♯64 軽薄そうなイケオジと、船上で対決した



 ボクの首をね飛ばさんと、目にも止まらぬ速さで繰り出された横一文字斬り。

 その不意打ち――だがを、ボクは相手のふところに飛び込んでかわす。

 そして行きがけの駄賃とばかりに、がら空きの鳩尾みぞおちに拳を叩き込んでやると、相手は「ちぃっ」と苦悶で表情を歪めつつバックステップで後退、ボクと距離を取った。


 追撃はしない。このオッサン――ヨハネスは強い。間違いなく戦闘を生業なりわいとしてきた人種――職業的軍人と呼ばれるタイプの人間だ。生身かつ徒手空拳のボクではよっぽど上手くせんを取らないと、とてもじゃないが太刀打ちできない。


「「「「「「「なっ……⁉」」」」」」」


 一瞬何が起こったのか理解できなかったらしいボクの仲間たちが、ハッと我に返って一気に殺気立つ。

 薙刀なぎなたや長剣、こんといった得物を構えてヨハネスを睨む。


 無理もない。自分んトコの船長が殺されかけたのだ。しかも騙し討ち以外の何物でもないやりかたで。平然としてろというほうが無理な話である。……というか、これで平然とされちゃったらボクがない。『ちょっとは自分んトコの船長を大事にしてよ!』と言いたくなる。


 なお、さっきの『なっ……⁉』という驚きの声は全部が全部ボクの仲間たちのモノかというとそういうワケではなく、ヨハネスの部下であろう兄ちゃんたちやバーケンチンの甲板デッキで待機している乗組員クルーたちのモノも混ざっていた。

 どうやらボクがヨハネスの攻撃を躱し、反撃までしてみせたことが、よっぽど驚きだったらしい。


「オイオイ……冗談だろ?」左手で長剣を構え、右手で鳩尾を抑えながらヨハネスが呆れたように言う。「なんで今のを躱せるんだよ」


 なんでって言われてもな。


「想定の範囲内だったからね」

「俺が敵だと勘付いてたワケか。やるねぇ」

「別に確証があったワケじゃないよ? 単にあらゆる可能性を想定していたってだけの話。仮にアンタに敵意があった場合、握手は罠の可能性が高いワケだし」

「……ひょっとして俺が左利きなこともバレてたか?」

「なんでバレないと思ったの、右腰に佩剣はいけんしておいて。だいたいアンタ、さっき天を仰ぐとき左の掌で顔を覆ってたじゃない」

「いやはや、大した観察眼だ。それに度胸もある。まさか躊躇ちゅうちょなくこちらの懐に飛び込んでくるとはね。刃物を持った相手に徒手空拳で近付くなんて、普通中々出来るもんじゃないぜ」

「だって後ろや横に躱したんじゃ追撃されちゃうし……。徒手空拳で武器持ちに勝つにはどのみち接近するしかないし……」


 この蒼き月の海ルナマリアに流れ着いた直後のボクだったら、刃物を向けられただけで震え上がっていたに違いないけれど。全長15m近い巨獣や恐ろしい身体能力と再生能力を持つ怪人なんかを相手に死闘を繰り広げた現在いまとなっては、『相手が人間なだけマシ』と感じてしまう。


 ……なんかいろいろ麻痺マヒしてきてない? ボク。


 でも、あれだな。叔父さんによって幼少のみぎりから叩き込まれてきた『相手が刃物を持っていた場合の立ち回りかた』が役に立つ日が来るとは思わなかったな。


 正直、模造刀を手にした叔父さんに追いかけ回されるたび『こんな修練がなんの役に立つんだよ。てか役に立つ日なんて来てほしくねーよ』と心の中で罵詈雑言を浴びせていたんだけど(実際に口に出すと修練の時間が倍になったので、心の中で浴びせるしかなかった)。人生どこで何が役に立つかわからないね。


