第13話 生物マシンのアギト君
ズコンッ。ズコンッ。ズコンッ。
壁にボールが当たる音が、一定のリズムで響きわたる。
マラソン大会翌日の午後。
気のないボールを投げ続ける僕。
昨日あれほど空を覆い尽くしていた厚い雲はすっかりどこかに消えてしまった。だけれども、僕の心の中は、どんよりと曇ったままでいた。
さらに悲しいことに、今日はコーチがそばにいない。マラソン大会でのふがいない僕を見たせいで、アヒルは離れた池に入ったきりでこちらには来てくれないのです。
「アヒル、ごめんね。僕はよわっちい人間なんだよ」と大きな声で言い訳しながらボールを投げる。
聞こえたのか聞こえてないのかアヒルは水の中に顔をつっこんでしまっている。
「ねえ、ちょっと話を聞いてくれよ」と僕は池のそばまで歩いていく。するとアヒルは、こちらにおしりを向け、池のずっと奥の方へと泳いで行ってしまった。かなり機嫌が悪いみたいだ。もしかしたら、もう僕のことなんて嫌いになってしまったかもしれない。
うなだれて、また元の場所まで戻り、力なく練習を再開した。
ズコンッ。
壁の手前でバウンドしてしまったボールが壁に当たる。まったく練習に身が入らない。やっぱりアヒルがそばにいてくれないとだめだ。
僕は戻ってきたボールを拾い上げため息をついてから、次の球を壁に向かって投げた。
「ありゃりゃ」
すっぽ抜けてしまい壁の向こう側へ飛んでいってしまった。すると、向こう側から音が返ってきた。
シャリーン。
壁の裏側から聞き覚えのある鈴の音。
(クロ丸の鈴の音だ!)
壁の横から、ちょこんとクロ丸が姿を現した。
すぐに駆け寄り、その頭をなでながら、「クロ丸、よく来てくれたね。また会えてうれしいよ」と伝えた。
クロ丸はすぐにネコの鳴き声から変換してトミ丸君の声になり用件を話し出した。
『かず君、いまからいっしょに遊ぼうよ。クロ丸といっしょに早く来てね。ロケットが宇宙に飛び立つときみたいに
その後はまたネコのニャーに戻りメッセージは終わった。
聞き終わって僕はなぜだかホッとした。今まで一人も友達がいなかった僕にとっては、友達という関係がいったいどれくらいの持続性を持っているのかがまるでわからなかったから。
とにかくトミ丸君はまだ僕のことを友達だと思ってくれているようだ。
せっかちなクロ丸が「早く行こう」と何度も鳴くので、壁の向こうへいってしまったボールはまた今度探すことにした。アヒルになにかひと言ってから行こうと思い、あたりを見渡してみたけど、アヒルの姿は池にもどこにもなかった。
(そんなに簡単に許してくれるわけないか……)
あきらめて歩きかけた僕を後方から呼び止める者があった。男子の声だ。
「おいっ、忘れもんだぜ」
その声に僕とクロ丸は同時に振り返る。
するとそこには野球帽をかぶった少年が僕のボールを手に、壁に寄りかかりながら立っている。姿勢がとてもキザだ。きつい目つきで表情のすべてが尖っている。ランニングシャツに短パンという季節感のない格好がやけに目を引く。寒くないのだろうか。とにかく知らない顔だ。
少年はポンっと手の上でボールを跳ね上げてからこう言った。
「道具を大切にしねえなんて、まったくおまえは
声まで鋭く尖っている。僕がなにも言わないでいると、少年は突然、僕に向かってボールを投げつけてきた。サウスポー。そして……。
── ピッチングマシーン投げだ‼︎ ま、まさか彼は生物マシン……。
腕が完全に後ろまで一周してビュンッと投げた。
グローブをはめていなかった僕はとっさに素手でキャッチする。すごく重たいストレートだ。手がしびれるくらいに痛む。
(なんて無茶なことするやつだ)
僕はしびれた手を大げさに振ってみせた。
すると少年は「ナイスキャッチ」と言って地面に唾を吐いた。どこまでも感じ悪い。
「あぶないじゃないか。こっちはグローブはめてないのに」
「わりぃ、わりぃ」と全然そう思ってない顔の少年は少し近づいてきて話し出した。
