5-4. 運命
男は言うが早いか、振りかざしたナイフを麗良の喉へと振り下ろした。ぽかんとした表情でそれを眺める麗良の喉を鋭い刃先が貫く寸前、誰かの声がそれを制止した。
「やめなさい、何をしているの」
麗良が声のする方に視線をやると、開いたドアのすぐ傍にマヤが立っていた。
「傷つけない約束のはずよ」
男は、手にしたナイフを麗良の喉元から外すことなく答えた。
「事情が変わった。こいつは、私の正体について情報を持っている。
このまま生かしておくわけにはいかない」
マヤが大きなため息を吐く。
「この子がそんなもの、知っている筈がないでしょう。
自分の正体すら、つい最近知ったばかりなのよ」
マヤは、麗良のすぐ傍へ近づくと、男にナイフを仕舞うように告げた。
すると男は、渋々ながらもそれに従い、ナイフを懐に仕舞った。
マヤが麗良に向けて安心させるように笑って見せる。
「何か誤解があったようね。
もう大丈夫よ、麗良。私があなたを守ってあげる」
「どうして、マヤがここに……」
「どうしてって、それは……ああ、お客さんだわ。
すぐに済むから、もう少しだけ待っていてね」
話の途中で、玄関の方からインターホンが聞こえた。
マヤは、それを聞くと、麗良を置いて、今入って来たドアから外へと出て行ってしまう。
その時、麗良は、開いたドアの隙間から見覚えのある廊下を見て、どきりとした。普通、廊下に花を植えた鉢植えを並べている家は、あまりない。ここは、マヤの家だ。
つまり、麗良を誘拐し、ここへ監禁しているのは、マヤということになる。
麗良は意味が分からなかった。どうしてマヤがこんなことをする必要があるのか、麗良の頭は混乱しすぎてどうにかなってしまいそうだ。
男がじっと麗良を見つめている。今にも再びナイフを取り出して麗良を刺し殺そうする気配で溢れている。
「…………まあいい。どちらにせよ、君は直に死ぬ運命だ」
男が自分を納得させるように呟いたのを聞いて、麗良が男を見上げた。
「何を言っているの?」
「まさか知らされていないのか、自分の運命を。
生まれて十六年経つまでに妖精界へ戻らなければ、お前は命を落とす」
「嘘よ、そんなこと、あいつは一言も……」
そこまで言いかけて、麗良の脳裏に先程聞いたマヤの言葉が思い浮かんだ。
『……これで分かったでしょう。あの人は、そういう人なの。
目的のためなら手段を選ばない。全部を真に受けて、信じちゃだめよ』
(私……あいつに、騙されていたの?)
茫然と言葉もない麗良の様子を見て、男は何か納得したようだった。
「……ふむ。やはり何も知らないようだな。
〝あいつ〟とは、お前の父親のことだったか。
なるほど、確かに私の早合点だったようだ」
「どうして……どうしたら私が死ぬ運命なんかになるのよ」
最後の方は、半ば叫ぶようにして声を張り上げた。
男は、そんな麗良を憐れに思ったのだろうか、少し口調を和らげて麗良の質問に質問で返した。
「君は、妖精のことをどこまで知っている」
男から先程までの殺気は消えている。
「どこまでって……何とかって言う神様の末裔だとかって、あいつから聞いたくらい。あとは、本に載っているような御伽噺くらいしか……」
「つまり、何も知らないと同義だな。
妖精とは、人間が本に書いているような可愛らしく無力な存在などではない。
古の神々の血を引く唯一無二の崇高な存在なのだ。
人間よりも遥かに長い歳月を生きることができ、神々の能力を使うことができる至高の存在。
しかし、その力も永遠ではない。長い歳月が経ち、人間たちによって自然が破壊されたことにより、その力は徐々に弱まってきた。
今、妖精が命を繋いでいられるのは、自然の力そのものを自身の身体の内に宿しているからなのだ」
男は続けた。麗良は、じっと男の言葉を理解しようと耳を傾けた。
「妖精は、自然から生まれる者もあれば、妖精同士の間に生まれる者もいる。
自然から生まれる者は、生まれながらに自然の力を身に宿しているが、妖精同士の間に生まれる者は、そうではない。
そういう者は、生まれてから成人するまでに自分の命の源となる自然の力を一つだけ選ぶ必要がある。
そうしなければ、生き続けることができないからだ。
例えば、自身の命の源として〝薔薇〟を選べば、薔薇がその妖精の生きる力となり、命そのものとなる。
それは、ある定められた契約の儀式によってのみ有効なのだ。
だから、人間と妖精の間に生まれた君も同じように、妖精界へ行き、その儀式を行う必要がある。
そうしなければ、やがてこの世界から消えてしまう」
まるで話についていけず、茫然とする麗良に男は容赦なく言い畳む。
「その期限が君の十六歳の誕生日、というわけだ」
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