 ……『相手が飛び道具を持っていた場合の立ち回りかた』もいつか役に立つ日が来ちゃうんだろうか……。


 まあ、いいや。


「――で? ボク、なんで攻撃されたワケ? ひょっとしてアンタら、海賊ってヤツ? それとも『秩序管理教団』?」

「いいぜ、答えてやっても。ただし、先にこっちの質問に答えてくれたらな」

「質問? 何?」


「この船に<魔女>が乗っているはずなんだが。心当たりはあるかい?」


 ………………。


「なんでこの船に<魔女>が乗っていると思うワケ?」


 ざわめく仲間たちを尻目に努めて冷静に問い返すと、主にツバキとイリヤの表情を観察していたヨハネスはニッと笑い、


「勘だ」


 嘘こけ。


「悪いけど何がなんでも答えてもらうよ。なんでそう思ったのか。<魔女>になんの用があるのか。アンタらがいったい何者なのか」

「構わんぜ。俺をたおせたらな」

「……まだやる気なんだ」

「上からの指示なんでね。それに一撃喰らわせたくらいで勝った気になられても困る」

「上って、お宅らの船長さん?」

「言っただろう、俺を斃せたら教えてやるよ」

「無理しないほうがいいんじゃない? ボクの正拳をマトモに喰らってピンピンしていたら、そいつはもう人間じゃない。――肋骨にヒビが入ったでしょ」

「要らん心配だ!」


 吼えて一足飛びに肉迫してくるヨハネスの横薙ぎの一撃を、ボクは身を屈めて躱す。

 と、直後、


「ヨハネスさん!」

「加勢します!」


 ヨハネスの背後に控えていた兄ちゃんコンビが動いた。


 腰帯に吊るしていた長剣を抜くと、兄ちゃんいちは上段、其のは下段に構えつつ、こちらへと迫ってくる。


「! よせ、おまえたちでは――」


 ボクのって躱しながら、ヨハネスが部下の暴走を止めようとする――が、それより一瞬早くロウガさんとイリヤが動いていた。


「おおっ!」


 咆哮とともにロウガさんが長剣を一閃、兄ちゃん其の壱の得物を弾き飛ばし、一瞬硬直した相手の顔を容赦なく殴り飛ばす。


「<天鳥船あめのとりふね流>――『海鳴り』!」


 イリヤが薙刀で兄ちゃん其の弐の足を払い転ばせて、そのままその場で一回転、薙刀のの部分、遠心力を乗せた追撃の横薙ぎで相手の側頭部を思いっ切り殴打する(この間、僅か二秒)。


 兄ちゃん其の壱と其の弐は『トゥオネラ・ヨーツェン』の舷側げんそくへりに揃って激突すると、「ぐはっ」と呻いて動かなくなった。生きてはいるようだが気を失ったようだ。


「弱っ」


 荒事に慣れているらしいロウガさんに勝てないのは、まあ仕方ない。でもイリヤは確かにそれなりに鍛えてはいるし、用心棒としてこの船に乗ってはいるけれど、実戦経験なんてほとんど無いに等しいど素人だぞ? こう言ったらなんだけど、技の精度はぶっちゃけ従妹アズサ未満だよ? それに負けちゃうって……。あの兄ちゃんたち、いくらなんでも弱すぎじゃない?


「イサリ! アナタ今、ワタクシのこと心の中デ馬鹿にしたでショウ⁉ 確かにアナタから見たらワタクシは弱いでしょうケド、これデモあの一件があってからこっち、毎日ツバキさんト手合わせをシテ鍛えているんですカラね!」


