♯43 続・凛々しいお姉さんと、運命の再会を果たした



 自分で言うのもなんだけれど、ボクはかなり温厚な人間だと思う。

 この蒼き月の海ルナマリアに流れ着くまでは、命を賭けたやりとりはもちろん殴り合いの喧嘩けんかすらしたことが無かった。

 本当は叔父さんたちと修練の際に手合わせをするのだって気が進まなかったくらいだ(まあ、これはいつもボクが一方的にボコられるだけだったから、というのもあるが)。

 誰かと争うことが性に合わないのだ、根本的に。他人同士の罵り合い、言い争いすら出来れば見たくない。

 だけどそんなボクも、この蒼き月の海ルナマリアに流れ着いてからひとつ心に決めたことがある。


 ボクはルーナを必ず家族のもとへ送り届ける。そのために必要なら、人殺しだって辞さない。


 …………だから。


「――――――」


 禿げ頭によって羽交い絞めにされたルーナを目にした瞬間、ボクの頭は真っ白になっていた。

『あのヒト』の顔を見たときの驚愕それとは別の衝動。――ほとんど殺意と言っていい憤怒ふんぬで。


「ちょっ……アンタ⁉ 何やってんだい⁉」

「お父さん⁉ 馬鹿な真似はヤメて!」


 禿げ頭の奥さんと娘さんが身内の凶行に慌てふためいている。

 ついでに言うと黒髪の偉丈夫いじょうぶの「むう……」という唸り、そして『比較的ちっこいの』と『あのヒト』が息を呑む音も聞こえた。

 どうやらこれは禿げ頭の独断専行らしい。

 が――何もかもがどうでもいい。


「えうぅ……」


 ルーナが今この瞬間、恐怖に怯え泣いている。

 今のボクには、そのこと以外はすべてが些事さじだ。


「すまん、ターニャ。オリガ。だが誓っただろう。我々はどんな無茶をしてでも『メネラウス』へ行くと!」


 禿げ頭は妻子にそう告げるとボクとツバキのほうへ向き直り、


「大人しくこの帆船ふねの針路を『メネラウス』へ向けてくれ! 向こうへ着いたらちゃんとこの子を解放……って、あれっ⁉」


 と、目を丸くしていた。

 たぶん、数秒前まで確かにそこにあったはずのボクの姿が無かったから驚いたのだろう。

 禿げ頭が妻子のほうを見た一瞬の隙をいて、ボクは甲板デッキに落とした棍を拾い、一足飛びで禿げ頭のふところへ飛び込んでいたのだ。


「ふっ――」


 ボクは短く息を吐いて棍を操り、禿げ頭が右手に持っていた短剣を弾き飛ばす。

 そしてそのまま禿げ頭の脳天へと棍を振り下ろした。


 それは本気の――確実に殺すつもりの一撃。

 ……ではなかった。


 確かにボクの頭は殺意と言ってもいい憤怒で真っ白だったけれど、それでもルーナの目の前であるという事実、彼女に余計な負い目やトラウマを背負わせたくないという思いが、かろうじてボクを踏み止まらせてくれた。

『お兄ちゃん精神』が一時の衝動に勝ったのだ。

 妹ってすごい(いやルーナは本当の妹じゃないけれど)。


 だから、それはあくまで意識を失ってもらうための一撃だった。

 だが――ボクなりに手加減したつもりのその一撃は、



 ガキィィィィィィ……ン!



『あのヒト』が両手で掲げた薙刀なぎなたによって受け止められていた。

 どうやら彼女もほぼ同時に飛び出していたらしい。

 察するに、彼女もまたルーナを救おうと飛び出したものの、ボクに先を越され、今度は禿げ頭が殺されそうだと判断してボクの攻撃を阻止したといったところか。


「ちっ」


 思わず舌打ちしてしまう。

 ルーナを奪い返せなかったことも口惜くちおしいけれど、ボクの邪魔をしたのがよりにもよって『あのヒト』だという事実も腹立たしい。

 そのままボクと彼女の間で、睨み合い、鍔迫つばぜり合いならぬ柄迫えぜり合いが始まる。



 ギリギリギリ……!



