♯2 小さなお嬢様と、白いアイツに遭遇した



 突然ですがここで問題です。


 この地球では、46億年という長い歴史の中で様々なしゅ、生き物が誕生しては絶滅をしてきました。

 たとえば恐竜がそうです。

 そして恐竜の中には、ブラキオサウルスのように全長30mを超えるような驚くほど巨大な種もいました。

 それも踏まえて、答えてください。


 大昔に絶滅した動物と、現存している動物――そのすべてをひっくるめた、いわば地球史上最大の動物の名前はなんでしょう?


「シロナガスクジラさんですね」

「うん。どこからどう見てもシロナガスクジラだね……これ」



 ――ぶしゅうぅぅぅぅぅぅっ



 ボクとルーナの言葉を肯定するように、少し離れたところで間欠泉のような水飛沫を上げる


 いつの間にかボクたちの正面にいた《そいつ》の正体は鯨だった。


 地球史上最大の生物・シロナガスクジラ。

 全長が優に30mを超えようかという、全身真っ白な海棲かいせい哺乳類――


「……いや、コイツ、いくらなんでも白すぎない?」


 いくら『白長須鯨』とは言っても、ここまで全身真っ白じゃなかったと思うんだけど……。

 体色はむしろ灰色に近かったような気が……(まあ、全身真っ白とは言っても海面下の部分はボクたちには見えないので、そっちは灰色の可能性もあるけれど)。


 それともアルビノってヤツか?

 ……鯨でもアルビノとかあんの?


「まさに白鯨はくげいだな」

「イサリさまぁ……怖い」


 ぎゅっ、とルーナがまたもやボクの胸にすがり付いてくる。

 無理もない。海のど真ん中で突然こんな巨大生物と遭遇したら誰だってビビる。

ぶっちゃけボクだってビビってる。


 怖っ! メチャクチャ怖っ! これはもう理屈じゃない! 生き物が当たり前のように備えている原初的な感情、巨大なモノに対する本能的な恐怖だ! こんなん、ちゃんとした装備で身を固め、何度も海に潜った経験があるダイバーでもない限り誰だってビビるって! 少なくとも最初は! 絶対に!


「だ……大丈夫だよ。確か、コイツらが主食にしているのはプランクトンやオキアミ、あるいはイカナゴといった魚だったはずだ。食べるためにヒトを襲ったりはしないはず」


 ……まあ、鯨の食事を観察していたダイバーが一緒に飲み込まれてしまった、みたいな怖い話は聞いたことがあるけれど。

 でもそれは鯨にとっても貰い事故みたいなモノで狙ってのことではなかったはずだし、だいたいこんな話をルーナにしてもますます怖がらせてしまうだけなので、口には出さないけれど。


「だから安心して、ルーナ」

「イサリさま……。わたくし、イサリさまほど頼もしく、優しい殿方を他に知りません。出逢ったばかりのわたくしのために海に飛び込んでくださったのもそうですけど、今もわたくしを励ますためにこうして抱き締めてくださって……。わたくし、イサリさまのような素敵な殿方と出逢えたことを神様に感謝したいと思います!」


 いやいやいや。買いかぶり過ぎですって。ボク、そこまで頼もしくないからね?       なんなら今も『この状況なら恐怖でおしっこをチビってしまってもバレないな……』とか考えていたところだし。

 あと、ボクがキミを抱き締めているのは、縋りついてくるキミの動きをこうやって押さえ込んでいないと、こっちまで溺れてしまいそうだからですよ? ……言わないけども。


「それはさておき、だ」


 この状況、どうしたもんかな? 鯨のほうに動きはない。まるでこちらの様子をうかがうみたいにボクたちの正面で静止している。なんなん、こいつ。何がしたいの? なんでよりにもよってボクたちの近くに来て休憩してんの?


 どうしよう。泳いで逃げるか? でも、下手に刺激しないほうがいいかな?


