第三話 人造人間シャルロットと黒薔薇オフィーリア

 第三話 人造人間シャルロットと黒薔薇オフィーリア


 人食い鬼ロベールはその日、『マゴニア学園』に勤める教師、ヴェルダン・ムーズの木骨造の屋敷に、いつものようにお菓子を届けに行った。


 ヴェルダンの一人暮らしの自宅の壁には、絵画が何点か飾られていた。


 そのうちの一点に、ふんわりと柔らかそうな栗色の短めの髪に意志が強そうな切れ長の目、ギリシャ風の白い装いである一枚布の外套に身を包んだ、美しい女性が描かれていた。


 ロベールはヴェルダン邸にお菓子を届けに来る度に目を惹かれ、モデルとなった女性は誰なのだろうと思った。


 ——人間に似せて作られたものは哀れだ。似ているというだけで、決して人間にはなれない。


 ロベールの傍らでふいに聞こえたのは、屋敷の主人、ヴェルダンの台詞だった。


 ロベールはヴェルダンの芝居がかった言葉で気がついた——屋敷の壁にかけられた絵画に眩しいぐらいの笑顔を切り取られた彼女は、『人造人間ホムンクルス』なのだ、と。


 なぜなら、自分自身、影に潜んで生きる存在だった、人食い鬼のロベールは、知っていたからである。


『マゴニア学園』の教師、ヴェルダン・ムーズとは仮初の姿であり、彼が自分と同じく影に潜み生きる存在、錬金術師だという事を。


 彼ら錬金術師は、宇宙の成り立ち、世界の本質を知る為に、卑金属を貴金属に変え、不老不死になる事ができる『賢者の石』の完成を目的としていた。


 錬金術師が『人間に似せて作られたもの』と言うのなら、それは錬金術師の今一つの技術の産物、『人造人間』に違いない。


 ロベールは思い出した——錬金術師サン・ジェルマンが語った、彼自身の身の上を。


 サン・ジェルマン伯爵は、フランスはパリの社交界で彼女と出会ったという。


 その名を、シャルロット。


 彼女はパリ社交界の華で、第一統領であるナポレオンに愛人になる事を強要されたが、それをきっぱりと断るほどに意志が強い女性だった。


 サン・ジェルマン伯爵は『ヴェルダン伯爵』と名を変え、社交界に出入りしていた時に、シャルロットと偶然出会い、すぐに意気投合した。


 サン・ジェルマン伯爵とシャルロットは二人とも好奇心旺盛で、いつも自分が気になった事を調べ、知らなかった事を学び、日々、勉学に励んでいた。


 シャルロットは子どもの頃からフランスの季節を巡る自然を好み、成長するにつれて植物学に興味を抱き、大人になった今では座学だけでなく、屋敷に研究室と温室を設け、草花の品種改良に手を染めていた。


 彼女はサン・ジェルマン伯爵がまだ知らぬ植物学について喜んで教えてくれた。


 曰く、花の品種改良の目的は、大きく分けて二つ、一つは、色、形、香りなど鑑賞価値を高め、消費者を魅了する。


 もう一つは、病気に強く育てやすい品種を作る為——品種改良で一番使われている方法は、交配育種、掛け合わせである。


 よい品種を作る為に、目的の形質に優れた母親と父親を選ぶ。


 次に、母親に選んだ花の雌しべに父親の花粉をつける。


 これを『交配』と呼ぶ、などなど。


 サン・ジェルマン伯爵とシャルロットは、いつも学問に勤しみ、一緒の時間を過ごしていた。


 ルイ十五世より与えられた、フランスは北中部、ロワール渓谷最大の威容を誇る城、シャンボール城の近くにある陽射しに煌めく川面を見つめながら、二人は、現在を、過去を、そして、未来を語り合った。


 だが、二人の寿命の長さは別々だった。


 サン・ジェルマン伯爵は不老不死だったが、それにしても彼女の寿命は短く、ある日、不幸な事故に遭って死んだ。


 錬金術師、サン・ジェルマン伯爵の力を持ってしても、馬車に轢かれた彼女を救う事はできなかった。


 ただ、サン・ジェルマン伯爵は事故現場に赴き、彼女の肉片を採集した。


 そして、花の都、パリから姿を消した。


 サン・ジェルマン伯爵は、なぜ、彼女の肉片を採取し、いったい、どこに消えたのか?


