第1章 接近遭遇 後編

part Aki 4/22 pm 5:37




 帰りの藤浜方面行きは 夕方の帰宅時間と重なり 少し混雑していた。

 いつもは もっと早い時間帯に帰るから たいてい座れるんだけど 今日は望み薄だ。窓際に立つと イヤホンを耳に挿入れる。有名メーカーの高級品でとっても音質がいい。しかもワイヤレス。色は 黒。ほんとは 白がよかったんだけど 幸樹こうき兄さんに譲ってもらったものだから贅沢は 言えない。


 ボクには 3人の兄がいる。

 

 一番上が陽樹はるき兄さん 9つ上の25歳。もう社会人になっていて 建築士事務所で働いている。去年から街中の方で一人暮らしを始めたけど ちょくちょく実家にも顔を見せてくれる。厳しいことも言うけど ボクに絵を教えてくれたのは 陽樹兄さんだ。

 二番目が瑞樹みずき兄さん 5つ上の21歳。こんのさんにも話した 藤工へ行ってた兄っていうのが瑞樹兄さんだ。桁外れの行動力を持った自由人で 藤工のサッカー部時代は 色々 伝説を作ったらしい…。サッカーとバイクが大好きで この間は 大学を一年間休学して ドイツにサッカー留学に行ってた。頭は たぶん4人兄弟の中で一番いいんじゃないかな? 高校時代は 赤点ばっかだったらしいけど ドイツへ行くって騒ぎ出してから ドイツ語の勉強始めて1ヶ月後には ドイツ人の彼女作ってドイツ語で会話してた。モテるみたいで 何人もガールフレンドがいるらしい…。その子たちの家を転々としているらしく ほとんど家で見かけることは 無い。陽樹兄さんの方がよく会うくらいだ…。

 三番目が幸樹兄さんで 3つ上の19歳。幸樹兄さんは 瑞樹兄さんとは 正反対のタイプで 慎重な優等生だ。中学から有名な進学校に通って そこでも優等生で通し 去年 星都せいと大の文学部に進学した。家族のみんなは 大人しい 良い子っていうけど 歳が近いせいか ボクには グチグチとイヤミを言ってきたりして ちょっと(……ウソ。)鬱陶しい。ってゆーか 最近気づいたんだけど ボクと性格が似ているから鬱陶しいのかも…。理屈っぽくって内向的…。歳が近いからケンカもするけど 一番 甘えやすい相手でもある。このイヤホンもゴネたら譲ってもらえたし…。

 まぁ なんだかんだ言っても3人ともボクには とても優しくしてくれる。小さいころは 色々 泣かされたりした記憶もあるけど ボクと〈あき〉が別れてからは 兄さんたちは 本当に優しくしてくれるようになった。


  

 たった一人の可愛い〈妹〉なんだな〈あき〉は…。


 

 スマホを取り出し 音楽アプリを立ち上げる。

 朝 音楽を聴くときは 練習曲の自分のパートの旋律とか伴奏とかを聴いて イメージトレーニングしながら行くときが多いけど 帰りは 趣味の時間だ。Tokyo Girl's Rock Orchestraの『君を想うとき』をかける。切ない片想いの曲で 2年ほど前この曲を聴いてボクは T-GROのファンになった。コンサートには 行ったこと無いけど ファンクラブには 入ってるし アルバムは 全部CDで持ってる。ちなみにT-GROは ティー ジーアールオーって発音するのが正しい。ティーグロって言ってる奴らは ニワカなので 相手しないように。

『君を想うとき』は 有線とかでかかってたラジオ版で知ったんだけど 今はアルバム収録のロングバージョンの方がお気に入りだ。前奏のヴァイオリンソロがとっても綺麗だし 間奏でヴァイオリンとピアノの2つの切ないメロディーが掛け合いで重なり合い 最後ユニゾンになっていくところは 夜中に聴いたりすると涙が出そうになる。歌詞も一人称が『ボク』だし たぶん男の子視点の片想いの歌なんだけど 作詞のAYANO. さんも ヴォーカルの神林かんばやしレナさんも女の人だから 女性っぽい感覚もあって 初めて聴いたときは本気で ボクのこと歌ってるのかと思っちゃったぐらいだ。……いや 確かに自意識過剰って言われたらその通りだし 中二病呼ばわりされても仕方ないのかもしれないけど そのときボクは まだホントに中二だったんだよ…。



 片想い。

 


 今朝のこんのさんとのやりとりを思い出す。

 変装ってほどのつもりは なかったけど 無造作に束ねた髪と眼鏡っていう姿でも こんのさんは ボクに気づいた。思わず逃げ出しそうになった。これ以上 こんのさんに関わってもボクが報われることは 無いんだから…。でも 引き止められたときの 彼女の真剣な表情。素っ頓狂な自己紹介…。ちょっと天然なのかな? 思い出し笑いでつい顔が緩む。その後の焦った顔 心配そうな顔 そして笑顔…。こんのさんの表情や話し方は ボクがそれまで想い描いていたのとは 全然 違った。だけど ひとつひとつの表情や話し方が 思ってたのより何倍も素敵だった。5分ほどの短い時間の間に ボクは今までの 何倍も何倍もこんのさんのことが 好きになっていた。ってゆーか 昨日までは 恋に恋してただけだったんだ。

 

 今日 初めてボクは 彼女に恋をしたんだ…。

 

 あの時 こんのさんは聖歌隊のことについて 色々と訊ねてくれた。興味本位の質問だったのかもしれないけど ボクのことにちょっとでも関心を持ってもらえただけで すごく嬉しかった。そりゃ ボクのこの気持ちを受け入れてもらえることは 無いだろうから それは ホントにツラい。だけど 彼女のそばにいて 彼女が笑ってるのを見るだけでボクは 報われる。本気でそう思えた。


