ぬるま湯


 映像の中の九頭竜たちはまだ生きている。

 毎日同じ時間になると配信が開始される。俺はただ見ているだけだ。

 九頭竜の顔色が悪い。腹を銃で打たれたんだ。死んでもおかしくなかったんだ。


 内海の母親は必死で柳瀬の子供たちを守っている。

 だが、実際は姉妹が内海の母親を助けていた。この状況に一番適応していたのは柳瀬姉妹の姉であった。


 知らない女の子が九頭竜たちのチームに入った。

 所作を見る限りあれは幼馴染のそれである。だが、顔は全く違う……。


 人が変わっていく。その様子を見るだけしかできない。経験したものにしかわからない。

 勝ったとしてももう二度と日常には戻れない。



***



「ちょっと隆史〜、それは録画だって。無事に第一ゲームをクリアしたでしょ? ふふん、衛兵として導いてるんだよ!」


「そうだな」


 カフェテリアでお茶をしていた俺と幼馴染。

 幼馴染はほっぺたを膨らませて俺を軽く睨んでいた。見方によっては愛らしく見えるだろう。昔の俺だったら顔を赤くしていただろう。


 ……配信で映っていたのはやはり幼馴染だ。


「あっ、顔赤くなってるよ? 隆史、私がかわいいからでしょ!」


「そうだよ」


 俺の返事で嬉しそうな笑顔を振りまく幼馴染。

 ふと、俺たちがいるカフェテリアにうちの生徒が入ってくるのが見えた。

 幼馴染がそいつらに向かって手を振る。


「おーい、こっちだよ!! えへへ、ちゃんと誤解を解いておいたんだよ! 私えらいでしょ!」


「……そうだな」


 俺たちの方へ向かって歩いてくる後輩と女友達の山田。

 二度と俺はこいつらと関わらないと思っていた。


「せ、先輩、わ、私、ここにいていいの?」

「……桃子ちゃん、こんな奴のそばに寄っちゃ駄目よ」


「もう、二人共〜……言ったでしょ? 隆史はゲームのショックで性格悪くなっただけなんだから。普通に接していったら元に戻るって。ほら、隆史、謝って、ねっ」


 俺は二人を見つめる。

 二人からは怯えの色が見える。

 心に何も感情が浮かばない。思い出はすでにない。名前ももう記憶から消した。

 最善の行動をするだけだ。


 俺は頭を下げていた。


「……二人共すまなかった」


 俺の様子を見て驚きの表情を浮かべる二人。


「あっ、そ、そんな、わたしだって、先輩の気持ちを全然考えなくて……ごめんなさい」


「……あ、あんたが謝っても透ちゃんは帰ってこないわ。……でも、不倫は良くないわよね。……あんたが殺したわけじゃないって頭では理解してるわ。どうしていいかわからないのよ……」


「ほらほら、席に座ってよ。みんなで昔みたいに喋れば元気になるよ! あっ、店員さん、クレープ追加でお願い!!」


 後輩が俺の隣に座る。おどおどと俺に喋りかけてきた。


「あ、あのね、相澤君とは、何もなかったんだよ。そ、それに相澤君は生徒会長と仲良かったから」


「そうだな、わかってる」


 俺がそう言うと後輩の顔が明るくなる。まるで昔に戻ったかのようにすごい勢いで喋り始める。

 その会話に加わる幼馴染と山田。


 俺は適当な相槌を打ちながら過ごす。確かに傍から見たら昔と同じような光景だろう。

 だが、全く違う。


 もう二度とあの頃には戻れないんだ――





 ***********




 その日は幼馴染が学校に出席していた。

 教室は歓迎と喜びの雰囲気に包まれていた。

 デスゲームが行われない日だ。デスゲームは長い時間をかけて行われる。

 休息をするときの人間模様も観ている奴らにとって娯楽の一つとなる。


 デスゲームで人が死ぬのはゲーム中だけではない。休息時間に揉め事を起こし人が死ぬんだ。


 今回のデスゲームは閉鎖的な空間だ。狭い建物の中でそれが行われている。

 ……被害者の会の森川がゲームの場所を知っていると言っていた。


 だが、たかが場所がわかったくらいでは話にならない。

 俺が知りたいのは運営の奴らの居場所だ。


 その居場所を知っているであろう幼馴染。相澤が最後に俺に告げた言葉。

 幼馴染は運営側として生きている――


「ふぅ、みんな私の事好きすぎでしょ!? もう、ちゃんと生きてるから安心してよ。ね、隆史」


 幼馴染はクラスメイトに対して、俺の事を庇った。

 あれは強制された事だからしかたない、隆史が悪いわけではない、あの場にいるみんな人を殺してしまった、罪の意識がある――


 幼馴染の心のこもった真摯な演説によって、クラスメイトの俺へのヘイトが薄れていった。

 極めつけは山田が俺に普通に話しかけてきたからだ。


 あの不倫相手を殺されて、俺に呪詛を吐いた山田が、だ。

 幼馴染はこの一日で俺の周りの空気を変えてしまった。


「これで隆史の事を悪く言う人はいないよ! えへへ、あとでまたカフェで奢ってね」


「そうだな」


 ざわつく教室。山田と仲が良いひょうきん者の男子が俺に近づく。


「あー、俺らが悪かったわ。お前は生き延びるので必死だったんだもんな。……また一緒にバスケやろうな」


 それに続く生徒たち。


「べ、別に小山内君が怖かったわけじゃないよ。だって、あんな事があったから……」

「隆史、ごめんな。……お前が悪いわけじゃねえのによ」

「お前の幼馴染が帰ってきて良かったな……」

「もう今日は授業いらなくね?」


 和気あいあいとした雰囲気の教室。俺は仮面を被る。

 それが今の最適解である。


「――そうだな」


 俺は隣にいる幼馴染に向けて笑顔を浮かべる。

 幼馴染も微笑み返す。

 後輩がそれを見てほっぺたを膨らませながら俺にちょっかいをかける。

 山田が皮肉をいいながら後輩をたしなめる。その視線は柔らかかった。


 普通の日常だ。俺が求めて止まなかった普通の日常がそこにあった。


 だが、俺の心は空虚であった。

 そんな俺に幼馴染が俺にスマホの画面をこっそり見せてきた。

 そこには衛兵姿の幼馴染と……包帯を巻いて囚人服を着ている、内海に見える人物が、いた。


 幼馴染が耳打ちをする。


「証拠あったでしょ? ……ねえ、会いたい? でも隆史には私がいるんだよ? 浮気は駄目だよ。……会わせてもいいけど条件があるよ。それはね――」


 教室の温度が下がったような気がした。

 幼馴染の雰囲気が変わる。


「――九頭龍さんたちを次のゲームで殺していいなら内海さんに会わせてあげるよ。それでみんなで学校生活を青春しようよ」


 その言葉を聞いて、俺はデスゲームで生き残った時の感情を思い出してしまった。

 あの感情はなんて言えばいいのだろう。

 怒りでは収まらない憤怒と言っていいのか。


 それでも俺は幼馴染に笑顔で頷いた。


「そうだな」


 知らぬ間に口の中で血の味が広がっていた――


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