【5/30コミック1巻発売】次期公爵夫人の役割だけを求めてきた、氷の薔薇と謳われる旦那様が家庭内ストーカーと化した件
皐月めい
あなたを愛することはない
初夜だというのに、待てど暮らせど夫が来ない。
「……遅すぎるわ」
寝台に腰掛けたまま、私は仰向けに寝転んだ。足元まである真っ白な夜着がふわりと揺れる。はしたないかもしれないけれど、誰もいないのだから良いだろう。
……本当に誰も来ない。
私は窓の外から覗く爪の痕のような二日月に向かって、ボソリと「お腹が空いたよう……」と呟いた。
◇
今日、私は初めて顔を合わせた美しい人と結婚した。
朝早くから開かれた盛大な結婚式には国中の高位貴族や王族までが参加して、城下のパレードでは何万もの市民が集まった。
夫も衣装も参列客も、皆きらきらと美しくて。
本当だったら目を輝かせて網膜に焼き付けようと凝視していただろうけれどーー、悲しいことにそれどころじゃなかった。
式の間中、ただだだお腹が空いていたから。
何せウエディングドレスを美しく着るために一週間ほどひもじい思いをさせられたのだ。
だから式が終わった瞬間はようやくご飯が食べられる! と喜び勇んで、るんるんで控えの間に入った……のだけれど。
そこから食事をする間もなく、新しく屋敷となった公爵邸に運ばれ、初対面の侍女たちに全身をピッカピカに磨き上げられ「旦那様がすぐに参ります!」とこの飾り気のない殺風景な夫婦の寝室に押し込まれてから、すでに三時間が経過している。
一応乙女の端くれである私にも、人並み程度にあった初夜の不安や情緒や恥じらいは跡形もなく消え去った。お腹が空いた。お腹が空きすぎてイライラしてきた。
侍女にお願いしようにも、呼べどベルを鳴らせど先程から誰も来ない。
せめて一言遅れると、サンドイッチなんかをお供に伝言を寄越すべきではないのか!
そう心の中で悪態をつきながら枕をドスドス叩いていると、扉をノックする音がした。
「どうぞ」
慌てて起き上がって姿勢を正し、私が声を出すと扉が静かに開き、ようやく今日夫となったアルバート様がやってきた。
氷の薔薇と謳われる、次期公爵アルバート・フィールディング様。
さらりとした銀髪に、冬の海のような青い瞳。
無表情のままこちらを見ているアルバート様の顔は、怖いほど整った美しい顔立ちをしている。
……顔が良いからといって許せないことはあるけど、まあ今回はサンドイッチの一つもくれたら水に流してもいいかな……。
そう一瞬で絆されかけたくらいには顔が良かった。
しかし彼が出したのは、サンドイッチではなく冷たく固い声で。
「……あなたに、一つだけ言っておきたいことがある」
「はい」
遅れてごめんね、という言葉かなと思ったけれど、どうやらそうじゃないらしい。不穏な空気を感じて公爵様の目を見ると、彼の青い宝石のような瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
「私があなたを愛することはない」
「は?」
間抜けな顔をする私を意に介さず、アルバート様は淡々と言葉を続けた。
「できる限りあなたを不幸にはしないと約束しよう。装飾品が好きと聞いた。好きなだけ買えば良い。金は充分に払う。代わりに私があなたに望むことは対外的な妻の――公爵夫人の役目のみだ。子どもも必要ない」
「は?」
「子どもは必要ないと言ったんだ。いずれ、後継の条件に合う縁戚の子を養子に……」
「……」
ぽふん!
間の抜けた音を立てて、アルバート様のお顔に枕が当たった。
青い瞳が驚きに見開かれ、私はふん、と鼻を鳴らす。
「っ、何をっ……」
「素敵なお言葉のお礼ですわ!」
にっこり笑うと、アルバート様が更に目を見開いた。
「子どもを持たずとも良い、と仰って頂けたことに感謝します。失礼な男と閨を共にすることほど、屈辱的なことはございませんもの」
投げつけられた枕を抱えて呆然としているアルバート様をぎろりと横目で見ながら、私はさっさと寝台から降りた。
「それでは失礼致します。良い夢を」
吐き捨てるようにそう言って、私はツカツカと部屋から出た。
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