♯33 チグハグな感じの母娘と、いつかの自分たちを比べた



「まったく、なんなのよアイツら! 命の恩人であるイサリに怪我を負わせるなんて! ホント信じらんない! イサリはイサリでまだあの恩知らずどもの心配なんかしてるし!」


 リオンさんたちが野営している浜辺から200mほど離れた場所。密林に遮られ、リオンさんたちがいる場所からは見えない位置で、アリシアはあれから一時間近く経ち日が暮れた今もプリプリと怒っていた。


 撓艇ボートで『トゥオネラ・ヨーツェン』に戻るフリをしつつ、その実、有事に備えるためこっそりここに再上陸したワケだけれど……。どうもアリシアは、ボクがそうすると決めたことに納得がいかないようだ(ちなみに撓艇ボートには先に『トゥオネラ・ヨーツェン』に戻ってもらった。密林を突っ切れば、リオンさんたちがいる場所へは歩いて行ける)。


「ねえイサリ。ツバキじゃないけどさ、あんな連中もう放っておきましょうよ! なんでアンタがそんな怪我してまで連中の心配をしてあげないといけないワケ⁉」


 波打ち際で膝を抱えるようにして座り、寄せては返す白波を見つめ、『ルーナ、淋しくて泣いちゃってないかな……』と全く別の心配をしていたボクに、左隣に座ってこちらの肩に頭を載せていたアリシアが、そんな提案をしてくる。


「う~ん……でもなぁ」

「でも何よ? そんなにあの似非エセロリが気になるワケ?」


 似非ロリて。

 そんな酷い表現、身内だってしないと思うぞ。


「あのねイサリ、似非は所詮しょせん、似非なのよ? 偽物なの。ロリはカグヤとルーナのコンビだけで充分でしょ? それとも、二人じゃ足りないとでも言うの?」

「とりあえず、ボクがロリコンだっていう前提でしゃべるのをヤメれ」


 ついでに『とっとと答えろ』とばかりにボクの左肩に載せた頭を動かして、ボクの頬をグリグリするのもヤメてほしい。痛くはないが、くすぐったい。


 ちなみに当のロリコンビの片翼――カグヤは今、ボクの右隣に座り、やはりボクの右肩に頭を載せて、すーすー小さな寝息を立てていた。

 おそらくは、ほんの一時だが『あの姿』になってしまったことで、激しく消耗してしまったのだろう。

 アリシア救出作戦の折、大気循環システムとやらへ干渉したときのように露骨に疲弊した様子は無いから、その点は良かったけれど……。


「ボクは別にリオンさんが気になってるワケじゃないって」

「だったらなんでよ⁉ ……もしかして、気になってるのはあのシャロンってコのほう?」


 だからなんで気になってる女の子のために動いてる前提なんだ。


「そうじゃなくてさ……。リオンさんって、シャロンのことが本当に大好きで、大切に想っているのがひしひしと伝わってくるだろう? サシャちゃんを抱っこしているときのアデリーナさんみたいにさ」

「……だから?」

「あんな見た目でもさ、やっぱり『お母さん』なんだよね、あのヒト。ボクに対するかたくなな態度も、シャロンを護りたいという一心がそうさせているに違いないんだ。そう考えると、責める気にはなれないよ。……だってあれは、ボクが小さいころからずっと渇望してきた光景……『そうでありたかった姿』で……そして、もう二度と手に入らないモノなんだから……」

「……イサリ……」

「そんな彼女たちを、この島に置き去りにして出発してしまったらさ。ボクはきっとことあるごとに彼女たちのことを思い出して、そのたびに後悔することになるんだよ。『そういえば、あのあと彼女たちはどうなったのかな?』『あの島で餓死したか、あるいは「<魔女>殺し」とやらに殺されちゃったのかな?』『あのときボクがもっと粘って説得していれば、彼女たちを死なせずに済んだのかな?』って」