 サン・ジェルマン伯爵はかつて彼女と共に暮らしていたロワール渓谷最大の威容を誇る城、目の前を流れる川面が美しい、シャンボール城に舞い戻っていた。


 国王ルイ十五世より与えられた居城の一室で、自分の身長ぐらいある円筒形の硝子瓶を前に興奮した面持ちで立っていた。


 円筒形の硝子瓶の中ではまるで母親の体内に宿った胎児のように、一糸纏わぬ姿をした妙齢の女性が両膝を抱いて丸まっていた。


 柔らかそうな栗色の髪の毛、均整の取れたほっそりとした体つき、しなやかな肉付きの白い腕。


 かの有名な、ルネサンス期、ドイツの錬金術師、パラケルススは、これを、『人造人間』と呼んだ。


『人造人間』の作り方はまず、人間の精液と馬糞を一緒に硝子壜に密閉する。


 四〇日間経つと、硝子瓶の中に人間に似た生命が生じる。


 更に、四〇週間、人間の生き血を与え続け、一定の温度を保つと、『人造人間』が成長する。


 サン・ジェルマン伯爵はシャルロットの肉片を元に『人造人間』を製造し、今はもういない、かつて自分が求婚した女性と同じ名前、『シャルロット』と名付けた。


 もしかしたら、『賢者の石』があれば、馬車に轢かれて、ボロ雑巾のようになった彼女を再生する事も不可能ではなかったかも知れない。


 だが、一度は完成させた『賢者の石』は失われて久しく、そう簡単に、もう一度作れるものでもない。


 ——だから、『賢者の石』とは別の手段で、永遠を一緒に過ごしてくれる相手を作るのだ。


 あの聡明で博識だった彼女のように、生まれた時からあらゆる知識を身につけているという『人造人間』を。


 なのに、それなのに——、


「君は人間を遥かに超えた知識を持っているんじゃないのか?」


 サン・ジェルマン伯爵は眉を顰めた。


 彼女が完成した時の感動などとっくのとうに薄れ、あんなに胸膨らませた期待はどこかへ消え失せてしまい、今あるのは苛立ちだけだった。


 錬金術において硝子壜を子宮にして生まれた『人造人間』は、人間が持ち得ない知識を持っていると考えられているが、


「なぜ、君は何も答えてくれないんだ?」


 サン・ジェルマン伯爵がいくら話しかけても、シャルロットは沈黙をもって返答とした。


「なぜ、ずっと黙っているんだ?」


 サン・ジェルマン伯爵は困り顔である。


 被造物である彼女もまた、無色透明の液体に揺蕩いながら、造物主である錬金術師と同じ表情を浮かべていた。


「本当に一言も口を利いてくれないんだな」


 サン・ジェルマン伯爵はがっくりと肩を落としたが、ふと白い手が差し伸べられた事に気づき、再び顔を上げた。


「なぜ、何も話してくれないんだ?」


 彼女の手のひらに自分の手のひらを重ね、力のない微笑みを浮かべた。


 サン・ジェルマン伯爵は『全てを知る男』と評されるほど博識だったが、彼女が何をしたいのか全く判らなかった。


 サン・ジェルマン伯爵の手のひらと彼女のそれは冷たい硝子越しに重なり合っていたが、当然の如く、硝子に隔てられ、お互いの温もりを感じる事はなかった。


 果たして、彼女はそれが悲しいのか、ぎこちない笑顔を作った。


 サン・ジェルマン伯爵は戸惑いを覚えるしかなかったし、彼女もまた困惑している様子だった。


 なぜって?


「ああ、心が通じ合いさえすれば!」


 サン・ジェルマン伯爵はため息混じりに言った。


 彼はまだ、気づいていない。


 そう、生まれながらにして全ての知識を身につけている彼女も、全ての能力を有している訳ではない。


 だから彼女は目の前の錬金術師に疑問を抱かざるを得なかった。


 すなわち、


 ——この錬金術師は、いったいいつ、自分に心を伝える術を教えてくれるのだろう?


