第5話

 ルカリオンが訪ねて来るわけはない。彼なら再度呼びつければいいだけの話だ。

 扉を開けて立っていたのはアヴァンティアともう一人。濃いオレンジ色の髪をなびかせた竜人だった。


 竜人は皆人間離れした容貌なので性別を見た目で判断するのは難しい。女性は装飾品をつけている場合が多いようなので、ブレスレットを幾重にもつけているこのオレンジ髪の竜人もおそらく女性だろう。


 リヒトシュタインに視線で確認したが、誰か分からないようで不思議そうな顔をしている。

 これはもしかして、一夫多妻制の候補者だろうか。リヒトシュタインの。


「番紛いについて話があるの」


 アヴァンティアがそう口にしたのを合図に、リヒトシュタインとの視線での会話をやめて中に入ってもらった。


「エーファ様。私に番紛いを作ってくださいませんか」


 オルタンシアと名乗ったオレンジ髪竜人は、エーファとリヒトシュタインを興味深そうに見てから丁寧に頭を下げておかしなことを話し始めた。

 そして竜人の名前は大体長い。五文字以上でないといけないルールでもあるのだろうか。


「……どういうことですか?」

「私はルカリオン竜王陛下の番になりたいのです。でも、番紛いを作るのに不安があります。せっかく作っても効果がなかったり、別の効果になってしまったりしたら意味がないでしょう?」


 頬を染めてそんなことを言われても。

エーファだって命は惜しい。ここで頷いたらルカリオンに殺されそうなことくらい分かる。


「それはさすがに竜王陛下の同意が必要なのではありませんか?」

「えぇ。分かっています」


 そもそも髪の毛なんかも必要だもの。リヒトシュタインの視線を首あたりに感じたが無視する。エーファが同意を取らず事後承諾のような形だったのをからかいたいのだろう。


「ですので、アヴァンティア様にはもうすでに許しをいただいています」


 いくらルカリオンが母親依存だと言っても……母親が妃を迎えない子供に焦って代わりに許可を出すのは違うのではないだろうか。


「陛下の髪の毛ならここに」


 オルタンシアは大事そうに布に包まれた何かを袂から取り出すのでエーファは慌てた。


「え? 髪の毛をどうやって……」

「枕についていたものをアヴァンティア様が」

「今のは聞かなかったことにしますね」


 この人と会話しているとツッコミ役にされそうだ。それに、髪の毛……エーファが作った時はもっと入れたので少ないと思う。


「竜人同士ならあっちも番紛いを飲まなければ意味がないだろう」

「そうだった」


 エーファに番の概念がないからよく分かっていなかった。竜人同士なら双方番紛いを飲まないとダメなのか。


「彼女は番紛いを飲んでもいいと言ってくれている唯一のルカリオンの妃候補者なの。私みたいな失敗例があるもの。みんな慎重になるのは仕方がないわ」

「私はルカリオン様が竜王に即位される前から、ずっと好きなのです」


 いや、だから頬を染めて私に言われても。今すぐルカリオンのところに告白しに行った方がいい。


「番紛いは簡単に作れるのではありませんか? 髪の毛まで揃っているならより簡単でしょう。勝手に作って陛下を説得してお互い飲めば良いのではないでしょうか」

「それは……あなたは二度も番紛い作成を成功させているでしょう。確実性が欲しいの」

「アヴァンティア様の時はなぜ失敗したのでしょうか?」

「それが分かっていれば、こうやって頼まないわ」

「そもそも番紛いは必ず飲まなければいけないんですか? 一夫多妻制で恋愛結婚もあるならそれでいいのでは……」

「リヒトシュタインのように番が現れてしまっては困るの。ルカリオンはまだ結婚しないと言っているけれど、一生するつもりがないように見えるわ。番紛いも私のことがあるから飲んでくれない」

