第22話「調子悪いのか?」

「鈴茂ちゃん、お疲れ!」

「今日も可愛かったよ!」


 ステージの裏側、そんな言葉をかけられて、クリーム色の髪を持つ碧眼の少女は顔に笑みを浮かべる。しかし、彼女は急いでいた。


 一人のステージを終えて、控室に戻るところだ。廊下を歩く関係者にぶつからないように注意しながら、彼女はもつれそうになる足を前へ前へと動かす。


 そして、控室に続く扉を勢いよく開いた。そこには、三人の少女と一人の男性がいる。男性は椅子に腰かけていた。水色の作業着に身を包んだ彼は、三人の少女に囲まれて項垂れている。歳は50代か、それ以上だ。


「乙葉ちゃん......解除魔法、使っちゃったの?」


 鈴茂は、廊下を通る人の気配を感じて後ろ手で扉を素早く閉めた。


「どうして......アイドル活動は?」


 クリーム色の髪を揺らして、彼女は乙葉と呼ばれた男性に近づく。


「どうしても、助けないといけない子が居たんだよ。その子を助けてたら、力を使いすぎたみたいで」


 乙葉は弱弱しく笑みを浮かべて、鈴茂を見上げる。


「本当にごめん......こんなつもりはなかったんだ」


 彼は顔を覆った。指の隙間から滴る雫を見て、鈴茂はぐっと彼を抱き寄せる。


「謝らないで。いつかはこういう日が来るんだもん。みんな分かってる。ねえ?」


 鈴茂は周りに立っている三人の少女を見る。全員私服だ。今日ステージに立つのは鈴茂だけなので、着替えているのだ。


「うん。乙葉さん、泣かないでくれよ。力を使いすぎることは、魔法少女を全うしたって言って良いじゃないか。誇れることじゃないかな」


 そう言って笑うのは、青い髪の少女だ。ハーフアップにした髪に、雫型の髪飾りをつけている。


「そうそう、ファンには私たちから説明しておくネ。今はゆっくり休むネ」


 黄色い髪を持つ少女が笑って、乙葉の背中を叩く。


「失踪したことにしておいてあげるよ。泥船に乗った気持ちで居て」


 ぼそぼそと蚊の鳴くような声で言ったのは、緑色の髪を持つ少女だ。ぼさぼさの髪をひとつにまとめ、長い間手入れされていない前髪が目にかかっている。


「みんなあ......」


 乙葉が四人を見上げて、しゃくりあげて泣き出した。四人はそれを一人一人抱き寄せる。


「離れていても、五人はゆめマジだもんね。例え、魔法少女じゃなくなったとしても」


 鈴茂はそう言って柔らかく笑った。


 *****


「じゃあ、簡易ルールで試合をします。班員の代表はボール取りに来てください」


 午後の体育館にはバレーコートが作られていた。男子は外でサッカー、女子は体育館でバレーの授業を受けているのだ。真琴と花恋は同じチームに分けられていた。


「でね、ゆめマジから乙葉ちゃんが居なくなっちゃってね、みんな心配してるんだよ」


 花恋はさっきからアイドルグループの話が止まらない。五人の魔法少女だけで形成されたアイドルグループ・ゆめゆめマジック。そのライブが近々あるようで、真琴はそのライブに誘われていた。魔法少女という単語をよく聞くようになり、すっかりその単語に魅了されてしまっていた真琴は、本物の魔法少女を自分の目で確かめられるということで返事をしたのだ。


 その話をした翌日、突如グループメンバーの一人が脱退することを発表したらしい。本人からの言葉はなく、グループリーダーの鈴茂という魔法少女が人前でマイクを握っていた。真剣な少女の表情は、子供とは信じられないほどに堂々としており、落ち着いていた。


「ファンの子たちの話によれば、結婚したんじゃないかって。なんだか、最近太ったんだって。幸せ太りってやつなのかな?」


 まさか、そんな場所まで見られてしまうとは。アイドルも楽ではないのだな、と心の中で彼女らを労い、真琴はふと「結婚」という単語が引っかかった。


 どうしても、嫌なイメージがついてしまうのは、最近の父の帰宅時間が遅いことにある。父はここ数日、帰りがとてつもなく遅い。仕事が忙しいのだろうと自分に言い聞かせても、頭を過るのは「再婚」の二文字だ。


 それと共に、ライブに対する不安も真琴の中にはあった。


 家のことをしなければならないのに、ライブなんかに出かけても良いのだろうか。立太のご飯は誰が用意するのだろうか。洗濯は誰が干す?