 ボクの表情から考えていることを読み取ったらしいイリヤが睨んできた。


『あの一件』ってのはたぶんキロウスの襲撃のことだよな……。

 いや、それより、


「え。お嬢、イリヤさんと手合わせなんてしてたんですか? しかも毎日?」


 ボクが抱いた疑問を、代わりに主計長パーサーのオッサンが言ってくれた。


 ツバキは「うむ」と頷き、


「まあ、わらわは単に売られた喧嘩を買っているだけじゃが」

「売られた喧嘩ですか?」

「『ツバキさん! イサリのお姉ちゃんノ座を正式に譲ってほしければ、手合わせヲ通してワタクシにアナタの覚悟がどれほどのモノか見せてご覧なさい!』と言われての」


 なんだそりゃ。


「……お嬢が狙ってるのって、旦那のお姉ちゃんの座でしたっけ?」

「い、いや、違うんじゃけども。けど妾にも、この二ヶ月弱、右も左もわからない旦那様をずっと支えてきたという自負があるワケで……。他の奴に旦那様の保護者づらをされるのも面白くないというか」

「複雑な乙女心すぎる……」


 よくわかんないけど、ツバキとイリヤもすっかり打ち解けたようで何よりだ。

 出逢ったばかりのころは妙にギスギスしていたもんなぁ、あの二人……。


 ……なんて呑気に考えている場合じゃなかった。


「へあっ!」


 裂帛れっぱくの気合を籠めて、ヨハネスがこちらの首めがけて鋭い刺突つきを放ってくる。


「おっと」


 頭を僅かに左へ傾けてそれを躱すと、ヨハネスは突き出した長剣をそのまま横薙ぎにし、再度こちらの首を刎ね飛ばそうとしてきた。流れるような攻撃とはこのことだ。長剣を片手でここまで軽々と振るえるなんて、驚異的な膂力りょりょくと言っていい。


 まあ、叔父さんの攻撃と比べたら、まだまだぬるいけど。


 ヨハネスの長剣がボクの首を刎ね飛ばしたように見えたのだろう、みんなには。「あっ」という仲間たちの悲鳴が聞こえた。


 ヨハネスも一瞬勝利を確信したのかニヤリと笑い――しかし手応えが無いことに気付いて笑みを消す。


 そう。ヨハネスが斬ったモノ。それは、


「残像だ」


 ボク的『いつか言ってみたかったセリフ』№1。


 素早く身を屈めて長剣を躱し、ヨハネスの股の間をスライディングでくぐり抜け、彼の背後へ回ったボクは、「なっ⁉」と慌てて振り返ろうとするヨハネスと背中合わせの格好で彼の左腕を掴んでひねると、そのまま一本背負いの要領で投げ飛ばす!


「ぐはっ」


 頭から甲板デッキに落ちたヨハネスは、軽い脳震盪を起こしたらしく、すぐには立ち上がれないようだった。

 それでも「ぐうぅ……」と呻きながら上半身を起こそうとするので、彼の手から零れ落ちた長剣を遠くへ蹴飛ばして告げる。


「もう諦めたら? 今ので左肘をくじいたでしょ? 肋骨のヒビも悪化したんじゃない?」

「……何故殺さない? ろうと思えば出来たはずだ」

「まだしゃべってもらってないもの。なんでこの船に<魔女>が乗っていると思ったのか。<魔女>になんの用があるのか。アンタたちは何者なのか」

「…………やれやれ。やはり、こんな猛獣に手を出すべきじゃなかったかな」

「だから誰が猛獣だ」

「そうは言うがね。おまえさんを一目見た瞬間、その身から放つ異様な気配、空気に、全身の肌が粟立つのを感じたぜ俺は。――本当に人間なんだよな、おまえさん」


 ……それ、ボクじゃなくてボクの中にいる造物主カミサマたちの気配じゃない?

 見る者が見ればわかるものなんだなぁ。


「で? なんでこの船に<魔女>が乗っていると思ったワケ? 勝ったんだ、約束どおり喋ってもらうよ」

「断ると言ったら?」

「代わりにアンタのお仲間に訊く」

「……多少強引な手を使ってでも、かい?」

「そうなっちゃうかもね。あの様子だと」


 チラリとバーケンチンのほうを見遣みやると、これまで勝負の行方を大人しく見守っていた他の乗組員クルーたちが「ヨハネスさん!」「くそっ!」「みんな! ヨハネスさんをお助けするぞ!」「舷梯タラップだ! 舷梯を持ってこい!」などとわめきながら腰帯に差した剣を抜いていた。その数、二十人ほど。どいつもこいつもやる気満々っぽい。