 そして ホームに列車が入って来たときの あの表情…。

 この子を絶対守るって思った。そう思って 彼女の手を握ったんだ。もちろん〈女の子同士〉だから こんのさんは握り返してくれたんだけど…。30分ほどの間 こんのさんはボクの手をぎゅっと握ってた。頼りにされるのは 嬉しかったけど 彼女をこんなに不安な気持ちにさせたヤツがいるってことに 無性に腹が立った。自分の欲望のために女の子を傷つける男がいるって現実に暗い気持ちになる。これは やっぱり ボクが女の子だから なのかな? いや 兄さんたちだってきっと同じように思うはずだ…。

 好きになった女の子のために できる限りのことをする。


  

 そう思うだけでけっこう頑張れる気がした。



 ロングバージョンの7分を超える長い演奏が終わる。

 いかにもプログレロックって感じの長い後奏もホント カッコいい。次もプログレっぽい曲を選ぼうとスマホを取り出すと メッセージが届いていた。


『Tokyo Girl's Orchestra 全国ツアー〈Ture soul〉ファンクラブ会員限定 先行予約 まもなく開始』


 T-GROは 最近 知名度が上がってきてファンも増えてきた。全国ツアーも会場を増やして全国10公演になるらしい。おかげで 今年は ここ 星光せいこう市の臨港りんこうアリーナでもライブをやることになった。臨港アリーナなら 家から1時間ほどで行けるし ママも許してくれるかもしれなかった。ちょっと行ってみたい気もする。でも 1人でライブ行くのってなんか寂しいよね。しかも1人で行くって言ったら ママは 絶対 許してくれないに決まっていた。かといって 〈あき〉の友だちで一緒に行ってくれるほどのT-GROのファンは 思い当たらない。やっぱり 高校生には ライブのチケットは 少し高いんだ…。それに 最近は 人気が高くて ファンクラブに入っていても なかなかチケットが取れないらしいし。まぁ 今回は 諦めよう…。



 車窓を夕暮れ時の街並みが流れていく。

 都心のビル群は 少しずつ疎らになり 郊外の風景が広がり始める。似たような造りの一戸建てやら マンションやらが夕日を浴びてどこまでも ずーっと続いていた。もう丸4年 毎日のように眺める 見飽きた光景だ…。



 気がつくと また こんのさんのことを考えていた。

 昨日の夜も考えたことだけど この恋に出口は 無かった。もし ボクが普通の男の子だったら 告白して付き合って もしもずっと好き同士でいられたら いつかは 結婚とか そんなコースもあるのかもしれない…。ボクのパパとママは 高校時代に付き合い始めて パパが大学を卒業してから結婚した。そして今でも仲がいい。そりゃノロケられてウザイときもあるし お互い 相手がいないときに子どもに 愚痴ってるときもあるけど そんなところも含めていい夫婦だなって思う。でも ボクには そんなハッピーエンドは 初めから用意されていないんだ。

 もちろん あっさりフラれるっていうのが 順当なコースなのかもしれない。こんのさんに恋人がいたり あるいは やけっぱちになって告白したりして この恋に破れる…。ありそうな話だ。そのときも ボクが普通の男の子だったら 次の女の子を探せばいいんだ。高嶺の花を望んで 玉砕して 次は 自分の身の丈にあった恋を探す。……よくある話さ。


 でも ボクの場合 ボクの身体が女の子だっていう根本的問題は いつまでも解決しない。そもそも ボクの身の丈にあった恋ってなんなんだ? ボクに彼女ができるとしたら ボクが好きになった女の子がレズビアンだった場合だけ…。そして そのときですら ボクは その子に女の子として愛されたいのか? っていう問題が残る。女の子の身体をしたボクを男として愛してくれる運命の女の子に出会う。そして その運命の女の子が こんのさんであることを祈る。状況は明らかに絶望的だ。

 

 だけど 可能性は ゼロじゃない。


 そこが もしかしたら一番キツいところかもしれなかった。何の希望も無いのなら 恋の歌なんか聴くのを止めて それこそシスターにでもなって 一生独身を貫けばいい。でも 現実には 何百万分の1か 何億分の1か あるかどうかもわからない可能性を信じて ボクは彼女に恋をしている。ボクが〈あき〉の中にいる限り助かりっこないのがわかってる地獄の苦しみだ。


 ……いや地獄じゃない。煉獄だな。


 煉獄っていうのは 不信心者が行くところで 最後の審判の日まで 身体を灼かれ続けるらしい…。ダンカン神父は そんな話 しないけど 厳しいシスターの中には 煉獄の話をする人もいる。地獄には 何の救いも無いけど 煉獄には いつかは救われるっていう希望があるって話なんだけど。でも いつかって いつなんだ? 下手に希望があるだけ 余計に苦しむんじゃないのか?

 今朝 決めたみたいに もう こんのさんには 会わないっていうのが 正解だったんだ…。でも ボクは ハンパな気持ちで 駅に向かい 彼女と出会い 話しちゃった。ボクは もう逃げられない。彼女の笑顔なしの生活なんて考えられない。でも 彼女を好きになった分だけ 余計に告白なんてできるわけなかった。だいたいなんて告白するんだ?『ボクは身体は 女だけど 男として貴女が好きです。付き合ってください』とか言うのか? 彼女を失うのは 火を見るより明らかだった。でも 告白しなくちゃこの恋は 何処へもいけないんだ。

 進むことも退くこともできない まさに煉獄だ…。

 ………。

 ……。

 …。



                        to be continued in “part Aki 4/22 pm 6:10”





 

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