 まだ生まれたての赤ん坊同然だった『人造人間』は、言葉を知らなかったのである。


 今はもう昔、サン・ジェルマン伯爵が、錬金術について教えれば、シャルロットは大変、優秀な生徒だった。


 ふんわりと柔らかそうな栗色の短めの髪に、意志が強そうな切れ長の目、何より魅力的だったのは、ふいに見せる、相手を夢中にさせる天使のような微笑みだった。


 彼女は伴侶として、助手として申し分なかったが、サン・ジェルマン伯爵が、何度求婚しても断られた。


 何度迫っても、『今の私では貴方には相応しくないと思うから』、と断られたのである。


 だが、サン・ジェルマン伯爵は、いつも彼女の台詞の意味が判らなかった。


 なぜなら、サン・ジェルマン伯爵にとって、彼女は相応しくないどころか、何か気になった事があれば、一緒に調べ、自分が知らなかった事を教えてもらえる、希望の輝きのようなものだった。


 だが今思えばあれはたぶん、彼女にしても悩みに悩んだ末の答えだったのだろう。


 サン・ジェルマン伯爵は『全てを知る男』などとと言われた事もあったが、自分が愛した一人の女性の事さえ全く理解していなかった。


 こんなにもすぐ近くでシャルロットという美しい花を見ていたのに、いったいなぜ、そんな事を思ったのか?


 サン・ジェルマン伯爵は、彼女の輝きは永遠なのだと疑いもしなかったのである。


 花はいつか必ず散ってしまうというのに。


 実際、サン・ジェルマン伯爵よりも先に、シャルロットはこの世を去った。


 まるで初めからどこにもいなかったようにして。


 サン・ジェルマン伯爵は彼女と共に過ごしたシャンボール城の目の前にある、人けのない川面で黄昏ていた。


「君はどこにも行ってくれるなよ。お願いだから、君だけは……」


 サン・ジェルマン伯爵の傍らに静かに佇んでいたのは、死んだはずのシャルロットだった。


 いいや、


「君は私が生み出した『人造人間』だ。最初、言葉こそ教えるのに苦労したが、人間よりも身体能力が強靭なら、寿命が短いという事はあるまい——これから、永遠を共に生きよう」


