第48話 見える人の話
世界中の人間を二つに分けたとして、私は「見えない側」に属するだろう。何が見えないのか。言うまでもないことだ。
友人のミミコによれば、彼女はよくそれを見るのだという。
ミミコと出会ったのは大学の頃。同じ文学部英米文学科に属していて、シェイクスピアを専攻しているところも同じであり、三年次からは同じ教授のゼミに属していた。
ゼミ室は上から見れば長方形。さほど広くはなく、短辺はドアと窓。左右の壁は天井にまで届く本棚で、本がぎっしりと詰まっていた。
鍵は守衛室で学生証を見せれば借りられる。休日など教授不在時は勝手に借りて中に入り、講義のレポートや卒論へ向けた調査をしていた。
思えば誰もが好きなタイミングで鍵を借りられるというのに、ミミコに関しては常に誰かといる時にしかこのゼミ室を利用していなかった。
その理由は簡単で、彼女には見えるのだそうである。
誰かが本棚から本を抜き取る。そういう時にミミコは常にキツく目を閉じている。
本棚から咄嗟に目を逸らすことも多く、そういう時に本棚を見ると、一冊分抜き取られた空間がある。
隙間。
そこにそれが見えるのだという。
「物と物の間……というわけじゃないと思う。ワタナベ君と私の間には見えないからね」
体感で、物と物の間に空いた四、五センチメートル以下の空白にそれらは現れる。
ミミコはそう言っていた。
「見えるようになったのは関東に来てから」
ちなみにどんなものが見えるのかとミミコに聞いたら、彼女は一言だけ教えてくれた。
曰く
「みっしり詰まってる」
空に三つの輪っかを幻視する人もいる。
佐々部垣内『視覚の解剖学』によると古代メソポタミアの神話から江戸時代の『奇鬼宇治拾遺』まで複数の資料を例に出しつつ、過去から現代まであらゆる時代のあらゆる地域において、どこであっても、空を見た時に三つの輪っかが浮かんでいるように捉える人が一定数存在していることを説明している。
それは極めて巨大で、太陽や月の後ろに見えるらしい。見る人間は日中でも問題なく見えるというが、地球上の如何なる観測装置を以てしてもそれを捉えたことはない。
夏の晩のことで、居間の窓を開けてテレビを見ていたら、弟が突然、あっと声を上げた。
視線を辿るとカーテンを閉め切っていない箇所があり、網戸が見えた。虫の入らぬよう閉めている網戸。弟はその向こうを凝視していた。
ただ、何を見たのかは教えてくれなかった。
不審者だったら危険だから。そう説得しようとしても弟は答えなかった。
ただ翌日彼は高熱を出して寝込んだ。熱はぐんぐんと上がり、人生で一番高くなったんだよねと後からネタにしてケラケラ笑うほどだった。
そのネタにした場でも「何を見たのか」だけは黙して語らなかったけれど。
雨に混ざって手足が降ってくることがあるらしい。
ミミコでも弟でもない、また別の知人の話だ。
小雨でもちゃんと傘を差して歩く人で、何処へ行くにしても傘を持ち歩く人だった。
そんな人が、一緒にサイゼリヤで昼飯を食べた後、駅まで歩いている時にポツリと漏らした。
「雨に混ざって手足が降ってくることがあるのだけれど、最近は首のない胴体も降ってくる」
そして
「胴体には手術痕らしい切り傷めいたものがある」
その人は顔が降ってくるのが恐いらしい。
二年前に年賀状をくれたが、以降の消息を私は知らない。
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