 それを見て、ウチの男衆もこんや弓矢を構え直す。


 このままだと全面衝突は不可避だ。


 さてどうしたものか。

 ボクとしても向こうがやる気な以上、仲間を守るためにも、振り上げた拳をそう簡単に下ろすワケには……。



「あーあ。まさか本当にあのヨハネスさんを負かしちゃうヒトがいるなんて。この目で見ても信じられないわ」

「もうっ。だから言ったじゃない、スズランちゃん。なるべく穏便に済ませましょうって」



 …………ん? 女性の声……?


「そうはおっしゃいますがナズナ姉さん、このご時世に<魔女>を乗せているんですよ? そんなの『秩序管理教団』の船か、住処すみかを追われた<魔女>が密航中の交易船と考えるのが妥当でしょう? いずれにせよ、ヨハネスさんに制圧してもらうのが一番手っ取り早いじゃないですか」

「考えかたが乱暴すぎるわ。だいたい、後者だった場合彼らに非は無いのよ?」

「うーん……確かに、見た感じ『秩序管理教団』って雰囲気じゃありませんから、この船はただの交易船なんでしょうけれど。でもこのヒトたち、偶々たまたま<魔女>の密航に気付いていなかっただけで、気付いていたらとっくに<魔女>を海に突き落としていると思いますよ?」

「だから何をしても構わないと? それで『私たちは<魔女>なんかじゃない』って否定できるの? 私はスズランちゃんにだけは、人間としての矜持きょうじを捨てるような真似はしてほしくないわ」

「…………まあまあ☆ 言っても、この結末はわかっていたワケですし。ヨハネスさん自身が『自分が負けるなんて信じられない、本当か確かめたい』って仰ったんですから。仕方ないじゃないですか」

「それはそうかもしれないけれど……」

「というワケで、お叱りはまた今度☆ 今はこの状況をなんとかするのが先でしょう?」

「えっ。スズランちゃん⁉」


 む。バーケンチンの甲板デッキに、いつの間にやら女性の姿が……。

 しかもふたつも。


「珍しいな。この蒼き月の海ルナマリアでは船乗りは基本、男の仕事のはずなのに」


 戸惑うボクを余所よそに、


「はーい。ごめんなさい、ちょっとお邪魔しますね☆」

「待って! 何をするつもりなのスズランちゃん⁉」


 ――いつの間にかあちらの乗組員クルーの手によって『トゥオネラ・ヨーツェン』とバーケンチンの間にけられていた木製の舷梯タラップ


 それを渡り、一人の女性がこちらの甲板デッキに降り立ち、もう一人の女性も慌てて追いかけてくる。


 先に降り立ったほう――『スズラン』という名らしい女性は、ふわりとした亜麻色の髪を背中まで伸ばしている二十代前半の美女で、ほがらかとも、不敵とも言える柔らかい微笑をたたえ、甲板デッキを見回し「あらあら☆ 真っ白で綺麗な船ね」と目を輝かせていた。

 なんというか……『大人のお姉さん』って感じと『お茶目な悪戯っ子』って感じが同居する、ほんわかした、けれどイマイチ掴みどころの無い雰囲気の女性だ。

 ウチの乗組員クルーの中だと、タイプ的にはマリナに近い。


 それを追いかけてきたほう――スズランに『ナズナ姉さん』と呼ばれていた女性は、スズランと同じふわりとした亜麻色の髪を肩の上で切り揃えている、やはり二十代前半の美女で、その整った柔和な顔立ちはスズランと瓜二つだった。

