第172話 末松冬華の愚かさ(末松冬華視点)

 森の開けた場所へと雪華は着地する。

 しがみついていた2人は足を離し、抱えていた2人も腕から離す。


「嬢ちゃんには2度も助けられちまったな。礼を言うぜ」

「1度目は偶然。2度目はついでじゃ。感謝の必要は無い」

「ふっ、見た目は変わっても冷めたところは一緒だな」


 工作員の男は苦笑しつつ肩をすくめた。


「我々はあの場で死ぬべきだったし覚悟は決めていたが、しかし助かる方法があればそれに飛びついてしまうものだな。我ながら情けない。いや、だが君には感謝している。仲間同様に礼を言うよ。ありがとう」

「うむ。これから国へ帰るのかの?」

「ああ。目的のものを手に入れられなかった咎めは受けるかもしれないが、ロシア側の人造人間開発計画も潰れた。持ち帰る結果はそんなに悪くないさ」

「嬢ちゃんのことは研究所の爆発で見失ったことにしておくぜ。まあもう研究データも存在しないんだ。捜すことも無いだろうよ」

「そうじゃな」


 仮にまたアメリカ機密情報局とやらが接触をしてきても、協力する気は無い。丁重にお帰りいただくだけだ。


「俺たちは車へ戻って空港へ向かうが、嬢ちゃんはどうする? 日本までの飛行機代くらいは払ってやってもいいぜ」

「いや、今は飛行機で帰るよりこっちのほうが早い」


 と、雪華は背中の翼を指差す。


「ははっ、違いねぇ」

「もう会うことは無いだろうが達者でな」

「じゃあな嬢ちゃん。化け物の腹にいたこと以外はなかなか楽しい旅行だったぜ」


 そう言って工作員2人は去って行く。


 ……残された3人はしばらく無言で森の開けた場所へ立っていた。


「これからどうするんじゃ?」


 やがて雪華が口を開き、上一郎へ向かって問う。


「……どうもこうも、ここへ来た目的は失った。どうするもなにもない。逆に聞くが、お前は私たちをどうしたい? 儲けのためにお前を作って利用した私たちを恨んでいるんじゃないのか? 殺したいんじゃないのか?」

「……」


 上一郎の問いに対し、雪華は首を横へ振る。


「恨んではおらん。今となってはどうでもよいことじゃ」


 雪華としての自分には、彼らを恨む気持ちもあるのだろう。だが自分は末松冬華でもある。それを考えると、自業自得という気持ちも強かった。


「そうか。……すまなかったな」


 謝罪の言葉を口にする表情に、本来の上一郎の面影が見えた気がした。


「その言葉はいつか小太郎にも言ってやるとよい」

「小太郎にもか。……そうだな」


 心の中でなにを思うのか、重々しい声音で上一郎はそう言葉を吐いた。


「お前はこれからどうする? 日本へ帰るのか?」

「うむ。そのつもりじゃ」


 このまま小太郎の前から消えようとも思っていた。

 しかし今は小太郎に会いたい。たった数日ほどしか離れていないのに、側にいてやれていないことが不安でしかたなかった。


 ちゃんと食事をしているのか? 洗濯物は溜めてないか? ひとりで寂しい思いをしているのではないか?


 今までずっとひとりで暮らしていたのだ。ちゃんと生活はできているだろうし、寂しいなんてことも無いだろう。そんなことはわかっている。


 ただ心配したいのだ。小太郎を心配して、世話をしたいという思いが溢れてたまらなかった。


「私たちも日本へ連れ帰るか?」

「それを望むならばそうしてもよい。しかし日本へ帰ればお前らはふたたび収監される。下手をすれば死刑もありえるじゃろう」

「……」

「わしは正義の味方ではない。スキルサークレットで異形種になった者たちは気の毒じゃが、そのことでお前たちを咎めるつもりはない。強制的にとはいえ、異形種を取り込んで力にしたわしも共犯みたいなものじゃしの。じゃからお前たちを無理やり日本へ連れ帰って警察に突き出そうとは思わん」


 本来ならばふん縛って日本の警察へ突き出すべきなのだろう。そうしないのは自分の中にある末松冬華の記憶による愚かさだ。

 その愚かさは本来の世界、この世界、2人の末松冬華共通の思いであった。


「ふむ。望むならば行きたい場所へ送ってやってもよい」

「行きたい場所か……」

「迷うこともあるまい。海外のどこかに財産を隠しているのは知っておる。確かイタリアじゃったかの」

「う、うむ。知っていたのか」

「しばらくは同じ家で暮らしていたからの」


 贅沢はできないが、2人が暮らしていくには十分な金額だったと思う。


「さて、ではイタリアはどっちの方角かのう……」


 この身体で飛べば数分で地球を一周できる。

 てきとうに飛び回っても、そのうち目的地を見つけられるだろう。


「待てよ雪華」


 と、そのとき今まで黙っていた忠次が声を上げる。


「お前の頭にはあの女の記憶がある。だがお前からはあの女の冷徹さを感じない。これはどういうことなんだ? お前の頭には本当に、あの冷徹で……息子の俺たちをなんとも思っていなかった末松冬華がいるのか?」

「……」


 この疑問に答えるのは簡単だ。小太郎に話した本来の世界の話をしてやればいいだけのこと。

 しかし忠次の言葉には単純な疑問というより、なにか感情的なものが含まれているような気がして、どう答えたものか雪華は迷う。


「わしの頭に冷徹な末松冬華はいる。しかし同時にお前や小太郎をかわいく思う母としての末松冬華もいるのじゃ」

「嘘を吐くなっ!」


 雪華の答えを聞いて忠次は叫ぶ。


「あの女は俺たちに対してなんの感情も無かったっ! かわいく思っていただと? そんなことは絶対に無いっ!」

「お前がそう思うのも無理はない。お前や小太郎には辛い思いをさせた。本当にすまないと思っている」

「い、今さらそんなこと……。うう……なんだこれ? あの女が俺たち兄弟をかわいく思っていた? そんなことはない。けど……けどそうだったような気もする。なんだよこれ? 俺の頭はどうなっちまったんだ?」


 困惑の表情で頭を抱える忠次。


 本来の記憶が忠次を混乱させているのだろう。しかし恐らくその記憶が表に出てくることは無い。末松冬華という母親は冷徹で我が子に興味が無かった。この世界ではそれが真実なのだから……。


「では行くぞ。少し時間はかかるかもしれんがの」


 2人を抱えて雪華は飛び立つ。

 森の上空を高速で抜けて行き、やがてロシアから脱出した。


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 最新話まで読んでいただきありがとうございます。感謝です。


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