 あ、逆にこの鯨の背に上陸するのはどうだろう? 水から上がれるし。このままずっと海面を漂っていたら、たちまち体温が低下してヤバいことになるだろうし。


 でもなぁ……。それこそ、この鯨を刺激することになりそうだよな……。ボクだったら自分の背中に何かが勝手に這い上がってきたら「何すんねん!」って怒る。怒って振り落とす。

 それに休憩を終えた鯨が海中に戻ろうとした場合、大変なことになりそうだし。


 じゃあもう、このままここでじっとしてるしかないか? 鯨のほうからこの場を去ってくれるまで……。


 どうする? どう動くのが正解だ?




『――見つけた』




 ………………。

 ん?


「ルーナ。今、何か言った? 『見つけた』とかなんとか……」

「えっ。今のはイサリさまがおっしゃったのでしょう?」


 ………………。

 んん?




『――守人もりびとの因子を持つ者よ。「そのとき」が来た。護り、救うため、せよ』




 まさか……。この声の主は……。


「そんな馬鹿な……、鯨がしゃべるなんて……」

「頭の中に直接響く感じのこの声……、この声音は……、この鯨さん、女の子?」


 ボクとルーナは半信半疑といった面持ちで目の前の鯨を見つめる。

 そう、ボクもルーナも喋っていない以上、考えられる可能性はひとつしか無い。


 


「嘘でしょ?」


 そんなことある?

 鯨も仲間同士で会話したり歌ったりしているという話は聞いたことがあるけれど、でもそれはあくまで彼らなりの言語、特定の周波数での話だったはずだ。

 人間の言語を解し、喋るなんて聞いたことないぞ?

 あとこれ、特定の周波数とかそういうんじゃなく、もっとファンタジーなヤツだと思う。

 所謂いわゆるテレパシー?

 いや……でも……それこそ非現実的っていうか……。


 ……あ。そうか。


「ボクは今、夢を見ているんだな」


 道理で。おかしいと思ったんだよ。


 ――従妹アズサが福引で一等を当てて、豪華な旅行に行けることになって。

 ――乗り込んだ豪華客船で、まだ幼いとはいえ良家いいトコの娘さんとお近づきになれて。

 ――しかもそのコがボクの目の前で海に転落し、ボクがそれを救うため果敢にも海に飛び込むなんて。


 そんなドラマチックな展開、現実でそうそうあるモンじゃない。


 だいたいボクがそんなに格好良いワケないし。

 これが夢ならば、ルーナがどうして無傷なのかとか、いろいろと不思議な点にも合点がいくし。


 なるほどなるほど、合点がいった。


「これは全部、非モテ童貞であるボクの願望が反映された夢だったんだね!」


 ……自分で言ってて虚しくなってきた。




『――夢じゃありませんー。現実ですぅ』




 鯨に訂正された。


 あ、夢じゃないんだこれ。

 ていうか、


「この鯨、なんか今、突然キャラが変わらなかった?」

「変わりましたね」


 さっきまでのおごそかな口調はどこ行ったのさ?

 声の雰囲気もさっきまでは落ち着いた大人の女性って感じだったのに、今のは明らかに幼い女の子って感じだったぞ?

 もしかしてこっちが? 威厳を出そうと、さっきまでキャラ作ってた?




『――残された時間は少ない。この地球ほしが閉ざされる前に旅立つのだ』




 こちらの心の中を読んだのか、あるいは自分でしくじったことに気付いたのか、鯨は取りつくろうようにキャラを元に戻す。

 けど、もう遅いよ?

 もうワケがわかんないよ。


「いったんタンマ」




『――「たんま」? なぁにそれ?』




 ……またキャラが崩れてる……。

 本気で取り繕う気ある?

 よし。疑問やツッコミはいったん脇に置いて、ひとまず言われたことを整理してみよう。


 モリビトのインシ? ってなんだ? モリビトは……文脈から判断するに『守人』かな? インシは……『印紙』? いや、それだと意味わかんないな。ってことは『因子』か? 護り、救う? 何を? 出航……旅立つって、どこへ?


