5-02.淫魔・ハザード

「何これ、何これ、何これ……」


 彩音は物陰に潜み、息を殺していた。

 

「突然、空が紫色になって、羽の生えたほぼ全裸の痴女達がぶわーって……」


 何を言っているか分からないと思う。

 だが、彼女の説明は完璧だった。空からほぼ全裸な痴女達……即ち、淫魔が現れ、地上に居る者達を襲い始めたのだ。


「襲われた人から、角と、翼が……」


 彩音のクラスメイトも被害を受けた。

 一人の男子がいきなりズボンを降ろされ、ずぶぶ、じゅぶ、ジュブブブブ!


 彩音は黄色い悲鳴を上げ、両手で目を覆った。

 しかし、偶然、たまたま指の間から見えた光景は、想像を絶するものだった。


 襲われた男子生徒が急にぐったりしたと思ったら、頭から角が生え、背中から翼が生えたのだ。そして正気を失ったような様子で、手近な女子生徒に襲いかかった。


「ここ高校だよ? 大体みんな十八歳未満だよ? そういうのは大学のキャンバスでよろしくどうぞ?」


 彩音は混乱していた。

 普段の彼女ならば、こんなにも支離滅裂な発言は……。


「イヤァァァァ!?」


 誰かの悲鳴が聞こえた。

 彩音は両手で口と鼻を塞ぎ、悲鳴と反対方向に進み始める。


 ここは学校の三階にある空き教室。

 本当は外に逃げたかったけど、気が付いたら閉じ込められていた。


「彼は、彼は何をしているの!?」


 とても小さな声で叫んだ。

 この意味不明でファンタジーな状況を解決できる存在は一人しか思い浮かばない。しかし、タイミング悪く彼は学校を休んでいる。


「……家に、行けば」


 住所は知っている。

 なぜなら彼女は委員長だからだ。


「……どうやって?」


 あちこちR18。

 一度でも角と翼が生えた人に襲われたら、きっと自分もああなる。


「……ゾンビ映画かな?」


 バイオ・ハザードならぬ淫魔ハザード。

 彩音は恐怖に怯え、涙目になりながらも、必至に生き残る道を探していた。


「今度は何ィ!?」


 雷が落ちたみたいな光を見た。

 空はずっと紫色だけど、雨が降る気配は無い。


「しつこいわねぇ!」


 今度は逞しい声が聞こえた。

 いや、聞き覚えがある。これはクラスメイトのギャル……日下部夏鈴さんだ!


(まさか、襲われてる?)


 物陰からこっそり顔を出す。

 やがて見覚えのある金髪が目に映った。


(……紫色の、ほぼ全裸みたいな服。ああ、夏鈴さんまで)


 彩音は「冥界の正装」に対して素直な感想を抱いた。

 その直後、夏鈴が跳躍をして、自分の前を横切った。


「ひぃっ!?」

「なに!? ……委員長!?」


 夏鈴は彩音を見て目を丸くした。

 

「嫌ァ♡! 犯さないでぇ♡!」

「……いやいや、なんか嬉しそうじゃない?」


 夏鈴が呆れたような声を出す。

 その直後、正気を失った男子生徒が夏鈴に襲い掛かった。


「夏鈴さん!?」


 彩音は悲鳴を上げる。

 しかし、そこに夏鈴の姿は無かった。


 男子生徒は不思議そうな様子で周囲を見る。

 そして彩音を見つけると、ぐわーっ、とゾンビのように襲い掛かった。


「ひぃっ!?」


 彩音が悲鳴を上げる。

 瞬間、目を閉じた彼女の瞼に眩い閃光がぶつかった。


「……?」


 襲われる衝撃が来ない。

 彩音は恐る恐る目を開ける。


 そこには呆れた表情の夏鈴が立っていた。


「委員長、平気?」

「……好き」

「よし、平気だね」


 夏鈴には「き」だけ聞こえた。

 それを「平気」と脳内変換して、夏鈴は話を続ける。


「ダメ元で聞くけど、何か知ってる?」


 彩音は首を横に振った。

 夏鈴は溜息を吐いて、難しい表情をする。


「やはり、あいつを探さないとダメなのね」


 夏鈴の雰囲気が普段と違う。

 陽気なギャルというよりも、まるで高貴なお姫様みたいだった。


「あいつ……?」

「月影翔馬。クラスメイト。知っているでしょう?」


 夏鈴は当たり前のように返事をした。

 その言葉で彩音は確信する。彼女は何か事情を知っている。


「それは、無理」


 第三者の声。

 二人揃って顔を向けた。


「……山田さん、だっけ?」


 夏鈴が言った。

 黒い魔法少女の服を着た山田胡桃は、笑みを浮かべた。それは普段の教室で見せる大人しいイメージからは想像もできないような恍惚とした笑みだった。


「無理とは、どういうこと?」


 夏鈴が毅然とした態度で問う。

 

「……彼は、もう居ない」


 要領を得ない返事を聞き、夏鈴は不機嫌そうな表情を見せる。


「私が、殺しちゃった」


 胡桃は、嬉しそうな様子で言った。

 それは彩音と夏鈴の思考に空白を生み出した。


 数秒、考える。

 しかし彼女の発言が理解できなかった。



 ──その場には、もう一人の人物が居た。



「……しょーま、くん?」


 たまたま彩音と同じ場所に隠れていた。

 睦月は彼の名前を呼び、突然、苦しそうに胸を抑えた。


「今度はなんですか!?」

「ああもう! 次から次に!」


 彩音と夏鈴が異変に気が付いた。

 同時に振り返った二人の目に映ったのは──かつて、世界を滅ぼしかけた存在。


「ん-、あぁ♡ 良い天気♡」


 大淫魔と呼ばれた存在は、睦月の体を奪う形で蘇った。

 彼女は気持ち良さそうに伸びをして、ゆっくりと目を動かした。


 彩音、夏鈴、胡桃。

 順番に三人を見る。


 三人は、見られた。

 ただそれだけで、立っていられない程の快楽を感じた。


「ふふ、かわいい」


 大淫魔は笑みを浮かべ、舌なめずりをする。

 その直後、何かに気が付いた様子で窓の外を見た。


 そして、教室の端から端まで届くような翼を広げると、窓ガラスを破壊して空へと飛び去った。


「楽しそう」


 その直後、胡桃が追いかける。

 彼女は当たり前のように空を飛んでいった。


「……何なの、本当に」


 彩音が呟いた。

 その声は──あちこちから鳴り止まない嬌声に呑まれ、誰にも届かなかった。

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