生活と贈り物と冷やかし


 編み物をして、ふと、窓の外を眺める。あの小屋に住んでいたとき、外は何もかも近くて、風が吹けば木の枝が窓を叩いた。ここは、何もかも遠い。空だけは近くなったかもしれない。余裕が持てるようになると、少しだけ振り返るようになる。エリシアはもう、二ヶ月踊っていない。降りしきる雪を眺めながら、酒場での出来事が遠い昔のように感じた。あんな別れをして、せめてオットーに無事であると言いたかったが、まだ事件の全貌が分かっていない。何の連絡も出来なかった。


 マクナイト領は冬が厳しい。雪が積もりすぎて二階から外に出ることもあった。使用人たちは毎日雪かきをしたが、その分毎日積もり続けた。

 エリシアの一室は常に暖炉に火が焚かれていた。去年とは大違いだ。ハンナも傷がすっかり癒えて、屋敷の中で働いている。他の使用人達とも打ち解けて、うまくやっているようだ。

 部屋の設えは、来客が来る玄関、応接室だけを変えた。壁は水色に、調度品や家具は、そのまま残し、カーテンは傷んでいたので新調した。ソルからは評判が良かった。

 帳簿は計算が間違っていないかチェックして、不明な点があれば確認した。最初はマティアスのサインがしてあったが、いつの間にか無くなっていた。

 そのうちに料理長から毎日の献立の採択を頼まれるようになった。朝はパンにスープと決まっていたから、昼と夜に食べる分を、候補の中から選ぶだけだと言う。しかし渡されたリストの料理名だけでは中身が分からず、何度も説明を聞いて吟味した。折角ならとマティアスの好みを聞いたが、料理長は知らないといった。ソルも何でも食べると言うので、取り敢えず色味とか味付けが重ならないものを選んでいる。


 マティアスとは、あれきり会っていない。エリシアは呼ばれなければ会えないと思い込んでいた。


 出来上がった編み物を見て、ソルはお上手ですねと褒めた。

「早速、お渡しなさっては?」

「お忙しいでしょうから、渡しておいて」

「御冗談を。同じ屋敷にいらっしゃるのですから、ご自分でお渡しなさってくださいまし」

 普段は慎ましく控えているソルは、時々強引になる。さぁ、と促されあっという間に執務室へ。共に入るとひんやりとした空気が頬に当たった。息が白くなる。壁の暖炉を見る。火が焚かれていなかった。

 マティアスはいつもの机で側近に囲まれてやり取りをしていた。物々しい雰囲気。エリシアは遠慮して、前のように部屋の隅で待つことにした。すると黒髪が眼を引いたらしい。マティアスは話を中断して自らエリシアの元へ歩み寄った。エリシアは慌てて膝を曲げて挨拶の礼を取った。

「マティアス様」

「どうした。何か用か」

 低い声。エリシアは気後れしてしまった。控えていたソルが、マティアスを睨んだ。マティアスは咳払いした。

「…しばらくだな。不便は無いか」

「…はい…」

「薪は足りてるか」

「はい…ご配慮に感謝します。あ、あの、設えはあれで良かったのでしょうか?」

「貴女に任せている。良い趣味だと思う。帳簿も助かっている」

「…ありがとうございます。お食事、リクエストなどありますか?料理長に伝えておきます」

「俺は何でも食べる。気にしなくていい」

 エリシアはもう少し話がしたかったが、側近たちがチラチラとこちらを伺っているのに気づいて、邪魔をしてはいけないと思い直し、本題に入った。

「あの、編んでみました。よろしければお使いください」

 マフラーを見せる。白い毛糸のシンプルな鎖柄のものだった。ハンナとソルに教わりながらコツコツ編み上げた。

 マティアスは受け取らず、ただ無表情にマフラーに視線を落としている。こんな粗末なもの要らないのだと思って引っ込めようとした。するとサッと手が伸びてマフラーを取っていった。マティアスの腕に収まると、押さえ過ぎなのかマフラーは潰れたようになった。