 残された時間が少ない?

 この地球ほしが閉ざされる?

 いったいなんの話だ?




『――始まった』




 え? 何が?

 鯨の言葉にそう思った、そのときだった。


「⁉ なんだ⁉」

「これは……⁉」


 ボクたちの視界がたちまち白い霧で覆われる。

 十秒にも満たないような、ほんの僅かな時間で。

 今さっきまで、霧が発生する予兆のようなモノは全く無かったのに。


「なんだこの霧⁉ いったいどこから出てきた⁉」


 マズい。

 霧のカーテンは、ともすれば目の前の鯨の巨体すら見失ってしまいそうなほどの濃さ、ぶ厚さだ。

 いかにも何かが出そうな雰囲気。ナナニンミサキとか、舟幽霊とか、幽霊船とか。そういうホラーチックなのが。


 正直、メチャクチャ怖い。


 けどそれ以上に問題なのは、これでは客船ふねが引き返してきたとしても、ボクたちを発見できないかもしれないということだった。


 問題はそれだけじゃなかった。


「……イサリさま……、寒い……」


 ルーナが青ざめブルブル震えながら、ボクの胸にいっそう強く縋りついてくる。


 そう。

 霧が出た途端、明らかに周囲の気温が下がったのだ。


 何ここ北極海? それとも南極海かな? と愚痴ぐちりたくなるような、全身をつんざく容赦のない寒さが襲ってくる。

 それでなくとも、なんの装備も無しに海を長時間漂っていたら低体温症になるのは避けられないってのに。その前に心臓麻痺で死んでしまいそうだ。


 これは本気でヤバい。いや、今までだって充分ヤバかったけど。ますますヤバい。


「くそっ、なんなんだよこの霧は⁉」


 愚痴りつつも、片方の手で浮き輪を掴んだまま、もう片方の手でルーナの小さな身体を抱き締める。

 なんとかしてこのコを温めてあげたいところだけど、その方法が無い。

 せめて水から上がることが出来れば……。


「こうなったら一か八か……少しでも体力が残っているうちに!」


 鯨は嫌がるかもしれないが、その背に上陸するため、ルーナを小脇に抱えて平泳ぎで懸命に泳ぐ。


 そのとき、背後から奇妙な音がした。


 ピキ……ピキ……ピキピキピキ……という、小さくも鋭い音だ。

 いて言うなら――冷やしたグラスに氷をふんだんに入れ、そこに炭酸のジュースをなみなみと注いだ際に氷が鳴らすような、あんな感じの音。


「………………?」


 嫌な予感を覚え、泳ぎながら振り返る。そしてそこに信じられない光景を見た。



 海が、凍り付き始めていた。



 まるで録画の早送りでも見ているかのような不自然極まりないスピードで――あたかも氷河期が訪れてしまったかのように。

 周囲の海面すべてが、氷床ひょうしょう海氷かいひょうで覆われようとしていたのだ。

 しかも、すっかり夜のとばりが落ちて星々が瞬く空からは、チラチラと雪まで降り始めていて――


「な……なんだこれ⁉ さっきからいったい何が起こってるんだ⁉」


 そのとき。ボクの脳裏に、先程の鯨の言葉がふと甦る。



 ――『この地球ほしが閉ざされる前に旅立つのだ』



「っ!」


 理解できた。唐突に。天啓が降りてきたみたいに。


 まさか……、『この地球ほしが閉ざされる』というのは――


「――宇宙空間に出られなくなるとか人工衛星とのやりとりが出来なくなるとか、そーゆー外界との遮断じゃなくて、こういうこと⁉ ……って意味⁉」


 聞いたことがある。

 確かこの地球は、46億年という長い歴史の中で、三度だったか四度だったか、詳しい回数は忘れてしまったけれど、とにかく赤道付近も含めた全域が氷床と海氷で完全に覆われてしまったことがあるのだと。

 地球という惑星が雪球せっきゅうみたいになってしまったことがあるのだと。


 そう、確かこの現象――歴史的イベントの名は、


「『スノーボール・アース』……!」


 日本語では『雪球地球せっきゅうちきゅう』とか『全球凍結ぜんきゅうとうけつ』とか、そんなふうに訳されていたと記憶している。


「くそっ」


 それが今また始まったというのか? よりにもよってこのタイミングで?