 こちらも『大人のお姉さん』って感じがするのは一緒だけど、スズランとは違い『お茶目な悪戯っ子』って感じは無く、代わりに『しっかり者』って感じがした。

 ウチの乗組員クルーの中だと、一番タイプが近いのはイリヤだろうか。

 いや、でも、イリヤもあれで結構お茶目なところがあるからな……。

 最近ボクの中でイリヤのイメージがガラガラと音を立てて崩れ落ちているくらいだし……。


 ちなみに二人の身を包むのは、まるで神官の法衣みたいな白いローブだ。

『秩序管理教団』の司祭が着ていたそれと比べるとだいぶ簡素な作りだし、司教冠ミトラも頭に載せていないが、それでもローブには銀糸による刺繍が施されたりしていて、正直場違い感が半端ない。


 なんにしろ、これだけは間違いない――この二人は血の繋がった姉妹だ。

 それもたぶん双子。


「す、スズラン様! 危険です!」

「ナズナ様! お戻りください!」


 向こうの船の乗組員クルーたちが慌てて二人のあとを追いかけ、周りを固め、ボクや男衆を威嚇するように剣を構える。


「『様』?」


 ひょっとしてこの二人はあの船のオーナー? 彼らの雇い主?

 てことはこの二人、良いトコのお嬢様か何かか?


「ウチの副長と船長だよ。ちなみに副長は航海士オフィサーでもある」


 ボクの困惑を感じ取ったのか、まだ立ち上がれない様子のヨハネスが教えてくれた。

 口元に『やれやれ』といった感じの苦笑を浮かべて。


「へ? 船長? 航海士オフィサー? 誰が?」

「だから。スズラン様がウチの副長兼航海士オフィサーで、ナズナ様が船長なんだよ」

「ええっ⁉」


 まさかツバキの他にも航海士オフィサーを務めている女性がいたなんて……!

 その上船長まで⁉


「まあ――みなかしずかれているのは、それだけが理由じゃないんだが」

「?」


 それだけが理由じゃない……?


「困りますねぇ、ナズナ様、スズラン様。危険ですから、カタがつくまでは船内に隠れていてくださいと申し上げたはずですよ」

「ご、ごめんなさい、ヨハネスさん。私は止めたのだけれど、スズランちゃんがどうしてもって言って聞かなかったの」

「大丈夫よ、ヨハネスさん。私に考えがあるの。ここは任せて頂戴☆」


 ヨハネスの苦言にナズナさん(一応年上の女性なのでさん付けで呼ぶことにする)が気まずそうに縮こまり、スズランさん(一応年上の以下略)が胸を張る。


 ……考え?


「ヨハネスさんと握手をしようとしていたし、あなたがこの船の船長さんでいいのよね?」

「……そうですが」


 周りを囲む乗組員クルーたちの隙間を縫うように前に出てきたスズランさんの問いかけに、ボクは正直に頷く。


「ふぅん……。その年齢としで船長を任せられているなんてスゴイわ。明らかに私よりも年下なのに」

「まあ、所謂いわゆる『なんも船長』ですけどね」

「そうなの? だとしても、あのヨハネスさんに勝っちゃうなんて大したものだわ」

「……どうも」

「顔立ちは女の子みたいで可愛いのに」

「顔は関係ないでしょ顔は」


 一言余計である。


「念のため確認するのだけれど、あなたたちは『秩序管理教団』じゃないのよね?」

「あんな連中と一緒にしないでください」

「! …………そう。じゃあ、お姉さんと取引をしない?」

「取引?」

「これなーんだ☆」


 そう言って、スズランさんがローブの袖から取り出したもの。それは、


「? なんですか、それ」


 なんだろう……。パピルス紙にくるまれた……茶色のかたまり


「ふふふっ。これは知る人ぞ知る幻の食べ物――チョコレートよ!」


 ………………。


「はい?」

「あら。知らないかしら? 『泡の海』地方でしか作られていない希少な菓子よ。キャキャオっていう樹の果実の種子が主原料でね。とっても甘くて美味しいの! <漂流者>が開発したって言われているわ。元々が超高級品なだけに、すっごい高値で取引されているんだから」