 ボクはもう――後悔はしたくない。


 かつてボクは、言ってはいけない言葉を言って、母さんを深く傷付けた。

 そこからずっと母さんとはちゃんとしたコミュニケーションを取れぬまま、『あの日』を迎えてしまった。

 そして『あの日』母さんに、今際いまわきわで、あの言葉を言わせてしまったのだ。



 ――『ゴメンね……丈夫に産んであげられなくて。今日まで、ちゃんと向き合ってあげられなくて……』



 ……だから。


「決めたんだ。『あの日』に。これからは、向き合うべきモノとは最後まで向き合い続けるって。簡単に諦めて、目を逸らすことはもうしないって」


 後悔するとわかりきっていることを、しないって。


「だからボクは、ボクのために、あの母娘おやこを護りたいんだよ」


 つくづく思う――昼間、アデリーナさんと話したときにも感じたことを、改めて痛感する。


 ボクはやっぱり聖人君子でもなんでもない。子供のころに憧れた、テレビの中のヒーローのような立派な志なんてどこにもない。ボクはどこか『壊れている』から、誰かの危機を救うため、命懸けの行動を取っちゃうことは、ままあるけれど。でも、それはあくまで衝動的な行動だし。世界平和なんて曖昧なモノや見ず知らずの人間の安寧あんねいのために、命を賭けて恐ろしい敵と戦うなんてのは、ボクには無理だ。


 ボクが恐ろしい敵に立ち向かえるのは……誰かを護るため戦えるのは。

 そうしなかったことで自分が後悔しないため。

 あくまで自分自身のためだ。


「今までも――これからも。他者のためじゃなく、ボク自身のために、身命をして誰かの笑顔や未来を護るんだ」


 ボクの言葉に、アリシアは抱えた膝に顔をくっ付けるようにうつむき、


「……ズルいよ」


 と言った。


「アンタにそんなふうに言われてしまったら……私、もう何も言えないじゃない。他でもない私自身が、アンタがそういう奴だったから救われた人間なのにさ」


 アリシア……。


「……ところでキミ、さっきからボクのこと、『船長』じゃなく『イサリ』って呼んじゃってない? いやまあ、ボクは別に、どう呼んでくれたって構わないのだけれど。またツバキに怒られちゃうよ?」

「今⁉ この流れで⁉ そこを気にするの⁉」


 ゴメン、ふと気になったものだから。


「い、いいじゃない別に! 二人きりのときくらい、名前で呼んだって!」


 寝ているカグヤを、さも当然のようにいないモノとして扱ったな、このコ……。


「うん。だからボクは別に構わな…………カグヤ?」


 そのとき。

 カグヤがパチッと目を開けて、ボクの右肩に載せていた頭を持ち上げた。

 そしてボクたちがいる砂浜とリオンさんたちがいる砂浜の間に広がっている密林、鬱蒼うっそうしげる樹々のほうへ視線を向ける。


「カグヤ? どうしたの?」

「どうやらお客さんみたいだね」

「お客さん? って?」


 問い掛けると同時に、気付く。


 樹々の枝葉が、ガサガサと動いている……?

 何かいるのか……?

 まさか大型の肉食獣とか、そういう招かざる客じゃないよな……?


「……カグヤ。アリシア。ボクの背後うしろに」


 撓艇ボートから降りる際に艇長コクスンのオッサンから渡された白塗りのこん(初めて出逢ったときにツバキたちが使っていたアレだ)を構え、ボクが一歩前へ出ると同時、




「……あ、あの、」




 ――樹々の間から、意外な人物が姿を現した。


 その人物とは、誰であろう、


「シャロン……⁉」


 そう。焦げ茶色ブラウンの髪をセミロングにし、長く伸ばした前髪の下に瞳を隠している、あの十三歳の娘さんである。


 ちなみに母親リオンさんの姿は見当たらない。


 まさかこれは……単独行動か?

 一人でボクたちに会いに来たというのか?

 いつも母親リオンさんの背中に隠れているこのコが?


 ……でも、だとしても、いったいなんで?

 というか、


「なんでボクたちがここにいるってわかったんだい?」

「そ、それは、」


 ボクの問い掛けに、シャロンがおずおずと口を開く。

 ……なんか、このコの声を初めてマトモに聞いた気がする。小さくて、弱々しくて、このコの内気さ、自信の無さみたいなモノが覗ける声。

 けれど、鈴ののように綺麗な声だった。

 男の庇護欲をくすぐる声だ。


「わ、わたしの<魔女>としてのチカラです……。わたし、ヒトの気配にとても敏感なので……。あっ、いつもじゃなくて、集中したときだけなんですけど……。なんとなく、あなたがたは近くでわたしたちを見守ってくれている気がして……。だから、集中して周囲を探ってみたら、ここから気配を感じたものですから……」


 なるほど。驚異的精度を誇る『気配察知』。それがこのコのチカラというワケか。


「それで? ボクたちに何か用かな? ……その様子だとここに隠れていたことを責めるために来たってワケじゃなさそうだけれど」

「せ、責める理由なんて何もありません……! むしろこっちが謝って……そしてお礼を言わなくちゃいけないくらいなんですから……」


 ……お?

