03 狂声の残響
その気になればすぐに追いつけるが、人目があるので、救急車を追いかけるだなんて非常識なことはできない。
そう思った優佳は、遠ざかる栄太の弱々しい気配を感じながら、走り去る白い車体を見送った。
足元に歩み寄ってきた鈴音を抱き上げた優佳は、さすがに犬に問いかけるのも変なので、残っていた人たちから話を聞くことにする。
代わりに、精神世界のユカヤが、コマネから説明を受けた。
その内容は……
優佳が侵入者の気配を感じて静熊神社から離れた後のこと……
しばらくして嫌な気配を感じた鈴音は、栄太の腕から飛び降りて相手を見据えた。
そこへ飛来してきたのは、何モノかに憑依されたオオワシ。大きな翼で制動をかけ、木の枝に留まって周囲を観察する。
鈴音たちの姿に気付いているはずなのに、取るに足らない相手だと思われているのか、こちらを用心する様子もない。
それどころか、オオワシは高笑いを始めた。
「ヒャハハ、やはりトヨホコが滅んだってのはマジだったみてぇだな。たしか、この辺りにデイルバイパーを封じた石があったはず……。なあ、そこのお前ら、この辺りで封印の石ってのを見かけなかったか?」
栄太と鈴音を見下ろしたオオワシが、そう問いかけてきた。
この嫌な気配は悪魔のもの。
悪魔が土地神の許しを得ず領域に侵入した。それだけでも、問答無用で撃退されるに十分な理由だが、それに加えて、相手の言動は失礼の度を超えていた。
それでも鈴音は、冷静さを保ちながら、親切に警告を発する。
「えっと……、ボクはこの地を守護する
「あんだって? まさかそれって、アタイに言ってるのかい?」
コクリとうなずいた鈴音は、いつでも飛び掛かれる姿勢で威嚇する。
それを見たオオワシは嘆息して小さく頭を振った。
「ったく、問答無用かよ……」
そう呟くと、
鈴音は十分に警戒していたつもりだった。だけど、背後に異様な気配を感じた時には、すでに敵の攻撃は終わっていた。
振り返ると、ふらつきながら座り込む栄太の姿が。
「エイ兄? ちょっと、どうしたの?」
驚いた鈴音が栄太の元へと駆け寄っている隙に、オオワシはどこかへと飛び去ってしまった。
だけどもう、闖入者のことを気にしている場合ではない。
倒れた栄太は意識を失っているようで、何度呼びかけても反応がない。
助けを呼ぼうにも、雫奈は儀式の最中で、時末はその補助をしている。
邪魔をするわけにはいかないと思った鈴音は、道路に出て通行人に助けを求めた。もちろん、犬の姿なので、犬の振る舞いを心掛けながら……
幸い、近所に住むキヨさんが気付いてくれて、鈴音の行動に理解を示し、倒れた栄太を発見して救急車を呼んでくれた。
その騒ぎに気付いた通行人たちは、キヨさんの指示で栄太を敷地の外へと運び出し、救急車が到着するまで見守ってくれていた。
ちなみに、救急車の追跡は、精霊に頼んであるという……
状況を理解した優佳は大きくうなずくと、心配そうに状況を教えてくれたお婆さんに深々と頭を下げた。
「……そうでしたか。キヨさん、お騒がせして申し訳ありませんでした。それと、お手数をおかけしました。
「そんな事はええんよ。
「優佳ちゃん、お兄さんがどこに運ばれたかは、消防署に問い合わせたら教えてくれるって言ってたよ。大丈夫かい? 誰かに伝えてあげようか?」
不意に優佳は、ご近所付き合いは大事だという、栄太の言葉を思い出した。
他人と友好的に接する方法がいまいち分からず、雫奈の真似をしていただけだったが、その意味がなんとなく分かったような気がした。
「ありがとうございます、キヨさん。こちらで問い合わせてみますね」
「そうかい? そうだねぇ。もし何かあったら連絡しておいで。こんなお婆でよかったら、何でも相談に乗るからね」
「そうですね。たぶん大丈夫だとは思いますけど、もし何かあった時には、またみなさんのお力を貸して頂きますね」
「……そうそう、早くお姉さんにも知らせてあげないとね」
「はい。すぐに連絡しますね」
何でも協力するからと、ありがたい言葉を残して解散するみんなを、優佳は頭を下げて見送った。
近くに人の気配がなくなると、鈴音を地面に放した優佳は、思案しながら家の方へと歩き出す。
栄太が倒れたのは、オオワシに取り憑いた悪魔の仕業だろう。
