05 秋月様に助力を請う

 何もない空間に気配が生まれ、まるで初めからそこにいたかのように秋月霧香あきづききりかが姿を現した。


 爽やかにして清らかな純白ワンピース姿に、空色リボンの麦わら帽子を頭に乗せた大学生らしき女性が、絹糸のような……とでも言うのだろうか、漆黒ながらもサラサラな長髪をなびかせながら、雫奈たちに向かって優しく微笑んだ。

 だがやはり、いつも傍らに控えていた小柄な老人の姿は無い。


 姿勢を正した二人は深々と一礼し、雫奈の腕から飛び降りた一匹は地面に伏せをして、霧香を出迎えた。

 みんなを代表して雫奈が進み出る。


「何度もお邪魔してしまってごめんなさい。霧香さんのことですから。ある程度の状況は把握されていると思いますけど、少し説明をと思いまして」

「まあまあ、そうでしたか。もちろん、精霊を通じて状況は把握しておりますよ。栄太さんが大変なことも」


 そう言いながら霧香は、寂しそうに顔を伏せている鈴音を優しく抱き上げた。


「だったら、どうか栄太を助けるために、力を……」

「姉さま、少し落ち着いてください。それでは順番が違いますよ」


 感情のまま先走る姉の言葉を遮った優佳は、霧香に向き直り、頭を下げて謝罪する。


「申し訳ありません、霧香さん。あまりに突然なことで、兄さまが巻き込まれたこともあって取り乱し、たいへん失礼をいたしました」

「あなたたちは私の妹のようなもの。何でも相談に乗りますし、たとえ用事がなくても歓迎しますよ。……ですけど、今は悪魔の件ですね」

「はい。残念ながら、相手の素性や目的などは一切分からないまま、兄さまの魂が奪われた状態となっております。すぐに相手から何か要求があるものと思っておりましたけど、今のところ、こちらに接触してくる様子はありません。霧香さんのほうで、何か動きはありませんでしたか?」

「今のところは何も……。侵入してきた相手は完全に痕跡を消しているようで、残念ながら情報は何もないですね」

「そうですか……」


 落胆した様子で答えながらも、優佳はどこか納得していた。

 悪魔の活動は、稀に派手に暴れ回ったりするものの、ほとんどは密かにして速やかに事を起こし、判明した頃には手遅れってことが多い。

 だからこそ、警戒は厳重にしているし、悪魔にとって土地神が管理している土地に入り込むのは、多大な危険リスクが伴うのだが……

 それを押してまで実行するということは、何か目的があるはず。

 もしかしたら、もうすでに目的が達成された後なのだろうか。


 それを思えば、何の目的もなく、堂々と姿を晒して現れた陰鬱の魔女フェイトノーディアの行動は不可解でしかない。

 とはいえ、引きこもりの魔女だけに、本当に隠世の常識を忘れていたってことも十分にあり得るのだが……

 念のために優佳は、そのことも合わせて霧香に報告した。


「私も、その様子は見ておりましたよ。ただ戸惑い、震えているだけで、特に悪さをする様子もなかったように思います。優佳さんが向かったので、お任せしましたけど、何か気になることでもありましたか?」

「そうですね。前々から間の悪い方でしたけど、今回のは特に酷かったものですから。そのことで少し確認しようかと思い、彼女を探しているのですけど……」

「本気で逃げられたら、そうそう簡単には捕まえられませんからね……」


 今も、かなりギリギリな方法を試しているが、接触してくる気配はない。

 本当に困ったものだ。これはいよいよ、本気で奥の手を使うしかないのかと、優佳は思い始めていた。

 まだ思いとどまっているのは、それをすれば隠世や現世に少なからぬ混乱を与えるからであり、フェイトノーディアとの関係が完全に壊れるからである。

 できれば、まだ時間に余裕があるうちは使いたくないと思っているけど、栄太の命がかかっているだけに、その時がくれば躊躇わずに実行するつもりだ。


 ここで、霧香に抱えられ、気持ち良さそうに撫でられていた鈴音が問いかける。


「そうそう、デイルバイパーって何かな? 秋月様は知ってる?」

「えっ? デイル……バイパー? どこかで聞いたような……」


 記憶を探っているようだが、霧香は思い出せないようだ。

 それを感じ、さらに鈴音が情報を補足する。

 オオワシの言葉をできるだけ正確に思い出そうと、鈴音は「う~ん」と首を捻りながら言葉を紡ぐ。


「その鳥がね、デイルバイパーが封印された石を探してるんだって。豊矛様の知り合いみたいなんだけど」


 出てきたワードで記憶を探った霧香は、あることに思い至る。

 遥か昔……いつの頃だったか、豊矛神が呟くように語った話を思い出した。

 たしか別の妖を退治した時にこぼれ出た、武勇伝のようなものだったが……

 双頭の大蛇を石に封じ込めて祠に祀ったというもので、長い年月を経て神に昇華したという、名前は……


「……水諸神ミモロノカミ、だったかしら」

「侵入してきたのは、神様ですか? 悪魔ではなく?」


 驚く優佳に向かって、霧香は小さく首を横に振る。


「いいえ、侵入してきたのは悪魔ですよ。その悪魔が探しているのは、水諸神ミモロノカミだと思います。正しくは水諸科等神ミモロカラノカミという、封印されたまま長い年月を経て神格化した土着神ですね」

「だったら、その神様を探して話を聞けば、相手のことが……」

「姉さま……」


 興奮気味に割って入った雫奈を、ジト目で見据えながら優佳が呆れたように両手で制する。


「その……霧香さん。水諸ミモロ様から話を聞くことは可能でしょうか?」

「御神体となっている、かつて封印石だったものに呼びかければ、思念が届くとは思いますけど、それに答えてくれるかは相手次第ですね」

「とにかく、その封印石を見つけるのが先決ですね」


 静熊神社にあるのは間違いないだろう。だけど問題は、どれぐらいの大きさで、どんな形状をしているのか分からないことだ。

 とにかく、神社に戻って、封印の力が秘められた石を探すしかない。


「それでしたら、どこかの文献に……」


 霧香は、腕の中の鈴音とじゃれ合いながら、秋津霧加良姫アキツキリカラヒメに蓄えられた膨大な記憶を探っていく。

 広大な知識の海を手がかりを頼りに、深く、深く……

 それを見守る優佳たちの目の前で、不意に霧香の雰囲気が変わり、神気ともいうべき清浄にして荘厳な力が放たれた。


「……大蛇を封印せし石を祀りて蛇神に転ず。しかして封印石は蛇神の御神体と成す。それこそが、ミヅチ石である……」


 それはまるで神託だった。……いや、神託そのものだ。


「ミヅチ石って、水霊石のことよね」


 デイルバイパーの封印石が、静熊神社の祠に安置されている『水霊石』のことなら、そこで祀られている蛇神が水諸ミモロ様ということになる。その蛇神は、長らく不在だったはず。

 だけど、貴重な手掛かりが得られた。


 最後に優佳は、霧香に助力を願い出たが、その返答は難しいというもの。

 秋月様の立場では、悪魔が何かを企んでいる状況において、最優先にすべきは守りを固めること。周辺地との連携などもあるため、調整役は大変らしい。

 だが、栄太の救出を試みる雫奈たちの活動は可能な限りサポートすると、そう約束した。

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