第25話 ラストシーン

「おーい、黒須、授業中だぞ。外なんて見てないでしっかり集中しろ」


「あ、はい、すいません」


 僕は夢の中とまったく同じように先生に注意された。今度こそ、ここは現実の世界の教室だ。窓の外の春もしっかりと爛漫らんまんだ。


 あの事故のあとから結局僕は、夢と同じように学校に通うようになった。今は夢でなったのように6年生だ。夢での経験が生きたせいか、マラソン大会では優勝できた。


 すべてはあの夢で教わったことに素直に従っただけだった。そうしたら、自分でも信じられないくらいあっさりと『苦悩の壁』を越えてしまった。


 だからといって、あの夢を正夢だと言って喜ぶ気持ちにはとてもなれなかった。なぜなら、この現実の世界には僕の大切な三人の友達が登場することがないからだ。あきらめ悪く僕は、もしかしたらと無駄を承知で町中を探し回ってみたりした。言うまでもなくみんなはそこにもいなかったし、その手がかりさえなかった。


 僕のあの事故については小さなニュース記事になっていた。もちろんゆうかい事件のものなんてない。


 一度、ヤマモトモウタにゆうかい事件の話をしてみたことがあった。そしたらこう言われた。


「おい、黒須。おまえ、頭がおかしくなっちゃたんじゃないか?」だって。げらげら笑ってた。あんなに夢の中では泣きじゃくっていたのに。もちろんクローン云々のことは誤解を生むから言ったりはしなかったけど、もしも学校の誰かがクローンだったとしても僕のその人に対する接し方は変わらない。たとえ社会がどうだろうと正義を貫きたい。


 みんなとの約束。僕らのユートピア。


 差別や偏見のない世界。


 僕らのすばらしい世界。大切な約束。


 約束は僕を強くしてくれている。


 その意味で言えば、あの夢の片鱗ののようなものがたったひとつだけまだ残っていた。


 僕の心のなかにひとつ。


 みんなに出会えて生まれた僕の中の天馬ペガスス。それは今もちゃんと僕の心の中で生きつづけていた。そして、そのことが僕をすごく勇気づけてくれてた。だから僕は「ありがとう」といつもみんなにむけてつぶやいてる。決して届くことはないのかもしれない。でも届かないありがとうが無意味なものだとは思わない。今日も心からのありがとうを送っている。


 たとえば、今こうやって授業を受けているときなんかにも。


 その日の放課後、僕はグローブとボールを持って公園へ行った。事故の後も僕は欠かさずにナックルボールの練習をつづけていた。やめる気なんて全然なかった。


 公園の入り口ではアヒルが僕を待っていてくれた。いっしょに広場まで歩く。当たり前だけど、オブジェはちゃんとひとつに戻っている。広場にあったあのマンホールはもうない。事故の後で撤去されてしまった。同じ場所から僕は壁に向かってボールを投げる。傍らのはアヒル。この関係はずっと変わらない。


 ボールを投げながらアヒルにあの夢の話をした。アヒルに会うとだいたいいつもその話になる。


「ねえ、アヒル。君はね、夢の中で空を飛んだんだよ。すっごい気持ちよさそうだったよ」


「クエ」


 アヒルは羽繕いしながらも、きちんと返事をくれる。


「ねえ、アヒル、君が僕に『振り返るな』って、『決して振り返ってはいけない』って、そう伝えてくれたんだ」


 僕はナックルボールを壁に向かって投げた。だいぶ上達した。ナックルボールの『ナ』の字くらいはついたかもしれない。


「僕はもう振り返らないよ。いつまでも夢をひきずっているわけにはいかないからね」と決意をボールに込めてからもう一度ナックルを投げた。


 ── 揺れながら、落ちた。


「ボールの行方はボールに聞いてくれ」


 僕はそうつぶやく。


 ナックルボールの球筋は誰にも予測できない。僕の未来だってそうだ。誰にもわからない。


 でも、ひとつ言えることは、僕の可能性は無限大に広がってるってことなんだ。

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