第66話 お引越し
イーリスが誘拐された事件から1年の月日が流れた。イーリスも11歳になるも、相変わらずアルドにべったりとくっついている。第二成長期を迎えつつあるのか、最近はイーリスの背も少し伸び始めている。短く整えていた髪の毛も肩甲骨まで伸びて、雰囲気も少し大人びてきている。
幸せな時間を過ごす親子。エプロン姿のイーリスが作った料理をアルドに見せる。
「お父さん。今日はハンバーグを作ったの」
「お、イーリス。凄いな。いつの間にそんな料理を覚えたんだ?」
「えへへ。クララさんとミラさんに教えてもらったんだ」
アルドはイーリスが作ったハンバーグを口に含む。まだまだ拙いながらもイーリスの思いやりが感じられるような優しい味である。
「美味しいな」
「ふふふふ。ありがとうお父さん。そう言ってもらえると作った甲斐があるよ」
イーリスは笑顔でアルドが食べている様子を見つめている。アルドは食べながら話を切り出す。
「イーリス。今から大切な話をする」
「大切な話ってなあに?」
イーリスは首を傾げた。アルドは話を続ける。
「そろそろこの家を手放そうと思っているんだ」
「え? この家を……?」
イーリスはアルドから視線を逸らして家を見回した。色々な思い出が詰まっているこの家。そのほとんどはアルドから虐待を受けた苦い思い出もある。だが、アルドがまともな親になってからの2年近くの日々はイーリスにとっては、何よりも楽しい時間だった。
「ああ。そのために、お金をためていた。クララとミラがいる街に引っ越そうと思っているんだ」
「うん……」
複雑な感情がイーリスに沸いてくる。決して楽しいだけではないが、アルドと一緒に過ごして来たのは間違いなくこの家である。それに、今はこの場にいない母親との思い出もわずかながらに残っている。
「ここはイーリスにとってもあんまり良い場所じゃないからな。もっと治安が良いところの方がイーリスも安心するだろ?」
「そうだね。でも……」
そこはイーリスも同じ意見だった。子供だけで遊んでいたら、すぐに人さらいにあってしまう。イーリスもこの地区に友達がいなかったわけではない。彼女たちと会えなくなるのは少し寂しい思いもある。
「友達なら街に呼べばいい」
イーリスの心を読んだかのようにアルドが付け加える。環境が変わることに対する不安はないわけではない。でも、アルドがイーリスのことを考えて環境を変えようとしてくれていることはイーリスも理解している。
「まあ、今すぐ引っ越すってわけでもない。イーリスもこの家に思い入れがあるだろ? それまでじっくり過ごすと良いさ」
「うん。そうだね。少し寂しいけれど……」
「明日、街に売りに出されている家を見に行く。イーリスもきっと気に入る物件があるさ」
「お父さんとお出かけできるの? 楽しみだなあ」
新しい物件よりもアルドと一緒に出掛けられる方がイーリスにとっては嬉しいのだ。小躍りしてはしゃぐイーリスを見て、アルドは微笑んだ。
◇
「イーリス。準備はできたか?」
「ううん、ちょっと待ってて」
イーリスは街に行く準備に時間をかけている。主に服装のオシャレに気を遣っているわけではあるが。イーリスの年齢があがるにつれて、準備時間も比例して長くなってしまう。これは女の子であるならば、仕方のないことだ。アルドもそのことはきちんと理解を示していて、イーリスの身支度が整うまで待った。
「お待たせ。お父さん。行こ?」
「ああ」
イーリスが精いっぱいのおめかしをして、2人は家を出た。手を繋いで街まで歩いていく。アルドたちが住んでいるA地区はスラム街の中でも治安が良い方とはいえ、用心に越したことはない。親と手を繋いでいる方が子供が襲われる心配はないのだ。
街へと辿り着いたアルドは早速、物件を管理している業者のところを訪れた。
「予約をしていたアルドですけど」
「はい。お待ちしておりました。アルド様。それでは参りましょう」
スーツを着た人の良さそうな中年男性の後をついていくアルドとイーリス。目的地に着くまでに、中年男性が話題を振る。
「可愛らしいお嬢さんですね」
「ええ。自慢の娘です」
「いやはや、お父さんと仲良く手を繋いで羨ましい限りです。ウチの末娘なんてまだ6歳なのに、もう反抗期が来ているというか……一緒に手を繋いでくれないんですよね。妻にはべったり甘えているのに」
悲哀な表情を浮かべる中年男性を見てアルドは同情してしまった。父親として娘に嫌われること以上に恐ろしいことはない。アルドがもし、イーリスに嫌われたところを想像すると……それだけでぞわっと鳥肌が立ってしまう。
「はい、最初の物件はこちらですね」
「えぇ…………」
アルドは困惑してしまった。なぜならば、この館は見たことがある。街から少し外れたところにある館。1年前にイーリスを誘拐した邪霊が根城にしていた場所だ。
「最近、この屋敷を相続した人と連絡が取れましてね。ようやく売りに出すことが決まったんですよ。まあ、ちょっとしたいわくつきですが……その分、このお安くしておきますよ」
「いえ、ここはやめておきます」
「え? 一応見るだけでも……きちんと内装はリフォームしたので」
「子供が怖がっていますし」
イーリスは屋敷を見て明らかに嫌悪感を表情で示している。手汗をちょっとだけかいて緊張しているのがアルドにも伝わっている。
「それに2人で住むにはちょっと広すぎるかな」
「ああ、それは失礼いたしました。確かにこの外装はちょっと……いかにもなにかが出そうな雰囲気がしますからね」
「次は街のはずれではなくて、ちょっと中心の方を見せてくれませんか?」
「では、次の物件に参りましょう」
中年男性は心の中で残念がった。このいわくつきの物件を早く処分してしまいたい気持ちがあったからである。それなりの予算を提示したこの親子ならば気に入ってくれるかもと思っていたが……どうやら考えは甘かった。
「では、こちらのおうちはいかがでしょうか?」
中年男性が次に紹介したのは、街の中心部にある狭い家だった。家というよりもこの家の狭さは家畜小屋と言っても通用するレベルかもしれない。
「これ、家なんですか?」
「ええ。街の中心部ということで地価が高くてですね。予算の範囲内だとこのグレードになってしまいますね」
確かに利便性を考えたら街の中止の方が良いに越したことはない。でも、これはどちらかと言うと単身世帯向けである。アルド1人なら、これでいいのかもしれないけれど、流石にイーリスと住むことを考えると……娘が可哀相だとアルドは思ってしまう。
「もっと子供にのびのびと生活して欲しいので……もう少し広いところはありませんか? 多少、中心から外れても良いです」
「なるほど……わかりました。では、参りましょう」
街の中心から少しだけ外れたところ。そこにはちょっと古めかしい感じはするものの十分小奇麗な感じの家屋が建っていた。少なくとも今のアルドたちが住んでいる家よりも上質な造りとなっている。
「こちらの物件はいかがでしょうか?」
「うん。結構可愛い感じだね」
イーリスの反応は上々でアルドも安心している。
「ちょっと中を見てもいいですか?」
「ええ、どうぞ。もちろん!」
中年男性は空き家のカギを開けて中に入る。玄関もシンプルでスッキリしていて文句のつけようもない。
「お邪魔しまーす」
「イーリス。別に誰も住んでいないからお邪魔しますなんて言う必要はないぞ」
「あ、そっか。えへへ」
イーリスの可愛らしい行動にアルドの心がほんわかとした気持ちになった。
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