「手加減したつもりだったんだけどよ。お前にはちょっと強すぎたかもしれねえな。そんなことよりよ、お前、ここでいつもナックルの練習してるだろ。ポコポコポコポコってバカのひとつおぼえみてえにナックルの『ナ』の字もつかねえような球を投げやがってよ。まったく見てるこっちが恥ずかしくなるぜ」
薄ら笑いを浮かべてさっきよりも遠くへ唾を飛ばしている。
少年のいちいちトゲのある言葉や、人を小馬鹿にした態度は、ヤマモトモウタに似たところがある。
(嫌なやつだな)
相手にするだけ無駄だと思い、足元のクロ丸に「行こう」と声をかけると、少年に背を向けて歩き始めた。
「おい、ちょっと待てよ。オレはナックルを投げられるんだぜ。本物のナックルボールだ。、お前、見たくねえのかよ、本物のナックルを」
その自信ありげな声に思わず僕は立ち止まってしまった。
(本当に投げられるのかな。本当ならやっぱり見てみたい)
なんといっても僕は映像でしかナックルボールを見たことがないのです。
振り返った僕は本当かと念を押した。
うなずく少年。足の先で地面を均し始めている。投げる気まんまんだ。
「ほら、さっさとボールをこっちによこせ」と要求してきたので放ると、片手でキャッチし、「もう少し下がれ」のジェスチャーをしてきた。
言われた場所まで後退し、距離を調節すると、僕はキャッチャーの構えでしゃがみこんだ。
さっと、少年の目つきが真剣なものに変わる。
左手に握られたボールの動きに僕も集中する。
(もしかしたら本当にナックルボールを見られるかもしれない)
ためしにARコンタクトの裏技で30秒後のプレー予測を見てみた。でもそこにはボールは映っていなくて、なぜか僕の背後の景色が……。
首を振って僕は再び目の前のプレーに集中。緊張が走る。グローブと同時に心も構える。さあ、こい。
少年がセットアップした。いよいよだ。僕は唾を飲み込む。
投球フォームに入った。すごく窮屈なフォームだ。
軽くキャッチボールするみたいに押し出すような感じで僕に向かってボールを投げた。手から放れたボールはふわりとゆるやかな放物線を描いたかと思うと、僕の前で揺れながら落ちた。
揺れながら……。
── それはナックルボールだった。
僕はその動きにまったくついていくことができずに取り損ねてしまった。
そんな僕をあざ笑うかのようにボールは後ろへ転がっていく。クロ丸がうれしそうにボールを追いかけていく。僕はそれを見ながら一瞬、言葉を失い、次の瞬間で言葉を取り戻して少年に振り返り言った。
「す、すごいや。ナックルだったよ」
ものすごく興奮した。
「へっ、そりゃ、どうも」と少年は涼しげに鼻の下あたりを手でこすっている。
僕の興奮は簡単には収まらない。
「こんなボールを投げられたらバッターはゼッタイに打てないよ。だって取れないくらいなんだから」
「さあね、どうかな。バッターによるな」
少年はなお涼しげに野球帽のつばの曲がり具合を手で確かめている。見ようによっては少し照れているようにも見える。
「どこで教わったの?どっかの野球チームに入ってるの?」
「いいや、オレはそんなめんどくせえもんには入っちゃいねえよ。言っとくが、いい技術ってもんはな、目で盗むもんなんだ。なんでもかんでも親切に教えてくれるほど世の中は甘かねぇ」
少年は細い目をいっそう細めた。
「じゃあ、誰にも教わってないんだね。それならなおさらすごいや。それにしてもナックルボールって本当に不思議なボールだよね。どうしてあんな変化の仕方するんだろ?」
(あ、いっけね、よりによって初対面の相手に疑問を表してしまった)
人によっては他人の疑問制限違反を当局にチクって評価をもらうなんてのもよくある。軽率だった。
僕は最悪を覚悟したけど少年の反応は真逆のものだった。
「なんだよ、お前、そんなことも知らねえでナックルの練習してたのかよ。開いた口がふさがらねえぜ。教えてほしいか?」
「うん」
僕がうなずくと少年は「一度しか言わねえぞ」と前置きしてから、ナックルボールがなぜ不思議な動きをするのかを教えてくれた。少年の説明によってわかったことはこうだ。