「アヴァンティア様のご懸念は陛下が結婚しないことではなく、陛下の番がたまたま見つかってしまうことですか?」

「そうよ。これだけ経っても番が見つからないのならばあの子の番は人間である可能性が高い。もし、見つけてしまったら先代竜王陛下のようになるでしょう。そして正気に戻った時に傷つくのは……あの子もだけれど、もちろん番である人間もでしょうね」


 それでオルタンシアと番にしてしまおうということか。

 紫とオレンジの髪が並んでいるので目がチカチカしてきた。


「番紛いを作ってくれれば、ここにいくら滞在しても構わないわ。番紛いについての情報もいくらでも渡します。他の竜人たちにも言い含めておきましょう」

「一応聞くのですが、断ったらどうなりますか?」

「リヒトシュタインがいくら強くても、束になった竜人相手では厳しいでしょう。あなただっていくら魔法に優れていても竜人の相手にはならない」


 さすが先代王妃。完全に脅しにかかっているのに気高い。


「そのわりには最初から脅さずにお願いをされたのですね」

「脅さなくても、あなたに損のある話じゃないでしょう?」

「竜王陛下に殺されなければ、ですね」

「ルカリオンには私が飲ませます。このすべての行動は私の計画です」


 エーファはオレンジ髪の竜人を見た。彼女はずっとニコニコしている。


「いいんですか?」

「はい。私も竜人の中に番はおりませんでした。ルカリオン様を慕っておりますのでむしろ良かったのです」

「番紛いで得た愛が偽物だとか悩むかもしれません」

「それはエーファ様が現在お悩みだということですか?」

「……いいえ。私には番の概念がないので番の愛というものは分かりませんから」


 オルタンシアは不思議そうに首をかしげてから笑った。


「偽物だろうと紛い物だろうと貫けば本物になるはずです。最初から諦めたら愛かどうかさえ分からないではありませんか」


 もしかして竜人には脳筋が多いのだろうか。なんなのだ、諦めたらそこで人生終了ですよ、とでも言いたげな表情は。


「私は番紛いを飲んでから考えます。だって一人で考えていても愛が何かは分かりませんから。ルカリオン様と話し合ったり、喧嘩したり、時には殺し合ったりしながら考えます。目の前の人がいなければ自分の愛は分かりません」


 変な気分だ。初対面のオレンジ髪の竜人と愛について話すなんて。殺し合いという発言については知らない振りを貫く。


「分かりました。番紛いは作りましょう」


 隣でリヒトシュタインが驚いたようにわずかに動いたが、エーファは視線で制した。


「ただし、条件があります。竜王陛下には私から説明をして納得してもらってから番紛いを飲んでいただきます」

「あの子は絶対に反対するわ」


 もちろん、アヴァンティアには反対された。材料から集める必要がありすぐにはできないので、ひとまず二人には帰ってもらう。髪の毛ももっと集めてくれと頼んでおいた。


「エーファ様。竜人は細かい作業が苦手なのです。おそらく、アヴァンティア様もそれで番紛いを失敗されたのだと思います」


 オルタンシアは帰り際に本当かどうかわからないことをこそっと教えてくれた。

 番紛いを失敗したからアヴァンティアにあんなことが起きたのだとしたらエーファは失敗できないので余計にプレッシャーだ。何も知らずに番紛いを作っていた時が一番気楽だったのに。


 二人を送り出して戻ってくると、リヒトシュタインに手を引かれた。ポスンと膝の上に座らされる。今回は腕で囲い込まれておらず、そこまで強い力でもない。


「いつもみたいに叩かないのか」


 エーファが黙って大人しく座っているのを疑問に思ったのか、リヒトシュタインが笑いを含んで聞いてくる。


「緊張してる人のことを叩かないわよ」


 三カ月も一緒にいたら何となく分かる。リヒトシュタインは天空城に戻って来てからずっと緊張しているのだ。軽口はいつものことだが、普段より口数が多い。しかも、天空城についてからやたらベタベタしてくる。