 ……てか、どうしたらいいんだろうこれ。

 ボクは別に彼女と争うつもりは無いんだよ。だから、いったん退いたほうがいいんだろうけれど……ルーナがまだ捕まったままなんだよな。


「ひっく……えっぐ……」


 あっ、ルーナが本格的にしゃくり上げ始めちゃった!

 ………………っ。

 もういい! 邪魔するのなら、相手が『あのヒト』でも――


「っ。そのコを解放しなサイ!」


 ボクの怒気どきが膨れ上がったのを感じたのか、柄迫り合いを続けながら『あのヒト』が慌てて叫ぶ。

 背後、この数秒の間に何が起こったのかイマイチ理解できていない様子の禿げ頭に向かって。

 やはりどこか不自然なイントネーションで。


「そして謝っテ! 誠心誠意! 早く! ――彼は化け物よ! ワタクシではそう長くは抑えられないワ!」


 ……『化け物』って言われた……。昔憧れたお姉さんに……。流石にショック。


「そうじゃ! はよう謝れ! お主は今この海で一番怒らせてはならん男の一番大事なモノを傷付けてしもうたんじゃ! とっとと謝らんとタダでは済まんぞ⁉」


 ……ツバキまで大袈裟すぎない? 揃いも揃ってボクをなんだと思ってるの?


「え、あ、しかし、」


 禿げ頭はまだオロオロしている。ルーナが泣いているのに。腹立つ。本気で殺してやろうか。


「っ」


 再び膨れ上がるボクの怒気を感じたのか『あのヒト』は小さく舌打ちして、柄を掲げた両腕に力を籠めてボクを強引に後退させる。

 そして流れるような体捌たいさばきで薙刀を構えると、


「――はあっ!」


 と、鋭い横薙ぎを連続で放ってきた。


「これは……」


 ひとちつつ、バックステップでそれをかわす。

 そんなボクを見て彼女は、


「<天鳥船あめのとりふね流>――『さざなみ』!」


 こちらのまばたき、まぶたが下りたタイミングに合わせて、刺突つきを放ってきた。

 案の定だ。


「……やっぱり」


 彼女には悪いが、『漣』が相手へ横薙ぎを意識させておいてから相手の瞬きに合わせて放つ刺突つきだと知っていればけるのは容易たやすい。

 しかも彼女には元々こちらを殺すつもりは無いのだ。殺意の籠っていない必殺技など画竜点睛がりょうてんせいいているに等しい。



 パンッ



 ボクは予想どおりのタイミングで襲ってきたそのぬるい攻撃を掌で弾いた。


「なっ――」


 流石にここまでアッサリいなされるとは思わなかったのか、彼女が驚愕の表情を浮かべる。

 ボクはそんな彼女を気絶させるための一撃、手刀を放とうと身をよじって、

 ――直後、


「あがっ……」


 不意に禿げ頭がマヌケな悲鳴とともに気を失い、その場にくずおれた。


「「えっ?」」


 ボクと彼女がピタリと動きを止めて振り返った先――甲板デッキに突っ伏して『きゅう……』と目を回している禿げ頭の後ろには、



「ふあぁぁぁぁ~。……ねえ、これはいったいなんの騒ぎ? とりあえずルーナに危害を加えてるっぽい奴がいたから、のしちゃったけど。よかったのよね?」



 ――棍による容赦ない一撃で禿げ頭をのし、救出したルーナの頭を(欠伸あくびしながら)『よしよし』と撫でてあげている赤毛の少女の姿が……。


「アリシア!」


 今朝少しだけ寝坊した彼女は食堂で一人遅めの朝食を取っていたはずなのだけれど、どうやら食事を終えて甲板デッキへ出ようとしたところで異変に気付き、船倉から棍を取ってきて、禿げ頭へ背後から渾身の一撃を見舞ってくれたようだ。

