第30話

 オレは生き返った。


 あの世界で親友の催眠術によって脳を騙され、女の体で彼と性行為に耽ったと思い込まされて、気がつけば自分が死んだ場所であるバス停の間反対の歩道に立っていた。


 暴走車両による事故が無かったことになるわけじゃなく、オレだけが無事だった。

 狂ったスピードでバス停に突っ込むバスを、事故に巻き込まれて怪我をするバス内の人々を、ただ俺は呆然と立ち尽くしながら眺めていた。

 約一年ぶりの、懐かしい男の肉体で。


 あの非道で卑怯で最低な悪魔たちでも、一応は約束を守るんだな、なんて一瞬感心して。


 それからポケットのスマホを取り出して、すぐさまストップウォッチ機能で五分のカウントを始めた。

 あと五分で、自分の隣にあの親友が戻ってくる。

 あと五分で──オレたちの生活は元通りになる。


 そう考えてジッと時計を見つめて待ち続ける五分間はとても長くて。

 まるで一分が一時間に感じられるほど、時間の切り替わりを遅く感じていた。

 もしかしたら帰ってこないんじゃないか、なんて悪い想像が頭を過っては消してを繰り返し、一人道端で不安を募らせながら待ち続けていると、ある事に気がついた。


 隣に誰かがいる。

 いつの間にか、何者かが自分の隣に立っている。

 焦ってそちらを振り向いてみると、そこには見覚えのある顔の少年がいた。



『…………ぁ』



 オレの隣に現れたその少年は、まるで目の前で家族を失ったかのように、口を半開きにしたまま茫然自失の状態で。

 少年はたった一人。

 あの小さな体の少女も、羽根を生やした女の子も、そこには誰一人いなくて。


 虚空へ手を伸ばしたまま立ち尽くしている彼の頬には──涙の痕があった。







 結果だけ言えば、オレたちは元の生活に戻ることが出来た。

 オレはあの無表情のビスクドールみたいな少女から男の姿に戻り、オレの親友もまた元の姿でこの世界に戻ってきた。

 

 いつも通り。

 これまで通り。

 家に引きこもるなんてことも、不登校になるなんてこともなく、オレたち二人は普通に学園へ通っている。

 生き返ってから一週間が経過したが、あれ以降悪魔たちから接触されるなんてこともなく。

 数週間後に文化祭を控え、高揚する他の生徒たちに混じってオレたちも放課後は学校に残って、放課後を準備や話し合いなどで楽しんだ。


 ……少なくとも、表面上は。


「おーい主陣!」

「んっ?」


 今日も今日とて文化祭の諸々で生徒たちが忙しない放課後。

 オレと共に廊下を歩いて小物を運んでいる親友──主陣コウのもとに、クラスメイトの男子が資料の紙を持って駆け寄ってきた。


「おぉ、海夜。どした」

「主陣お前、たしか実行委員だろ? なんか出し物の項目で再度通達あるらしくて、生徒会の奴らが実行委員集めてるらしいんだ」

「あー……そっか。場所は?」

「二階の会議室だって。……あっ、その荷物は俺が預かるよ」

「サンキュ。インと一緒にそれ教室までよろしくな」


 手に持っていた荷物を、クラスメイトが持ってきた資料と交換すると、コウは軽く笑いながら曲がり角の階段へと向かっていった。

 すると彼の荷物を預かったクラスメイトの海夜がコウの背に声をかける。


「あっ、主陣! 教室においてあるお前のチョコ俺も食っていい?」

「いいぞー。ぜんぶ食ったら殺すかんなー」

「こえ~っ」


 語尾に(笑)とか付いてそうな海夜の声にクスッと笑って、コウはそのまま階段を降りていった。

 こうして見ていれば、いたって普段通りの彼だ。

 一週間前の、この世界に戻って来たばかりの茫然自失だったあの姿は、今の彼からはとても想像できない。

 普通の男子高校生、主陣コウ。

 あの異世界で主人公として奔走していた必死な彼は、もうどこにもいない。

 

