。


 ハタラキバチだったハニーと違って、僕はもともとオスバチだから無能むのうなんだ。

 女王蜂じょうおうばち交尾こうびするためだけに生まれてきて、何も働かず、ハタラキバチにやしなわれて、役目を終えると巣の外に追い出される運命うんめいだ。


 覚悟かくごを持って、絵から飛び出した所で、何もできる事はない。

 ただただ僕は悲しくて、毎日毎日泣いていた。


 そんなある日、東先生の声が聞こえたような気がした。


「ミーヤ、お願いがあるんだ。僕のたましいはまだ生きている。僕はまだやりたい事がある。

 せめてあと1人だけでいいから、誰かの役に立ちたいんだ。病院で悲しんでいる子がいたら、僕の心の声を届けてほしい。

 ミーヤならできるよ。強い願いを持ち続ければ、いつかきっと飛び立てる日がくるから」と。


 あの時、僕は強い意志を持つ事ができた。

 そして、ハニーに刺されたいぶきという子が病院で悲しんでいると知った時、東先生の靴下から飛び出る事ができたんだ。

 ハニーに自分の命を失う覚悟かくごを持たせた子、いぶきこそが東先生の心の声を届けるべき子なんだと分かったから。


 🐝


 朝、目が覚めると涙がほほにつたっていた。ミーヤ、教えてくれてありがとう。4になってくれてありがとう。


 その涙を手でぬぐうと、ほっぺたの小さな傷跡きずあとにふれた。

 3となったハニーが付けてくれた傷跡。東先生とつなげてくれた傷跡。

 その傷跡がいとおしくて、しばらくの間、その手にぬくもりを感じていた。

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