その場に自分がいれば、どんな相手だったのか、どんな攻撃だったのかも含めて、少しは手がかりがつかめたはずだったのに。そう考えると悔しさが募る。
こんなことなら、
「もしかして、ノッティーは陽動? 敵は兄さまを昏倒させて、その隙を突いて逃げた? それとも、狙いは最初から兄さま……とか?」
そうだとしても、誰が何のためにそんなことをしたのか、全く見当がつかない。
逃げるだけなら憑依を解いて自分の視界に移ればいいだけだ。こちらの隙を作る意味や、栄太を昏倒させる理由が、さっぱり分からない。
「まさか兄さまに呪いをかけて、それを解く代わりに封印の石を? そもそも、デイルバイパーって何? 相手は豊矛様の知り合いらしいけど……、それとノッティーはどういう関係……?」
考えれば考えるほど、分からないことだらけだった。
今すぐフェイトノーディアを捕まえて話を聞こうかと思ったけど、もうすでに彼女の気配は消えている。
だから、
異変が起きたってことは、もちろん雫奈も気付いていた。
だけど、まさか儀式を途中で放り出したりできないので、しっかりと最後までやりきった上で笑顔で参拝者を送り出し、落ち着いた様子を崩さずに家の中へと入った。
ある程度、精霊から話を聞いてたりするが、詳細までとなると難しい。なので、改めて優佳から状況の説明を受けた……
全てを聞き終えた雫奈は、難しい顔をして考え込む。
今のところ栄太は、霊力こそ極端に弱まっているものの、命に別状はない。祝福のおかげで、その程度のことなら分かるが、逆を言えばその程度しか分からない。
だが、すぐにユカヤからの続報で、運び込まれた病院や、栄太の詳しい状態などが判明した。
呪いを疑っていたが、どうやら栄太は、魂が奪われた状態らしい。
分かりやすく言えば、精神世界で栄太の魂が誘拐されたのだ。
「魂に介入するならともかく、魂を奪うだなんて馬鹿げてるけど……ご丁寧に探知を妨害しているようね。システムに干渉できる相手? まさか上級悪魔?」
「上級なのかは分かりませんが、事前に準備をしていたのでしょう。守護者が管理している土地で、その眷属の魂を奪い去ったのですから、かなりの実力者なのは間違いないかと」
「そっか……。封印の石を探してるってことは、その封印を解こうとしてるのよね……。デイルバイパーなんて、聞いた事もないけど……」
「相手の言葉通りでしたら、豊矛様なら知っておられたようですけど……」
その豊矛様は、もういない。
「まずはその……フェイトノーディアだっけ? その悪魔を捕まえて、話を聞くしかないようね。優佳、相手と連絡はとれる?」
「少し難しいですね。ですけど、かなり強引な方法でよければ可能ですよ」
「じゃあ、お願い。それと、秋月様に相談しないと。どうせなら、みんなで挨拶をしたほうがいいわよね……」
「そうですね。では、隠世での捜索を進めつつ、秋月神社に向かいましょう。悪魔は隠れたり逃げたりするのが上手ですので、探すにしても時間がかかりますから」
もちろん、普段から意識を分散させて行動しているが、あまり並行処理を増やせば注意力が落ちたり、作業効率や能力が落ちたりする。
でも今は緊急事態だ。出来るだけ意識を広く分散させて、相手の捜索を始める。
実際に目に見えるわけではないが、あえて視覚化すると……
あっという間に生み出された、数十、数百というシズナとユカヤの分身が、各々の視界で捜索活動を始めた……というイメージだ。
「ほら、鈴音。落ち込んでいても仕方がないですよ。悔しいのは私も同じです。だから、兄さまを助ける為にも、みんなで力を合わせましょ」
よほど責任を感じているのか、いつも天真爛漫な鈴音が、可哀想になるぐらい落ち込んでいる。
だけど、優佳の言葉に顔を上げると……
「……うん、そうだね。絶対にエイ兄を助けなきゃ!」
そう言って、力強くうなずいた。
隠世では、フェイトノーディアの捜索はユカヤが、無礼な侵入者の追跡をシズナが行い、栄太の護衛はコマネがすることになった。
また、現実世界では、栄太の従妹である郡上美晴に栄太が病院に運ばれたことを伝え、時末には栄太が悪魔に攻撃されたと伝えて留守番をお願いした。
そして、雫奈たち三人は、そろって秋月神社へと跳んだ。
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