 サン・ジェルマン伯爵は、自分に言い聞かせるように言った。


 ——私が作り出したシャルロットは永遠だ。そうとも、人間の彼女のように私を置いて先に逝く事はないだろうよ。


 サン・ジェルマン伯爵は柄にもなく、下唇をきゅっと噛み締めた。


 鼻の奥がつん、と痛み、視線の先で揺らめていた川面が、いっそう、ゆらゆらとぼやける。


「……サン・ジェルマン伯爵、涙が」


 突然、シャルロットが口を開いた。


「ああ、目にごみが入っただけだよ」


 サン・ジェルマン伯爵は、誤魔化すように言った。


 ふいに一陣の風が吹いたかと思えば、まるで魔法のように黒薔薇の花びらがどこかから運ばれてきて、目もあやな吹雪のように舞い散った。


「サン・ジェルマン伯爵」


 その時、異変が起きた。


「……?」

 サン・ジェルマン伯爵は、眉を顰めた。


「サン・ジェルマン伯爵」


 シャルロットの雰囲気は一変していた。


 サン・ジェルマン伯爵を見る目がさっきまでとはまるで別人、あたかも恋する乙女のように瞳がきらきらと輝いている。


「サン・ジェルマン伯爵。この子は、『人造人間』のシャルロットは、永遠じゃないわ」


 シャルロットは、突然、他人事のように言った。


「シャルロット!?」


 サン・ジェルマン伯爵が叫んだ時にはもう遅い。


 彼女は背中から、すとんと、川面に落ちていた。


「シャルロット! 何だ!? 私は何の命令も下していないぞ!? 今すぐ泳いで戻って来い、シャルロット!!」


 サン・ジェルマン伯爵は声も枯れよとばかりに叫んだが、彼女はゆっくりと沈んでいく。


 まるで、シェイクスピアの戯曲、『ハムレット』の登場人物、オフィーリアのように、目線を上げ、腕を広げ、


「うふ、うふふ」


 彼女は川面に揺蕩いながら、楽しそうに笑う。


 サン・ジェルマン伯爵が狼狽えた瞬間、


「これは私が品種改良した黒薔薇に込めた過去からの復讐なのです! 分からず屋のサン・ジェルマン伯爵に対する過去からの復讐ですわ!」


「黒薔薇? いったい、何を言っているんだ!?」


「ねえ、サン・ジェルマン伯爵、貴方は私に何度も求婚なさいましたね。その度に私は、お断りしましたよね」


「ねえ、サン・ジェルマン伯爵、私の肉体がこの世から消えてなくなったように、この子もこんな簡単に川の底に沈んでしまう。このぐらい、お判りでしょう?」


 シャルロットは今この瞬間も、川の底に消えつつあった。


「ねえ、分からず屋のサン・ジェルマン伯爵、でも、全てを知る錬金術師様、貴方が優秀だと言って下さった生徒である私からの、過去からの最後の質問ですわ」


「この世で永遠のものと言えば何かしら?」


 サン・ジェルマン伯爵はにわかに答える事ができなかった。


 この世で永遠のものだって?


 不老不死である、私の事か?


「ねえ、サン・ジェルマン伯爵、私は貴方と違って不老不死じゃない。だから、貴方と一緒に過ごすには……」


「結婚なんて形式だけで誓い合うよりも……」


 彼女はハムレットの恋人、オフィーリアよろしく、うわ言のような言葉を口走りながら、少しずつ、少しずつ、川底に沈みゆく。


 歌を歌い、取り留めのない言葉を口走り、みんなに花を配り、金鳳花、蕁麻、雛菊、蘭の花輪諸共、川に流れて、事切れたオフィーリアのように……


 サン・ジェルマン伯爵は呆然と立ち尽くすしかなかった。


 だが、サン・ジェルマン伯爵の目には、彼女は最後の一瞬、満足そうに微笑んでいたように見えた。


 そしてサン・ジェルマン伯爵が彼女の最後の質問の答えに辿り着いたのは、長い長い時を経た後だった。


 サン・ジェルマン伯爵は本当に長い時の果てに、こう思ったのである——。


 ——人に恋した人食い鬼は哀れだ。想っても想っても、添い遂げられる事はない、その身が鬼である故に。


「…………」


 ロベールは鏡に映った頭に鬼の角が生えた端正な顔貌を見つめ、胸の内で呟くと、頬から流れる一筋の涙を細い硝子の瓶詰めで受け止めた。


『お菓子の家』に迷い込んでくる『マゴニア学園』の生徒達の噂によれば、初めて出会った頃、〝人形姫〟と呼ばれていた彼女も、今では〝花の妖精〟、と呼ばれているらしい。


 ロベールが譲ったトリコロールの薔薇の花が美しさを演出するのに一役買っているのか、彼女に憧れる男子生徒は後を絶たず、しつこく言い寄られる事もあるという。


 それに比べて、目の前の鏡に映った自分はどうだろう。


 何ら変わる事がない、本当、全くと言っていいほどに、同じ毎日、同じ姿。


 今日も影に潜んで生きる存在として、霞がかった深い森の奥で、小さなお城、『お菓子の家』に隠れるようにして暮らしている。


 なぜか?


 人食い鬼だから、である。


 ロベールは人食い鬼と人間の娘の間の子である自分の未来を思ってまた涙し、瓶詰めに溜めると、深々とため息をついた。


 ——人食い鬼はこれからもずっと、深い森の中、小さなお城に閉じこもって、彼女がたまに店に来てくれるのを待つしかないんだ。


「こんにちは、サン・ジェルマン伯爵。教えてもらった通り、『落涙の瓶詰め』に、今日も彼女の事を思って、僕の涙の滴を溜めましたよ。でも、僕の涙の滴を集めれば出来上がるという虹色の飴玉、いつ完成するんですか?」


 ロベールは『お菓子の家』の店頭に立ち、見知った常連客に聞いた。


「それは、これから君がどれぐらい彼女の事を思って涙の雫を流すか否か、それ次第だよ」


 サン・ジェルマン伯爵はこともなげに言った。


「僕がどれだけ涙するか、という事ですか?」


「毎日、メソメソしていれば、すぐに〝空知らぬ雨〟は完成すると思うが、それもどうかと思うけどね」


 サン・ジェルマン伯爵は肩を竦めた。


「でも、彼女の『クエレブレの書』に奪われた心を取り戻すには、舐めれば人の心を取り戻す事ができるという〝空知らぬ雨〟を完成させる以外にないと教えてくれたのは、サン・ジェルマン伯爵じゃないですか」