「……っ」

「んっ、火路? どした」

「……あぁ、いや、何でもない。早くこれ運んでコウのチョコ全部食っちゃおうぜ」

「おまえ主陣に対しては容赦ないよな……」


 苦笑いする海夜。オレもそう思う。

 でもわざわざ遠慮をする必要などないのだ。

 お菓子を教室に放置するアイツがわるい。


「あっはは。主陣のやつ泣くぞ」

「アメちゃんでもあげれば機嫌治るよ。海夜なんか持ってる?」

「んー……さっきコンビニで買ってきたゆで卵ならある」

「他には?」

「ねえな」


 コンビニ行ってゆで卵だけ買って帰って来たのか……。


「なんか急に食べたくなっちゃってさ」

「そっか……じゃあそのゆで卵を対価にしてコウのチョコたべよう」

「主陣のチョコに対しての執着心ヤベェな。いやまぁいいけどさ」



 とりとめのない会話だ。ただ一緒に荷物を運ぶことになったから、適当に話をしているだけに過ぎない。

 自分でも自覚してるくらい卑屈で陰気でボッチなオレだけど、コウと親しいおかげで彼の友達のクラスメイト相手ならそこそこ普通の会話ができる。

 海夜は気の良いヤツなので話の話題も合わせてくれるし、きっとコウがいなくても普通に話せる程度にはなっていたとは思うけど。



 そんな、普通のふるまいをしながらも、オレの心は不安と小さな憤りで埋め尽くされていた。


 そうだ。オレもコウも普通に過ごしている。

 あれから何も変な事は起きてないし、あるべき日常を取り戻したオレたちにそんなものが起きるはずもない。

 不安な要素だってあるはずがない。

 オレたちは全てを取り戻したのだから。

 元の形を、最初にあったそのままの全てを取り戻して、ただの高校生に戻ったはずなんだ。



 それなのに、胸がざわつく。


 クラスメイト達やオレに対してはいつも通り笑顔で振舞っているコウが、一人でいるときは悔しそうに顔を歪めながら壁を殴ったり過呼吸に陥っているその姿に、怒りを覚えてしまう。



『先輩…………っ』



 どうして、そんな悲劇の主人公みたいにしている?

 悲しみに染まった顔に、ひどく傷ついた心に笑顔の仮面を張りつけて、無理やり自分を誤魔化している?


 なんでオレに何も言ってくれないんだ。

 オレは親友なんじゃなかったのか。

 お前はいつもオレを親友だと言っていたじゃないか。

 なぜ自分だけで抱え込む。

 どうしてあの異世界での、オレがいなかったあの残り五分の間にあった出来事を話してくれないんだ。


 足りないのか。

 この日常では足りないのか。

 一度死んであの異世界に飛ばされて主人公になったお前にとって、あの二人がいなければお前は元には戻れないのか。



 あの桃色髪の少女が──お前のヒロインなのか?



 彼女は悲劇のヒロインか?

 いずれ道を違えることを知っていながら仲間になったのに、その運命を変えることなく彼女を置いていったオレたちが悪いのか?


 違うだろ。オレたちは生き返らせるというエゴの為だけにあのゲームに参加したんだろ。

 俺はお前を。

 お前は俺を。

 お互いがお互いを生き返らせるために悪魔の口車にわざわざ乗って、それで当初の目的通り二人でちゃんと生き返った。


 それなのにダメなのか。

 ただの普通のバカな男子高校生じゃ足りないのか。

 主人公という立場を知ってしまったお前は、ヒロインであるあの人がいないと元には戻れないのか。

 ヒロインを救えなかった主人公として、お前はそうやって陰で嘆き続けるつもりなのか。




「あぁ、イン。もう帰るところか? 俺も一緒に」




 ──ふざけるな。



 ふざけるな、ふざけるなふざけるな。 

 馬鹿が。お前は馬鹿だ。

 お前は主人公なんかじゃない。あの人はヒロインなんかじゃない。

 

「いやー、準備大変だな。毎日こんな遅くなっちまって」


 コウはただゲームに参加してあの世界に訪れただけの人間で、式上先輩はあの世界で暮らしてた普通の人間だ。

 出会いは偶然でも別れは必然だったんだ。

 分かりきっていたことだろ。


 何でそんな──偽物の笑顔でオレに笑いかけるんだお前は?


「い、イン? 信号、青だぞ?」

「……なぁ、コウ」


 そんなにあの人が大切なのか。 

 『NLS』が無いとお前は立ち直れないのか。

 ずっと自分一人で思い詰めて、悲劇の主人公みたいに傷ついたまま生きるつもりなのかよ。


「……式上先輩とムチ子に、また会えたらお前……嬉しいか?」

「えっ? ど、どうしたんだよ急に」


 うるさい。答えろ。


「……そりゃあ、ずっと仲間だったわけだし。また会えるなら……嬉しいことはないよ」


 

 ──そうか。



「じゃあオレがなんとかしてやるよ」

「……は?」



 悪魔があの世界で連絡するように教えてくれていた番号はまだ覚えてる。

 手掛かりはそれだけだが、きっとあの悪魔たちの事だ。

 面白がって手を貸してくれることだろう。

 何を代償にされるかは知った事じゃないが、コウがこのままだといい加減鬱陶しくてウザい。


「大人しく待ってろ」

「ちょっ、おい! イン!? どこ行くんだよ!」


 いいから黙って待ってろ。クソ主人公。



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