 流石は『トゥオネラ・ヨーツェン』が誇るお転婆娘……。


「ふぇぇぇぇぇぇんアリシアさぁん!」


 泣いてアリシアへすがるルーナ。良かった、怪我は無いようだ。


「これは何事なの、だんなさま?」

「は、はわわっ。男のヒトが倒れてます⁉」

「他にも何人かお客さんがいるみたいね。もしかして招かざる客というヤツかしらっ?」


 そこに、ようやく騒ぎに気付いたらしいカグヤ、シャロン、リオンさんがやってくる。


「アンタ!」

「お父さん!」


 いっぽう、気絶した禿げ頭へ慌てて駆け寄る肝っ玉母ちゃんと娘さん。

 そのとき弾みで娘さんが被っていた頭衣フードが外れ、顔が見えた。

 母譲りの赤銅色の髪をベリーショートにした、そばかすがチャーミングな、ボクと同じか僅かに年下だろう女の子だ。母親に似て中々の美人さんである。


「ヤレヤレだな」

「………………」


 見れば、黒髪の偉丈夫は深い溜め息をつきながら長剣の柄へかけていた手を離していた。実を言うと彼はボクと『あのヒト』の戦いに一度割り込もうとしたものの、途中で諦めていた――ボクにも『あのヒト』にも殺意は無いことに気付いて、下手に介入しないほうがいいと判断したのだろう。


 彼の娘さんは相変わらず無言だけれど、こちらも安堵したように大きく胸を撫で下ろしている。

 ……そして、胸を撫で下ろしたときの弾みでこちらも頭衣フードが外れていた。

 こちらは十四か、五か……それくらいの年齢だろう。頭衣フードから零れ落ちたストレートの黒髪は地面まで届きそうなくらい長い。ふちなし眼鏡の向こうの黒い双眸そうぼう怜悧れいりで、肌は雪のように白かった(どうやら先程朝陽あさひを反射してキラリと光ったのはこの眼鏡のようだ)。

 一見サナトリウム文学とかに出てきそうな儚い雰囲気の美少女なのだが……どこか近寄り難くもある。

 初対面の、それも年下の女の子にこんな感想を抱くのもあれだが……なんか怖い。

特にあの目。あの鋭く冷たい目で睨まれたら反射的に土下座してしまいそうだ。


 そして――


「あなた……何者ナノ?」


『あのヒト』が、眼光鋭くボクを見据え訊ねてきた。


「どうして『漣』を初見デ避けられたノ? 『漣』は初見殺しと呼ばれてイル技なのに……」

「初見じゃないからさ」

「えっ?」


 こちらの返答に目を白黒させている『あのヒト』の手から薙刀を取り上げる。キョトンとする彼女は普段よりもどこか幼く見えて、年上の女性ではなく同い年の女の子と接しているような錯覚を覚えてしまった。小1のころのボクの目にはいつも凛としている彼女がとても大人の女性に見えたし、先程この甲板デッキに降り立った直後の彼女からもツバキと同じくらいの年頃のお姉さんという第一印象を受けたけれど、こうして同じ目線の高さで彼女と向き合うと、なんというか……イメージよりもだいぶ頼りない感じがする。正直、二十歳はたち手前には見えない。同級生だって言われたら信じてしまいそう。


「……十六歳になった今だからこそ、そう感じるのかもな」


 一抹の淋しさのようなモノを感じながらひとちて、遠巻きに事態の推移を見守っていた男衆へニッコリ笑って告げる。


「このヒトたちの処分はあとでゆっくり考える。とりあえず連帯責任ってことで全員まとめて適当な船室へやに押し込んでおいて。ちゃんと見張りを立ててね。持っている武器の回収も忘れずに。水と食べ物はまだ与えなくていい。変な行動を見せたら斬り捨ててしまっていいよ。――よろしく」


「「「「「「「は、はいっ!」」」」」」」


 やたら良い返事だった。


「いやそんな直立不動で返事しなくても……軍隊じゃないんだから」


 てか、なんでみんなしてボクを見てガタガタブルブル震えてるの? そんなに怖がられるとショックなんだけど。

 今のはただの脅しだよ? このヒトたちにこれ以上勝手な真似をさせないための。そこんトコ、ちゃんとわかってる?

 本気でこのヒトたちをどうにかするつもりなら、最初から船内には入れないよ! とうに海に叩き込んでるってば!


「「「「「「「は、はいっ!」」」」」」」


 ………………。もういいや。勝手に怖がってなさい。


「さて……どうしたもんだろ」


 連行されながらこちらをチラチラ盗み見ている『あのヒト』と、手の中の薙刀を交互に見遣みやり、ボクは溜め息をつく。


 まったく……とんだ再会になっちゃったなぁ。


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