まず、投げられたボールは必ず回転しているということ。
次に、ナックルボールの場合は指で弾くようにして投げるため、ボールがほぼ無回転になるということ。
そして、どんなボールでも、回転数が非常に少ない場合、揚力がほとんど働かず、不規則な変化をするということ。
さらには、ナックルボールを投げるときには、全力で腕を振らないため、肩や肘にかかる負担が少ないので、ナックルボーラーは選手寿命が長いということなどだった。
以上の少年の説明を僕はただただ感心して聞いていた。どうして僕がナックルボールがうまく投げられないのかもだいたいわかった。いつも力んで投げていたし、おそらくは手首のスナップも効いていただろう。つまり僕の投げるボールは回転しすぎていたのです。
何度もうなずいている僕を見て、少年は得意げだ。
「どうだ、これでお前にもわかったか?二度と言わねえからな、頭にたたき込んどけよ」
「うんわかった、ありがとう」
素直に答えたら、少年は苦笑いになった。
「見てのとおりオレは生まれながらの生物マシンだ。望んでそうなった訳じゃないがな。学校でも特別クラス扱い。知ってるだろ。お前は差別しないのか?」と言って腕で本来ヒトができない動きをいくつか見せた。
「マシン組があるのは効いたことあるよ。僕もノー編集タイプじゃないから、いろいろ嫌な思いしたし。それに野球するときにはそんなこと忘れるよ」
「ふん、そうかい」と少年は乾いた声で言った
後、少し間を置いてから話題を変えてきた。
「そういやよ、お前、名前なんていうんだ?第一小に通ってんだろ?」
まるでクイックの牽制球みたいに急だったから戸惑ったけど答えた。
「えっ、僕は黒須……かずゆき。第一小五年」
「そうか、オレの名前はアギト。第二小の五年だ。まあ、よろしくな」
(へえ、アギト君は第二小なのか……。すご遠くからこの公園に来てるんだな……)
僕の顔色を見てアギト君が先回りして言った。
「なんでこんな遠くまでわざわざって思ってるんだろ?」
「うん。理由があるの?」
「べつにない」と言ってから「まあいい、教えてやるよ」とアギト君。
「オレはな家とか学校から離れた場所が好きなんだよ。知った顔に会わずにすむからな」
その表情は強弱混ざっていた。寂しさの方が強く出ていたかも。第一印象でヤマモトモウタに似ていると決めつけてしまったけど、ちょっと違うみたいだ。
僕がうなずいて応えると、アギト君は「じゃあな、また機会があったらどこかで会おうぜ。それまでにはナックルの
すると、さっきまでボールを転がして遊んでいたクロ丸が、何を思ったか、突然アギト君めがけて走り出し、その足元に自分の体をこすりつけだした。甘えているようだ。
驚いたのはその後のアギト君のリアクションだった。
泣きそうな声で「おい、なんとかしてくれー」と言いながら逃げ回りだしたから。
「なあ、おい、たのむ、オレはネコが苦手なんだー」
さっきまでのアギト君とのあまりのギャップに僕は思わず吹き出してしまった。
そのあともわめきながら説明するには生物マシンは安全保障上の理由からそれぞれひとつ怖さを感じる動物が割り当てられていて、それがアギト君の場合はネコなんだとかいうほんとだかうそだかわからないことみたいだ。
逃げれば逃げるほど、夢中になって追っかけるクロ丸。そんな構図に僕はお腹をかかえる。
「笑ってる場合じゃねえー助けろー」
離れてしまったアギト君に僕は「そのネコはクロ丸という名前だからよんであげなー」と呼びかけた。
「か、かんべんしてくれ~」ともはや悲鳴に近い声が返ってくる。
しばらく広場の中を逃げ回っていたアギト君だったけど、とうとう観念したのか、その場にへたり込んでしまった。そこへクロ丸が飛びついて、アギト君の顔をぺろぺろとなめる。どうやらアギト君のことがとても気に入ったみたいだ。
(アギト君ならトミ丸君と仲良くなれるかもしれないや)
と、ふと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます