第39話 Southpaw

ボウリング場の裏手の公園の入口に到着すると、公園の真ん中で黒髪の女性が、2人組の片割れ、銀髪の大柄な男に腕を掴まれている光景が目に入った。


事態を察した俺は、公園のど真ん中を切り裂くように走る。間違いなく生まれてから17年で一番速いスピードが出ていたと思う。


一瞬で遥さんに近づくと、目をつぶる彼女の目の前で止まる。そして俺の姿を目にしてあっけに取られていた2人組の男の片方、遥さんの腕を抑えていた銀髪に向かい、左足を踏ん張って体をひねるようにし、握りしめた右拳を突き出す。


きれいに線を描くように放たれたオーソドックスなボディーブローが、銀髪の男の鳩尾にクリーンヒットする。膝をつく銀髪から、右前にいた金髪の小太りの男に目を移すと、小太りの男は「ヒィッ」と怯えた声をあげた。


斜め後ろに目を移すと、恐る恐る目を開けた遥さんと一瞬だけ目があった。彼女を抱きしめたくなる気持ちを抑えて、俺は彼女の前に立ちはだかる。


膝をついていた銀髪がゆっくりと立ち上がって、少し息を吐く。タフだな、いい感じで鳩尾に入ったんだけど。


「へえ……お前、ボクシングやってるのか……」


銀髪の男がそう言うと、一瞬体をひねるように動かした。直後、男の右足から鋭く放たれたローキックが俺の左足のふくらはぎに当たり、鈍い痛みが走る。


この銀髪……キックボクシングやってるな。俺が蹴られたのを見て、後ろから遥さんの小さな悲鳴が聞こえる。


遥さんを守りながら、目の前の2人組を相手にするのはなかなか難しい。片方の男だけ警戒しているわけにもいかず、両方に目を配らないといけないことから、俺は最初の蹴りを避けきれなかった。


以前ビルで8人を倒した際、相手はほとんど素人だったし、カブが一緒にいた。今回は俺一人で、しかも片方はキックボクシングの使い手だ。


蹴りの鋭さ、重さから察するに、この銀髪はなかなかやる。俺は一度深呼吸すると、心の中でカブの親父さんである会長に対し、心の中で手を合わせ謝った。


(会長、ごめん、ちょっと約束破ります)


心の中でそう謝った俺は、それまで前に出していた左足を後ろに下げて、代わりに右足を少し前に出す。


右手の拳を軽く握りながら右肩の高さまで上げると、左手を自分の顎の前に持ってきて、左肘を左の腹部に近づけた。


「サ、サウスポー……」


右前にいた金髪の小太りの男が呟くように言う。


「構え変えただけだろ、どうってことねえよ……」


銀髪の男が言い終わるかどうかのタイミングで、俺は前に出た。少し曲げた右膝を踏み込み、銀髪に向かって左のフックを叩きこむ。なんとか腕でガードした銀髪だったが、フックの重みで後ろにのけぞる。


苦し紛れか右のローキックが飛んでくるが、先ほど一度見たことで、俺は間合いを把握していた。少しだけ後ろに下がって蹴りを交わすと、バランスを崩し気味の銀髪との距離を詰め、もう一度左のストレートを繰り出していく。


左ストレートを右腕でガードした銀髪が、その衝撃で思わず足をふらつかせた。バランスを崩したのを見逃さなかった俺は、更にもう一歩距離を詰めると、右肘を内側に締めるように動かして、右の拳をわざと見せるように動かす。


銀髪はそれに気づいて、俺の右腕側にガードする両腕を移動させた。俺は相手がこちらの狙い通り動いてくれたことに心の中で感謝しながら、体を右に捻り、余していた左腕を銀髪のガードの脇から鋭くねじ込み、左の拳を顎に直撃させた。


「んぐ……!」


くぐもった声を上げた銀髪は一瞬体を浮かせるようにし、ガードしていた両腕をダラリと下げ、膝から地面へ崩れ落ち倒れた。


「あ、兄貴……?」


隣にいた金髪の小太りの男が兄貴格の男が目の前で倒れたことに狼狽する。今目の前で起きた事態を飲み込めていないようだった。その姿を見て、俺はこの男が、1カ月前遥さんを襲いかけた男たちの輪の中にいたことを思い出す。


コイツ、この前最後にナイフを持ち出したヤツだ……。俺が思い出した直後、焦りだした金髪が右手をポケットに入れて、再度ナイフを取り出す。


またか。反省のない男だな……。俺は内心呆れながら、再度、サウスポースタイルに構え直した。後ろで遥さんが息を飲んでいるのが分かるが、この男はナイフを振り回すだけの素人だ。俺には動きは十分見えている。避けながら拳を入れる自信もあった。


少しの間、静寂が流れる。俺が距離を詰めようとつま先に力を込めたその時、突然金髪のふくよかな左頬が少し沈んだ。


「ダーメーよ?♡そんな危ないものを持って♡」


気が付いたら、カブが金髪の頬を、右手の人差し指で突いていた。金髪は「ヒィ……!?」と呟くように言うと、気を失ったように膝から崩れ落ち倒れた。え、頬を指でツンってするだけで人って倒せるの?