「俺が?」

「違うの?」


 不安定な膝の上で座り直そうとしたら落ちかけた。腕が伸びてきて腰を抱き込む。


「本当に叩かないんだな」

「叩いて欲しいならお望み通り叩くけど」


 リヒトシュタインは片手で腰を支え、もう片手でエーファの髪をいじり始めた。髪がツルツルじゃないって文句でも言われるんだろうか。


「そんなに分かるか?」

「んー、何となくだから。ちょっとおかしいなくらいで」

「情けないだろう。平気だと思っていたのに、兄と会うと緊張する。先代王妃は相変わらず出張ってくる。別に危害を加えられたわけじゃない。兄に嫌味をよく言われていたがそのくらいなのに」

「私も今から家族に会うなら緊張する」


 家族は金でエーファをドラクロアに売ったようなものだ。工事はすすんでいて、領民の生活は楽になるといってもエーファは家族を許したわけではない。


「エリス様を思い出すから緊張してるの?」

「少し違う。きっと、俺は病気でもない母親がいる兄が羨ましいんだろう。俺にはなかった現実だから」


 リヒトシュタインの母親は、彼が生まれた時から精神的におかしくなっていた。彼はどんな気持ちで長い間母親を見ていたのだろうか。竜人がどう育つのか分からないが……母親に甘えることもできず、強制的に自立を余儀なくされた彼は。

 彼の背中に手を回して軽く撫でる。この辺りには母親を連れ出そうとして先代の竜王に傷つけられた三本の爪痕があるはずだ。


「大胆だな。誘ってるのか」

「違うってば。慰めてるだけ」

「男を慰めるなら別の方法がいい」


 うっかり本気で今度は背中を叩いたのに、リヒトシュタインは満足げに笑って首筋に顔を埋めてきた。


「この変態」

「褒めてるのか」

「貶してるの」


 息が当たってくすぐったい。体をモゾモゾ動かしたが腕で阻まれて無意味だった。


「番紛いについて調べて、あとは二人に飲ませたらすぐ出て行こう。今のあなたには私がいるでしょ」


 肩をぺちぺち叩くと、リヒトシュタインの顔は見えないが笑ったのが分かった。


「本当に番紛いをあいつらのために作るのか」

「うん。情報をもらうにはアヴァンティア様の協力は必要だから。それに、人間が誘拐されるようにして番にされるのももうたくさんだから」

「なぜ兄を説得しようとする。エーファがやったように食べ物に混ぜればバレないだろう」

「何度も騙して飲ませるのは嫌なの」

「ふぅん、そうか」


 リヒトシュタインは聞いてきたわりに興味がなさそうな返事をする。


「騙した自覚はあるのか」

「あるわよ。だから、キョウチクトウの毒はいつでもちゃんと持ってるから」

「竜人を騙す女は怖いな」


 エーファはリヒトシュタインの鼻をつまんだ。


「私にすべてを預けたんでしょ」

「俺の番はやはりトラのような女だ」


 エーファは鼻から手を放すとリヒトシュタインの胸に頭を預ける。


 ドラクロアに連れてこられてからエーファの性格に変化があったかもしれない。


 ギデオンに奪われた自由を取り戻すために必死でドラクロアから逃げ出そうとした。友人が絶望して泣くのも、目の前で死ぬのも見た。公爵夫人とギデオンだって殺した。

 あの頃、いつもエーファは不自由で一人だった。今は自由で、決して一人ではない。


「なんだ。珍しいな」

「世界に一人じゃないって確認してるの」

「あぁ。番というのは世界に二人ぼっち、という感覚だからな」

「へぇ」


 胸に頭を預けたままリヒトシュタインの手触りのいい黒髪をいじる。番よりも二人ぼっちの方がエーファの心には響いた。


「その言葉の方が番よりいい。世界で一番ロマンチックかもしれない」


 世界に二人ぼっちだったらいい。お互いのことだけ想って考えていられるなら。それが番紛いで作れるならそっちの方がいい。


 リヒトシュタインが顔を近付けてきて垂れた黒髪で視界が覆われた。エーファの見ている世界は暗くなる。でも色褪せてはいなかった。


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