 そんなことが起こる予兆、これまでにあったか? ニュースとかでも特段『もうすぐ地球がヤバいです。』みたいなことは言ってなかったぞ?

 むしろオゾン層の破壊だのエルニーニョ現象だの地球温暖化だの海面上昇だの、逆に『今年の夏も暑くなりそうだなー』って感じの単語ばかり耳にしていた気がするのだけれど。


 だいたい、百歩譲ってこれがそうだとしても、いくらなんでも進行するスピードが速すぎないか?

 そういう歴史的イベントって、長い年月をかけてゆっくり進行し、少しずつ環境に変化をもたらすものなんじゃないの?

 巨大隕石が落っこちたとか、火山が破局噴火を起こしたとか、そういうのとはワケが違うと思うんだけど。


 なんなんこれ? やっぱ夢なのかな?




『――だから夢じゃないってば。わかんないヒトだなぁ』




 オイ鯨。またキャラが崩れてるぞ。




『――ヤバッ』




 ヤバッとか言っちゃったよコイツ。

 もうほとんど『キャラ作ってます』って自白したようなもんじゃねーか。


 とか内心ツッコミながら、すぐそこまで迫る海面の凍結から逃れるため懸命に波を掻き分けて泳ぐ。

 そしてようやく鯨の鼻先まで辿り着いたボクと、ボクが小脇に抱えていたルーナは、




『――さあ、今こそ来たれ。この地球ほしを取り戻すため。時空を超えて、<魔女>たちの待つ蒼き月の海ルナマリアへ!』




 鯨が発したその言葉に、「「えっ?」」と目をしばたかせた。


 時空を超えて?

<魔女>たちの待つ?

 ルナマリアへ?


 ルナマリアって確か、月の『海』のことだよな?

 もちろん海と言ってもこういう海じゃなく……クレーターとか盆地とかの――


「ちょっと待て鯨。それってどういう――」


 訊ねるボクの手が鯨の肌に触れようとしたその刹那。



 海が発光した。



「こ……これは……⁉」

「イサリさま、海面が光ってます!」


 夜光虫やウミホタルの発光にも似た、それでいて明らかに別物とわかる、微妙に黄金の輝きを伴った蒼白い光。

 それが、ボクとルーナ、そして鯨がいるこの海域全体から放たれていたのだ。


 これは――おかしい。

 異常事態だ。

 明らかに自然現象ではない。

 かといって人工的なモノとも思えない。

 何かこう……、もっと超常的な――



 ザ……ザザザ……ザザザザザザザ……ザバアァァァァァァァァァァァッ!



 こちらの思考をさえぎるように、盛大な水飛沫を撒き散らして鯨が上顎うわあごを持ち上げる。


「あーん♪」ってするみたいに。

 あるいは――「いただきます☆」という感じで。


 その口を大きく開ける。


 ……そう。ボクとルーナの目と鼻の先で。


「「え。」」


 ………………うん。

 このあとの展開、読めちゃったよ。


「……へぇ~。鯨の口の中って、こんな感じなんだぁ。ヌルヌルのテカテカだぁ。グローい☆」

「言ってる場合じゃないと思いますぅ!」


 現実から目を逸らし鯨の口の中を見上げて感想を述べるボクと、珍しく涙目で鋭いツッコミを入れてきたルーナを、




『――えっち。』




 鯨はワケのわからないことを言って、周囲の海水ごと、文字どおり鯨飲げいいんしたのだった……。



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