 もしかしてこのコ、母親リオンさんとは違って話がわかる感じ?


「せ、船長さん。その……わたしたちを助けてくれて、ありがとうございました。それに……ごめんなさい……お母さんたちが、とても酷いことを……」

「あー……うん」

「お母さんのこと、どうかゆるしてあげてください……。お母さんは、わたしを護るのに必死なんです……。本当は心のどこかで、船長さんたちは悪いヒトじゃないって感じてるのに……。簡単に他人を信用して、お父さんみたいにわたしを殺されてしまうのを恐れているんです……。お父さんは……『話せばきっとわかってもらえる』って……そう、身内でもないヒトたちを信じて……そして殺されてしまったから……。それに……孤児院も焼き討ちに遭って……。一緒に暮らしていた子たちも、みんな殺されてしまって……」

「………………」「っ」


 言葉を失うボクの背後で、生家を焼かれ、やはり父親を殺されたというアリシアが息を呑む気配がした。


「お母さんは……わたし以外誰も信じられない、信じちゃいけないって、無理矢理思い込もうとしていて……この世界に絶望していて。神様さえ、自分たちを救ってはくれない……むしろ、自分たちの敵なんだって思ってて……。わたしだけが、今のお母さんの希望……お母さんの人生のすべてなんです……」


 また息を呑む気配がした。でも、今度のそれはアリシアではなく、カグヤのモノだった。


「勝手なことを言ってるって……自分でもわかってます……。でも、どうかお願いです……。お母さんのこと、救って頂けませんか……? お母さんとわたしだけの淋しい世界から……お母さんを、連れ出しては頂けませんか……? 船長さんならそれが出来るんじゃないかって……わたし、そう感じたんです……。船長さんは、どこかお父さんと似た雰囲気をしているから……」


 ……十三歳という話だけれど。

 このコは……このコの内面は、たぶん、実年齢よりも遥かに大人だ。


 ……イヤでも大人にならざるを得なかったのかもしれない。

 でないと、このコの境遇では、とても生きていけなかったのだろう――少しでもお母さんを支え、負担を減らすために、年齢相応の子供ではいられなかったのだろう。


 同時に、お母さんの生き甲斐であり続けるために、えていつもお母さんの背中に隠れ、護られてきたに違いない。

 少しでもお母さんの生きる意味、死ねない理由となるために。

 ある意味、このコもまたお母さんを護ってきたのだ。

 お母さんの心を。孤独や虚無といったモノから。


 幼いなりに。

 幼くとも出来るやりかたで。


 …………ボクとは正反対だった。


「悪いけれど、ボクは誰かを救えるような大層な人間じゃない」

「っ」

「ボクは――自分の母親の救いにすらなれなかった人間なんだ」

「え……?」

「だけど……。キミや他のヒトたち、そしてキミのお母さんには、意地でもボクたちの帆船ふねに乗ってもらうつもりだ」

「!」

「そうなったら、キミとお母さんだけの狭い世界は、イヤでも広がることになるんじゃないかな。ボクたちの帆船ふね乗組員クルーはみんな良いヒトたちだからね。ボク一人では無理でも、みんなと一緒ならキミのお母さんを救えるかもしれない。そしてキミのことも」

「わたしが……<魔女>でもですか?」

「うん。約束する。ボクたちの帆船ふねに乗っている限り、決してキミやキミのお母さんに淋しい思いはさせない。これからのキミたちの人生に、楽しいことや嬉しいことをいっぱい用意してあげる。ボクとみんなで、必ずキミたちをその孤独ゼツボウ)から救ってみせるよ」


 ボクは、シャロンの前髪の下から覗いた目を……涙をポロポロ零している母親譲りの愛らしい瞳を真っ直ぐ見つめ、そう宣言する。

 以前、アリシアにも約束したように。


「それと……、ボクは、一人じゃあ誰かを救うことなんて出来ない人間だけれど。幸い、戦うチカラはそれなりに持っているから。『<魔女>殺し』だの『秩序管理教団』だの、そういう連中がキミたちの前に現れたとしても、ボクが護るよ。そこは信用してほしいな」

「船長さん……」


 シャロンは唇を引き結び、涙をゴシゴシぬぐうと、頬を紅潮させ、


「あ、あのっ。お名前を伺ってもよろしいでしょうか。夕方、そちらの女性が呼ばれていたときは、よく聞き取れなくて……」


 と訊ねてきた。


 ……背後うしろでアリシアが「あーあ……」と、ひどく呆れたような、あるいは何かを諦めたような呟きを漏らし、カグヤが深々と溜め息をつく気配がしたけれど……なんでだろう?