「…悪いな」

「いえ…マティアス様の手、とても冷たいです。暖炉をお付けになっては」

「気にしなくていい。これくらいは寒いうちに入らない。貴女こそ、早く部屋に戻りなさい」

「…はい。失礼します」

 

 部屋を辞すと、直ぐにソルが言った。

「とても喜んでおられましたね」

「そうなの?」

「ええ。お顔を見れば分かります」

 エリシアにはさっぱり分からなかった。

「とにかく、受け取っていただけて良かったわ」

「奥様からでしたら何でも受け取られますよ」

 エリシアは冗談だと思った。寒さから肩が震えた。腕をさする。

「とても寒い部屋で…体調を崩されてもおかしくないわ」

 ソルも同意した。

「戦時に備えて寒さに身体を常に慣らしておく為、だそうですが、一番の理由は薪の節約でしょうね。執務室は広いですからそれだけ薪を使います。節約した分を使用人に回しておられます」

「私なんか一人で使ってるのに…申し訳ないわ」

「エリシア様はお気になさらず。ご自身のお体を一番にお過ごしくださいませ」

 そんな気になれなかった。振り返って閉ざされた扉に視線を送った。領地を治める重要な会議が行われているだろうに、冷たい部屋で、身体を温める飲み物すら無しで、側近たちは文句も言わずに従っているのだ。それだけマティアスに対する信が厚いのだろう。つくづくこの身が嫌になる。どうして王はわざわざ自分なんかと結婚させたがったのだろうか。正妻の娘─異母妹にあたる─が嫁いでいたら、こんなにマティアスも苦労することはなかったろうに。

「奥様、そろそろ」

 ソルに頷いてみせて踵を帰す。外の窓は相変わらず雪が降り続いていた。



 エリシアが去った後、側近達が騒ぎ始めた。

「いやぁ、夫人は大層お可愛らしい」

「先程のは見ものでしたな」

「あんなに戸惑っておられる閣下を久しぶりに見ましたよ」

「マフラーをお渡しするとは。夫人の手編みでしょう?なんて健気な」

「夫人の進言通り、そろそろ暖炉に火、入れてくれると助かるんですがね」

「うるさい。黙れ。早く報告しろ」

 マティアスは一蹴した。しかしこれで怯むような連中じゃない。上司を置き去りにエリシア談義に花を咲かせる。マティアスはペンをカンカン叩いて終わらせようとした。誰もが見事に無視。マティアスは立ち上がった。

「分かった分かった。暖炉は付ける。酒要る奴は手を上げろ」

 全員が手を上げた。マティアスは呆れつつ控えていた家令に目配せした。家令は直ぐに部屋を出た。

 部外者がいなくなった途端、全員が静かになる。一人が口を開いた。

「戦後処理が終わり、祝賀宴が開かれるそうです。陛下はマクナイト伯爵と伯爵夫人、両名の招来をご希望されています」

「陛下の孫を皇太子に叙任する式典も同時に行われます」

「夫人のご実家、エッジワーズ家は、かなり経済状況が悪化してますね。重税までは踏み切ってはいないですが、戦費の借金がかさんでいるようです」

「盗賊を手引きした者は?」

 一人が歩み出て小さな紙を渡した。

「そこに。捕らえますか?」

「間違いないか」

「証拠は揃っています。夫人の付き人に顔を確認してもらいました。エッジワーズのフットマンをしていた者だそうです」

「なら直ぐにかかれ」

「暖炉は?酒は?」

「馬鹿が。解散だ。早く行け」

「余裕の無い仕事はしたくないものです」

「詰めの甘い仕事をする気か?」

 側近は肩をすくめた。

「人使いの荒い…はいはい行きますよ」

 形ばかりの礼を取る。やっと火起こしを持ってきた従僕は直ぐに追い返された。



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