第8話「いらっしゃいませ」

「遅いなー」


 立太はソファーの背もたれに頭を乗せて、ふんぞり返るようにして座っていた。


 真琴は夕食に作った野菜炒めの残りをフライパンから皿に分けているところだった。これは父の夕食にする予定だ。


 真琴は立太の言葉を受けて、リビングの壁に掛けられている時計を見る。もう21時になる。父の帰りが遅いことはよくあることだが、こんなに遅いことが今まであっただろうか。


 今にも家の電話が、病院か警察からかかって来るのではないかと不安が巡る。


 どうせ仕事に集中して時間が経つのを忘れているのだろう。真面目だしな。

 と、そう自分に言い聞かせて安心したのも束の間、また新たな不安が込み上げてくる。


 新たな相手を見つけたか。


 母が亡くなりもう八年。子供にとっての八年と、大人にとっての八年がどれくらい感覚の差があるのかは分からないが_____そろそろ心の傷が癒えて、新たな恋を始める時期なのだろうか。


 考えたくもない。父の恋愛事情を悶々と考えている自分が嫌だ。


 真琴は野菜炒めを分けた皿にラップをかけて、ダイニングテーブルの上に置いた。椀は伏せて置いてあり、いつ帰ってきても良いように用意はしてある状態だ。


 母が亡くなってから、父が居ない時の家のことは真琴がするようになった。

 食事などコンビニ弁当で済ませたらそれで良いのだが、育ち盛りの立太にそれは良くないだろう。


「姉ちゃーん、父さんから連絡来てないの?」


 立太がソファーの上に寝転がりながら、テレビのチャンネルをころころと変えている。


 真琴はダイニングテーブルに置かれた自分のスマホをちらりと見やった。連絡が来ればすぐに画面が付くようになっているが、今のところ一度もそうなっていない。


「来てないみたい」

「ふーん。仕事忙しいのかな」


 子供は気楽でいいよな、と真琴は呆れながら洗い物に取り掛かる。スポンジを泡立てて皿を洗い始めると、単純作業故に頭にまた様々な考えがよぎる。


 再婚。


 世の中でその選択をする家庭はごまんといる。悪でも正義でもない、むしろ新しいことの幕開けとして素晴らしい言葉として捉えるべきだ。


 父は、まだ母のことを思っているだろうか。娘に突然聞かれたらきっと驚くだろう。

 真琴だって恥ずかしくて聞けない。


 だが、もし感情が薄れていたら。真琴の望まない結果がやって来ることが予想できる。


「ねー、水出しすぎじゃね」


 気づけば、泡まみれの手が空っぽのシンクの中で行き場を失っていた。


 *****


 店の中は、棚が窮屈そうに並んでいた。陳列と言うものをまるで考えていない配置の仕方に、研也も目黒も一瞬だけ店の中に完全に入ることを躊躇う。


 やっと人一人通れるくらいの棚の隙間から、カウンターが見えた。機械のレジではなく、古いレジスターが置いてある。


 棚には様々な小物が種類を分けずにざっくばらんに置かれていた。スノードーム、小皿、ヘアピン、ハンカチ......。雑貨屋ではあるそうだが、売る気はあるのか、という感じを受けるレイアウトである。


 店員らしき人は見える範囲に居なかった。あまりにも棚が視界の大部分を支配しているので、陰には居るのだろうが。それにしても視界が悪い。


「すごいお店ですね。これなら一つや二つは見つかりそうです」


 そう言って耳元でこそこそと話をしてくるのは山田だ。彼女もこの店の異様さには気づいているらしい。


「そうですね。少し見て回りましょうか」


 研也と山田は棚の間をのそのそと歩いた。客は二人の他に居ないようで、店の中はBGMも無くしんとしている。店員は姿こそ見えないが、カウンターの向こうにある木の扉の奥からがさごそと物音がするのでそこにいるようだ。


 棚の上にあるものを二人で吟味する。


「お化粧ポーチとかどうですか? この大きさですと、いろいろな用途がありそうですよ」


 山田はそう言って、大きめのポーチを手に取る。テディベアの柄の生地で作られたものだ。金のチャックが付いた、可愛らしいデザインである。


「本当だ。可愛いですね」


 研也は頷く。これならば、真琴も喜びそうだ。彼女は最後の家族旅行の遊園地で買ったテディベアをまだ大事に持っている。小さい頃は抱いて眠っていたのだ。


「娘はテディベアが好きなんですよ」

「あら、じゃあ熊さんグッズでも探しましょうよ」


 そう言って山田は研也をさらに店の奥へ連れて行った。


 何週かして、ポーチ、ハンカチなどの小物が研也の手に収まった。


「こんなところでしょうかね」


 研也はカウンターに向かう。山田も共についてきた。


「すみません」


 店員は未だにカウンターの扉の向こう側だった。がさごそという音は鳴りやんでいたので、近くには居ないらしい。

 もう一度声をかけると、かなり遠くの方からくぐもった返事が聞こえた。


 少しして現れたのは、青い髪の青年だった。歳は二十歳くらいだろうか。浅黄色のエプロンを身に着け、顔に爽やかな笑みを浮かべている。


「いらっしゃいませ。すみません、荷解きが終わらなくて」


 青年は困り笑いを浮かべて、研也から商品を受け取る。彼の言葉を受けて、研也はそう言えば、と思い出した。この店は最近オープンしたのだ。そうだとしたら、この雑多な感じも納得がいく。が、普通は綺麗な状態で店を開けるものではないのか。


「こちらは、プレゼントでしょうか?」


 店員が商品を見て聞いてくる。


「そうです。えっと、娘に」

「娘さんですか。きっと喜びますね」


 店員は微笑んで、ラッピング用の袋をカウンターの下から手早く取り出した。


「此処のお店、雰囲気があって良いですね」

 山田が店内を見まわして言った。店員が「ありがとうございます」とまた柔らかく微笑んだ。


「この時間帯に開店していると、お客さんはあまり来ない気がするのですが......」


 失礼だろうか、と思いながらも研也は聞いてみた。店員は相変わらず微笑んで答えた。


「そうなんです。でも、逆に話題になりそうな感じがしませんか? 夜にやっている雑貨屋さんなんて」


「たしかに......」


 どうやら、山田の考えがそのまま店の意図だったらしい。最近の営業商法はすごいな、と研也は素直に感心した。


「どんなお客さんが来るんですか?」

 山田が話を広げた。


「そうですね、最近ですと会社終わりの方が多いでしょうか。高校生は部活が遅いところですと帰りに寄ってくださいますけれど」


 高校生と聞いて研也は「あの」と無意識のうちに口を開いていた。


「高校生に人気の品物があれば、店員さんにも選んでいただきたいんですが」

「え? 僕ですか?」


 店員が目を丸くして研也を見た。


「いいですね。店員さんなら最近の流行りもよく知っているでしょうし」


 山田も頷いた。


 高校生も来るとなれば、その子たちが手に取っているものが知りたいのだ。店を回る中で集まったのは、どれも偏ったデザインのものだった。ラッピングの袋に包まれていく商品を見て、研也は途端に自信が無くなってしまった。


「そうですか......。でしたら、こちらがおすすめですよ」


 店員はそう言って、ある場所を示した。

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