第九話⑵

 ゾンビの本当の狙いは、神希成魅だった… そういうことだったのか。

 しかし、と植木は若干の違和感を覚えた。神希を襲う、それはこれまでの通り魔の行動パターンから微妙に外れている気がした。なにかがおかしいのは確かだが、それがなにかと問われると答えることができないもどかしさ。

 そんな植木のいらだちを見透かしたように、神希は続けた。

「通り魔は、色々なイベントに出没しては、催涙スプレーでそのイベントの参加者を無差別に襲う愉快犯。

 非常に悪質であることに違いはないけれど、スプレーには毒性もないし、金品を盗んだり暴行を加えたりもしていない。

 事件を起こしながらイベント自体も楽しんでしまうというずうずうしさもあって、通り魔にとっては、ちょっとしたイタズラのつもりなんでしょう。決して、事件を引き起こすことによって、社会全体を驚かせてやろうなんていう歪んだ野心は持ち合わせていません。

 とすれば、当然の疑問がひとつ。

 

 わたしはこの通り魔と目を合わせていますから、通り魔はわたしの顔を知っていたにもかかわらず、わたしを標的にしたことになる。

 でも、もしわたしを襲っていたら、どうなっていたか? イベントは即刻中止。スタッフさんは、大慌てで警察を呼ぶでしょう。アイドルが襲われるなんて、格好のニュースのネタですし、世間の注目度も高くなるでしょうから、警察としても早期解決のために、よりいっそう本腰を入れて捜査に取り組むに違いありません。

 そんなことは、この小心者の通り魔が望むはずはありません。イベントの出演者であるアイドルを襲うことは、通り魔としては、絶対に避けなければならないことなんです。

 それにもかかわらず、なぜ通り魔は、このわたし、神希成魅を襲うことを試みたのか? 答えはひとつしかありません。

 そうです、のです」

「なるほど。よくわかった」と、植木は素直に納得せざるをえなかった。さきほどまで抱えていた違和感はあとかたもなく氷解した。

「だから、『かりんとう!』、なんです」と神希は言葉を継いだ。植木は突然の飛躍に頭が真っ白になって、「え? なんで?」という問いが自然ともれでた。

「通り魔はわたしのことを知らない。ならば、わたしがキャッチフレーズと一緒にやっている『かりんとう!』のポーズも知らないに違いない。

 このイベントに参加しているお客さんたちは、特にわたしを応援していなくても、『ネバーランド ガールズ』のファンであれば、『かりんとう!』のポーズは当然知っています。曲中の合いの手や振り付けを完全にマスターしているのと同様に。

 だから、『かりんとう!』のポーズをできなかった人イコール通り魔、としてあぶりだせるとわたしは考えたんです」

 そうか、突然の『かりんとう!』には、そんな意味があったのか。やっと植木は腑に落ちた。

 実際には、あのとき、あのポーズをしなかった観客は、通り魔以外にも何人かはいた。だが、ステージの上から会場を見渡しながら神希が観客席を指さしたとき、通り魔はそれが自分に向けられたものだと焦り、自滅してしまったのだ。

「それにしても」と、植木はふと浮かんだ疑問を口にしてみた。

「なんで、通り魔はイベントを途中で抜け出さなかったんだろう?

 通り魔としてみれば、捜査が進んでいけば、自分が最初に狙っていたのがアイドルであると、捜査側が気づく可能性に思い当たるんじゃないかな?

 そうなれば、さっき君が話したように、大ごとになるのは必至。通り魔は、悠長にイベントを楽しまず、さっさと逃走するはずなのになあ」

「そのとおりですね。通り魔が、わたしがアイドルであることに途中で気づけば、ですけどね」

「そりゃあ、気づくだろう? だって、君はステージに上がって、堂々とパフォーマンスを・・・ あっ」と植木は呆けたように口をポカンと開けた。そんな植木の様子をさもおかしそうに眺めながら、神希はうなずいた。

「ええ、だって、わたし、大仏のマスクやストッキングで顔を覆っていましたからね。あの通り魔は、自分が襲おうと考えた人物とステージ上の人物が、同じひとりの人間だったなんて、わたしが『かりんとう!』のポーズをするためにステージに登場する瞬間まで、まったく気づくことはなかったんです 」

 神希はそう言って、自らの話を締めくくった。

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