 真琴の中には不安が着々と積み重なっていっていた。


 それだけではない。


 真琴はさっきの出来事を思い出す。


 *****


「うーん」


 職員室の前の廊下に、ずらりと長机が並べてある。廊下の端から端まで定規のように一直線に並んでいるのだ。その机にはパイプ椅子が数に応じて置かれている。真琴と、その担任は隣同士になるように腰かけていた。


 朝のホームルームが終わってから担任から呼び止められ、昼休みに二者面談をやりたいという話をされたのだ。真琴は嫌な予感がしていたが、断るわけにもいかないので承諾した。


 昼休みになって、花恋を教室に残し、真琴は職員室に向かった。話は廊下でするそうで、この場所に連れてこられたのだ。周りの席では、受験を控えた三年生が勉強をしていた。面談期間でなければ、自主学習スペースとして使われているが、真琴は一回も使ったことがない。そして、今は面談期間ではないのである。


「杉森、最近どうした? 調子悪いのか?」


 担任が手に持っているのは成績表だ。去年と同じ担任なので、真琴の成績が著しく下がっていることにいち早く目を付けたらしい。


「塾には通ってるんだっけ」

「いいえ」


 そんなものに通っていたら、誰が家のことをするのだろう。新しい母親ができたらまた別だろうか。いや、止めよう。


「英語の先生が、最近の小テストの点数が悪いって......難しいか?」

「いえ、難しくはないです」


 最近、勉強からネット記事に関心が移ってしまったのは秘密にしたいところだ。魔法少女に興味があるなんて、言えば鼻で笑われるに違いない。


「そうか。お家はどうだ。お父さんと弟君、元気か?」

「はい」


 話が弾まないので、話題を変えるらしい。それでも話が盛り上がらないと分かった彼は、「そうか」と黙り込んでしまった。静かな時間が流れるはずだが、昼休みなこともあって、雑音は大きい。


 真琴は担任の手の中にある紙が透けているので、裏側の成績の折れ線グラフを見た。一年生に比べると、見事なまでに右肩下がりだった。高校に入って、今が一番成績が悪いのだ。そして、それは今後も更新されていく。


 危機感を感じなければならないというのは、自分でよくわかっていた。そのはずなのに、焦る気持ちが微塵もわいてこない。最近、心が自分の体から離れているような感覚がある。言葉にするのは難しいが、気持ちが空回りしているような。


 その後は勉強についてのアドバイスをいくつかもらったが、彼女は適当な返事をしてやり過ごした。そんなことよりも、教室で一人で弁当をつついている花恋の方に気持ちは向くのだった。


 *****


「真琴、大丈夫?」


 気づくと、真琴は床の上に倒れていた。周りの目が心配そうに此方を見ている。背中に感じる固さは、体育教師の腕だと分かった。


「杉森、具合悪い?」


 女性教師のジャージから香る柔軟剤の香りが、真琴の鼻腔をついた。


「いえ......」

「保健室行こう。先生もついていく」

「いや、一人で行きます」


 真琴はゆっくりと立ちあがる。耳の奥が熱いのか冷たいのか分からない感覚があった。視界も白く霞んでよく見えない。


 そういえば、昼飯を食べていなかった。あの後、教室ではなくトイレに向かったのだ。トイレでスマホをいじっていたらチャイムが鳴ってしまった。何を調べていたのかすら記憶が曖昧だが、花恋に担任に何を話されたのかを聞かれるのが苦痛だったのだろう。


「ちょっとした貧血ですから」


 真琴はそう言って、体育館の扉に歩いていく。頑なについて来ようとする体育教師の腕を振りきり、一人で歩いた。どうして先生と言うものは、という文句じみたものが頭に浮かんだが、その先は浮かばなかった。

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