「いえ、チョコレートは知ってますけども。てか、大丈夫なんですか? この蒸し暑い中、船で運んだりして」

「ああ、地球のチョコレートは暑いと溶けちゃうんだっけ? 『こっち』のチョコレートは地球には無い原材料も使われているの。そのお陰で溶けにくく、劣化しにくいのよ☆ そのぶん、地球のチョコレートには無い苦味もあるのだけれど」


 へえ……。


「で、それが何か?」

「だから取引よ。ウチが今積んでいるチョコレートを全部あげるから、これで手打ちにしてくれないかしら?」

「……ボク、殺されかけたんですが。たかがチョコでそれを水に流せと?」

「ええ。元々貿易で稼ぐために大量に仕入れてきたモノだから、どこかでさばけば結構な儲けになるはずよ。――あなたにとっても悪くない話でしょう? お求めの『振り上げた拳の下ろしどころ』よ、これ。これであなたの仲間も無駄に血を流さずに済むわ」

「!」


 このヒト……。

 見抜いているのか……。どうしたら全面衝突を避けられるのか、ボクがさっきからずっとそればかり考えていることを……。


「ついでにあなたの船に密航している<魔女>を私たちに引き渡してくれると嬉しいわ。別に構わないでしょう? <魔女>に用なんて、あなたたちには無いはず」

「……なんでこの船に<魔女>が乗っていると?」

「ふふっ――それは秘密☆」


 そう言ってスズランさんは『内緒よ☆』と言うみたいに唇に人さし指を当ててウインクする。


 けど、ボクは見逃さなかった。

 彼女がほんの一瞬、姉であるナズナさんのほうを見たのを。


 ……なんだ? ナズナさんに何かあるのか?


 これは……。『<魔女>なんて乗ってません』とシラを切っても無駄っぽいな。


「――それで? どうかしら?」


 そうだな……。


「そっちがこのまま大人しく退いてくれるというのなら、それで手打ちで構いません」

「なら<魔女>も――」

「そっちはお断りします。<魔女>だろうがなんだろうが、ボクの大事な仲間です」

「「え。」」


 スズランさんとナズナさんが揃って目を丸くした、ちょうどそのとき。



「ねえ、船長。そろそろ向こうの船の船長さんとの挨拶は終わった?」

「あ、アリシアさん! 勝手に顔を出したらマズいですよぉ!」

「そうですよ。念のため、いいと言われるまでは船内に隠れてろと言われたじゃないですか」



 船内へと通じる海図室チャートルームの扉が開いて、アリシア、シャロン、クロエの三人がひょっこりと顔を覗かせた。


 よりにもよって<魔女>である三人のお出まし、顔見せである。


「大丈夫よ。万が一相手が交易商のフリをした『秩序管理教団』だったとしても、船長が必ず護ってくれるわ」

「で、でも、普通の海賊さんの可能性もありますし、ツバキさんやイリヤさんと違いわたしたちには武芸の心得が無いんですから。隠れていたほうが」

「<魔女>ではないお二人のほうが強いというのも皮肉と言えば皮肉な話ですね」


 ……キミたち、自重というモノを知らないのかな?

 ワザとか? ワザと『ここに<魔女>がいますよ』ってバラしてるのか?


「「………………。」」


 アリシアたちが身に着けている『セイラー服のえりが付いたスクール水着モドキ』の胸元、ゼッケンに記された役職の文字をじ~っと見つめて確認し、アリシアたちがこの船の正式な乗組員クルーであることを理解したらしいスズランさんとナズナさんは、戸惑ったように顔を見合わせると、


「ねえ、ひとつ訊いてもいい?」

「これ、どういうことかしら?」


 揃ってボクに詰め寄ってきた。


「どういうことと言われましても……」


 いろいろ訊きたいのはむしろこっちのほうと言いますか……。


「……いいわ。じっくり事情を聴かせてもらいます☆」

「……ここで話し込むのもなんだから、場所を変えましょう☆」


 あ、あれ?

 ひょっとしてコレ、またもや厄介事に巻き込まれようとしてない?


「やっぱ、とらぶるに愛されとるのー。旦那様は」


 だからボクのせいじゃないって!


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