 ロベールは困ったように言った。


「確かに、〝人形姫〟の心を取り戻す方法は他にはないかも知れない。だが、色々と考えれば彼女の力になる方法は他にもあるだろう」


 サン・ジェルマン伯爵は諭すように言った。


「……彼女の力になる方法」


「自分でもよくよく、考えてみればいいじゃないか」


 サン・ジェルマン伯爵は、楽しそうにけしかけた。


「人食い鬼の僕が考えたところで、何がどうなるっていうんですか。サン・ジェルマン伯爵も僕の正体は知っているでしょう」


 ロベールは投げやりのように言った。


「ああ……君は、人食い鬼と人間の娘の間の子だ」


 サン・ジェルマン伯爵は北叟笑むように言った。


「人食い鬼は頭に角が生えた、身長二、三メートルはある巨人で、棍棒を武器として使い、深い森や山の奥を棲み家としている」


 サン・ジェルマン伯爵は、突然、講釈を始めた。


「はあ」


 ロベールは呆気に取られたように言った。


「人間よりも体が大きくて、力が強いだけでなく、人間や動物に化ける事もできる——では、人食い鬼ロベール、君は何を悩んでいる?」


 サン・ジェルマン伯爵は、いったい、何が面白いのか、機嫌がよさそうに笑っている。


「…………」


 ロベールは戸惑いの色を隠しきれなかった。


「人食い鬼の端くれなら、人間に化けて、人間を騙してみせろ。半分、人間なら、彼女のそばに行って、彼女の事を守れ。彼女は今日もまた、〝薔薇の中庭〟で悪い虫に晒されているぞ」


 サン・ジェルマン伯爵は茶化すように笑顔で言った。


 ——人食い鬼の端くれなら、人間に化けて、人間を騙してみせろ。半分、人間なら、彼女のそばに行って、彼女を守れ、か。


 ロベールはサン・ジェルマン伯爵が立ち去った後、鏡を見ながら、彼に言われた言葉を思い返していた。


「……僕は人食い鬼と人間の娘の間の子だ」


 ロベールの瞳には、強い意志が宿っていた。


 今、鏡に映っているのは、迷いを断ち切った晴れやかな顔、さっきまで鏡に映っていた哀れな自分を鼻で笑ってやる。


 過去、人食い鬼の中には、何かに化ける力を逆手に取られ、相手の口車に乗って鼠に化けたところを、猫に食べられた者もいるという。


 ——僕はうまくやってやる。もう、毎日、涙するのもやめだ。いつまでもずっと深い森の中で過ごさずとも、いくらでもやりようはある。


 どうして、こんな簡単な事に気がつかなかったんだろう?


 僕は見事、人間を化かしてみせよう。変幻自在のこの姿で、人間世界に紛れ込む。


 そして、〝人形姫〟のそばで、必ずや人間の騎士のように、彼女の事を守るのだ。


 錬金術師、サン・ジェルマン伯爵は、今日では、不老不死の他にも永遠はある、と考えていた。


「ねえ、サン・ジェルマン伯爵、私は貴方と違って不老不死じゃない。だから、貴方と一緒に過ごすにはどうすればいいか、一生懸命考えたんです。結婚なんて形式だけで誓い合うよりも、本当にこれからもずっと、気持ちを分かち合うにはどうすればいいか」


「そう、いつかまた、貴方が私と一緒に過ごしたこの川面に来てくれたら、私の気持ちを込めた黒薔薇でお出迎えできるようにしておこうって。私が丹精込めて作った黒薔薇は、季節が巡る度に咲き誇る。季節を過ぎて一度枯れたとしても、永遠に花開く。そして黒薔薇を見たら、その度に私の事を思い出して下さい」


 不老不死である錬金術師、サン・ジェルマン伯爵は、今日も彼女の事を思っている。


 黒薔薇の花言葉は、『滅びる事のない愛』、だった。

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