「イサリだよ」

「イサリ……さん……。――イサリさん」

「うん」


 何かを噛み締めるように――確かめるように、わずかに顔を伏せ、胸に手を当てて繰り返すシャロン。


「ちなみに後ろの二人は、黒髪のほうがカグヤで、赤髪のほうがアリシアだよ」

「……イサリさんの……恋人カノジョさん……ですか?」


 シャロンのようなコでも、他人の色恋いろこいは気になるものらしい。

 意外と言えば意外だけれど……まあ、十三歳の女の子だしなぁ。

 別におかしくはないか。


「えーと、彼女たちは……なんていうか、」

「彼はわたしの『だんなさま』なんだよ」

「言っておくけれど、さっきの『ボクたちの帆船ふねに乗っている限り云々うんぬん』の約束は、私のほうが先にしてもらってるんだからねっ」


 なんで対抗心を燃やしてるのこのコたち。


「え、ええっ⁉ だんなさま⁉ イサリさん、ご結婚されてたんですか⁉ しかも、わたしと一歳ひとつ二歳ふたつくらいしか変わらなさそうなコと⁉」

「いやいやいや未婚だよ! ボクまだ十六歳だよ⁉ これには理由わけが、」

「結婚はまだしていないけれど、接吻キスならしたよ? 唇と唇で」

「ちょっと! なんでカグヤの言葉にだけ反応するワケ⁉ 私は眼中に無いとでもいうの⁉」


 ヤベエ、なんか収拾がつかなくなってきた……。


「待って! みんないったん落ち着こう! 落ち着いて、ひとつずつ説明を――」


 そのときだった。



 ……きゃああああああああああ……



「「「「っ⁉」」」」


 遠く――リオンさんたちが野営している辺りで、悲鳴が上がった。


 誰のモノかはわからないが、若い女性の声だ。

 それも、かなり切羽詰せっぱつまった感じの。

 何かあったらしい。


 ……『何か』。

 あれほどの切羽詰まった叫びである。


 可能性として最も高いのは、何者かによる襲撃――


「っ! 行ってくる! 危険かもしれないから、キミたちはここを動くな! シャロンもだぞ!」

「で……でもイサリさんっ」


 ボクは手にしていた白塗りの棍をアリシアに放って渡すと、シャロンの呼び掛けを振り切って一人走り出す。

 そして、密林へと飛び込みながら咆哮した。


「『月火憑神げっかひょうじん』!」



 ボッ ボッ ボッ ボボッ ボボボボボッ――



 前方から後方へ流れていく景色の中でチラチラと舞い落ちる蒼い火の。直後、視界をほのおの柱がごう! と覆い、ボクの肉体を、青白いうずみびのような残り火がくすぶ留紺とまりこん全身防護服メタルジャケットが瞬時に包む。


『変身』が完了すると同時に密林が途切れ、一気に視界が開け――モニター越しに目に飛び込んできたのは、


「! コイツらは……⁉」


 砂浜の片隅にリオンさんたちを追い詰め、今にも襲い掛かる寸前の、海中から現れたであろう異形たちの姿だった。


 あれは――


「『<魔女>殺し』じゃない……『深きものども』か……!」


 そうか……! 『<魔女>殺し』のことしか頭に無かったけれど、コイツらもいたか!

 人間の天敵。シーラカンスを強引に擬人化したような半魚人モドキども。

 ただ、こころなしか、これまでに遭遇した奴らとは姿カタチがどこか異なるような……。


 数は全部で――七匹。


「――このっ!」


 ボクは渾身の力で砂浜を蹴ると、リオンさんを地面に組み伏せていた個体へと飛びつき、羽交い絞めにして、彼女から引き剥がす。



 そしてそのまま死闘へと突入した。


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