「フフッ……必殺、魔性のゴールドフィンガー……」


しかも技名があるのか、その頬を突く行為に……。



☆☆☆



突然現れた歌舞くんが、ほっぺをツンって突いた瞬間、金髪の小太りの男の人が倒れた。え、頬をツンってするだけで人って倒せるの?そんなことってある……?


驚きのあまり固まっていた私に目に、公園の入口のほうから駆け寄ってきた数人の男の人たちが目に入った。


先頭を走る茶髪の男の人は見覚えがある。前に俊くんとスパーリングしていた平さんだ。後ろにいたスキンヘッドの男の人も見覚えがある。歌舞くんのお父さん。一度見たら忘れない風貌。


助かった。私の体から力が抜ける。倒れかけた私を、俊くんが「おっ……と」と言いながら支えてくれた。その瞬間、私の目から涙があふれ出る。


先ほどまで心を恐怖に支配されていた私は、そのまま俊くんに抱き着いて、彼の制服の胸元を涙で濡らした。本当にもうダメだと思った。そう思った瞬間、俊くんが現れて、私を助けてくれた。


「俊くん……!俊くん……!私……ッ!」


お礼を言おうとしても、私の口からは嗚咽しか出てこない。これまでの1カ月間、何度も俊くんに助けられた記憶が次々と頭を駆け巡って、涙がとめどなく溢れる。


「ごめん……ごめんね……!」

「……謝らなくていいから。遥さんが無事なのが何よりだよ……。君に何かあったら、俺は一生後悔するところだった」


そう言いながら、彼は私を抱きしめつつ、何度も頭をなでてくれるのだった。




「ウチの界隈でとんでもねえことしやがって」


少しだけ落ち着いた私が俊くんから離れると、スキンヘッドの歌舞パパが、地面にうつぶせに横たわって倒れていた銀髪の男の人の背中の上に馬乗りになって、右腕に関節技を極めていた。銀髪の男の人が苦しそうな声を上げる。


「痛いか?お前はさっき、この痛みの何万倍、いや、比べられないくらいの痛みを女の子に与えようとしていたんだぞ?」


歌舞パパは腕を極めながら強引に男を立たせると、平さんに引き渡す。平さんが男を引っ張るように連れて行った。どうやら警察へ連れていくらしい。


「さてと……。まずは白鳥さん、ケガがないようで良かった。息子から連絡受けてすぐ飛んできたんだが、悪いな、到着が遅れて」

「い、いえ、こちらこそ、ご迷惑を……おかけしました……」


頭を下げる歌舞パパに私も頭を下げる。いえ、歌舞さん、全部私が悪いんです……。しばらくして頭を上げた歌舞パパは、なぜか俊くんをジッと見つめていた。


「俊、遠目からしか見てねぇが……お前、左、使ったな?」

「すいません会長……今日だけは使わせてもらいました。罰は後で受けます」

「……いや、いい。この銀髪は格闘技の経験者みたいだ。素人じゃない。俺は素人や同世代のアマチュア相手にサウスポースタイルを禁じただけで、経験者相手に禁じた覚えはないぞ」

「か、会長……」

「男の拳は女の子を護るためにある。俊、お前は今日も正しく拳を使った。……よく頑張った」


頭を下げる俊くんの肩をポンと叩いて、歌舞パパは金髪の小太りの男を引っ張りながらジムのほうに歩いていった。


「俊はね、パパから普段のサウスポースタイルを制限されてたのよ」


不思議そうな顔をしていたことから察したのか、歌舞くんが私に声を掛ける。


「サウスポー……?」

「簡単に言えば左利きのスタイルね。でも素人さんや同世代のボクシング歴の浅い子たち相手だと俊が本気を出したらちょっと危ないし、俊は元々少しバランスが悪いところがあるから、あえて本来のスタイルを禁じられてたの」

「今日は仕方ないだろ……。後ろに遥さんがいたし、カブもいないし、相手はキックの経験者みたいだったし……」


少し疲れたような表情を浮かべた俊くんが会話に入ってくる。そういえば俊くんはごはんを食べる時も左手で箸を持っていたことを思い出した。


同時に、公園の入口からこちらに駆け寄ってくる麻友と、卓くんの姿が目に入った。私は麻友と抱き合い、再度涙を流しながら、逃げてしまったことを何度も謝罪するのだった。

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