土いじり

 




 月日が経つのは早いもので、アルバート様がこの屋敷を留守にしてから十日と一日が経った。



 夫に放置され、私は悲嘆に暮れて…ということは勿論なく、むしろ各方面に申し訳ないほど新生活をエンジョイしている。


 なんといっても夫のいない公爵家は極楽だ。

 食事はとんでもなく美味しいし、ベッドはふっかふかのもっふもふ。凡庸伯爵家にはとても手の出せない素晴らしい衣食住の数々は、夫の性格の悪さを補ってなお余りある幸福度。今のところはこの結婚、プラスマイナスややプラス。

 あと百年は別居できたらいいのになあ。


 それに何より私が楽しんでるのは、公爵家の劇的ビフォーアフターだ。


 日々注文した美術品が次々届いて屋敷を飾り、瑞々しい草花が廊下やお部屋にこれでもかとたくさん生けられ、暗い色合いだった絨毯やカーテンも華やかなものへと変わった。


 それから、侍女たち。

 以前と打って変わってフレンドリーに……ということは、全くない。彼女たちは今日もプロフェッショナルに淡々と、私のお世話をしてくれている。

 だけど毎日お化粧をするようになった彼女たちは仕事ができるオーラと相まって、なんだかとても華やかで美しく見える。女主人だというのに、完全にオーラで負けている。


 何にせよ以前の暗く鬱々とした屋敷の面影はまるでない。

 よもやアルバート様も、この短期間にここまで屋敷が侵食されているとは夢にも思うまい……!



 もう顔も曖昧な夫のギャフン顔を想像してほくそ笑みながらふかふかした土をシャベルで掘っていると、この公爵邸に勤めて四十年だという庭師のハリーが目尻に皺を寄せて微笑んだ。


「ヴィオラ様は土いじりが本当に好きでいらっしゃるんですねえ」

「あ、ええ、まあ、ね?」


 まさかアルバート様のギャフン顔を想像してたとは言えずに、私はへへっと誤魔化し笑いをして掘った黒土に、可憐なパンジーの花をそっと植えた。



 今日、私は花壇にお花を植える手伝いをしている。


 改装というものは見ていてとても面白い。順調すぎるほど順調に進んでいる庭園の改装を、私は差し入れを口実に、隙あらば庭園にちょくちょく顔を出してじいっと観察していた。


 一応邪魔しないように気配を潜めながら見ていたのだけど、それを見かねたのかハリーが話しかけてくれるようになり、今ではちょっとだけ仲良くなれた、と思う。


 ハリーの見た目は少しだけ迫力がある。

「人を簀巻きにして東京湾に沈めることを生業にしていました」といった雰囲気を出しているけれど、庭師の仕事を心から愛する好々爺だ。


 そんなハリーに「私も改装のお手伝いやってみたい」と言ったところ、彼は驚きながらもお花を植えるくらいなら、と快諾してくれた。


 そして昨日出来上がった花壇にたくさんのお花を植える今日、私もお手伝いをさせてもらっているというわけだ。


 実家から念のために持ってきた土いじり用の軽装とブーツに身を包み、私はハリーと一緒に花の苗を花壇に植えていく。

 広い芝生や歩道を囲むように作った花壇は果てしなく伸びていて、外部からやってきた助っ人も含めて数十人いる庭師たちは皆テキパキと無駄のない動きでどんどん花を植え付けていた。


 私も見習ってできる限りテキパキと、しかしなるべく丁寧に植え付けつつ、横のハリーに向かって口を開いた。


「折角綺麗に整えてた芝生だったのに、急にガラッと変えてごめんね」


 あの芝生だらけだった広い庭園は、ほぼハリーが全て管理していたそうだ。

 一応芝生を生かすデザインにしたつもりだけれど、新参者の私に今まで管理してきたものを一新されるのはやっぱりちょっとだけ嫌だろうと、たびたび思う。


 私の言葉に驚いたハリーが、「いや、主人の好きなように庭を整えるのが儂らの仕事ですよ」と言って微笑んだ。


「儂としては花を育てるのは好きなんで……今は年甲斐もなくわくわくしてます。勿論芝生を整えるのも嫌いな作業じゃないですけどね」


 こんなに迫力のあるお顔をして、花を育てるのが好きな心優しいおじいさん……。

 ギャップにキュンとしていると、ハリーは「昔はこの屋敷には花がたくさんあったんですよ」と微笑んだ。


「坊っちゃん……アルバート様がまだお小さい頃は、何かあると花の生垣の隙間に入って隠れたりしていましてね。坊っちゃんが怪我をしないよう棘を抜いたり、子どもが入れる隙間を作ったり、あれは大変でしたが楽しかった」

「アルバート様が?」

「そうです。まあ今のお姿からは、想像もつかんでしょうが……」


 おっしゃる通り全く想像がつかない……。

 しかし流石のアルバート様にも、心清らかで可愛らしい時代があったのだろう。


「良い香りもするし綺麗だと仰ってね。お母様に似ているのだと、それはそれはお好きでいらして……」


 それは……ものすごく可愛い……。

 時の流れは残酷だなと内心ため息を吐きつつ、私は「ハリーは良い庭師だったのねえ」と言った。


「いや、そんなことはまったく……」


 目を逸らして謙遜しかけたハリーが、私の後ろを見て急に言葉を失った。

 不思議に思って後ろを振り向くと、そこにはいるはずのない人がいた。



「ーー何をしている」


 驚いてるのか不機嫌なのか、その両方なのか。両方だろうな。

 アルバート様が土まみれの私の姿を見て、目を見開き、顔を強張らせながらそう言った。


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