猫が避けるもの

私は猫が好きだ。

細っこいのも丸っとしたのも可愛いし、ちいちゃくても大きくてもどっちも好きだ。

ブチ柄、ハチワレ、白、黒、トラ、なんかゴチャッとしたやつ、長毛短毛、声の高いの低いの。どうしてこんなに愛くるしいのか、不思議に思うことさえある。

妹がアレルギー持ちなため家で飼ったことはないが、見かけるとつい後を追いたくなるものだ。


その日も猫を追っていた。

本気で逃げる猫に、人間が追いつけるはずはない。

私に追われてくれるのは、大体がどこか度量の深い人情派猫だったりするのだが、その日の彼は特に親切だった。

民家と民家の塀の間に敷かれた細い路地を駆ける白猫は、時たま後ろを振り向いては、立ち止まったり私のペースに合わせて歩みを緩めたりする。まるでついてこいとでも言いたげだ。

こんなアニメを見たことがあるなと思いながら、私はその追いかけっこを楽しんでいた。


彼がまた立ち止まった。しかしどうも今回は様子が違う。

さっきまでピンと上げていたっぽを垂らし、どこか警戒するように大きく揺らしている。

私が追いつくと、彼はこちらを一瞥したのち注意深く歩き始めた。

あるところまで行ってヒョイと左に折れる。そのまま大きく半円を描き、しばらく先でこちらを振り返った。

まるでこの先にある何かを避けたようだ。


私の目には何も映っていない。

だが、猫の避けたそこを、無闇に通るのも気が引けた。

何より気味が悪い。

私は、先に待つ彼がやったように、ソロソロと歩みを進めるとある辺りで左に折れ、通りを壁際まで迂回した。

そうやって道の端を駆け抜け、ついにその何かを避け切ったと思った瞬間。

コツン、砂利敷に飛び出た大きめのれきが爪先に当たった。

「あっ」と思う間もなく、スニーカーが小石を蹴り上げる。存外に勢いよく弾き出されたそれは、あろうことか白く柔らかな毛の生えた腹へと飛び込んでいった。


白猫は突然の出来事に驚いたような声を上げ、一息だけ威嚇を投げると、わき目もふらず走り去った。

せっかくの好意をふいにした粗相に尻込む私は、去ってゆく背中を追うことすらできなかった。

「あーあ」

楽しい時間の終わりに落胆し、来た道を戻ることにする。

他に考えが行かぬほど気を落としていたからだろう、体を捻り振り返ったとき、私は何の気無しに道の真ん中へと踏み入れてしまった。


ーーぐにょりーー

足の裏から伝わる柔らかい感触。

目と鼻の先に、大きなくちがあった。

クチャクチャクチャ、音を立てて何かを噛み潰すその口からは、強烈な獣の臭いが漂っている。

クチャクチャクチャ、クチャクチャクチャーー舐めたり、しゃぶったり、咀嚼したり、絶え間なく動く歯や舌のあいだに、赤黒いモノが覗いた。

襲いくる吐き気に抗いつつも、私はその口から目を離せずにいた。

逃げなくちゃ、ここから離れなくちゃ、焦る気持ちと裏腹に足は動かない。

心臓が早鐘のようにうち、背筋には嫌な汗が流れる。生理的な嫌悪感と恐怖で頭が真っ白になってゆく。

クチャクチャ、グチャグチャグチャ、私はただただ目の前の咀嚼音に苛まれ、口内でかき混ぜられる生々しいそれを眺めることしかできなかった。


ーーゴクンーー

そして口は咀嚼を終え、何かを飲み下す。

ーーバカリーー

大きく開かれた洞穴ほらあなのようなそこを見て、意識が遠くなってゆくのを感じた。


「にゃー」


私は猫が好きだ。

細っこいのより丸いほうがいい、ちいちゃいよりは大きいのだ。

毛色も毛並みも関係ないが、長すぎては嫌だ。泣き声はなんでも構わない。

どうしてこんなに愛おしいのか、不思議に思うこともない。


細い路地で目を覚ました私は辺りを見回した。

ずいぶん長いこと気を失っていたようで、空には月が高く登っている。

ぐる、ぐるるる、喉を鳴らす猫のように、腹の虫の声が響いた。


ああ、お腹が空いたなあ。

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